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平成3年12月。最近は日本中、何処え行っても同じような街並みをしている。鹿児島もその例に漏れない。そんな中でも城山一帯は薩摩の歴史に彩られて他にはない情緒がある。ここ鶴丸城址の一等地にはかって旧制七高があり、後に鹿大医学部が居を借りた。今は黎明館になっている。南九州中央病院はその一画に大きく聳え建ち、回りの敷地も勿体無いほどの広さがある。私が高校生のときにも鹿大医学部とその付属病院は此処に有り国道側から城跡に入ると今も残っているが青銅色をした洋風の門扉がある。その時分には付近は丈の高い草に覆われていた。雰囲気が好きで夏休みなど近くの図書館に来て度々散歩のコースにした。そして医学部進学への憧れとその実現への励みとした。夢かなった大学時代と医師になり研修に励んだ大学病院が宇宿に移転するまでの10年間を此処で過ごした。目を閉じると贅沢な雰囲気を満喫した多くの思い出が目に浮かぶ。医学部と堀を挟んだ付属病院の間には城山に続く車道と市電の架線が並走し、ごちゃごちゃしてはいたがその間を縫う様に学生、病院職員、看護婦さん、看護学生、外来者が声を掛け合い挨拶し、のんびりした賑やかさがあった。数年の後めぐり合わせで病院開設と同時にこの地に戻れた。まだ電車は走り、医学部跡に講堂だけはそのままに残っておりほんの前まで、ここで泣き笑いしていたとの感じもした。あれから10年時代に流され、医学部後には巨大な黎明館が整然と構え、電車道は外され車道には車が溢れ、病院に入るのでさえ危なつかしい。よき時代を偲ばれるのは楠が茂った石垣とお堀に咲く蓮花だけである。目を遣ると旧友がそこに微笑みかけホッとする。