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< 編集後記 | メイン | 認定調査にケアマネの同席が必要 >

指宿地区認知症研究会では平成13年3月の第一回を手始めに毎年2回、春、秋に研究会を開催している。介護保険は平成21年に10年の節目を迎えた。その平成21年12月第16回研究会に鹿児島大学医学部第3内科初代教授、鹿児島大学長そしてあいち健康の森健康科学総合センター長を歴任され介護保険制度創設に深く関わられた井形昭弘先生に特別講演をお願いした。先生は82歳の現在も名古屋学芸大学の学長をなされ、多くの役職を兼任なさっている。鹿児島大学在職時代そのままの若々しいお姿で声にも張りがあり懐かしさも手伝い感激一杯の時間を過ごさせていただいた。

 介護保険の10年とこれからの展望に相応しいテーマと考え、先生のお話を私なりに解釈してその要旨を報告します。

―『夢の長寿社会~認知症を中心に~』 

元鹿児島大学 学長 井形昭弘先生

 高齢社会は人類が始めて経験するものである。人間は数万年前に発生して動物的生活をずっと送って来た。やっと数百年前に産業が興り科学が発達、人類も英知を獲得し、ごく最近になり豊かな生活を送れるようになっている。そして今は、急激に高齢社会を迎えている。1950年に100歳を超えた人は2桁、1970年に1万人、2010年の今では4万人となっており、50年後は70万人まで増えると予想されている。65歳以上の人口が7%を超えれば高齢化社会、14%を超えれば高齢社会、22%を超えれば超高齢化社会である。7%から14%になるスピードが1つのインデックスに使われる。欧米諸国が50年掛かったのに対し日本は24年で達成した。日本は勿論、世界も吃驚した。終戦後この事を予想した人は居なかった。これには経済の発展、医学の進歩それに国民皆保険制度の存在が大きい。65歳以上人口が15歳以下人口を上回ると様々な問題が生じて、国は大変になると言われている。果たしてそうであろうか。人生50年と言われた時代からすれば今は大きく様変わりしている。65歳はまだ若い。21%の高齢者が要介護者である。高齢者が増えると世話を要する人も増えるがその他の4倍、元気な人も増える。高齢化社会は暗いと言うイメージを改め、高齢者自身も社会の大切な構成員と考えて消極的な生活を送るべきではない。そして社会も高齢者は貢献してきた人として尊敬の念と自分もいつかは仲間入りするとの共感の気持ちを持つことが大切である。高齢化と共に認知症は増えてくる。かつて結核、脚気、梅毒は亡国病と言われた。これらの病気が制圧されたのはごく最近である。今の亡国病は認知症といわれる。しかし現在の医学の進歩から考えると認知症が30年も40年も未解決のまま続くとは思えない。認知症がなくなると未来は無限に明るくなる。16年前に、私が鹿児島大学の学長のとき昭和天皇在位60周年記念事業として国立の長寿医療を研究するセンターが出来て赴任した。その頃、すでに全ての差別語が無くなっているのに痴呆だけが残っていた。奇異に映ったので認知症の介護研究研修センターが出来た時、厚労省に働きかけて変えさせた。認知症の言葉自体は、関係者にも必ずしも分り難い。しかし名称を変えた事で社会の患者を見る目がガラッと変わった。30年前に有吉佐和子は「恍惚の人」と言う小説を書いた。これを読むと当時、認知症になっても社会も隣も市役所も県も何もして呉れない。全部を家族が始末しなければならない時代だったと言う事が分る。有吉佐和子はやがて社会問題になるという警告の書を著したのである。今も認知症は未解決ながらも当時の日本はこんなだったのか、そして今は少なくとも形式的にはずいぶん立派になったとの実感が湧く。介護保険が明治維新に相当する大きな変革でもって、日本は立派な近代社会に成っている。勿論、介護保険は欠点だらけであり、いろいろな事を言われている。介護保険をやっている所は3Kの職場で多くの人が辞めて行く等、大変な事が一杯ある。しかし、それは枝葉末節であり介護保険が導入された事で、その前と後では大きく変わったと実感できる。今、有吉佐和子が生きて居たら日本も良い国になったと思うだろう。さて世界注目の中で2000年に介護保険が導入された。私が長寿医療センターに居た関係もあり、介護保険の導入の時の担当審議体の座長になった。平成5年から研究会を開き、様々な事を厚労省技官達と勉強を重ねて制度が出来た。日本の介護保険制度には色々な特徴がある。諸外国に比べ低い生活障害からスタートした。諸外国の福祉制度は全て公費負担でなんでも国がやってくれる。その代わり税金は高い。日本の場合、生活に余裕は無いけれども世界一、国民の貯蓄率は高い。それは老後が不安だからである。介護保険の目的は、それまでの弱者救済として自分より可哀想な人を助けるという発想ではなく、一緒に生活しながら、出来ない事を助けてあげる自立支援を大きな目標に掲げている。差別のバリアフリーではないユニバーサルデザインへの転換である。福祉は180度の転換を遂げ、医療と共通の目標を持つようになった。また交通災害の場合保険事故を起さないと給付されない。介護保険では介護がまだ必要ないにも拘わらず要介護状態にならないようにと予防給付が行なわれる。これは保険上大きな出来事であった。次に世界では始めての要介護度認定にコンピュータを取り入れた。さらにサービスが多くなると利用者に代わってプランを作ってあげる職種が必要になる。そのためのケアマネージャーの制度を作った。若い人は施設に入れたがるが高齢者は住み慣れたところで過ごしたいと希望している。その願いを優先して在宅療養を重視した。今、日本の介護保険制度は諸外国のモデルとなりつつある。韓国は日本に見習って去年導入した。財政の問題で旨く行っていない。台湾は現在、準備中であり来年の導入を予定している。介護保険が導入される時、サービスがないのに保険料を取るのは詐欺ではないかと言われた。今の後期高齢者医療制度も同じだが制度が導入されるときには色々な悪口を言われる。しかし物事は遣ってみなければ分らない。遣って見て上手く行かなければ直せば良い。遣らないであれこれ議論しても始らない。私の主張である走りながら考えるとはこの事である。介護保険法案が成立してから実施までに3年間の余裕が有った。その間に批判を気にした政府は沢山の金をつぎ込みケアマネージャーを養成、100%の補助金を出して介護施設を整備した。そうした事で批判は聞かれなくなった。介護保険システムは認知症にとっては意義の在る事であった。医療にとっても大きな出来事でテーマと成っている。健康にとって暦の年齢は生活上の年齢にとって代わった。長寿社会の分子と分母が大きく変わることで社会全体が明るくなる。そして「守る健康」という消極的な姿勢は、「創る健康」という積極的な姿勢にかわった。そしていま保健、医療、介護、福祉に関わる産業は、未来を支える基幹産業として期待されている。われわれは自らの手で、「健やかにして明るい未来長寿社会」を創造すべき任務を担い、かつそれはわれわれの努力で実現可能である。

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