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2009.07.12 06:15 |  診療  |  医療制度 / 行政  |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

水俣 また再び

水俣病はチッソ工場が排出する有機水銀が原因として公式に確認されて1956年から53年が経過した。かつてチッソは日本ではじめて塩化ビニールを生産するなど化学工業をリードしていた。水俣市は税収の半分をチッソに依存する企業城下町であり、今でも市民の3分の1がチッソと何らかの関係がある。7月8日、国の基準では水俣病と認定されない未認定患者を救済する特別措置法・水俣病救済法が成立した。1995年に村山内閣の時に一時金など財源を確保するチッソ分社化が政治決着した。今回は第二弾である。未認定患者は約3万人。その6割が対象となる。水俣病については私が中学生のころ新聞に水俣には体が震えて真っ直ぐ歩けず最後には寝たっ切りになる奇病があり風土病として罹った人は他の人に知れるのを恐れて隠している。どうも猫にも起こるらしいと知った。水俣の人には申し訳ないが、その事を知った後は、ずっと水俣に対してナチスドイツのアウシュビッツ収容所、広島、長崎など原爆投下、ハンセン病隔離の歴史などの何か捉えがたいまがまがしいグロテスクで怖いもののイメージを持ってきた。その一方では怖い物見たさの関心も持っていた。昭和48年の夏、大学病院在局時代に関連病院である鹿児島の北に位置する高尾野町の町立病院に出張した。出水と浜続きで八代海に面しており、北には水俣湾がある。その時は水俣病が公式確認されすでに18年が経っていた。そして出水の漁民からも多くの水俣病が認定されていたし、認定を巡って患者団体と県や国との対立問題が新聞をにぎわしていた。すでに水俣湾は湾の入り口が金網で仕切られ湾の中の魚は湾外に出られない様にしてあり、その囲われた湾の中の魚を漁師が捕獲し、コンクリートで固め処分していた。料理に出される魚は、湾以外で取れたもので大丈夫といくら言われてもどうしても身構えてしまう。病院の恒例行事の潮干狩りに行ったことがある。潮の引いた砂浜に小さな穴を見つけて塩を入れると何を間違えるのか四角な長い棒の形のマテ貝が頭を現す。そこを素早く捕まえる。これが面白くてたまらない。取れた貝をバター焼きするとものすごく美味しかった。しかしどうしても気持ちの上で多くは食べられなかった。そのような雰囲気の中で過ごしていたある日の午後診療を終えてから車で水俣工場を見学に行く事を思い立った。着く頃には日が沈み工場は巨大な灰色の怪物のように私の前に立ち塞がった。外は蒸し暑く化学工場の町の空気を嗅いだ。これまで報道で見た写真映像を思い出し人影のまばらな暗闇の中で想像してままの水俣に会ったような気になり、その中で翻弄された人たちの人生を思い、厳かな気持ちで立ち尽くし祈った。街灯が涙にかすんだ。

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