平成19年に10~20代の大学生を中心に麻しんが大流行した。麻しんは肺炎、脳炎など重篤な合併を起こす感染症である。国は同年、流行阻止のため麻しん排除計画を策定して平成20年4月から5年間期限付きで第3期13歳相当と第4期18歳相当に定期の麻しんワクチンの追加接種を開始した。95%の接種率を目標としているが平成20年12月時点で接種率は第3期66.4%、第4期が58.11%と低迷している。平成20年の患者数は11、007人で15~19歳が26.4%、10~14歳16.7%、0~4歳15.3%20~24歳12.8%で未接種歴者が44.6%、一回接種26.6%、2回接種が1.2%であった。麻しんの予防接種は昭和51年の予防接種法改正で生後12月~72月の間に平成6年には生後12月~90月の間の定期接種が位置付けられた。WHOは2回の予防接種と接種率95%の達成を目標としており連携の強化の必要から平成18年から第1期生後12月~24月、第2期小学校入学前接種の2回になった。その理由は免疫のつき損ねる率が5%にあり一回接種後に自然感染がなく年月を経て抗体化が発病阻止レベル以下に下がっている事例、未接種者が罹患しないまま成長していること等が考えられ麻しんに関する特定感染症予防指針が作られ平成24年の絶滅を目指し平成20年からの第2期接種を受けていない13歳、18歳に補足接種を行う理由である。そして改正で女子に対しては予診時、妊娠の有無を確認する事、保護者の同伴は事前の説明と了解があれば必要ない事が決められた。早期対応のためにこれまでの定点報告から全ての医療機関に患者全員の発生状況を保健所に報告する全数報告になった。厚労省としてはワクチン確保のため製造販売業者との連携、予防接種環境づくりの国民への情報提供と地方公共団体、医療機関などに協力を依頼し文部科学省と連携し定期健康診断や修学旅行時を利用して罹患歴・予防接種歴を確認して接種を勧奨する。都道府県では麻しん対策会議を設置し発生動向、接種率、副反応の事例を把握して市町村では住民台帳で定期予防接種歴をデーター管理して本人の求めに応じて容易に確認できる体制を指導している。兎に角、第3,4期の年度内接種への協力を呼びかけている。
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熊本県と鹿児島県に接して拡がる不知火海のいりこむ水俣湾に多くの患者さんが発病したがそれとは別の海沿いに住む人の中にも水俣病の認定がなされなかったり、家業の経営や世間の偏見を恐れ水俣病の疑いを隠して生きてきた漁業関係者が居る。水俣病が公式確認されて50年以上になる。最近になり水俣からは少し離れた鹿児島県出水市では高齢と共に症状が顕性化して改めて有機水銀中毒の水俣病と診断され不安になっている人も多い。認定制度自体があと3年で切れる事から与野党も注目。テレビなどでこれまでの経緯が取り上げられている。昭和48年の夏、鹿児島の北に位置する高尾野町の町立病院に出張した。出水と接して八代海に面する海岸線を持ち北には水俣湾がある。そのときは水俣病が公式確認されてからすでに18年が経っていた。出水の漁民からも水俣病が出ていた。水俣病に関しては私が小学生のころ水俣で奇病が出て風土病などと騒がれた。その頃、水俣の人には申し訳ない事であるが、ドイツのアウシュビッツガス室、広島、長崎の原爆、ハンセン病療養所などと同じ怖いもの見たさに似た興味を感じていた。何かグロテスクで怖いものとしてのイメージを持っていた。訪れた水俣湾の入り口は金網で仕切られ湾の中の魚は湾外に出れないようにして漁師が捕獲して行政がコンクリート詰めして処分していた。それでもこの、地域で出される魚介類は大丈夫といくら言われても身構えるような所もあった。海岸で潮干狩りに行ったことがある。潮の引いた砂浜の小さな穴を見つけて塩を入れると何を間違えるのか四角な長い棒の形のマテ貝が頭を現す。そこで素早く捕まえる。これが面白くてたまらない。取れた貝はバター焼きするとものすごく美味しかったが多くは食べられなかった。そのような雰囲気の中で過ごしていたある日の午後仕事が済んでから車で水俣工場を見学に行く事を思い立った。着く頃には日が沈み工場は巨大な灰色の怪物のように私の前に立ち塞がった。外は蒸し暑く化学工場の町の空気を嗅いだ。これまで報道で見て来た映像を思い出しながら人影のまばらな暗闇の中で想像していたままの水俣に会った気がした。
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