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戦後、日本の医師卒後臨床研修は大学卒業後1年間の「臨床実地研修」を受けた後に医師国家試験受験資格が得られるインターン制度として始まった。研修期間中は医師資格も生活する為の給料保障も無い不安定な身分のままで過酷な診療補助を強いられていた。そのような状況を見かねて学生達による反対運動が始った。ついに昭和29年に全国46大学医学部のあるなか39校が東大医学部に集まり全日本医学生連合が結成された。そのような流れの中で昭和42年には36大学医学生の中から2400人が青医連を結成し激しい学生闘争に突入した。インターン制度完全廃止を叫び医師国試阻止闘争を張り、この年の医師国家試験では試験資格のある受験生3150人のうち405人しか受験しなかった。こうした状況を受けて政府は昭和43年に医師法を改正しインターン制度は廃止し登録医制度を作った。これは大学卒業後すぐに医師国家試験を受けて合格したら医師の免許資格が得られた。そして努力規定として2年以上の臨床研修を自主的に行うとした。しかし研修医の医師としての身分は保障されたが労働面や給与面での問題は多く、特に私立の大学病院では労働者としての扱いすらされず社会保険にも加入できなかった。過酷な長時間の労働に対しては月額数万円の「奨学金」しか支払われなかった。生活費を稼ぐ為に研修病院外での当直などアルバイトをせざるを得なかったし大学病院での専門分野に偏った研修の弊害も指摘されて平成16年に36年ぶりの法改正が行なわれ新医師臨床研修制度が出来た。この制度ではプライマリー・ケアを中心とした幅広い診療能力の習得をさせるために2年間の臨床研修が義務化され適正な給与の支給と共に、研修中のアルバイトが禁止されている。しかしこの制度ではマッチング制が導入され、研修先を自由に選べるようになった。このため研修医は自己研鑽に有利な都市部の病院に集中し地方の医師数が不足した。一方、研修医のアルバイトが禁じられたことで夜間および休日の当直業務を行う医師の確保が非常に困難となった。大学病院など手軽な労働力として使って来た研修医が確保できなくなり代わりの人手を確保するために関連病院に派遣していた医局の医師を引き上げたため、地方での医療そのものが成り立たなく成るなど問題が生じている。これまでの大学医局人事は崩壊しつつあり、市井の医療法人病院や地方自治体病院は大学医局に気を使うことなく採用活動を行うことが可能となり、特に地方の病院では新人研修医に対して各大学で説明会を開き病院見学会を行うなど積極的な求人活動を行うようになっている。しかし国は研修医の処遇に対する十分な財源の確保をしておらず、給与も諸経費も一括して研修施設に交付して、使途については各施設に任している。各研修施設に研修医一人当たり月30万円程度の給与を支払うよう求めてはいるが補助は経費込み月10数万程度になっている。厚生労働省の調査では全国平均30万円を達成しているとされているが高待遇の病院と待遇の悪い都市部の大学病院やその関連施設との平均に過ぎない。また新医師の志望とは別に多くの科をローテーションする(スパーローテーション)ようになり外科系では、長時間に及ぶ手術など、本来の目的である幅広い診療能力の習得とはかけ離れた内容の研修が行われているのが現状で現実を直視し、過重な専門科・訴訟リスクの高い専門科を選択しなくなってきた。そのため、多忙な科や、常に緊急対応の必要な科ほど不人気になり、人員不足に陥る悪循環が発生している。特に産科や小児科にその傾向が強い。医師の偏在、勤務医不足など社会問題化しており、2年の研修期間を1年にするなどの見直しが議論され平成21年4月からは大学病院に限り、地域医療に影響を及ぼしている診療科について、特別コースに基づいた研修プログラムを実施できるようになる。


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