医師不足の見地からではなく医師養成の一方法論としてメディカルスクール構想の検討報告書を4病院団体協議会が作成する。その概要は4年大学課程修了者を対象に系統講義を1年半実施後に試験を行い合格者に2年半の地域中核病院での臨床実習を行い終了後に行なわれる試験合格者に医師としての資格を与えると言うものである。
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桜島の噴火

26日の日曜日夕方6時からの城山ホテルで開かれる会に出席するため混雑を予想して早めに指宿の自宅を出た。休日の夕方は郊外から鹿児島市内に帰る車で混雑する。暑い日が続いている為か込み合う事もなくスムーズに走れ1時間も早く着いた。はじまるまでホテルを出て散歩がてら城山展望台まで歩く事にした。夕方にも拘わらず外は昼間の熱気が残り息苦しいほどだった。展望台へは楠の大木に覆われた大きなトンネルの下を抜けていく。中は薄暗く、ひんやりして涼しかった。そこを出ると展望台に行き着く。突然目の前が明るくなり、真っ青な空に雄大な桜島と錦江湾が広がる。眼下には夏の日を浴びて鹿児島市街地が白く輝き展望台には涼しい風が吹いて凌ぎ易かった。多くの観光客で賑わっており、素晴らしい景観に歓声を上げていた。桜島の頂には厚い入道雲が掛かり、その間に見える山肌は目の醒めるように綺麗な深緑で覆われている。見とれていると突然、幾重にも重なる白い雲の上に、もくもくと真っ黒い雲が湧き出て来た。折角の穏やかな情景が一変し何か不吉な気分になった。昨日の夕方も、高く吹き上げた黒い噴煙を指宿からも見ることが出来た。

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アポロが月に到達した39年前の夏、私は大きなリックを背中に担いだ当時蟹族言われたスタイルでユースホステルを利用して北海道一周バス旅行をしていた。今は懐かしい思い出である。ユースホステルといえば若者向きの会員制簡易宿泊施設である。宿では学生サークルの合宿さながらに、その日の投宿者全員で夕食を囲みながら自己紹介後ミーティングし親しく歌やゲームを楽しむ。寝床は相部屋の2段ベッドで西欧風の新鮮な雰囲気があった。それも時代の流れから下火になり会員数も減って来ていた。代わりに民宿やペンションが増えた。最近になり若い頃の利用者で今は年金生活者のつましい暮らしの50代以上の方々が帰ってきた。90年頃になりミーティングは廃止され、家族や夫婦が同じ部屋に泊れ食事も豪華になっている。利き酒会などの出来るユニークな施設も出て来た。そして年齢に関係なく利用されている。これは世界的な傾向でユースホステル国際団体も今年、ユースの文字が抜けた。オランダではステイオーケーと改名した。日本でも改名の動きがある。
白い夏

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昨日の夜、NHKテレビ紀行物「てつ旅」で林家いっ平、熊田曜子の2人が九州JR指宿枕崎線の列車で篤姫ゆかりの里を巡る番組が放映された。私のクリニックはその沿線にある。映像に少しばかり映った様な映らなかったような、いずれにしても興味深く見た。今ドラマで人気の篤姫の里、薩摩今和泉の駅では、地元指宿商業高校の女生徒達と婦人会が合同制作した篤姫団子に私が以前このブログに書いた「車軸を波が洗う駅」の宮ヶ浜駅が出て来た。この駅は昭和58年に無人駅になった。その時の最後の駅長さんが出て来た。しかも興奮したのはその方が何と私のかかりつけの患者さん。昔、国鉄マンで駅長さんの経験もあるとは聞いていた。まさか宮ヶ浜駅最後の駅長とは知らなかったのでびっくりした。私がまだ小さかった頃の駅の様子をブログに書いたが、同じような事を話していた。台風のときは高波が線路を越えSLの床を洗った話や、汽車が来るまでの間は海岸で貝を獲っていた話や当時の駅の賑わいを写した貴重な写真も流れて懐かしかった。
ホンの前まで海が荒れると波が軌道敷土盛を越えて汽車の車軸を洗った。日本で一番海に近い駅はどこの駅でしょうとクイズになった事もある。NHK大河ドラマ「篤姫」で人気の高い指宿今和泉駅の南隣駅の宮ヶ浜。今は無人駅となった。篤姫ブームを見越して鹿児島県が8億円の予算を使い、この宮ヶ浜駅を含め篤姫にゆかりの場所を整備し波打ち際と駅の間に湾岸道路が建設された。階段状の防波堤も作られ海浜公園になっていて錦江湾を一望出来る。かっては台風の荒波に赤貝が駅舎内まで打ち上げられ、袋一杯に獲れた経験がある。今は波が駅まで押し寄せる事もなくなった。篤姫が幼少時に遊んだ隼人松原から海岸沿いに広い舗装道路が指宿市街地まで延びている。ドラマでロケ地となった知林ヶ島に続く海岸を経て、砂風呂の砂楽、白水館、岩崎ホテルなどのあるホテル街まで簡単に行ける。駅の近くには薩摩の名物の芋飴工場と、焼酎の醸造所が並んでいる。焼酎天障院篤姫を醸造した会社のコマーシャル用ビデオ撮影現場に行き有った。その後、浜辺を散策した。夕凪の中で鷺が小魚を漁っていた。
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認知症の人の数は現在200万人近くいる。人口の高齢化につれますます増えて来た。猶予を待てない状況にある。認知症高齢者の夫婦だけの世帯も多い。認知症の治療と介護は未だ対応仕切れていない。厚労省は’04年に「痴呆」を「認知症」に名。にも拘らず、多くの病院、診療所では病状が見逃され、治療が遅れている。そして急速に終末状態に陥って専門施設にたどり着いたときはそうしようも無い人も多い。’05年に地域の医師に診断能力を高めて、標準的フォローを担って貰うために医師を支援する「サポート医」を養成する制度が出来ている。その数は現在、全国で597人である。暴言、徘徊、妄想など周辺症状は介護する家族にとっては大変な苦労をする。何よりも介護する時の対応が大切とされて来た。しかし対応の工夫に加えて、適切な薬の使用で充分に改善する事が分っている。そこで厚労省の認知症対策緊急プロジェクトは介護中心のやり方から医療のかかわりも重要視する方針を打ち出した。専門医の育成、専門医療機関の整備を図る。地域での第一線の医家の認識と実践が役に立つ。認知症は家族だけでの介護は難しい。多くの職種が連携しサポートする事で在宅でも充分やっていける。
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開業してすでに15年が経過した。メリハリの無い15年間のような気もするが医療変革期にあって大変な紆余曲折を繰り返してきたと思う。介護保険が始まった事が大きい。今も気持ちだけは15年前の若い気でいる。髪が薄くなり、白髪も増えた。鏡の中の顔を見て初めて年を取ったなと最近になり感じるようになった。数年前より私の卒業した中学校の職場体験学習を受け入れている。今年は6名の女生徒が応募してきた。つい2~3年前まで男子の希望も有ったが、どうしても医療介護は苦手なのか、だんだん少なくなり、今年は1人も居なかった。私のところは有床診療所で今年の3月、19床あるベッドを全て療養型病床に転換した。それを契機に朝8時半から看護師、介護職、栄養士、理学療法士、薬剤師、ケアマネそして私と全職種が集まり短い時間のケア・ミーティングを開いている。狭い病棟詰め所は立錐の余地も無いほどになる。そこに6名の生徒が加わり廊下まであふれた。最近はミーティングの前に教養の本を輪読して職場の理念を唱和する。お陰でことしは5日間の実習中、毎日、生徒さん達と顔を合わせることが出来た。その中にちょっと気になる顔がいた。一人一人に自己紹介をしてもらってはいたが、覚えるまではなかった。生徒さん達が実習も終わり感想文を書いて持ってきた。私は開業当初は小児科も診ていた。その中に何時も熱を出しては父親に抱かれてくる子供が居た。小さくて人形さんみたいな女の子で何時も指を銜えていたので印象に残っている。4~5歳まではよく診察に連れてこられていた。その後は見ないので、すつかり忘れていた。感想文の中にその懐かしい名前を見つけた。そうか赤ちゃんだったのにもう中学2年生になったのか。思えば遠くに来たものだ。故郷の川のにおいを忘れずに帰ってくる鮭の回遊の事をふと思った。地域に根を生やし住民の信頼を得ている事が嬉しい。
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4,5日前、口内炎で軟膏と飲み薬を処方していた中学生が今度は口とその周、鼻から頬まで赤く腫れ、ぶつぶつ小水疱も出来て痛くと言って来院した。前の診察から別段変った事はしていないらしいので私は口内炎に出した軟膏や飲み薬が合わなかったのではないかと少し心配になった。発疹は顔だけで体には出来ていない。飲み薬は考え難い。陸上競技の練習を暑い中、屋外で練習もしているとの事、ここ猛暑が続いているので日光過敏症かもしれない。そこで飲み薬は飲むのを止め弱いステロイド軟膏を塗布しなるべく日光に当たらないように指導して様子を見ることにした。処置を済ませて「たらこ唇になってしまったね、良くマンゴーでそんなになる人がいる」と冗談のつもりで話し掛けたところ、そう言えば昨夜、お祖母さんにマンゴーを貰い食べた事を思い出したと言う。薬の副作用との先入観で食べ物までは考えなかったがマンゴーが原因と診断できたのである。ところで櫨の木と同じようにマンゴーはウルシ科の植物である。かぶれを起こす成分はカルドールでマンゴーでは大部分が皮の部分にあるが果肉にも少し含まれる。アレルギーの人が食べると口の回りが赤く腫れあがり白い小さなぶつぶつの水疱ができ痛みが強い。治療はステロイド剤を外用すれば数日のうちには消褪する。厄介な事は一度アレルギーを起こすと、次には症状が酷く出るので注意が肝要である。
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この酷暑では雪の降る寒い冬を思い出すのも良い。
初雪や 二の字二の字の げたの跡
今日はげたの日である。二二の表記がげたで歩いた足跡に似ている。また昔は男用のげたの長さは7寸7分、女用は7寸2分と決まっていた。7が付いて縁起がいいことから7月22日が選ばれた。暦では大暑この時期が最も暑い。連日の猛暑でついに37度を超えた地方もあった。7月25日は土用の丑の日でもある。浴衣を着て素足にげたで歩くのも良い、気持ちがいい。打ち水時にも濡れても気にならない。風鈴、団扇、浴衣にげたはお決まりの夏のスタイル。夏祭りには持って来いである。
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くらきより/くらき道にぞ/入りぬべき
/はるかに照らせ /山の端の月
(和泉式部)
39年前の7月20日にアポロ11号が月に到達した。アームストロング船長は感嘆の声をあげた時、私は北海道雌阿寒岳の山小屋にいてその月を眺めていた。あの日は三日月で山道は薄暗く懐中電灯を頼りに登山した。今年は満月。
はるか江戸時代に老中松平定信は朱子学の封建思想に基づき綱紀粛正を行い風俗を取締るとともに倹約令を布いた。この寛政の改革は財政を立て直したが庶民には厳しすぎて水、清ければ魚住まず煙たがられた。これに通じる話が医動物学の世界にもある。最近の日本の子供達の間でアレルギー疾患が多くなっている。何故だろうと考えた人がいる。50年ほど前までの日本は上下水道も普及しておらず汚物まみれで非衛生的であり、排泄物を農作物の肥料にも使っていた。細菌や寄生虫がうようよしている環境で生活していた。その代わり体を守る免疫機能が高められて、その役目を担う細胞は分化し増えた状態であつた。ところが衛生思想の拡がり綺麗な環境になり昔多かった寄生虫病など殆どなくなってしまっている。今の日本人は少しの汚れや不潔を嫌うようになって腐ってもいないのに賞味期限が1日でも過ぎると捨ててしまう程に神経質になってしまった。無菌でなければ罪悪と捉えるようになり余り悪さをしない正常細菌叢まで殺菌し、寄生虫も駆除した。その為にこれまで体の防衛役の免疫細胞が暇になつてしまい逆に生体に対し悪さをするようになった。それがアレルギーが多くなった原因の1つと考えた。東南アジアの子供達、特に水上生活者は昔の日本と同じ様な環境で生活している。そして体内には寄生虫を一杯持っている。その代わりにアレルギー疾患が殆ど無いのだと考えている。最近の話では蚊の駆除でかえつて重症のデング熱の発生が増えるとの研究結果が出た。絶えず蚊に刺されていると免疫が高い状態に保たれて感染が起こらないという訳である。最近の麻疹の流行でも同じ事が言える。自然の復元力に畏敬を払う必要もある。水清ければ魚住まず。しかし、その自然の復元力も温暖化、化学物質による環境汚染で危うくなってきた。

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