東シナ海の荒波は薩摩半島南端から長く延びた砂洲で堰きとめられ、その内海にカツオで有名な山川の港がある。上空から見ると丁度、鶴が飛び立つ姿に見える。歴史のある山川小学校の校歌に「ああ薩南のよき港、鶴の翼を広げたる、姿も清くもろこしや南の島に通いけん、今に入船出る船の、歌に明けゆく尊さよ」と歌われている。夏の台風の時期になると台風を避けようと大型船がひしめきあう。最近、ひなびたこの町のあちこちで夕方になると鰹工場からの帰りと思われる若い女性の集団が見られる。中国やシンガポールからの鰹節加工の実習生達である。この港は終戦後暫くカツオを中心にした遠洋漁業で賑わった。その後のオイルショック、排他的経済水域、若者の漁船員離れなどで鰹加工も縮小されて今は昔程の面影は無い。室町時代には南蛮貿易の中継基地として栄え、豊臣秀吉の時代には朝鮮出兵の拠点になった。江戸時代の鎖国政策により外国との貿易は廃れ、島津藩の琉球、大島からの砂糖の積み下ろし港となった。幕末には咸臨丸が寄港した。また島津久光の命により奄美大島に遠島に処せられた西郷隆盛はここから出て行った。島津斉彬、西郷は篤姫とは関係が深い。この前の土曜、日曜日の2日間に渡り港祭が行なわれた。私は良く晴れた日曜日の朝、長い岸壁に沿い作られた魚市場の出店に魚を買いに出かけた。港町特有の入り組んだ道と云う道は駐車車両が一杯で車を停める場所が見つからなかった。港の東、少し離れた場所に大きな楠木の森の中にいざなみの尊を祀る熊野神社がある。かってここは大変な賑わいを見せた場所でもある。駐車場所を探しての通りかかりに広い境内をみると参拝の車と思われる車数台だけが停めてあった。ここに停めさせてもらおうと思案中に丁度神社の関係者らしいご婦人がバリケード用のカラーコーンを持って鳥居の石段の向こうに現れた。石段の横には車の通路が作ってあった。てっきり駐車禁止を宣告されると覚悟した。(続く)
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