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2008.05.29 17:05 |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

思い出のC130

30年位前の話になる。太平洋の荒波が洗う宮崎県日南市の漁業の町の病院に家族連れで出張した。鹿児島での病院勤務とは違いのんびり出来た。非番の時は近くの海岸で魚釣りなどをして過ごしていた。ある日の午後のこと突然に南洋で操業中の日南漁協所属のマグロ漁船がフィリピン東方のパラオ諸島近海で火災を起こし漁船員が大やけどを負ったらしいと無線が漁協に入ったと病院にも連絡が入った。病院は漁協の関連病院でもあつたので外科医長の私に外科医を自衛隊の飛行機に搭乗させ救助に向かわせて欲しいと依頼があつた。外科医は私に後輩の2人だけであった。1人で行くには大変そうだし、危険な仕事でもあり後輩1人だけに押し付けるのも悪い気がした。そこで2人で行く事に決めた。行政区域の関係で県境で宮崎県の救急車から鹿児島県の救急車に乗り継ぎ鹿屋自衛隊基地に到着した。そこに待機していたP3C偵察機に乗り込み沖縄の那覇空港に飛んだ。既に夜の0時を回っていた。自衛隊沖縄駐屯地の隔離された兵舎で2人並んで仮眠しただけで起こされ、巨大なC130に乗り込んだ。C130はまるでSF映画に出てきそうな形をして下から見上げると巨大なビルディングに思えた。別の軍用機が伴走するのを横目にC130救難機は厚い雲の中を南に南に飛び続けた。火災を起こした船のパラオ海上空に着いたのか旋回をはじめた。その頃から私は飛行機酔いが出だした。そして海上に着水する為に低空飛行を始めた。その日は荒天で波も高く10m以上はあると隊員が話していた。にも拘らず強行着水を試みた。飛行艇は木の葉のように大きく上下を繰り返えした。急に機体が突き上げられたかと思うと次の瞬間、急激に落下して、私の体は座席から浮き上がり天井に頭をぶっけた後、今度はシートに叩きつけられた。私の様子に気づいた隊員がシートベルトでしっかり座席に縛り付けた。船酔いは極限に達した。死んだ方がましだと思ったぐらいだ。そうこうしている内に負傷した船員を飛行艇に移して私たちの前に運んできた。私は悪心、嘔吐、耳鳴り、眩暈でどうしようもない状態でありとうてい負傷者を手当て出来る状態ではなかった。後輩は船酔いには強いらしい。気丈に負傷者の手当てをしている。しかしそれも限界、さすがの彼もゆれる中での処置で船酔いが酷くなった。波に浮いてもまれるより上空の方が揺れない。一刻も早く飛び立って水上を離れる様怒鳴り出した。しかしなかなか飛び立たない。隊員たちも青い顔をしている。船酔いはますます酷くなり私と後輩は嘔吐のために機内の塵箱の取り合いをした。写真に活躍をフィルムに収めるつもりで持って来ていたカメラは塵箱の中で吐物まみれになっていた。かれこれ40~50分ぐらい波に翻弄されやっと飛び立った。後から聞いて驚いた。エンジンに水が入ってしまい故障して修理が大変だったらしい。はるか南洋で命を落とすところだったのだ。沖縄の県立病院に患者を下ろした。我々の苦労も知らない担当医師は飛行機の中では治療を何か行ったのかと質問した。少し腹立たしかったがぐっとこらえて今後の事をよろしくお願いした。患者は片腕と顔に火傷をしている程度であり元気であった。むしろ船酔いでぐったりの私の方が病人のようであった。沖縄から鹿屋への帰路、隊員が偵察機P3Cの天井を空けて呉れた。満天に輝く星を観測しながら飛行する目測方法などの説明を聞きながら快適な夜間飛行を楽しんだ。また鹿屋基地では赤絨毯の敷かれた司令官室では私の体が沈んで隠れるほどの高い背もたれの椅子に座り接待を受けた。

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