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母は1909年(明治42年)に指宿で生まれた。今年で99歳の白寿である。1世紀を生きた事になる。母の父、つまり私の祖父は大日本帝国海軍の軍人であった。母が生まれる少し前、1905年の日露戦争での対馬沖海戦においてロシアのバルチック艦隊を撃滅して日本を勝利に導いた鹿児島出身の司令官、東郷平八郎の乗る旗艦、三笠艦上で砲弾の着地点を寸時に計測して砲手に指示を出す役目をしていた。歴史の教科書にはその海戦時に指揮を取る東郷大将と、その部下達の様子を伝える絵が載っている。大将の右側でコンパスを覗き込んでいる人物が祖父と思われる。普通、自分の先祖が歴史教科書に載る事など思いもよらない事である。日本が国際社会にデビュウーするきっかけとなった日露戦争の後から第2次世界大戦開戦までは神のように崇められ、出身地では修身教典と同じように学校校門の拝殿に掲示されて、家族まで尊敬の目で見られていたと古老から聞いた。敗戦後はすつかり忘れ去られた。人の口に乗ることも無い。私の父は日本が日露戦争で大陸進出の利権で設立した満州国に渡った。そして太平洋戦争末期の私が生まれる2ヶ月前の1945年8月9日、ヤルタ協定の決定に従い日ソ和平協定を破棄したソ連の満州侵攻の際の戦闘で亡くなった。歴史の皮肉である。

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