今日の昼過ぎ、妻の携帯に横浜に住む義姉からメールが入った。彼女は川崎の高層マンションの2階に住んでいる。今日の早朝、自宅前の階段の踊り場で助けてと叫ぶ声があり、恐る恐る玄関を開けてびっくり、男の子が倒れていた。そばに駆け寄り体を見回しても出血はない。ただ太ももが痛いと訴えていた。受け答えもしっかりしていたので事の次第をたずねた所、11歳になる小学生で11階に住んでいる。昨日、熱発して学校を早退し休んでいた。朝になり自宅の玄関を出て階段を昇り2mの防護用フェンスを乗り越え飛び降りたらしい。その事を何も覚えていないと言う。幸い2階に張ってあった鳩よけのワイヤーに引っかかり止まり地面に落ちなかったと思われた。義姉は急いでマンションの管理人に連絡し救急車を呼んで貰うとともに救急車が来るまで近所の人たち一緒に毛布を掛けて体を暖めてあげた。少年の父親は出張中で母親と妹は義姉に起こされるまで、この大変な事態に気が付いて居なかった。少年はタミフルは飲んでいなかったらしい。インフルエンザの経過中に窓から飛び降りる精神障害が頻繁に報告されてそれが治療として服用したタミフルの所為なのか、それともインフルエンザ自体の1つの症状として起こるのかはまだはっきりした結論は出ていない。この事例はインフルエンザそれ自体で精神症状が起こるとの一つのエビデンスになった。いずれにしろ助かってよかった。

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妊婦や救急患者のたらい回しの報道が後を絶たない。その度に関係した医療機関が批判の対象にされる。確かに医師法には医師は目の前の患者の診療を拒んではならない応召の義務が定められている。医師は国の高額な経費を使い育成される。それだけにその資格は公務員に準ずる公的義務を負わされていると考えていい。最近、医師全体にその自覚が薄れあたかも自由業であるような風潮にある。少し前までは使命感にあふれ自分を犠牲にして患者を治す事は当たり前の事と受け止められてきた。しかし医師不足が問題になり世間の目が医師に同情的になっている。そのためにある程度の逃避は許されるのではないかとの義務意識の欠如や緊張の緩みも考えられる。さらに県立福島病院での産婦人科医が医師としての使命を賭して行なった帝王切開手術の結果が悪かったとして逮捕された。さらに逆なでするように未だに公判が続いているのである。世間の認識不足が影響して、医師として、何かすれば自分も訴えられるのではないかとの不安がある。世間の良識に支えられて来た医師としての緊張感をもてなくなっている。医療は命を扱うものに対する尊敬があって初めて成り立つ仕事である。したがって今の状況は医療に対する世間の認識不足が作り出したといえる。傷病は何時起こるとも分らない。それまで考えもしなかった医療に突然、向き合わなければならなくなる。その時、平生の医療に対する敬意と心構えそれに行動が大きな力を発揮する。一寸した風邪や腹痛で掛った医師なり、かねてから体についていつでも相談できるかかりつけ医を持つことが大切である。深夜、具合が悪くなり救急車を呼ばなければならない状態になった場合、かかりつけ医を持っておればそこに連絡しさえすれば即座に連携システムが発動され絶対たらい回しにされることは無い。知らない救急病院に運ばれるほうがむしろ危険なのである。妊婦においてはなおさらで、かねてからお産前の定期的診察を受けて置く必要がある。救急病院の医師も神様ではない。初めての情報なしの急患ほど怖いものはない。なるべくなら関りたくないのも心情なのだ。何よりもかかりつけ医を持つことが自分を守ることになる。介護保険では65歳以上が認定を受ければサービスを受けられる。申請のときは必ずかかりつけ医が必要である。その意味では制度的にも65歳以上になったらかかりつけ医を持ちなさいと言うことである。いつ介護が必要になるか分らないのである。

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