皆だれでも死ぬ存在である。寿命その時が来ればターミナルが訪れる。この事を今の国民は忘れてしまっている。高齢者が増え看取りの場面でも、死その瞬間まで医療がおせっかいを焼いて遣りすぎが生じている。畳の上で家族に見守られながら眠るように安らかに死ぬのを誰でも望んでいる筈である。病院死が88%を占める今の状況はこの自然の死が叶えられていない証拠である。その背景には戦後の家族構造の変化が影響している。独居や夫婦共稼ぎ世帯の増加で死に行く人の世話の引き受け手が居なくなったためで、若い世代は生まれてくる時と同じように死ぬ時も病院が当たり前として考えている。そして死は日常から隠されて仕舞った。校医をしている中学校の生徒の中に一度死んでもまた生き返ると思っている生徒が10%も居たとの報告を聞いた事がある。異常である。戦後まもなくは一族郎党の大人から子供までが死の床を囲んで見取ったものだ。今は病院の一室に隔離、酸素が与えられ腕には点滴が施されているのは当たり前でありそうでなければ無作為と取られそうな雰囲気さえある。死と医療が同時進行しなければおかしいと皆が思い込んでいる。これは異常である。救命可能な急性期の病気の場合は最善の医療をし続けることは当然である。全てが混同されて仕舞っている。勿論、安らかなる死とは誰が見ても老衰や死期が近いと考えられる場合である。
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