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2007.11.17 17:45 |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  趣味  |  旅行 / 宿  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

潮騒に包まれた町(2)

潮騒に包まれた町 

 http://www.healing-japan.tv/spot-122.html

 3番目の息子がまだハイハイをしていた頃だから30年位前になる。宮崎県日向灘に面した日南海岸の遠洋漁業の町、大堂津の公立病院に外科部長として赴任した。末娘はまだ生まれておらず鹿児島市から家族5名で引っ越した。遊び盛りの男の子2人に赤ちゃんを抱えていたので妻の母親が付き添ってくれた。長い道程を休み休み移動した。今はその母親は居ない。あの頃の事が今でも頭に浮かぶ。大堂津は両側からの岬に抱かれた入り江に面した町である。外海に開いた中ほどに数個の切り立った岩と小島が弧状に並んでいた。お陰で太平洋の荒波は弱められ遠浅の白い砂浜に幾重にも重なって寄せた。広く長い砂浜の奥に沿って植えられた松の防風林を隔てて病院は建っていた。その中をJR日南線の鉄路が通っており時々汽車が轟音を立てて走り抜けた。病院の裏手の広い敷地に、二軒の木造2階建ての宿舎が建てられていた。私達の宿舎は海岸寄りの家で、二階からは松林の向こうに広がる大海原に岩に打ち寄せる日向灘の白波が望めた。昼は周りの音に取り紛れ、夜は引っ越の始末に疲れ果て熟睡していて気付かなかったのだろう。しばらくしてから夜中など目覚めた時に潮騒の音に驚いた。ホームシックとは言わないまでもはるばる鹿児島を離れているのを知らされた。町の人たちは素朴でそして優しかった。新しい外科の医師が来たといって喜んで、何かにつけ世話を焼いてくれた。妻も病院職員や町内の人たちにもすぐに受け入れられ、さびしがる様子も無かった。子供達にとっては大きな松の何本も生えた広い公園に遠浅の海は絶好の遊び場となり同僚の内科ドクターの子供さんも丁度同じ年頃で1日中外を走り回り真っ黒になって遊んだ。町内の子供達の歓声が官舎の周りに響いた。患者さんの殆どがマグロなど遠洋漁業の従事者とその家族で、操業を終えた船が港に入るたびに戴く魚で冷凍庫は何時も一杯になった。町中には大きな川が流れ海に近いので満潮のたびに海水が逆流し海からチヌが上がってきた。本格的では無いがほどほどに釣りが好きな私は、満潮を見計らい、潮騒の響く早朝の町を歩いて川岸からの釣りに出掛けた。食べきれないほどの冷凍庫のマグロの切り身を餌に調子の良い時には短時間に沢山釣れた。最初の頃は面白く何回も通った。釣っても小物で食べるわけにも行かず。そのうち飽きたらず場所を川から河口に変え大物を狙う事にした。仕掛けも投げ釣り用にした。そうこうしているうちに、ある日、刺身になりそうな大物が掛かった。小躍りして喜んだ。家にいそいそと持って帰り、妻におろして貰い家族で食べた事もあった。初めて過ごした日南の正月は夢のように楽しかった。しかし、その冬に限って町に麻疹が流行った。まず長男が罹り典型的経過を辿り心配した。そして次男、三男へと感染した。体の発疹、目のただれ、高い熱咳の合唱で宿舎の二階はまるで避病舎となった。遠く潮騒が絶え間なく続き、松林をゆする北風の音が一晩中耳に付いた。医者は身内の病気には弱い。私はおろおろするばかりでもっぱら家内が寝ずの番をしていた。潮騒は私を慰めもすれば苛立たせもした。

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