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2007.11.30 22:55 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  生活 / くらし  |  その他(医療関連)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

死に際。

皆だれでも死ぬ存在である。寿命その時が来ればターミナルが訪れる。この事を今の国民は忘れてしまっている。高齢者が増え看取りの場面でも、死その瞬間まで医療がおせっかいを焼いて遣りすぎが生じている。畳の上で家族に見守られながら眠るように安らかに死ぬのを誰でも望んでいる筈である。病院死が88%を占める今の状況はこの自然の死が叶えられていない証拠である。その背景には戦後の家族構造の変化が影響している。独居や夫婦共稼ぎ世帯の増加で死に行く人の世話の引き受け手が居なくなったためで、若い世代は生まれてくる時と同じように死ぬ時も病院が当たり前として考えている。そして死は日常から隠されて仕舞った。校医をしている中学校の生徒の中に一度死んでもまた生き返ると思っている生徒が10%も居たとの報告を聞いた事がある。異常である。戦後まもなくは一族郎党の大人から子供までが死の床を囲んで見取ったものだ。今は病院の一室に隔離、酸素が与えられ腕には点滴が施されているのは当たり前でありそうでなければ無作為と取られそうな雰囲気さえある。死と医療が同時進行しなければおかしいと皆が思い込んでいる。これは異常である。救命可能な急性期の病気の場合は最善の医療をし続けることは当然である。全てが混同されて仕舞っている。勿論、安らかなる死とは誰が見ても老衰や死期が近いと考えられる場合である。

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2007.11.30 05:59 |  診療  |  研究  |  仕事 / 職場  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

事例検討会

昨日は地区グループホーム連絡協議会の事例検討会に出席した。グループホームはお年寄りの尊厳を保ち心地よい生活を過ごしてもらうようにケアするのを理念としている。それだけに人間の心について充分配慮した忍耐強い対応が欠かせない。利用者はさまざまな環境で生きて来ており、心のあり方も夫々に独特である。それだけに多くの事例を経験して蓄積する作業は大切である。事例研修会での発表事例はこれまで扱ったり実際に現在ケアしている利用者とどこか似ているケースが多く良い参考になる。昨日は4例の発表があった。その中でグループホームの利用者を地域の行事に積極的に参加させ地域住民との交流がより密接になり認知症の理解啓発にも繋がっているとの報告やグループホームを終の棲家として見取まで行なった事例ではフロアーとの間で質疑応答が相次ぎ現在の医療が抱える問題点を考える良い討論の場となった。私は最後のコメンテーター役として参加したが、参加者は介護と言うより人間性のある忍耐の必要な仕事に日々従事している方々であり自分には一日として勤まる仕事ではないと尊敬してしまう気持ちがあり、大きなことも言えないのでグループホームで医療的な問題が生じたときの対応の仕方についての講演を行なった。

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医療機関で出るゴミ処理に関しては感染性廃棄物マニュアル等が作られており、各医療機関で生じるゴミは感染性、非感染性また不燃物か否か等に振り分けして(分別)産業廃棄物として産廃業者に委託して処理される。産廃業者は種類によっては最終処理場にまわして医療機関との間にマニフェストを取り交わす。残りは資源ごみや一般廃棄物として回収業者や市町村の焼却処分場に持ち込む。それに要する経費は医療機関で負担するが診療報酬削減政策の中で考慮されていないので医療機関に大きな負担を生じている。特に在宅医療に伴う点滴注射針、チューブ類などの処理がいま問題になっている。在宅医療を行なう多くの医療機関は環境省の在宅医療に伴う廃棄物の処理のあり方の指針に基づいて①注射針等鋭利なものは医療機関へ持ち込み感染性廃棄物として処理、②非鋭利物は市町村が一般廃棄物として処理していると考えられる。しかし環境省のアンケートによると31%の市町村がこれに従い処理しているが市町村側が回収していない所が72%もある。この理由として市町村の廃棄物の種類や危険性の情報不足 感染性の分りにくさ、医療廃棄物回収への心理的抵抗 患者プライバシーへの配慮などがあり簡単には解決されそうも無い。費用の問題を含め適正処理に向けて検討する必要がある。日本医師会も対策に乗り出した。マニフェスト処理されるものは最終処分まで排出事業所の責任があり産廃事業者との契約に当たっては信頼できる業者かどうか確認する必要がある。広島での悪徳業者の不法投棄は耳新しい。被害にあったときに備える保険もある。

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75歳以上の高齢者が全人口の10%を超えた。年を取るとともに増えていく、人生のおまけの認知症。現在170万人居ると推計されている。これからますます増え続けて10年後には250万人になると予測される。誰もが老い自分の身の回りの世話もだんだんに出来なくなって行く。体は兎も角、自分のアイデンティティーとも言うべき記憶が失われていくのを認知症の人にも初期には分っておりその事が心配で心配でどうしようもないのだ。他の人にはわかってもらえない塗炭の苦しみの中にいる。周囲に相手にされないもどかしさ。生きてきた輝かしい人生もすべて消えていく戸惑い。プライドを失っていく気持ちを受け止め尊厳を保ってあげる。その人が生きて来たそのままで今を受け止めて貰えるなじみの人となじみの場所に居る安心が何よりも大切である。その中にいて居心地が良いものであればそれで充分。慣れ親しんだ場所に微笑んでる笑顔の人が居ればそれだけで良い。多くの人の頭にある常識的な思い入れなんか要らない。生きていくための最低限の食事と雨露をしのぐ屋根があればよい。きれいな施設、豪華な食事などいらないのである。幼い日に日曜日の昼下がり家族の団欒を聞きながらまどろみを思い出して欲しい。どんなに幸せな気分になれたか。

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2007.11.25 10:55 |  診療  |  研究  |  生活 / くらし  |  旅行 / 宿  |  その他(医療関連)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

温泉は心臓病に効く!

秋もそろそろ終わりに近くなり大気も冷たさを増して来た。さすがに暖かい南国指宿の朝夕も冷え込むようになり街中を流れる側溝から湯気が立ち上り温泉町の風情が引き立つ。指宿は海岸の白砂に湧き出る温泉を利用した砂蒸で有名だが、最近、駅前やビジネスホテル、公園や遊技場の横などに足湯が作られていて誰でも手軽に楽しめる。土地の人は勿論、観光客に喜ばれている。温泉の効用は昔から数え切れない程の能書きがある。しかし最近まで心臓病に関してはなんらエビデンスの無いま入浴は控えた方が良いと言われてきた。鹿児島大学医学部は霧島温泉にも付属病院を持っている。そこでの経験から循環器機能に温泉は良い効果を及ぼすことが早くから知られており、それをヒントに同大学の循環器病内科で検証した結果、薬物に反応しない心不全患者の心機能が回復したとのデーターを得て温熱療法を心不全の治療手段として使っている。それにはサウナを使う。一方、国立循環器病センターでは足湯を使って温熱治療を行い移植を待つ人工心臓臓装着中の重症拡張型心筋症の20代男性の心機能を回復させたという。足湯の温度は42度で15分浸かり30分保温する方法である。体の深部温が上がり抹消血流がスムーズに流れることで心臓の負担が減りポンプ機能が回復したと思われる。

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またまた74歳認知症男性が高速道を逆走し重大人身事故を起こした。ドライバーの認知症は重大事故に繋がるとして2002年道交法の改正で免許の取り消しや停止の要件が盛り込まれた。しかし認知症の運転免許証保有者が30万人以上も居ると言われているのに対し、免許が取り消されたのは2006年までに192人に過ぎなかった。これは認知症にも拘らず本人に自覚が無く家族もはっきり気付かないで発覚しないためである。2007年6月の改正で75歳以上高齢者に免許更新時に記憶力や時間認識の見当識の正確さを測定する認知機能検査が義務付けられ2年以内に施行される。疑いがわかれば専門医の診察を受け更新可否を判断する事になる。実情にあった法の適応が急がれる。本人への告知をはじめ家族や一般社会に認知症は病気であり癌と同じように認知症の早期発見とその対応が大切であるとの認識を啓蒙する必要がある。猶予を許さない。

道路交通法 (平成14年改正)

 1. 一定の病気の方は、専門医・主治医の診断書を提出し、運転免許証の取り消し及び停止の申請が可能

  2.  運転を控えることが認知症患者にとって望ましい場合は、家族に十分な説明を行うことが必要 

     

 医師が十分な説明を行わなかった場合

       善管注意義務 ・説明報告義務   違反

 

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戦後のわが国の医療提供体制は民間セクターの活用で対応してきた。高齢化の進む中で福祉サービスが追いつかない状況下では病院がその受け皿になって来た。1973年老人医療費無料化がこれに拍車をかけた。医療者はこのような状況の下に地域の医療活動を通じてたゆまない努力と資金リスクを背負いつつ医療施設を大きくして来た。そして国際的に見て格段に遅れているわが国の福祉に大いに貢献して来たとの自負がある。ところが平成18年度の医療改正では財政優先のもと療養病床の削減を打ち出した。そして削減された分は高齢者の医療ではなく生活を支える居住施設に転換させるとしているのである。介護保険事業は非医療系民間事業者の参入が出来る。このことは社会主義的性格を持つ医療本体の一部が新自由主義の介護保険事業すなわち市場経済の枠組のなかに取り込まれる事である。人間の尊厳に係る基本的医療サービスは公的な社会主義的枠組みで提供されるべきである。この事に多くの医療者、特に医師は違和感を持っている。自分達のアイデンティティーは病気を治すプロフェショナルであり消費サービス的な営利を目的とした宿屋の亭主ではないと考えている。 ~産業医科大学 松田晋哉教授論文より引用~

 

 

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2007.11.23 16:47 |  生活 / くらし  |  趣味  |  旅行 / 宿  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

晩秋の高原に遊ぶ

薩摩半島を南に延びる山並みの背を走る指宿スカイラインの峠に広がる千貫平。開聞岳の周辺には小高い丘が群遊する。遠く東シナ海が陽を浴びて光る。まるで神話の国にタイムスリップ。足元にはすっかり秋の装いの高原の草木が群がる。リンドウに吾亦紅、花アザミ、可憐な野菊にツワブキの陽色が明るい笑顔を覗かせている。

潅木の間

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2007.11.20 07:41 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

季節のけじめ。

11月後半を過ぎやっと気温が下がり紅葉が色づいて、突然に秋が深まった感じである。いよいよシベリヤ寒気団とともに厳しい冬がやってくる。今年はいつまでも暖かく緊張感の抜けた体に季節が喝を入れてくれた。七五三の頃はいつもなら肌寒いのが常だ。山里の藪や生垣の根元を明るく照らす黄色いツワブキの花が咲くのも遅かったが季節の復元で一斉に咲き出した。ホッとする。

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2007.11.18 15:43 |  生活 / くらし  |  趣味  |  旅行 / 宿  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

つながれた猫(2)。

猫を繋ぐなんて私の知る限りでは近くの小児科医院院長が飼い猫に首輪をつけリードを引いて散歩に出かけるのと私自身が止むに止まれぬ理由で部屋のなかに猫を繋いで飼っている位かなと思っていた。所が昨日のテレビに我家とそっくりの繋がれた猫が出て来た。それも着物を着せられたうえ帽子まで被されているではないか。猫を繋いでこっそり飼っている当方としては他人が聞いたら虐待だと言われそうで後ろめたく思って居ただけにびっくりした。少しの行き違いでさえ厳しく指弾するプチライトのマスコミが平然と映像を流し批判もしない。件の猫は無人駅で駅長代わりに繋がれて乗降客にかわいがられているとの触れ込みでニュースに取り上げられた。猫は犬と違い自己主張の強い動物である。自分の好きなところに勝手に行くのが普通である。アナウンサーはかわいがられて喜んでいると言ったが私には駅の改札口に繋がれ猫は見ず知らずの乗降客に触られ油断のならない子供にまでみくちゃにされ逃げる事もできずすつかりしょげ返って居る様に見えた。私が在宅医療をしている患者さんの家の猫は飼い主の患者さんに終日べったで離れなかった。急に患者さんが入院する事になり猫を知り合いに預かってもらった。1ヶ月で退院して帰り猫も返されてきた。どうしたことか患者さんに2日もの間警戒して近づこうとしなかったそうである。猫は人間には非情である。ある人が猫の子の処理に困り袋に入れて遠くに捨てに行き帰ってみると自分より早く捨てた積りの子猫が一足先に帰っていたという話があるほど猫は飼い主より家が大切なのである。

2006.05.20 13:01 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

Dog & Cat .
英語で 土砂降り、てんやわんや! 
 うちの犬猫に限ってそう言う事はない。生まれてすぐから座敷で一緒に育った犬、猫同士なので、いつもじゃれあい舐めあって過ごしてきた。ところが私と猫とは相性がすこぶる悪い。私が近づくと目を見開き、口が裂けた夜叉面の形相でシャーとうなり威嚇する。構わず接近すると前足の鋭い爪で引っ掻く。それはまだいい方だ。ある日、私の睡眠中に何を錯覚したか私の足首を噛んだのである。私は一瞬、何が起きたのか判らず飛び起きたのは言うまでもない。痛みもさることながらしばらく茫然自失。一番安心安全な場所で訳のわからない災難にあったのだ。猫には理不尽だがこの期に至っては猫との同居は精神的に無理である。どうしたら良いものかと妻と議論、妻にはじゃれ付き甘えるので私の気持ちなど理解してくれそうもない。そっけない。喧嘩の末、外に放り出すことに話が付いた。ところが温室育ちの猫のこと、他の野放しの猫にやられて体中,血だらけでよごれて痛々しい。敵ながら私もさすがにかわいそうになった。住み分けをすべく私の行動範囲外に首輪をつけ紐で繋ぐことに話が付いた。やっと私もくつろげ、言い争いもなくなり家の中は安泰だ。犬のほうは最初こそ猫を気にして近づいていたが、現在はこれまでの関係が何だったのかお互い無関心を装い生活をしている。しかし私には後遺症が残ってしまった。以前、猫が寝ていた家具の前や、机の横を抜けるとき不意に足が出てきて引っかかれる様な気がして,立ち止まる。遠くにつながれた猫を見てやっと思い直す、それの繰り返しだ。私と猫がそのような関係になったのには理由がある。猫が赤ちゃんのとき2階から落ち、後ろ足を骨折した。そこで私はシーネを当てて治療した。それが痛かったためか、回復しても私を恐れるようになった。そして私が近づくと威嚇するようになった。せっかく良くしてあげたのにとの思いもある私。猫につらく当たるようになってしまった。関係がますます悪化、仲直りの機会を失って行った。

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