今日は私が大学付属病院外科に入局し最初に外来係に配属された時の医長で現在は祖父からかぞえて3代目院長になっている病院の創立百周年記念式典に招待された。会場は鹿児島市の繁華街を見下ろす城山の高台に建つホテルの一番大きいホールを使って縁故ある300名近くが出席して盛大に行なわれた。久しぶりに会う先輩、後輩も多く、まるで同門会の様に懐かしい昔話に花が咲いた。4時間近くの楽しい時間は瞬く間に過ぎた。外は秋晴れに恵まれ、城山から見る桜島はこれまで眺めた中でも最高の姿に感じられた。城山はかって西郷隆盛が征韓論に破れ下野し帰郷、私学校を作り1877年私学校党に擁せられて挙兵し西南戦争で敗れて自刃した所であり薩摩人にとっては命の山である。私は城山の麓の西南戦争の弾痕の残る私学校跡にあった大学医学部で学び、付属病院で臨床修練を受けた。学園祭、リクレーション、散歩など事あるたびに城山に上り櫻島を眺めた。今の季節に私の結婚式も建て直され新しくなっているが同じホテルで、また時が移り三男もつい2年前に同じ場所で挙式した。今は大学跡には鹿児島医療センターが建っている。私の自宅は城山の西側にあり医学生の時から鹿児島医療センターでの勤務を含め20年余りを城山のなかを巡る登坂道を朝な夕な通った。それほど生活と共に有った山であり、特別な思いがある山である。

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今さかんに病院の勤務医、特に救急医不足、地方の小児科医、産科医不足が取り上げられている。その理由に長時間勤務、過重労働が言われて、それに耐えかねて辞めて行く。そして今より給料の良い楽な職場を探したり開業する人も多いといわれている。果たしてそうだろうか。理由は夫々に有ると思う。多くの人は医師と言う職業を小さい頃から町のなじみの開業医をイメージとして育っている。それに憧れて医師になる人も多い。それゆえ開業するまでのステップとして大学病院、大きな病院で修業するのがこれまでの医師の通る道であった。その中の限られた人が研究者や、勤務医として残ってきた。今、医療医学が細分化し複雑、専門的になり人間全体を見る余裕さえ無くなりつつある。そして不確実性の多い仕事にも拘らず少しのミスも許されなくなった。これでは小さい頃からの憧れのお医者さんの理想の姿をいつの間にか見失ってしまう。冷静になり立ち止まった時逃げ出したくなるのは人としての情である。
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アルツハイマー型認知症による記憶力の低下は高学歴の人ほど遅れて始まる。しかし一旦低下が始まるとその進行は早い。この理由は知識の豊富な発病前蓄積があり、見かけ上、記憶力低下が目立た無いと思われる。
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岩手大の研究グループがハーブのローズマリーに含まれるカルノシン酸が脳細胞のアポトーシス(細胞死)抑制遺伝子の活性化させる事をマウスを使った動物実験で確認した。カルノシン酸は毒性も低くアルツハイマー病やパーキンソン病の予防治療薬の開発に繋がる可能性がある。カルノシン酸を使ったサプリメントの製品化に向けて研究が進んでいる。実検方法はカルノシン酸与えたマウスとそうでないマウスの脳の血管を閉塞し脳細胞が死ぬ状況にした。投与したほうのマウスの脳細胞壊死が34%対52%と少なかった。
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三番目の息子がまだハイハイをしていた頃だからもう20数年前になる。宮崎の日向灘に面した日南海岸の遠洋漁港大堂津の中部病院に外科部長として赴任した。4番目の末娘は生まれておらず鹿児島から家族5人で引っ越した。今は亡き妻の母親が大変だろうと引越しに付き合ってくれたのが今は良い思い出と成っている。町は両側からの延びた岬の突端が岩礁で終わり外洋に開いた中央に数個の槍状の岩が突き出た入り江に面していた。そのため外洋からの荒波は消され白く遠浅の砂浜をすべるように寄せた。病院は海岸に沿って長く延びた低い松の防風林を隔てて建ち、その間を国鉄の日南線が通り時々思い出したように汽車が轟音を立てて走り抜けた。白い壁のコンクリート建の病院の裏手の広い敷地に2軒の2階建ての宿舎が建っていた。私達の宿舎は海寄りの家で2階を寝室として使うことにした。東側の窓を開けると松原の向こうに広がる青い海が見渡せた。岩礁を隔てた遠く太平洋の白い波のうねりも望めた。引っ越して暫くは疲れ、熟睡していた所為か何も気付かなかった。昼は周りの音に消されて気に成らなかったのだろう。暫くたって夜中に目覚めて潮騒の音に驚くことがあった。そして遠く鹿児島から引っ越してきているのを知らされた。ホームシックだったのだろう。町の人たちはものすごく素朴で優しかった。新しいく外科の医師が来たと喜んで、何かにつけ世話を焼いてくれた。家内も職員や周りの人たちにすぐに受け入れられた。大きな松の生えた広い公園や、遠浅の海岸など遊び場は多く、子供達は毎日、自由に走り回り真っ黒になって遊んだ。そのうち友達も増え、家の中は1日中賑やかな子供達声で一杯になった。黒潮の北上する日南の冬は暖かく、霜は降りず雪も勿論降らない。日南での初めての正月は暖かかった。しかし運悪く、町に麻疹が流行った。まず長男が罹り症状は酷かった。そして次々に次男、三男へと感染した。体の発疹、目のただれ、高い熱に咳の合唱で二階はまるで避病舎となった。医者は身内の病気にはまるで素人、私はおろおろするばかりでもっぱら家内が寝ずの番をした。外では遠く潮騒が間断なくうなり、北風が松林をゆする音が一晩中耳に付いた。

大学病院外科医局に在籍中に宮崎県日南の漁業の町大堂津の公立病院に出張した。外科部長ではあったが外科医は私のほかに部下が1人だけ。家族もともなって行った。大学に比べ患者さんも少なく手術は週に1~2回程度でその都度大学から応援の医師に来て貰っていた。外科なので外傷の他は整形外科関連の疾患が多く余り忙しくなかった。病院の近くに医師の住宅はあり、職住一緒で家族ともどものんびりした生活が送れた。また患者さんの殆どがマグロなど遠洋漁業の従事者の家族で、操業を終えた船が入るたびに貰った魚で冷凍庫が何時も一杯であった。近くに大きな川があり海に近く満潮のたびに海水が逆流し海からチヌが上がってきた。私は本格的では無いが、ほどほどに釣りが好きなので、早朝の満潮の時を見計らって川に出掛けた。食べきれないほどの冷凍庫のマグロの切り身を餌に調子の良い時には短時間に沢山釣れた。最初のうちは面白く楽しんでいたが、釣っても小物で食べるわけにも行かずそのうちに飽きてきた。大物を狙って場所を川から河口に変え、仕掛けも投げ釣り用に変えた。その場所が丁度、新聞記事の写真の鉄橋の下であった。そこである日、大きな鯛を釣り小躍りして喜んだ。家にいそいそと持って帰り、妻に刺身におろして貰い家族で食べた事を懐かしく思い出した。
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和やかな家族関係が壊れていく。家庭が荒れ崩壊する。認知症が原因の事も多い。その壊れた関係を修復し、昔の素晴らしい家族関係を取り戻す。それもグループホームの役割である。
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夫婦で団体旅行に参加,朝はやく汽車で広島を発ち夜遅くに指宿に着いた70歳代のご婦人。やっとの事で旅館に落ち着き足を伸ばして寛いでいる所に鼻血が出た。押さえて様子を見ていたが激しく出血して止まらないと浴衣の前を血だらけにして丁度当番医の私の診療所に訪れた。耳鼻科の患者さんであるが生憎、耳鼻科は開いていなかったと言う。鼻血もピンからキリまで有り大変な事になる人もいる。この地区では耳鼻科との連携はされていないので、県都まで救急車で搬送する場合もある。そういう事もたまに有るのでたいした事で無いようにと祈りながら診察した。高血圧があり薬を飲んでいるらしい。測定では血圧も高くないようである。聞くと旅行に出る3日前にも同じほうから鼻血が出て地元の耳鼻科を2日間受診した。そしてタンポンだけの処置で済んだと言う。患者が詰めた塵紙を外すと大きな血魁がズルッと出てきたが新しい出血はなさそうである。キーゼルバッハからの出血の様だ。念のためタンポンを詰めた。安定剤を飲ませ様子を見ることにした。その間、患者さんも落ち着いて尋ねたい事があるという。旅行の計画では明日の朝早く汽車で指宿を発ち青森に向かう予定だが、このまま参加して大丈夫でしょうか~と悩んでいる様子。それにしても指宿にやっと着いたのもつかの間、取って返すように遥か遠くの青森に直行なのかとの思いがして聞き返した。確かにそうだったはずだが気が動転しているので自身が無い様だ。ご主人を呼んで確かめたが矢張りそうだった。この旅行企画は、あくまでも汽車に乗り秋の景色を楽しむのが目的だという。2泊3日で明日は青森に向かうとのことだった。若者にも無理では無いか。歳が行ってから大変な旅に参加したものだが、他の団体客や夫に迷惑がかかるのを慮り、このまま詰め物をしたまま旅を続けて良いか聞いて居る様だ。私は無理ではないかと答えた。明日早く耳鼻科を受診するように紹介状を書いて渡した。ご主人は直ぐ納得してくれたのだが、一緒に参加している夫婦の友人が現れ、折角の旅行だ、どうにかしてくれと懇願する。私は責任をもって旅を続けて良いとはどうしても言えないと説得した。それでも諦めきれない様子なので困り果て、私の命あっての物種ですよとの殺し文句で何とか引き下がって貰った。それにしても欲張った旅があるものだ。
「篤姫」のロケが行なわれた指宿の多良浜公園。

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大学病院での研修に続き研究生活を終えるのに8年間を過ごして、公立病院に移って心臓血管外科と一般外科に携わって13年が経過した時には年齢も40歳半であった。来る日も来る日も、若い時と変わらずに忙しく手術と術後管理に明け暮れ、当直を行い救急患者につきあう勤務医生活を続けて行く自身を失い掛けていた。そのまま65歳の定年まで頑張ったとしても退職後、医師として自分の納得する医療を続けられる保証とてなかった。そのように考えたうえでそれまで研鑽してきた専門を生かして生涯現役でやっていけるのは診療所開業であった。開業場所を中学校まで育った県都から車で1時間ほどの田舎に決めた。そこを出てから既に30年が経っていた。子供は4人居る。その時、長男はやっと大学に入学し末っ子は小学校1年生。高校生の次男と中学生の3男を寮に入れて、末っ子は一緒に連れて、そこの小学校に転校させることにした。決めたには決めたものの、都会にどっぷりの生活から、周りになにも文化的施設や娯楽施設の無いところである。大学の医局時代には命令で短期間ずつ離島や僻地に出張命令が出て赴いてはいた。決められた期間を過ごせばまた戻れるので行く事にためらいはなかった。しかし今度の場合、ずっとそこで生きることになる。何か切ないものを感じて決めてしまった後暫くは、夜中に何度も目を覚ましては、布団に座りこんで思い悩んだ。それも自分の育った故郷なのにである。あの時の自分の経験からしても、親が開業していて、あとを継ぐ訳でもない若い医師が、地方に行って医療をするのを躊躇する気持ちはわかる。住めば都、今は住民の信頼を受け、自分の周りも大して田舎ではない積りでのんびり楽しく生活している。


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医師も人間 信頼なくして頑張れない
医師不足の中で今、救急医療、小児医療、産科医療の現場では大変な状況が出立している。これまでマスコミによって作られた執拗なまでの医師に対するバッシングは少なくなって医師に対する同情が広がっている雰囲気の中でのトークとなった。今までの医療制度と医療者の使命感に守られて水や
と空気と同じように、簡単に手に入り、与えられるのが当然とされてきた手厚い医療が今、地球温暖化と同じく大変になってから大慌てである。少子高齢化と財政難のなかだれでも、いつでも、何処でもの医療も難しくなる。これから国民は医療者と同じ土俵の上で医療を真剣に考えて、医療を尊敬しなければならない。
医療への感謝と尊敬、全てはここから始まる。

医療する側と医療を受ける側との相互理解が進むようにと県医師会が開催している健やか医療タウントークも今年で5回目を迎えた。鹿児島市の宝山ホールに2千人の参加者を集め、常連になった日本経済新聞社論説委員の渡辺俊介さんに、NHK解説委員の飯野奈津子さん、NPO法人ささえあい医療人権センターCOML理事長の辻本好子さんの3人に今年初めて出席の鹿児島県知事伊藤祐一郎さんと日本医師会常任理事内田健夫さんの5人が登壇した。渡辺さんがチェアマンで「いったいどうなる?これからの医療と介護」をテーマに4人のシンポジストが夫々の関っている立場で基調講演を10分ずつ行なった。ジャーナリストの飯野さんは伸び続ける社会保障費用は、今のままのやりかたでは財源の確保が危うくなってくる。そのために政府は医療費の多くを使っている高齢者医療なかでも入院医療の療養病床の削減を行おうとしている。そして来年4月からはこれまでの医療保険とは切り離した別立ての高齢者医療保険制度が導入され、将来の医療費抑制を狙ったメタボ対策の特定健診・指導が始まる。医療の地方分権化で都道府県の責任が重くなって来る。医師不足については地方の分散している専門医の集約化が言われているが地域によって平等が保てなくなる可能性がある。すべて住民の安心安全に繋がる問題である。これを確保するためには実情に合わせて必要な部分は残し、何処を改革していくかが大切となる。住民と行政が一緒になり考えていかなければならない。日本医師会の内田さんは年間100万人が死亡しているが団塊の世代が高齢化する20年後は160万人になる。これを今後どうするかが問題となる。医療を受ける側の医療の安全、安心は最も大切なことであるが、医師不足に見られるように医療するほうも大変な状況になっている。医師を増やす事も大切であるが医療環境の改善も大切である。特に患者さん側の医療に対する認識、特に医療を受ける時、医療には絶対と言う事はないとの認識が必要である。過剰勤務に疲れ、医療訴訟を恐れ、立ち去っていく勤務医が多い。自己犠牲を覚悟で働く医師の使命感も住民の無神経の中ではくじける現状。医療費抑制の中で医療安全も強いられている。安心安全の医療のためにはマンパワー、環境設備、住民の理解は欠かせない。診療報酬を上げるための財源が必要である。そのためには消費税の福祉目的税化も必要となる。無駄な医療を省くためにかかりつけ医を持つことが大切と考えている。伊藤知事は鹿児島県の医療の実情について触れ行政としてこれから取組むべき事は、住民の安心安全を確保する事であり、厚労省のやり方は非常に稚拙でまずいやり方で改革を進めている。地域の事情に則した施策が必要で住民と一体となって考えて行きたいと述べた。辻本さんは医療者と患者さんの間には医療の認識に大きな差がある。この差を埋めるための努力が必要である。お互いが信頼を得るために医療者も声を大きくして住民に訴える事も大切であると述べた。





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錦江湾の桜島近くの海底に200℃以上の熱水が噴出すチムニーが有る事はわかっていた。陸上では水は100℃で沸騰して蒸発します。100℃以上の水(熱水)はできないはずです。水のなかに何かがとけたり、大きな圧力がかかったりすると水の沸点は上がります。チムニーがある海底付近は、地上の二百倍程度もの大きな圧力がかかります。チムニーから噴き出す水には塩分や金属成分がたくさんとけています。岡山大の研究チームが潜水艇を使って熱水を採取し分析した結果、金鉱脈が横たわっている可能性が出てきました。昔から鹿児島には串木野金山、菱刈金山など金鉱脈があります。夢が膨らみます。期待しましょう。
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