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2006.09.10 21:06 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 0

秋の訪れ

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     時は平安時代874年に大噴火して周囲12Kmにわたり灰で埋め尽くした開聞岳。今は優雅に佇む。イタリアのポンペイ ベスビオス火山を髣髴させる。


午後から散歩をかねてフラワーパーク指宿に出掛けた。此処は会員になると年間千円で入場フリーで入れる。花を楽しみながら運動にもなるので良く出かける。残暑もまだまだではあるが今年はまだ台風の洗礼を受けていないので草木は生き生きとしており百花繚乱。感激そのもの。すでに彼岸花が茎を伸ばして咲き揃い、萩も花を着けて風に揺れていた。林ではせみが夏の終りを惜しむように声を嗄らし、アゲハはつがいで空高く舞い交う。行く夏を楽しみながら歩いている間に服は汗でじっとり休憩所で汗を拭き水分を補った。と最近ここフラワーパーク近くの指宿市山川岡児ケ水で、平安時代の開聞岳大噴火で埋没した畑跡が約480平方メートルにわたって見つかったと南日本新聞が報道した。記事を紹介する。「うねの大きさなどから、国指定史跡・橋牟礼川遺跡(同市十二町)を上回る規模の集落跡が周辺に残っている可能性が高い」としており畑跡は慶固(けいご)遺跡と名づけられた。畑跡は、874年3月25日との記録がある開聞岳大噴火でできた火山灰地層「紫コラ」の下から発掘された。一つ一つのうねの幅は橋牟礼川遺跡の0.8メートルを上回る1.5メートル以上あり、大規模な営農形態がうかがえることから、大きな集落があったと推測される。また、開聞岳からの直線距離が、橋牟礼川遺跡の約12.5キロに対し、慶固遺跡は約5キロと近く、火山れきや大量の火山灰が一気に降り注いだと思われる。当時の人々の生活跡が、より“完全な形”で保存されている可能性もあるという。 同市教委の中摩浩太郎主査が8月26日、周辺の地層調査に訪れた際に気づき県文化財課に報告、9月1日に埋蔵文化財包蔵地に決まった。同遺跡の周辺は土木業者が土砂を採取することが多く、その過程で表面化したという。 同市教委は今後、大学などの研究チームとともにレーダー探査などで周辺の集落の存在についても調査を進める意向で、「発掘がうまくいけば火山災害の記録としても第一級のものになる」と期待している。

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