夏と秋の境 。 外は小雨が静かに昼間火照った大地を濡らしている。あの夏の燃えるようなエネルギーが失われる寂しさを味わっている。物悲しい季節の訪れだ。今日は午後から校医をしている中学校に、体育会前の健康診断に出掛けた。1年生一クラスの30人余りで極端に少なくなった。2年生が30人ずつの二クラス、3年生は一クラス50人位である。30人一クラスなので60人に満たないと一クラスに編成される。学年でクラス数がまちまちである。共通するのは男生徒より女生徒が少ない。一つ気づいたのが殆どの女性徒の名前が2文字で最後に子がつかなのである。兄弟も少なく大事にされているのか昔より小奇麗にしていて体格も良い。田舎なので人なっこくて陽気である。挨拶もはきはきして可愛い。診察の途切れた間に廊下に出てみると近くの教室から物凄い怒鳴り声が聞えた。授業中に生徒達が騒いだため先生が怒っているのだろう。素朴で誠実そうな仕草の生徒達を診察した後だけに意外であった。少ない生徒数と言っても160人ぐらいの診察、聴診器の耳あてが外耳道に食い込み痛いし、ベルを押し当てた人差し指は扁平に赤く凹んでしびれた。帰りに校長室を覗いた所、丁度校長は生徒を呼び入れ説教中であった。そっとおいとました。養護の先生の見送りを受け外に出ると真昼の夏の太陽が照りつけ、車に乗り込むとむっとする暑さで汗がどっと噴出した。夏休みの生活の乱れを引きずったまま新学期が始まったのだろう。役目を終えた私はのんびりと遠くの海や街路脇に咲く秋の花を楽しみながら遠回りして帰った。

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ステロイドは両刃の剣と言われている。その作用機序から使い方次第で重篤な副作用が生じる。適応疾患も限られている。しかしそれを承知で慎重に使用すれば非常に重宝する薬でもある。高齢者の場合に肺炎、腸炎など感染症に罹り臨床的には治癒したと思われるのに、だらだらと発熱が続いたり、高熱が頻発しそれによる食欲不振などで体力を消耗し重篤になる事例にしばしば遭遇する。その様な場合には水分投与、解熱剤など対症療法を行ってもなかなかすっきりしない。また解熱剤、特に座薬などで急激な血圧低下などを生じる恐れもある。そこで少量のステロイドを使うと解熱し食欲が出て体力も回復するのを経験する。その場合重篤な感染症が無いことの確認は勿論の事である。疑わしい時は適当な抗生剤と共に投与する。特に寝たっきりで嚥下困難があり誤嚥性肺炎を起こした後や尿路感染症で抗生剤による治療後など有効である。つい最近、思い切って大量のステロイド使用により劇的に回復した患者さんが居た。80歳の気管支喘息で定期薬を服用、強い発作時ステロイド注射も使っている。深夜、激しい頚部痛で横になる事も出来ず、痛みに耐えかねて救急車で運ばれてきた。頚椎症と思われたが喘息なので鎮痛剤使用は躊躇された。痛いので血圧は高い。一応クモ膜下出血を否定するためにCTを撮ったが異常ないし、熱も無いので髄膜炎は否定的だ。頚椎症として固定を行い、鎮静剤を使用して幾分落ち着いたので坐ったまま夜を明かして貰った。痛みは依然として強い。頚部脊髄根の神経炎症状と判断してステロイド・パルス療法を始める事にした。投与してしばらくしたら痛みが和らぎ横になれるようになりカラーもはずした。いびきをかいて寝ている。投与4日目には殆ど痛みは消失し歩き回れるようになった。そして5日目に退院した。このように劇的に効く症例もある。
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終末医療の延命治療の中止、差し控え、尊厳死問題に続き、今度は死後生殖認知訴訟の最高裁判決で生殖補助医療が注目されている。人工授精、精子および卵子提供、代理出産など不妊治療、遺伝子診断での妊娠継続など産科医療は倫理と深く関わる領域である。韓国の黄教授のBS細胞を使ってのクローン個体の誕生疑惑が大きな波紋を起こした。いまやこの領域の医学の進歩と自然の摂理を重んじる一般個人の倫理観の乖離はますます大きくなっている。今回、最高裁は感情的には認めたいが医療行為の名において既成事実が積み上げられていく事態を放置するわけには行かないと判断し、法整備がいまだ追いついていないことを指摘した。厚生労働省は2003年生殖補助医療法の成立に向けて厚生科学審議会の報告受けて検討した。しかし死後生殖は倫理上大きな問題があるとして法案提出を断念している。臓器移植における脳死は人の死とする臓器移植法は成案化されるまで多くの議論があったが国民の間では今や常識とされ、それによる移植が普通に行われている。国民的合意形成とは具体的には臓器移植法の過程のようなプロセスをへて成り立つものである。まず専門家が議論を重ねそれをたたき台に原案を作る。そしてそれを国民に提示して多くの意見を聞き、国会で成案にする事である。関係者がばらばらに倫理規制を作るのではなく1つのテーブルに着き議論を始めなければならない。国民的合意はまずその必要を感じた当事者が声をあげ具体的行動を始めなければ何も起こらない。いつまで待つても抽象的な国民の合意?などあり得ない。無から有は生じないのである。
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