
大学病院外科医局に在籍中に宮崎県日南の漁業の町大堂津の公立病院に出張した。外科部長ではあったが外科医は私のほかに部下が1人だけ。家族もともなって行った。大学に比べ患者さんも少なく手術は週に1~2回程度でその都度大学から応援の医師に来て貰っていた。外科なので外傷の他は整形外科関連の疾患が多く余り忙しくなかった。病院の近くに医師の住宅はあり、職住一緒で家族ともどものんびりした生活が送れた。また患者さんの殆どがマグロなど遠洋漁業の従事者の家族で、操業を終えた船が入るたびに貰った魚で冷凍庫が何時も一杯であった。近くに大きな川があり海に近く満潮のたびに海水が逆流し海からチヌが上がってきた。私は本格的では無いが、ほどほどに釣りが好きなので、早朝の満潮の時を見計らって川に出掛けた。食べきれないほどの冷凍庫のマグロの切り身を餌に調子の良い時には短時間に沢山釣れた。最初のうちは面白く楽しんでいたが、釣っても小物で食べるわけにも行かずそのうちに飽きてきた。大物を狙って場所を川から河口に変え、仕掛けも投げ釣り用に変えた。その場所が丁度、新聞記事の写真の鉄橋の下であった。そこである日、大きな鯛を釣り小躍りして喜んだ。家にいそいそと持って帰り、妻に刺身におろして貰い家族で食べた事を懐かしく思い出した。
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私は3人兄弟の末っ子、兄が11歳上で、姉が3歳上である。兄とはジェネレーションが違い一緒に過ごすことも少なかった。姉には何時でも金魚の糞みたいにくっ付いて歩いていた。だから遊ぶのも姉の友達の中であった。伝ちゃん伝ちゃんと可愛がられ愛想を振りまき何時も笑顔を絶やさない。それが今でも尾を引き、いつでも笑顔。そしてはにかみと引っ込み思案はそんな所から来ているのだろう。1日中が一緒、流行の病気も一緒にかかってしまう。決まったように布団を並べて寝ていた。食べるものも同じ、お腹をこわすのも一緒であった。今考えると一人親の母親としては大変だったと思うが、むしろ看病を2人ひっくるめて出来るから1度しか罹らない子供の病気など助かって居たかもしれない。今でも真青な空に入道雲を見ると思い出す。良く晴れ高い入道雲の出た暑い日、2人で近くの畑に行った。良く熟れた大きな瓜を見つけた。それを摘み取り喜んで抱えて帰った。汲み立ての井戸水で冷やし、2人で食べた。ひもじい時代であった。種のある中の綿の部分まですつかり食べ尽くした。その後がいけなかった。腹痛が襲い、吐くわ下すわで2人で転げまわった。その後しばらくは水っぽいお粥と味噌汁の日が続いた。2人とも暑さの中でげっそり痩せてしまった。母親は心配で大変だったと思う。その後しばらくは瓜を見るのもいやだった。今も慎重に中を吟味し臭いをかいでから口にする。
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