開業以来1日も休むことなく一人で診療を続けて来た8年目の夏の平成13年8月、その頃は副院長もおり医師2人で遣っていたので久しぶりに家族揃っての旅行を計画した。お盆の8月13日は戦死した私の父の命日でもある。祭られている靖国神社に鎮魂もかねて行く事にした。上の息子2人は既に東京で生活していたので靖国神社で落ち合う事にした。宿泊は国会議事堂に近いキャピタルホテル。お盆と言う事で空いていた。朝早く指宿を出て午後、東京に着いた。少し都内を回り4時ごろ神社に向かった。周りが何か物々しい。タクシーのラジオで突然に小泉首相が靖国神社の参拝を行うとのニュ-スが流れた。神社に近づくにつれて警備車両、、街宣車、マスコミ関係車両で混雑している。大変なところに行き会ってしまった。折角この日を選んで来たので引き返すわけにも行かず首相や警察車両が引き上げたあと境内に入れた。まだ多くの人、マスコミ関係者で混み合い、色々な主義主張のグループが集会を開き、外国メディアがテレビ中継していた。まるでお祭り騒ぎである。ゆっくりお参りする雰囲気でもなかった。逃げるように早々に引きあげた。次の日、またばつの悪い事に都内見学を済ませ地下鉄の駅からホテル玄関に向かう横断歩道で手を上げて渡ろうとした時、何処から現れたのか黒背広のボディガードとおぼしき大男が私の前に立ちはだかり両手をおさえた。その間に黒塗りの高級車2~3台が私の直前を超スピードで走り去ったのである。一緒に歩いていた妻子には何もしなかった。私が怪しいものに見えたのだろう。車の中にチラッとロマンスグレーの頭が見えたような気がした。歩行者をなんと考えているのかと少々腹が立った。その後ホテルでゆっくりテレビを見ていたところ、その日の午前中に首相は人間ドックで検査して異常はなかったと報じていた。とんでもない出会いであった。国会議事堂の近くなので仕方のない事だと変に納得した。
次はその当時の新聞報道の1部である。

2001年8月13日 靖国への往復に公用車を用いて官房長官・福田康夫と秘書官を随行。 参集所で「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳。神社拝殿で身を清める「お祓い」を受け、本殿に昇殿して祭壇に黙祷した後、神道式によらない一礼方式で参拝を行なった。参拝に反対する立場からは参拝したことへの、参拝を積極的に支持する立場からは、前言を翻して終戦記念日を避けたことへの批判も挙がった。そして記者会見で次のような談話を発表した。
わが国は明後八月十五日に、五十六回目の終戦記念日を迎えます。二十一世紀の初頭にあって先の大戦を回顧するとき、私は、粛然たる思いがこみ上げるのを抑えることができません。この大戦で、日本は、わが国民を含め世界の多くの人々に対して、大きな惨禍をもたらしました。とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいまだに、この地の多くの人々の間に、癒しがたい傷痕となって残っています。 私はここに、こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。 私は、二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えています。私は、あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました。私は、このような私の信念を十分説明すれば、わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られるものと考え、総理就任後も、八月十五日に靖国参拝を行いたい旨を表明してきました。 しかし、終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされるようになりました。その中で、国内からのみならず、国外からも、参拝自体の中止を求める声がありました。このような状況の下、終戦記念日における私の靖国参拝が、私の意図とは異なり、国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせかねないということであるならば、それは決して私の望むところではありません。私はこのような国内外の状況を真摯に受け止め、この際、私自らの決断として、同日の参拝は差し控え、日を選んで参拝を果たしたいと思っています。 総理として一旦行った発言を撤回することは、慙愧の念に堪えません。しかしながら、靖国参拝に対する私の持論は持論としても、現在の私は、幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責を果たし、諸課題の解決にあたらなければならない立場にあります。 私は、状況が許せば、できるだけ早い機会に、中国や韓国の要路の方々と膝を交えて、アジア・太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに、先に述べたような私の信念についてもお話したいと考えています。 また、今後の問題として、靖国神社や千鳥が淵戦没者墓苑に対する国民の思いを尊重しつつも、内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか、議論をする必要があると私は考えております。 国民各位におかれては、私の真情を、ご理解賜りますよう切にお願い申し上げます。
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昨日父のことを書いた鎮魂の文章が新聞に掲載された。その中に県庁に白木の箱を母と一緒に取りに行ったとだけ書いた。実はまだ書きたかった事がある。帰り道、私は抱いたその箱を道端に放り捨て泣きじゃくった。しかし母は黙って拾い上げて私をしからなかった。同じ気持ちだったのだ。この事は母と私しか知らない。何か不謹慎な事をしたようで今まで黙っていた。初めて告白する気持ちになったのは、今日の新聞に、私達親子と同じ状況の事を書いた随想が掲載されたからである。その記事を転載します。
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