
2年後のNHK大河ドラマは宮尾登美子作の「篤姫」に決まった。篤姫は徳川幕府の第13代将軍の家定の正室で薩摩藩島津家の分家の指宿今泉島津家の島津忠剛の娘である。幕末には大奥を取り仕切り、後継者争いを調整し、倒幕の旗手の薩摩藩に働きかけ江戸城無血開城に貢献した。今泉島津家の本拠は指宿市岩本にあった。現在お城跡には今和泉小学校が建っている。代々の墓所はJR指宿枕崎線薩摩今和泉駅の山側にある。私が在宅診療でいつも回っている周辺で幼少時の篤姫が育った所だそうでいまそのニュースを聞いてそんなゆかしい所だとは知らなかった。お城跡に建っている小学校の正門前に住んでいる患者さんにその事を尋ねてみた。今その方は90歳近い。良くぞ聞いて呉れました。私達の先祖は島津のお殿さんの家来だったのです。お嫁入りの時、夫のおじいさんが裃に刀を差して表れた。何かあった日には刀で切り刻まれるのではないか、これは大変なところに嫁いだと心配になったそうである。来年7月頃からロケが始まる。賑やかになりそうである。
(次は引用です。)
08年NHK大河ドラマ。
原作は宮尾登美子「天璋院篤姫」。
天保6年12月19日(1836年2月5日) - 1883年(明治16年)11月20日)
篤姫(あつひめ)は、江戸時代後期から明治の女性で、江戸幕府13代将軍徳川家定の正室である。
父は、薩摩国(鹿児島県)藩主島津家の一門・今和泉(指宿市)領主 島津忠剛。
姓は島津、幼名、一(かつ)。
元服後、敬子(すみこ)。
島津斉彬の養女になり篤子(とくこ)または(あつこ)に改めた。
薩摩島津家の分家今泉島津家に生れた篤姫は、よい心ばえの学問好きな姫に成長し、藩主斉彬の養女となった。
聡明な人柄を見込んだ斉彬は画策の末、篤姫を13代将軍家定の正室として江戸城に送りこんだ。
大奥3千人を統べる見事な御台所として、病弱な夫との形ばかりの結婚に耐え、義父の秘命を果たそうと努める篤姫・・・
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父の事に就いて新聞に投稿し掲載された8月2日にすぐに新聞社を通じて終戦前旧満州の新京の師範学校生であった方から連絡があった。昭和20年8月13日ソ満国境の牡丹江での戦闘の跡に行き会った。それは悲惨なもので死体が累々としており、その惨さに駆け寄って冥福を祈ろうにもソ連兵が怖く、触ることもままならなかった。認識番号はついているがあの状況では個人確認は到底無理であったと思う。私の父と同じ運命の人が大勢出ている筈です、との感想を言われた。そしてその方は今年7月29日に満州体験を書いた本を出版したそうである。中にあの時の場面も詳しくかいてある。私にも送ってくれるとの有り難い話であった。父は明治36年生まれで生きていたら丁度、今年で100歳。鹿児島工業高校が鹿児島県代表として甲子園に初出場する。父が卒業した高校である。何かのめぐり合わせである。ぜひ頑張って貰いたい。それにしても父の消息を少しでも知っている人とめぐり合わせてくれる新聞の威力はすごい。
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以前この日記に書いた「未だ安らげざる魂」が 平成18年8月2日の南日本新聞朝刊の第7面の「ひろば」欄に掲載されました。その切抜きを転載します。
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