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2006.07.21 07:06 |  診療  |  開業 / 病院経営  |  研究  |  仕事 / 職場  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  でんさん  | 推薦数 : 1

齢とともに

 医学部専門過程に上がってすぐから人体解剖が始まった。無駄と思いつつ、細かい身体各部の丸暗記にうんざりしていた。アメリカ留学から帰国した生化学講師のワトソン・クリックのDNAラセンモデルや蛋白合成メカニズムの講義は目からうろこが落ちた。眠りかけていた医学への興味がまた目覚めてきた。学年が進み臨床医学が始まった。麻酔科教授が細胞膜を介した水と電解質、呼吸と血液ガス、酸化還元電位など体の恒常性を保つ機構の最新の医学を取り入れた講義は非常に斬新的で面白かった。そして最終学年の夏休みには麻酔科教室に入り浸り手術室でその実際を見学させてもらった。そのころ麻酔はマスク上からエーテルをドロップさせる方法から気管内挿管し笑気とフローセンなどを使う全身麻酔が普通になっていた。卒業した年は丁度、インターン闘争も下火になり卒後研修登録制度がやっと始まった。しかし同級生の半分が研修をボイコットしたが私は制度に従い2年間好きな科をローテートと出来た。お陰で多くの先輩たちに臨床の基礎も教えてもらい有益であつた。今でも懐かしく思い出す。研修を終え一番に麻酔科に入局、手術部に属し空調の聞いた部屋で麻酔三昧の生活を送った。そのうち物足りなさを感じて、悩んだ末、外科医局に移った。外科は技術習得がまずは必要なので時間を要する。それに先輩を真似る徒弟制度にならざるを得ない。なかなか実際の手術が出来るまでに成るのには時間が懸かった。しかしその間、多くの臨床体験をして救急から慢性期対応を覚えた。どんな場面でも慌てない能力が身についたと思っている。外科の対象は広く小児科、内科など何でも遣れる臨床医になれた。大学で8年、公立病院で13年のあいだ一般外科、心臓血管外科に従事した。その間、心臓手術後の心肺機能に関する論文で学位を得た。これはなかなか大変な仕事ではあつたが、あれだけ遣れたのだと言う自信、それが多くの難局を乗り越える原動力になったと思って居る。外科は技術と体力勝負の面が大きい。外科の技術の進歩と伴に多くの難手術も遣らなければならず術後管理を含め体力を消耗してしまい自分の時間も無い。しかしがむしゃらに何も考えずに遣って来た。40歳を過ぎたころ、一般の人は寝静待っている夜中に、連日、病院の廊下を一人歩いていると何時までこのような生活を続けなければならないのだろうと、ふと不安になった。今まで遣ってきたことを生かし、自分なりにゆっくり生きていくためにはどうすれば良いかを考えるようになった。いろいろ悩んだ挙句やはり多くの先輩達がして来たように開業するのが無難だろうと考えた。そうなると開業の場所である。資金の面で、土地のある自分の田舎でするのが良いとの結論になった。私が開業準備に時間を取られている間に外科領域では腹腔鏡を使った手術が盛んに成り胆嚢摘出手術等は殆どこの術式に変わっていた。血管外科領域でもカテーテルを使った技術が向上し手術適応も限られるようになった。私の習得してきた技術はオールドファッションになりつつあり開業は丁度良い外科の第一線からの引退でもあった。
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湧き上る夏雲

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