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少し前になるが鹿児島医療センターの前身である国立鹿児島病院を譲り受けた県民総合保健センターで有ったマンモグラフィー講習会を受けた。門をくぐり玄関までは昔のままの佇まいだったがさすがに中に入ると方角の見当さえ付かない程に改装されていた。矢印を頼りにやっとのことで講習会場に行けた。そそくさに受付を済ませて椅子に座って周りを見回して見てやっとここが勤務していた当時の病室である気がして来た。旧国立病院は南九州中央病院の発足に伴いその分院となった。外科に属し私が責任者であった循環器科は心臓血管外科として新しい本院に移ることになり入院中の数名の患者さんと伴に救急車で移動した。広大な敷地の真ん中に白亜の病院が夏の陽射しを受け、輝いていたのはを昨日のように思い出す。当初は新しい8階ある病棟を2階を手術室とICU,6階外科、7階を循環器、8階を循環器、、一般内科それに放射線科の4階部分だけ使っていた。それだけに病院内はがらんとし、まるで体育館のようであった。職員数も少なく、家族のような親密さで仕事をした。あれからもう20年が過ぎた。ごく最近、救急車に添乗して患者を送って行った。そのとき病院の変わりようにめまいを覚えた。玄関前のかっての広場には駐車用の建物が立ちはだかり診療棟の周りには所狭しと新しい建物が犇いて、まるで迷路に迷い込んだようで、かって13年間、殆ど毎日出入りしていたICUまでどのような経路で行ったか分からなかった。ICUのスタッフの中に昔からの看護婦さんを見つけやっと心が落ち着いた。帰りにあらためて病院内を恐る恐る見学し直した。かっての間取りを思い出しながら見て回るのだが、まるっきり変わっており自分はもはや異邦人であった。やっと昔の部屋を見つけては全体の繋がりが分かる事のくりかえしであった。大きく綺麗で近代的な病院に発展しているのは嬉しかった反面、最も人生の華やかな時期を過ごした場所に自分のアイデンティティーが無いのは寂しいものがあった。

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