水俣病が公式確認されて50年になる。テレビなどでこれまでの経緯が取り上げられている。昭和48年の夏、鹿児島の北に位置する高尾野町の町立病院に出張した。出水と接して八代海に面する海岸線を持ち北には水俣湾がある。そのときは水俣病が公式確認されてからすでに18年が経っていた。出水の漁民からも水俣病が出ていた。水俣病に関しては私が小学生のころ水俣で奇病が出て風土病などと騒がれた。その頃水俣の人には申し訳ないが、水俣にもドイツのアウシュビッツガス室、広島、長崎など原爆、ハンセン病療養所など怖いもの見たさの衝動を感じることがらである。患者さんには悪いが何かグロテスクで怖いもののイメージを持っていた。その頃水俣湾では湾の入り口が金網で仕切られ湾の中の魚は湾外に出れないようにして漁師が捕獲し処分していた。出される魚介類は大丈夫といくら言われても身構えるような所もあった。海岸で潮干狩りに行ったことがある。潮の引いた砂浜の小さな穴を見つけて塩を入れると何を間違えるのか四角な長い棒の形のマテ貝が頭を現す。そこで素早く捕まえる。これが面白くてたまらない。取れた貝はバター焼きするとものすごく美味しかったが多くは食べられなかった。そのような雰囲気の中で過ごしていたある日の午後仕事が済んでから車で水俣工場を見学に行く事を思い立った。着く頃には日が沈み工場は巨大な灰色の怪物のように私の前に立ち塞がった。外は蒸し暑く化学工場の町の空気を嗅いだ。これまで報道で見て来た映像を思い出しながら人影のまばらな暗闇の中で想像していたままの水俣に会った気がした。
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