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広汎性発達障害のなかの高機能広汎性発達障害(高機能PDD)について色々考えてみました。
私のような成人を主に診ている精神科医にとっては、実は高機能PDDというのはとても大きな臨床上のヒントになるのではないかと思う今日この頃(結構前からかも)です
高機能PDDとはいっても、じつは小児精神科の先生が診ていらっしゃる症例と、我々成人の精神科で診ている症例は、根底では共通しているものの、その病態はずいぶん違うのかもしれないと思うのです。
わたしが高機能PDDかな?と思う症例は、おそらくPDDの中核を沢山ご覧になっている先生からは、「正常範囲ですよ」と言われる方が多いのかもしれないと思います。
それゆえに、成人になるまで全く診断も受けず、家族も友人も「個性的」「ちょっと変わった子」としか見ておらず、本人も「ここまでやってこれたのだから自分は正常なんだ」と思っていたりします。
この「個性」「正常範囲」という言葉が、今とても大きなハードルになっています。
なぜかというと・・・多くの先生が認めるところではあると思うのですが、「PDDの特徴を持っておりながら、社会的に高い地位におり、PDDの特徴を障害としていない(と思っていない)人が恐ろしく沢山いる」という事実です。
診断基準に照らしますと、このような方々は診断から外れることになります。
なぜならば、診断する場合には「障害となっている」ということが但書きにあるからです。
「障害になってなければPDDの特徴を持っていてもPDDではない」
これが私にとっては、なんともいえないジレンマです。
高機能PDDは自分が困るだけではありません。診断されずに成人し、出世したPDDは実は、周囲にとって非常に困ったさんになっているケースがあるのです。
しかし出世したPDDは診断されませんので、結論としては「自分は正常」となります。
診断されないにもかかわらず、PDDらしさ、つまり
強いこだわり、頑固、しつこさ
融通の利かなさ
思い通りにならないとパニックになる(キレる)
相手の立場になって考えることが不得手
自分のことを話すことは得意であるが、人の話は聞かない
などなどの特徴を充分に持っています。
と、どうなるか・・・・
さまざまな対人関係トラブルを引き起こすことになります。
しかし、高機能で出世できるほどのPDDともなると言語性IQも半端なく高かったりするので、どう考えてもおかしいということでも、理論構築をして反論できない形で周囲に押し付けます。
そういった高機能PDD(診断できず)の上司は、理不尽な要求と理不尽な評価を部下に下すことは良くありますし、また別の場面では、学校や病院で理不尽なクレームをつけ、正当性を理路整然と語り続けることになります。
しかしこの人達は障害と思っていなく「正しいことをしている」、周囲も「あの人はキツイ」と思いつつ、頭もよく一見正しい理論で話すので、「逆らえない」という図式になってしまいます。
臨床上困るのは、この人達を診断することも治療することもできず、その影響でうつ病になったり適応障害になってしまう人々の対応しなければならないことです。
診断基準に意義を申し立てるほどの度胸はないのですが、PDDについては重症例や偉人についての話だけではなく、もっと身近な疾患として啓蒙することが大事なのかもしれないと思うのでした。
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前に統合失調症の人が純粋で好きだということを書いたのですが、笠原先生がM3の記事に同じ事を書かれていてびっくりしましたw
なんで私が統合失調症の患者さんを好きなのか、少し考えてみたんです。
「自己愛」ってヒントにならないかなって
自己愛って、一般の方には聞きなれない言葉だと思いますが、
とりあえず教科書を引いて見ますと・・・
自己愛=ナルチシズム
エリスH.Ellisがギリシャ神話ナルシサスを引用したのが始まり
フロイトS.Freudの「性に関する三つの論文」によると、人間の生活の自己保存本能の自己中心性に関するリビドー補給である一方、性生活全体を吸収してしまうほどの倒錯に発達してしまうこともある
臨床的には、「リビドーが自己に向けられた状態すべて、つまり一人よがり、自己中心的、尊大、誇大的自己イメージ、すべての人から愛されていると感じ、愛されることを要求するといった心理」(新版精神医学辞典)
・・・やっぱり難しいですね(^-^;
でも私としては、赤字のところが気になるわけなんです。
自己愛を一般的な言葉にすると「自分をかわいいと思うこと」とか「プライド」なんていうのも当てはまりますかね
適度な自己愛は生きていく上でとても大切なものです。
だけれども、過剰な自己愛というのはたとえば・・・
「こんなにこんなに私って辛いの、分かってくれる?・・・・・・・・なんで分かってくれないの?私はこんなに辛い思いをしているのに!」
診察室でなくとも、友達同士の相談でもあるんじゃないでしょうか。
これって、最初は「うんうん」と聞いていられても、だんだんと重くなったりしませんか?
過剰な自己愛は、そこにいる対象を巻き込み、引きずり込もうとするようなエネルギーを持つため、時にうっとうしい印象をもたれてしまうことがあります。
うっとうしいを通り越して、回りを振り回しまくると自己愛性人格障害などのお話も出てくるんだと思いますが・・・
統合失調症の中核的な症状に「自閉」(ブロイラーE.Bleuler)というものがありますが、そのせいか、統合失調症の方はこの赤字のところのような、対象に対して内面的な(というとちょっと違うかな)要求をしないんですよね。
「情緒的交流が希薄」なんていわれちゃうこともあるんですが・・・
統合失調症の患者さんは、幻覚や妄想のなかで、たとえば「テレパシー」や「電波」に代表されるような、現実にはない、他者との交流をもってることがあります。
心の中でつながっていながら、表面上は「自閉」しているという不思議な状態なんじゃないでしょうか
統合失調症の患者さんも「分かってくれます?」という言葉を言うことはあります。なんですが、「心の底から分かってくれなきゃいや」というニュアンスとはちょっと違うんです。
説明しがたい自分の体験を、なんとか現実にある言葉にしようとして、うまく表現できているかどうかを確かめているような感じ・・・の「分かってくれます?」なんですよね
概して、「私ってかわいそうでしょ?」というニュアンスにはならないんです。
そうすると、私も自然に一生懸命理解しようとします。統合失調症の患者さんが見ている景色、世界を感じようと・・・
そしてうまくいくと、一緒に治療に向かっていきます。だけれども病気と闘っているのは患者さん自身。治療者はその隣に寄り添い、支えていく・・・といった私にとって理想的な治療の図式をつくり易いんですよね。
もちろんうつ病や神経症でも、このような関係を築くことが出来ますが、どうしても自己愛が強いと、ここにたどり着くまでにものすごい労力を要します。
途中で、さっきのやり取りの例のようになると、途中で治療者に対する攻撃が始まったりして、私みたいな未熟者は落ち込んでしまったりするんですよね(^-^; (多分精神分析でいうところの陰性転移とかも絡んでくるんだと思うんですが、今日は触れませんw)
自己愛の扱い方。。。これは新米精神科医にとって、かなり大きな試練です@_@
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最近マスコミの医療バッシングが、医療関係者のコミュニティーやブログで騒がれていますね。
精神科治療学の2月号だったか
というのが載っていました。
新米精神科医には、はじめて聞く言葉でしたが
境界性人格障害で見られるような、スプリッティングのようなことが、外因状況によって引き起こされるというのです。
分からない人に。
スプリッティングというのはKleinという人が言った言葉なんですかね。
「自我ないし対象の良い面と悪い面を別々に認知しようとする乳児期の原始的防衛機制」で「欲求を満足させる良い対象(自己)が欲求不満足的な悪い対象(自己)に破壊される不安を防衛」するためにあるようで・・・(“精神症候学”より)
難しいですね・・・
つまりは対象が自分の欲求を完全に満たしてくれる存在だと思っているうちは、対象を徹底的に理想化し、そうでないとわかったそのときから、対象を徹底的にこき下ろすという、ボーダラインで見られる現象に繋がるんだと思いますが・・・
じつはこの現象は境界性人格障害でのみ見られるわけではない!というわけなんですね。
「精神科治療学」に載ってたその記事によると
(手元にないので記憶を頼りに書きますが)
「絶対悪all bad な状況に人が遭遇したとき、その人は全能all goodの庇護者を求めるが、どんな庇護者も全能でありえないため、ここで被害者が全能でない庇護者を徹底的にこき下ろす現象がおきる」(意訳しています、間違っていたらすみません(^-^;)
これが外因性ボーダーライン状況だというのです。
医療に於いてall badな出来事なんてたくさんありますね。
「大事な人の死」なんてものは最たるもので、他にも「後遺症」などなど
そうすると、それを救うべき立場にいる医療は全能all goodであるべきだという心理が生まれるというのです。
しかし、巷でもう言われている通り、医療に絶対はありえない。全能になりえないものなんですよね。
だから
「医者は患者を放って行くのか!」「やぶ医者め」
「医者は傲慢きわまりない人種だ」という徹底的なこき下ろし=医療バッシングは起きている・・・
というわけですかね
と考えていくと、医療側の社会に対する対処方法が変わってきますね。
いくら、いかに医療が全能でありえないかということを説いても何の収穫も得られないかもしれません。
境界性人格障害における治療の一番大事なことは
「枠を決める」ことだと、教わりました。
つまりこの状況を打開する唯一の方法は医療にも「枠をきっちりと定める」ということになりますね。
「これこれこういうことは出来ます。どこでも変わりません。これは出来ません。無理なものは無理です。」
と切り捨てるのも治療上有効かもしれません
・・・とすると、いまのここかしこで起こっている医療崩壊はやはり建て直し(社会全体の治療!?)への一歩なんですかね
サービスサービス、患者様~と甘やかすのは、
「医者なんだからなんとかしろゴルァ」なんていう退行をどんどん助長してしまい、治療は困難になる一方の気がします・・・
相変わらず注意欠陥な文章ですが(^-^;
読んでくださった方、ありがとうございますw
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きっと精神科以外で、精神科病院で働いたことのないDrが一番わかりにくいのがこの病気ですよね。
私も、実際精神科で働くまでは、正直どんな病気かサッパリ分かりませんでしたから。
統合失調症ってどんな病気?って統合失調症の患者さん本人に聞いてみたら、とってもすばらしい答えが返ってきました。
その患者さんは
「精神科の病気のなかで、一番いろんな症状がある病気」
と表現されたのでした。
そうなんです。
うつ病みたいに見える人もいれば、人格障害みたいに見えるときもある。そして、一部の統合失調症の患者さんには多彩な幻覚、妄想などがあります。
幻覚や妄想は概して、あまり好ましくないものが多いですが、時にいいものもあったりします。
自分の行動に逐一命令をするような形の幻聴などもあります。
かつての治療は、幻覚や妄想を強力に押さえ込むために大量のお薬を使っていましたが、最近は、十分かつ最小限のお薬で、QOLを保ちながら、適度に苦痛となる精神症状を取ることが理想的なようです。
大きな問題があります。
そんなことはありません!
とてもやさしい人もたくさんいます。怖いことなんてまったくありません。
ただし、適切な治療を受けておらず、病的体験が著しい患者さんは時に、間違った行動をしてしまうことがあります。
間違った行動をするとき患者さんのほとんどは、じつはとっても苦しい思いをしています。
追い詰められて、追い詰められて、仕方なく行ったことの結果が、暴力であったり、奇妙な行動であったりするわけですね。
だから適切な治療を行うことがとても大切なんですね。
ちなみに、私は精神科の患者さんの中で、統合失調症の患者さんが一番好きです。
なぜって、腹黒さがないから。
世間のしがらみの中に生きていると、統合失調症の患者さんの純粋さには、かえってこちらが癒される部分さえあります。
とても正直で、やさしい人々です。
だからこそ、このような方々が社会で生きていくのはとても大変なのかもしれません。
まちがいないっ@@
DSMには乗らないかも知れませんが、そんなのは気にしません(ぇ
だんだん注意欠陥的になってきたので、つづきはまた今度・・・
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