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2010.07.29 13:36 |  診療  |  daisy  | 推薦数 : 0

病院に行きたくない!?

このまえ外来で患者さんに「あの、主治医を変えたいんです」と言われました

こういうことって結構精神科の治療場面で見かけます。

精神科に受診していても、主治医が信じられなくなったり、治療を受けたくなくなってしまうことがあるのです。

 

精神科って、「心を癒される場所」じゃなくて「心を治療するところ」だからだと思うんです。 

 

辛い日常生活を送って、たまに病院で癒されたって、それって治療じゃないですね。

治療は多少つらくても、日常生活を少しでも楽にこなせるようになることが目標だと思います。

 

歯医者さんの治療や、手術を思い浮かべてください。

悪い虫歯を削るのには痛みを伴います。

手術で悪い場所を取るためには、やっぱり傷の痛みがつき物です。

 

心の治療も例外ではないということ。

内臓が皮膚で守られているように、心は「防衛」という心の殻で守られています。

でもこの殻を傷つけて、中身を治療しなければならないこともあるんです。

 

でも、患者さんからすれば、「心を直す医者が、なぜ患者の心を傷つけるんだ」と納得がいかないこともあると思います。

 

「精神科の先生のくせに患者の気持ちが分からないんですかっ!」

「医者の癖にそんなひどいことを言って良いんですか!」

なんて言いたくなっちゃいますね。

 

精神科の治療を受けることって、とっても大変なことだと思います。

精神科の先生は自分のかけて欲しい言葉を掛けてくれるわけじゃない。

 

だけど、「良くなるために必要なこと」を教えてくれることがあります。

その方法は必ずしも自分にとっては受け入れがたいものかもしれない。心の殻がそれをはじきそうになってしまうかもしれないけれど、もし、少しだけ決心できたら、一回考えてみるといいかもしれません。

 

「先生は何故あんなことを言ったのかな?」って

 

先生があなたを嫌いで意地悪なことを言ったはずがないことに気づけたら、あなたの治療が大きな一歩を踏み出せるかもしれません。

 

因みに冒頭の患者さんとは、その日にじっくりとお話をして、仲直りすることができました^^

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2010.06.24 16:34 |  一般  |  daisy  | 推薦数 : 0

アクセス数が・・・

ずーっと放置してしまっていたこのブログですが、なぜかこの5月の下旬からアクセス数が上がっています!?

 

不思議な現象ですね^^

 

でも見てくださる人がいるなら更新してみようと思います。

 

新米精神科医もあれから数年経って少し成長しましたw

 

おかげさまで精神保健指定医にもなれました^^

 

今後も一層精神科医療に貢献できるよう頑張っていこうと思っています

 

ちょっとタイトルもリニューアルしましょかね・・・

 

古い記事は今読むとちょっと恥ずかしいですね・・・

 

 

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死なないでください 

あなたが今、死んで何もかもなくしてしまいたいほど辛い思いをしていることが分かります。

どうにもならない辛さに直面したとき「死んでしまえばすべて楽になる。」と考えるのは不自然なことではありません。

辛くて辛くてどうしようもないとき「どうして生きているのか分からない」「辛い思いをするために生きているのはもっと辛い」という気持ちもあるかもしれません。

 

でも、それでも、敢えて言います。

死なないでください

 

あなたがいま「死にたい」と思うのは「生きるのが辛い」からです。

どうしてそんなに辛いのか絶対に理由があります。

そして、その辛さには必ず解決方法があります。

 

今はその答えが見えないかもしれない。

けれども、必ず、生きていれば生きる道が見つかります。

生きなければ、生きる意味も生きる道も見つからないのです。

「生きる意味」・・・これは一生かけて生き抜いてこそ見つかるものです。最初から意味が分かって生まれてくる人なんて一人もいません。

どんなに辛くても生きてください。そして生きる意味を一生かけて見つけて下さい。

見つからなければ、見つかるまで生きて下さい。

絶対に、絶対にあきらめなければ、必ず見つかります。

 

どうしても、めげそうになったら、めげる前に相談して下さい。身近な人に。もし誰にもいえなかったら、私たちに相談してください。

 

何度も言います。すぐには楽にならないかもしれない。けれども必ず、道は開けます。

 

そして最後に。

誰かを殺そうと考える人へ。

絶対に、絶対に、ほかの誰かを傷つけないでください。

それはあなた自身の人生をなくしてしまうから。

生きる道が見つからなくなってしまうから。

そしてもちろん、被害に遭われる方の無念は計り知れません。

もしそんなことをしてしまったら、死刑になったからといって、あなたの罪は消えません。

 

「死刑になりたい」というのは、辛いからです。

どうしてそんなに辛いのか、何かをする前に、誰かに助けを求めて下さい。

一緒に考えてくれる人がいるはずです。

すぐには見つからないかもしれません。

でも、見つかるまで探してください。

だから、絶対に誰も傷つけないでください。

 

 

悲しいニュースが毎日流れます。

みんな悲しい気持ちになります。

 

どうか、これ以上不幸な事件が起きませんように・・・祈ってやみません。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

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2008.03.13 12:04 |  診療  |  daisy  | 推薦数 : 1

病気の治り方

最近思います。「正常」ってなんだろうって

 

その昔クレッチュマーという人が人間を3種類に分類してみました。

循環気質

分裂気質

てんかん気質

どのひともどれかに当てはまって分類できるものです。

気質ー病質ー病

という横軸もあって、それぞれが進むと病気になると、考えました。

 

循環気質ー循環病質ー循環病≒躁うつ病

分裂気質ー分裂病質ー分裂病

てんかんは今は脳の器質的な病気となっています。

 

けれども、最近になって、分裂気質の人もうつ病になるというのは常識だし、もちろんてんかんの方もうつ病になりますね。

 

そんでもって、さらに最近注目が、やっぱり発達障害。

かつて分裂気質、分裂病質と言われていた人の中に、アスペルガー障害が混ざっていたのではないかというのが、最近の有力な説です。

そうすると、どんどん複雑になっていきます。

あ・・・そういえば、正常って????

結局横軸の一番小さい群が正常になるのかも知れないのですが、つまり正常のなかにも色々だということがわかります。

 

いろんな人が病気になって、色んな正常がある。

病気になって病院を訪れる患者さんが、どの正常に戻るべきなのかを見極めるのはとっても重要に感じます。

そして、ゴールが違うのだから当然道も違う。どの道を選ぶのか、これが治療の良し悪しにかかわってくるのじゃないかなぁと考えました。

 

なにより、正常領域の人々に、どんな傾向があるのかということは一番の興味です。

 

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2008.03.06 12:01 |  診療  |  研究  |  daisy  | 推薦数 : 2

広汎性発達障害について色々

広汎性発達障害のなかの高機能広汎性発達障害(高機能PDD)について色々考えてみました。

私のような成人を主に診ている精神科医にとっては、実は高機能PDDというのはとても大きな臨床上のヒントになるのではないかと思う今日この頃(結構前からかも)です

 

高機能PDDとはいっても、じつは小児精神科の先生が診ていらっしゃる症例と、我々成人の精神科で診ている症例は、根底では共通しているものの、その病態はずいぶん違うのかもしれないと思うのです。

 

わたしが高機能PDDかな?と思う症例は、おそらくPDDの中核を沢山ご覧になっている先生からは、「正常範囲ですよ」と言われる方が多いのかもしれないと思います。

それゆえに、成人になるまで全く診断も受けず、家族も友人も「個性的」「ちょっと変わった子」としか見ておらず、本人も「ここまでやってこれたのだから自分は正常なんだ」と思っていたりします。

 

この「個性」「正常範囲」という言葉が、今とても大きなハードルになっています。

 

なぜかというと・・・多くの先生が認めるところではあると思うのですが、「PDDの特徴を持っておりながら、社会的に高い地位におり、PDDの特徴を障害としていない(と思っていない)人が恐ろしく沢山いる」という事実です。

診断基準に照らしますと、このような方々は診断から外れることになります。

なぜならば、診断する場合には「障害となっている」ということが但書きにあるからです。

 

「障害になってなければPDDの特徴を持っていてもPDDではない」

これが私にとっては、なんともいえないジレンマです。

 

高機能PDDは自分が困るだけではありません。診断されずに成人し、出世したPDDは実は、周囲にとって非常に困ったさんになっているケースがあるのです。

しかし出世したPDDは診断されませんので、結論としては「自分は正常」となります。

診断されないにもかかわらず、PDDらしさ、つまり

強いこだわり、頑固、しつこさ

融通の利かなさ

思い通りにならないとパニックになる(キレる)

相手の立場になって考えることが不得手

自分のことを話すことは得意であるが、人の話は聞かない

などなどの特徴を充分に持っています。

 

と、どうなるか・・・・

さまざまな対人関係トラブルを引き起こすことになります。

しかし、高機能で出世できるほどのPDDともなると言語性IQも半端なく高かったりするので、どう考えてもおかしいということでも、理論構築をして反論できない形で周囲に押し付けます。

そういった高機能PDD(診断できず)の上司は、理不尽な要求と理不尽な評価を部下に下すことは良くありますし、また別の場面では、学校や病院で理不尽なクレームをつけ、正当性を理路整然と語り続けることになります。

しかしこの人達は障害と思っていなく「正しいことをしている」、周囲も「あの人はキツイ」と思いつつ、頭もよく一見正しい理論で話すので、「逆らえない」という図式になってしまいます。

 

臨床上困るのは、この人達を診断することも治療することもできず、その影響でうつ病になったり適応障害になってしまう人々の対応しなければならないことです。

 

診断基準に意義を申し立てるほどの度胸はないのですが、PDDについては重症例や偉人についての話だけではなく、もっと身近な疾患として啓蒙することが大事なのかもしれないと思うのでした。

 

 

 

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2007.09.11 15:45 |  診療  |  daisy  | 推薦数 : 1

うつ病って

ひさびさの更新です

 

「うつ病は過剰診断されているか」

という記事がm3にも載っていましたね。

 

うつ病は増えているか?

増えているみたいです。

 

でもなんだか私の外来で「この人はうつ病だぁ」と思う人はとっても少ないです。

 

「適応障害が増えた」

っていうのなら結構納得いくかも?

 

過剰適応が良しとされていた時代

 →言い換えるとマゾヒズムが美徳であった時代

はメランコリー親和性の強い時代だったのでしょうね。

 

いまは・・・

ディスサイミア親和性の強い時代ってことか

生活苦しいのは、

公務員が年金横領してるからだとか・・ン?

安部総理の求心力が弱いからだとか・・・ェ?

 

どっちがいいかはよく分かりませんけど

どうしたら、みんな幸せになれるんでしょうね

 

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2007.04.17 21:46 |  生活 / くらし  |  一般  |  daisy  | 推薦数 : 0

ネットについて

インターネットについての色々な考察は精神医学領域でもかなりされていますよね。

あんまり詳しいわけではないのですが、今日は私が日頃から思っていることを書きます。

 

たとえばブログ、たとえば某巨大掲示板○ちゃんねる、たとえば、巨大SNSの○ixi・・・

 

みんな、好きなことを書けて、不特定多数の人に自分のメッセージを見てもらって、さらに、色々な人からコメントをもらえる・・・

 

インターネット普及前には考えられなかったような空間ですね。

かつて『王様の耳はロバのみみぃ~』って叫んだ穴が、現代のテクノロジーで世界中に繋がったという印象です。

日常生活では誰にもいえないことも、遠慮なく書けちゃったりするんですよね。

 

だけれども、コミュニケーションということを考えると、なんとも奇妙な世界です。

 

私たちは、多くの人間関係においてある程度の気を遣って、適切な関係、適切な距離を保つ努力をします。

しかしながら、インターネットという媒体によると、この距離感は異様に近くなります。匿名ということもあり、遠慮なんてものもなくなっています。

結果、見苦しい暴言や、相手の傷を平気でえぐり塩を塗るようなコメントがとても目につくのです。

 

通常の人間関係において、面と向かって相手を傷つけた場合、直接傷ついた相手の表情、悪くなった周りの空気などから、多かれ少なかれ罪悪感を覚えるものです。

しかし、ネットと言う中では、相手の顔も見えないため、罪悪感もほとんどありません。それどころか人数も多いこともあり、便乗する人が増えると、文字による集団リンチのような状態になることも多々見かけるんです。

 

確かにこのような中でもフォローしようとする人が出てきます。(大体が初心者・・・)

すると、この助け舟を出した人までが、攻撃対象に加わるわけです。

 

それというのも、インターネットというのは世界中の人々と交信できて、さまざまな価値観と出会えるということがしばしば言われますが、実際は、それぞれで小さなコミュニティーを作り、「同じ穴のムジナ」が集まって、狭い価値観での意見交換を行っていることがほとんどだからなんだと思います。

だから違う価値観の人が入ってくると、途端に袋叩きです。 

 

確かにムジナ同士での会話も楽しいものがあります。けれども、コミュニケーションとしては非常に幼稚なものになっているということが、尋常でない違和感を覚えるのです。

 

思いやりの心を忘れない人間でいたいものです・・・

 

 

 

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2007.03.31 13:50 |  診療  |  研究  |  daisy  | 推薦数 : 2

統合失調症・・・(2)

前に統合失調症の人が純粋で好きだということを書いたのですが、笠原先生がM3の記事に同じ事を書かれていてびっくりしましたw

 

なんで私が統合失調症の患者さんを好きなのか、少し考えてみたんです。

 

「自己愛」ってヒントにならないかなって

自己愛って、一般の方には聞きなれない言葉だと思いますが、

とりあえず教科書を引いて見ますと・・・

 

自己愛=ナルチシズム

エリスH.Ellisがギリシャ神話ナルシサスを引用したのが始まり

フロイトS.Freudの「性に関する三つの論文」によると、人間の生活の自己保存本能の自己中心性に関するリビドー補給である一方、性生活全体を吸収してしまうほどの倒錯に発達してしまうこともある

臨床的には、「リビドーが自己に向けられた状態すべて、つまり一人よがり、自己中心的、尊大、誇大的自己イメージ、すべての人から愛されていると感じ、愛されることを要求するといった心理」(新版精神医学辞典)

 

・・・やっぱり難しいですね(^-^;

でも私としては、赤字のところが気になるわけなんです。

 

自己愛を一般的な言葉にすると「自分をかわいいと思うこと」とか「プライド」なんていうのも当てはまりますかね

適度な自己愛は生きていく上でとても大切なものです。

だけれども、過剰な自己愛というのはたとえば・・・

「こんなにこんなに私って辛いの、分かってくれる?・・・・・・・・なんで分かってくれないの?私はこんなに辛い思いをしているのに!」

診察室でなくとも、友達同士の相談でもあるんじゃないでしょうか。

これって、最初は「うんうん」と聞いていられても、だんだんと重くなったりしませんか?

過剰な自己愛は、そこにいる対象を巻き込み、引きずり込もうとするようなエネルギーを持つため、時にうっとうしい印象をもたれてしまうことがあります。

うっとうしいを通り越して、回りを振り回しまくると自己愛性人格障害などのお話も出てくるんだと思いますが・・・ 

 

統合失調症の中核的な症状に「自閉」(ブロイラーE.Bleuler)というものがありますが、そのせいか、統合失調症の方はこの赤字のところのような、対象に対して内面的な(というとちょっと違うかな)要求をしないんですよね。

「情緒的交流が希薄」なんていわれちゃうこともあるんですが・・・

統合失調症の患者さんは、幻覚や妄想のなかで、たとえば「テレパシー」や「電波」に代表されるような、現実にはない、他者との交流をもってることがあります。

心の中でつながっていながら、表面上は「自閉」しているという不思議な状態なんじゃないでしょうか

 

統合失調症の患者さんも「分かってくれます?」という言葉を言うことはあります。なんですが、「心の底から分かってくれなきゃいや」というニュアンスとはちょっと違うんです。

説明しがたい自分の体験を、なんとか現実にある言葉にしようとして、うまく表現できているかどうかを確かめているような感じ・・・の「分かってくれます?」なんですよね

概して、「私ってかわいそうでしょ?」というニュアンスにはならないんです。

そうすると、私も自然に一生懸命理解しようとします。統合失調症の患者さんが見ている景色、世界を感じようと・・・

そしてうまくいくと、一緒に治療に向かっていきます。だけれども病気と闘っているのは患者さん自身。治療者はその隣に寄り添い、支えていく・・・といった私にとって理想的な治療の図式をつくり易いんですよね。

 

もちろんうつ病や神経症でも、このような関係を築くことが出来ますが、どうしても自己愛が強いと、ここにたどり着くまでにものすごい労力を要します。

途中で、さっきのやり取りの例のようになると、途中で治療者に対する攻撃が始まったりして、私みたいな未熟者は落ち込んでしまったりするんですよね(^-^; (多分精神分析でいうところの陰性転移とかも絡んでくるんだと思うんですが、今日は触れませんw)

 

自己愛の扱い方。。。これは新米精神科医にとって、かなり大きな試練です@_@

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2007.03.04 12:36 |  診療  |  仕事 / 職場  |  daisy  | 推薦数 : 3

心苦しいこと

まだ開設したばかりなのに、ピックアップブログにあげられちゃって、恥ずかしい限りです><

ランダムなのかな???

 

訪問者が激増しているので、ここで、いつもいつも他科の先生方に申し訳なく思っていることを書こうかと思います。

 

私はとある大学病院に勤めています。うちの病院も最近の流れに乗って、数年前開放病棟になりました。

これがすごいネックなのです@@

大学病院で日直や当直をしていると、当然ながら、救急隊の受け入れ要請や他院からの受け入れ要請があります。

 

ですが・・・

ほとんど受けられないんです><

 

他科の先生方にはこれが理解しづらいことも多いようで、お叱りを受けることもあります。

本来特定機能病院である大学病院は重症救急疾患などの急性期を扱うことが他科では当たり前なんだと思うんですが

 

開放病棟では精神科の重症で救急を要するような患者さんを診ることはできないのです;;

精神科で重症急性期というと、”精神運動興奮状態”と言われるような大暴れをしていたり、自傷他害のおそれが切迫しているような状態なんですよね。

そうすると、一番重要なのが、”安全の確保”なわけです。

方法としては、精神保健指定医の診察の上で、必要に応じて隔離、拘束、薬物投与が重要になります。

 

しかし、開放病棟であるうちの大学病院では、隔離を行える部屋がたった1床しかなく、常に誰かが使用している有様です(・・;)

そうすると「すみません、すみません」といいながら要請を断る毎日になってしまうのです><

 

  なんで大学病院で本当の急性期がみれないの?

というジレンマに苛まれます・・・

 

あと、もう一つの問題として、自傷他害の疑いが強くなくとも不穏の患者さんを受けづらいのもあります。

それは、大学病院の入院患者さんが軽症化しているということと深くかかわってきます。

昔は精神科というのはいろんな偏見もありましたが、最近は精神科に入院されている方も、大学病院などではうつ病が大半を占め、従来の精神科からすると「普通」の人々が多いです。

そうすると、精神科といえど、大声を出している患者さんがいると、ナイーブ(?)な患者さんが多いので、具合が悪くなってしまったり、クレームが出てしまったりします(・・;)

 

10年前と現在の精神科医療って全然違うのでしょうね。

 

というわけで、嫌な思いをされ精神科は頼りないと思われている他科の先生方・・・

本当にすみません><

 

時代の波には逆らえないんですかねぇ・・・

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2007.02.27 17:57 |  研究  |  その他(医療関連)  |  一般  |  daisy  | 推薦数 : 8

対象を攻撃する人々

最近マスコミの医療バッシングが、医療関係者のコミュニティーやブログで騒がれていますね。

 

精神科治療学の2月号だったか

外因性ボーダーライン状況

というのが載っていました。

 

新米精神科医には、はじめて聞く言葉でしたが

境界性人格障害で見られるような、スプリッティングのようなことが、外因状況によって引き起こされるというのです。

 

分からない人に。

スプリッティングというのはKleinという人が言った言葉なんですかね。

「自我ないし対象の良い面と悪い面を別々に認知しようとする乳児期の原始的防衛機制」で「欲求を満足させる良い対象(自己)が欲求不満足的な悪い対象(自己)に破壊される不安を防衛」するためにあるようで・・・(“精神症候学”より)

 

難しいですね・・・

 

つまりは対象が自分の欲求を完全に満たしてくれる存在だと思っているうちは、対象を徹底的に理想化し、そうでないとわかったそのときから、対象を徹底的にこき下ろすという、ボーダラインで見られる現象に繋がるんだと思いますが・・・

 

じつはこの現象は境界性人格障害でのみ見られるわけではない!というわけなんですね。

 

「精神科治療学」に載ってたその記事によると

(手元にないので記憶を頼りに書きますが)

「絶対悪all bad な状況に人が遭遇したとき、その人は全能all goodの庇護者を求めるが、どんな庇護者も全能でありえないため、ここで被害者が全能でない庇護者を徹底的にこき下ろす現象がおきる」(意訳しています、間違っていたらすみません(^-^;)

これが外因性ボーダーライン状況だというのです。

 

医療に於いてall badな出来事なんてたくさんありますね。

「大事な人の死」なんてものは最たるもので、他にも「後遺症」などなど

 

そうすると、それを救うべき立場にいる医療は全能all goodであるべきだという心理が生まれるというのです。

しかし、巷でもう言われている通り、医療に絶対はありえない。全能になりえないものなんですよね。

だから

「医者は患者を放って行くのか!」「やぶ医者め」

「医者は傲慢きわまりない人種だ」という徹底的なこき下ろし=医療バッシングは起きている・・・

 

というわけですかね

 

 

 

と考えていくと、医療側の社会に対する対処方法が変わってきますね。

いくら、いかに医療が全能でありえないかということを説いても何の収穫も得られないかもしれません。

 

境界性人格障害における治療の一番大事なことは

「枠を決める」ことだと、教わりました。

 

つまりこの状況を打開する唯一の方法は医療にも「枠をきっちりと定める」ということになりますね。

 

「これこれこういうことは出来ます。どこでも変わりません。これは出来ません。無理なものは無理です。」

と切り捨てるのも治療上有効かもしれません

・・・とすると、いまのここかしこで起こっている医療崩壊はやはり建て直し(社会全体の治療!?)への一歩なんですかね

 

 

サービスサービス、患者様~と甘やかすのは、

「医者なんだからなんとかしろゴルァ」なんていう退行をどんどん助長してしまい、治療は困難になる一方の気がします・・・

 

相変わらず注意欠陥な文章ですが(^-^;

読んでくださった方、ありがとうございますw

 

 

 

 

 

 

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