直接には面識はないが、以前から名前を知っていた。昨年小川プロの映画を見に歴史伝承委員会の企画展に行ったときも、三ノ宮文男さん、新山幸男さん(管制塔占拠事件で大やけどを負った)らとともに成田闘争でなくなった人として、写真が飾られていた。
-1977(昭和52)年5月、「岩山大鉄塔」撤去に激しい抗議運動が起こり、その中で支援者の東山薫さんが亡くなりました。5月8日、芝山町横宮の民家入り口付近で、(負傷者の治療を行っている野戦病院に機動隊が乱入するのを止めるために:警察、機動隊、国家の暴力より追記)スクラムを組んでいるところ、機動隊のガス弾によって頭部を直撃されました。27歳でした。...-「土、くらし、空港」より
小川プロの映画「三里塚、5月の空 里のかよい路」でもガス弾が(禁止された水平うちで)使用された痕跡が生なましく記録されている。
司法解剖にあたったのは木村康千葉大学医学部法医学教室教授(当時)。ガス弾による死亡、と鑑定。国側は他大学教授に依頼。投石による死亡と鑑定。ガス弾説を支持する教授がもう1名と、投石説を支持する教授がもう1名で2対2に鑑定がわかれた。事実かどうか知らないが、ガス弾説の2名は頭蓋骨を見て鑑定したのに対し、投石説の2名は写真と木村教授の鑑定書を見ただけで鑑定した、との話を聞いたことがある。千葉地裁では投石説をとり、機動隊員は不起訴、との判決だった。(鑑定医によると、ガス弾との鑑定は3人なので、その後増えたのだろう)
僕の学生時代、木村教授の法医学の講義は、遺体のスライドを見せながらいろいろな事件の例をあげて教えていた。学生にとっては興味深く、僕は毎回授業に出席するようにしていた。だが、この事件について講義されることはなかった。
卒後数年して、ちょうど僕が大学病院に勤務していたころに、木村教授が退官となり、最終講義の知らせが掲示板にはり出されていた。さほど期待せずに、学生にまじって最終講義を聞いた。内容は、「狭山事件」(部落差別問題、えん罪事件で有名)と「東山薫事件」の二つ。「授業ではださないようにしていた」(木村)が、最後にとりあげた。裁判長にもあって説明したことがあったが、後にガス弾に似た形状の石を探してきて、「こういった石にあたったとも考えられますよね」と言ったとか。それを聞いて、「投石説で判決をだすつもりなんだなと思った」と木村教授が語っていた。
間もなく、死後30年を迎える。
偶然ながら、今日3/26は管制塔占拠事件(1978年)が起きた日です。
参考HP: 三里塚闘争の記録
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