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2009.08.26 20:07 |  Chess  |  インタビュー、記者会見  |  chessdocter  | 推薦数 : 0

Gligoric

http://jermuk2009.fide.com/interview-with-gm-svetozar-gligoric-3.html

Jermuk GP特別ゲスト、GM S.グリゴリッチのGM S.Lputianによるインタビュー。86歳のSGは序盤研究で知られ定跡に名を残しており、トップ10プレーヤーだった。

SL:何歳でチェスを始めましたか?

SG:多くのチェスプレーヤーより遅く、11歳で覚えた(訳注:日本人も遅いからと悲観する必要はありませんね)。すぐにチェスがあってると思った。1939年、16歳でマスターとなった。この頃はマスターは少なく、比較的若くしてなった。

SL:GMとなったのは?

SG:残念なことに、マスターとなった1939年に第一次世界大戦が始まり、その後6年間はナチの抵抗運動に身を投じ、1945年になるまで、チェスの勉強はできなかった。再開後、1951年にGMとなった。

SL:盤から離れた時期はチェスはどうでした?

SG:ゲームからは離れたが、チェスのおかげで3度命が助かった。話すと長くなるので、そのうち話す。

SL:Tペトロシアンは知ってましたか?

SG:もちろん。TPは私より6歳若く、1945年にマスターとなった。、、1950年代には友人となった。

SL:TPとは何度も対戦しましたか?

SG:27局戦い、17局勝負がついた。私の8勝、TPの9勝。10引き分け。

SL:TPはめったに負けないことで有名ですが、そんなによく勝てましたね?

SG:お互い棋風や態度が似ていた。二人とも論理的に、いわば正しいチェスを指そうとした。私にとって相手が誰かは問題ではなく、正しくチェスを指すのが大事だった。たぶんペトロシアンには似ていてやりにくい相手だったろう。それでも、盤上では激しく闘っても、盤を離れれば友人だった。

SL:TPはプレーヤー以外の点ではどうでした?

SG:、、二人ともチャンピオンをあまり目指していなかった。ただ才能もありTPはチャンピオンとなった。

、、1963年に世界選手権でボトビニクと対戦したが、彼はタイトルがかかってることが信じられなかった。集中できずに負けた。その後エネルギーをふりしぼって3局引き分けた後、5戦めでKが侵入してすばらしい勝ち方をした。このとき、不可能が可能となった。、、

SG: TPとの思い出の試合は?

SG:34年間の彼との戦いのなかで、次の試合をよく覚えている。国際大会の最終Rで、二人が同率首位で直接対決となった。私が白。黒のペトロシアンは局面をイーブンに持ち込み、引分けの提案をした。よく考えずに、白だからとその提案を拒否。拒否したあとで、私はなんで拒否したんだ?局面はイーブンで拒否をひっこめるべきと再考。だが、ペトロシアンは補聴器をはずし、局面を読みふけっていた。もはやチャンスは去った。話すためにはホールにひびきわたる声をださねばならない。内面の混乱と、ペトロシアンの集中力の高まりがあいまって、7手後にはペトロシアンの勝ちとなった。よいレッスンになった。、、

SL:長いキャリアを積んで今、チェスを選んで満足してますか?

SG:私がチェスをする理由の第一は、盤上で創造性を発揮すること。結果はその次。その意味でやってよかった。

SL:敗戦をいかに克服しますか?

SG:実をいうと、負けてもそれほどひどくは受け止めない。スポーツでは避けられない。敗戦を糧とし、良く学び進歩せねばならない。カパブランカが言ったように、敗戦はよき教師である。、、

 

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