ー最初の症例報告は、上司が海外の学会出席でいない時に、千葉地方会で発表。だが、フロアからの反応は皆無で、がっかり。
-高校(当時は旧制中学)の成績は優等生ではなく、医学進学は母親の希望。
-千葉の臨時医専には一浪で、1943年に18歳で入学。本人の希望は東京農大だった。臨時医専には合格する自信がなく、東京農大の入学金を払い込んだほどだった。
ー千葉大小児科に入局したが、経済的に苦しかった(富作の名はお金持ちになるように願って、親がつけた)ので、就職のあっせんを佐々木教授にお願いした。それもあって1年とたたずに日赤中央病院に就職。
-小児科学会(運営が気に入らなかった)を退会していたので、「アレルギー」に川崎病の論文を投稿。「アレルギー」は原稿が不足気味だったこともあって、44Pの長文をそのまま掲載(昭和42年3月号)。
ー上司の神前部長が、川崎病についてのシンポジウムの提案をするが、高津東大教授はSJ症候群だとして、拒否。
ー火、水、金の午後、無料で川崎病の電話相談に応じている。
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