タルのことはあまり知らないが、ラッキーにも数局対戦している。1990年モスクワでのオープン大会に参加。体調がひどそうで、かわいそうだった。メインの大会では対戦しなかったが、それの休みの日にブリッツと15分の大会があった。
-どうでした?
ブリッツは引分け。15分では勝てた。タルは代償なしに駒をサクリファイスした。楽しんで気楽に指してたので、結果はあまり意味がない。がんばれば高レベルを維持できた。偶然ながらブリッツでは成績がよく私と2−3位を分け合った。私はまだ15才でまだ強くはなかったが、早指しは強かった。ブリッツ大会は高レベルで、参加者の12人は、GM10人、IM1人、とFMの私。
タルとの試合ではまいったときがあった。それぞれ1分づつで局面は難解でほぼイコール。指した後、相手にタクティカルな好手が見えた。時間がなく手を指してるだけだった。そしてタルはその手を放ち、敗勢となった。タルとはわかってたが、病気が重症だったのにそれを見つけるとは。。他のプレーヤーでは時間があっても難しいだろう。しかし、時計がきれそうだったので、千日手で引分けに終わった。
タルはまさにチェスの天才でスターだった。私に関する限り、彼は試合を楽しむだけで、がんばっていなかった。プロとは呼べない態度。しかし、彼は才能に満ちあふれており、それでも世界チャンピオンとなった。
子供の頃、あまりタルの試合を並べなかった。前にも言ったが、住んでた町にチェスの本がほとんどなかった。成長してからタルの試合を並べた。彼は強いポジショナル=プレーヤーと言える。多くの人はタクティシャンと考えてるが。ただなんでもできるが、タクティクスがよく見えるのだ。1970年代の終わりから1980年代初めにかけて、ポジショナルに指して多くの素晴らしいゲームを勝ち、第2の成功の波が訪れた。
-カルポフとの共同作業の結果と考えられています。
私はそう考えていない。もちろん、それも他の娯楽からチェスに目を向ける点で寄与したろうが。カルポフとの共同作業が大事だったのではない。タルはなんでもできるすごいプレーヤーなのだ。むろん、チェスに対する態度は影響した。もしボトビニクのようだったら、誰でも勝負にならなかったろう。。。
-万能というわけにはいきません。
そのとおり。もう一つ言っておきたいことがある。だれにも弱点がある。長所が弱点を補強する。ボトビニクの長所をタルのものに組み合わせることはできないーチェスの観点から排他的なので。タルの才能、アプローチのしかた、リラックスと創造するエネルギーは有利な点だが、問題点もある。そのようなやりかたでは長期、たとえば15年間、タイトルを維持できない。一瞬の閃光のようだ。そういった人たちは、そういう風にしか生きられない。あまりに輝かしいので、長くエネルギーを保てず燃え尽きてしまう。
タルを語るのは難しい。尋常ではないと同時にファンタスティックなプレーヤーだから。自然現象のような。きっとどの世界でも成功したろう。速い素晴らしい頭脳をもっている。科学の世界ならノーベル賞をとったろう。、ところで、多くのタルをよく知る人が言うことには、彼は人類ではない、他の星から来た人のようだ!それで”定義しにくい”チェスを指す。彼の試合を分析するのは、神がどういうものかを議論しているようなものだ。
タルの略歴は昨年の記事参照。
参考HP:ChessGames.com:M.Tal
そのなかから"神"の指し手として、アナンドの好きなゲームにリンクしておきます。
Botvinnik -Tal:Match(6),1960"21...Nf4にびっくり"
Tal -Botvinnik:Match(1) 1960"11.Kd1がミステリアス"
Tal -Hjartarson:1987"36.Rc5!"
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