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2006.12.05 21:00 |  映画 / 音楽 / 読書  |  chessdocter  | 推薦数 : 0

「三里塚、 第二砦の人々」

http://tokoton-ogawa.txt-nifty.com/blog/

 

1971年 小川紳介監督 143分 白黒 マンハイム映画祭ジョセフ=フォン=スタンバーグ賞受賞作品 小川プロ製作のドキュメンタリー映画 成田空港反対闘争を記録した「三里塚」シリーズ第4作。ー1970年12月26日、公団が申請した第1次の土地収用の裁決が下されました。対象地はいずれも反対同盟が一坪共有地として設定した6箇所で、4000m滑走路北端の駒井野地区にありました。同盟は対象地に小屋を建て、バリケードを築いて「砦」を建設し、さらに地下壕を掘ってたてこもる戦術を決定します。1971年2月22日には代執行が開始されますが、砦にたてこもった農民は、自らを鎖でバリケードや立木に縛りつけて抵抗しました。3月6日、地上部分の「砦」は全て陥落し、千葉県は代執行の終了を宣言しますが、その後3月25日にかけて地下壕の撤去作業は継続されています。総負傷者は重傷者43人を含む841人、逮捕者461人にのぼりました。このときの模様を記録(「土、くらし、空港」より)。ー

http://www.rekishidensho.jp/kikakutenji.html

 12/2午後成田国際文化会館で小川プロの映画2作品と、展示を見に行った(入場無料)。立ち見がでるほどの盛況だった。小川プロは長く辺田部落に入り込んでおり、砦の内側から記録されている。今ではこれ(闘争)が現実にあったことが信じられない人も多いだろう。が、映画では生生しく日本であった闘争を見る事ができる。アテネフランセなどで、何回か見た映画だが、事実(ドキュメンタリー)の持つ重みが、飽きさせない。その後、小川プロは山形で記録映画をとっており、そちらの評価も高い。「映画作りとむらへの道」小川プロの助監督だった福田克彦が、小川プロ在籍中の1973年に作った初監督作品。しかし、この映画は小川プロ内部で試写されたあと封印され、世に出ることはなかった。小川紳介率いる「小川プロ」がどのように映画作りを進めたかを記録。三里塚シリーズ第6作「辺田部落」の撮影、反省会、映画談義などが興味深い。小川紳介は92年に55歳で死去。福田克彦は98年、54歳で死去。二人の死後、1999年に元スタッフらの手で復刻され、同年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で初公開された。

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コメント

コメント一覧

地元とはいえchessdoctorさんがこんなに三里塚に詳しいとは。私が大学生のころ76年~ですが、いわゆる新左翼の方たちはバイトで金をかせいでは成田へ行っていましたね。
written by kathmanz / 2006.12.06 22:47
ネットや本を参照して書いてます。
written by chessdocter / 2006.12.07 00:04
78年に「第二砦の人々」を観ています。そして、三里塚へ。
あの頃の仲間が今年の秋に亡くなり、先日10人程で集まることがありました。
思い出深い映画です。
written by hide / 2006.12.26 03:15
78年は三里塚の近くにいました。あってるかもしれませんね。
written by chessdocter / 2007.01.01 14:35

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