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1971年 小川紳介監督 143分 白黒 マンハイム映画祭ジョセフ=フォン=スタンバーグ賞受賞作品 小川プロ製作のドキュメンタリー映画 成田空港反対闘争を記録した「三里塚」シリーズ第4作。ー1970年12月26日、公団が申請した第1次の土地収用の裁決が下されました。対象地はいずれも反対同盟が一坪共有地として設定した6箇所で、4000m滑走路北端の駒井野地区にありました。同盟は対象地に小屋を建て、バリケードを築いて「砦」を建設し、さらに地下壕を掘ってたてこもる戦術を決定します。1971年2月22日には代執行が開始されますが、砦にたてこもった農民は、自らを鎖でバリケードや立木に縛りつけて抵抗しました。3月6日、地上部分の「砦」は全て陥落し、千葉県は代執行の終了を宣言しますが、その後3月25日にかけて地下壕の撤去作業は継続されています。総負傷者は重傷者43人を含む841人、逮捕者461人にのぼりました。このときの模様を記録(「土、くらし、空港」より)。ー
http://www.rekishidensho.jp/kikakutenji.html
12/2午後成田国際文化会館で小川プロの映画2作品と、展示を見に行った(入場無料)。立ち見がでるほどの盛況だった。小川プロは長く辺田部落に入り込んでおり、砦の内側から記録されている。今ではこれ(闘争)が現実にあったことが信じられない人も多いだろう。が、映画では生生しく日本であった闘争を見る事ができる。アテネフランセなどで、何回か見た映画だが、事実(ドキュメンタリー)の持つ重みが、飽きさせない。その後、小川プロは山形で記録映画をとっており、そちらの評価も高い。「映画作りとむらへの道」小川プロの助監督だった福田克彦が、小川プロ在籍中の1973年に作った初監督作品。しかし、この映画は小川プロ内部で試写されたあと封印され、世に出ることはなかった。小川紳介率いる「小川プロ」がどのように映画作りを進めたかを記録。三里塚シリーズ第6作「辺田部落」の撮影、反省会、映画談義などが興味深い。小川紳介は92年に55歳で死去。福田克彦は98年、54歳で死去。二人の死後、1999年に元スタッフらの手で復刻され、同年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で初公開された。
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あの頃の仲間が今年の秋に亡くなり、先日10人程で集まることがありました。
思い出深い映画です。
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