| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
| 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
| 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
先日、あるTV番組で“巫女”を偶然見た。その神に身を捧げる凛とした存在に感じるところあった。そして、ふと思い出したことが・・
かなり以前になるが、私は“巫女”がいる(正確にはいた・・)島、そう沖縄の久高島(くだかじま)に行ったことがある。学会発表で沖縄に行くことがあり、何故かは今でははっきりと思い出せないが、その折に久高島へ寄って見たいと思ったのだ。
久高島は、沖縄本島の東方5キロに位置する周囲8キロの小さな島。そこには沖縄人の祖先となった神様が降臨したという神話が伝わっており、「神の島」と呼ばれている。そして、神の波動を感じて神と交流できるノロと呼ばれる“巫女”がいて、琉球王朝よりはるか昔から、ノロ(巫女)を中心とした神女(なんちゅう)たちが、年に30もの祭祀を行い島を守ってきた。
あれは5月だったか・・沖縄ではもう初夏の暑い日差しの中、青い空と青い海に囲まれて、沖縄本島から小さな舟で久高島まで乗せてもらった。海中には、それはそれは綺麗な珊瑚礁が見えた!そして2時間後に迎えに来る、という言葉を残し私を置いて、その舟は遠ざかっていった・・・その2時間は別次元の世界だった。時間は止まり、空間は何処までも広がり、静寂しかなかった。自転車を借りて、何故か殆ど島の誰とも出会わず、何処までも続く土の道を無心に漕いでいった。島の先端に着き、眼前に広がる美しい青い海と空の静寂さに、確かに神々しい何かを感じた・・
確かに、この自然の中で暮らせば、人を超えた何かを感じ、神と共に生きることができるかもしれない。戦前の頃は、ノロ(巫女)になる条件として、島より一歩も外にでたことのない女性、であったそうだ。しかし、1978年のイザイホー(久高島で生まれ育った女性が神女になるための12年に1度行われる儀式)を最後に、祭事はその後一度も蘇ってないという。時代が変わり、若者の島離れが進み、神女に該当する女性がいなくなってしまったから・・
今もう一度、何時かは訪れるような気がする、「神の島」久高島・・・大切な何かを、まだ少なくとも自然が残していてくれることを祈って。
参照:「だれも沖縄を知らない-27の島の物語」森口豁著(筑摩書房)
先日の新聞に、都立高校の入試問題と解答が掲載されていた。息子が今年受験生ということもあり、どんな問題が出ているのだろう?国語ならば今の私でも解答できるかな・・という興味本位で、国語の入試問題に目を通してみた。そして一つの問題が私の関心を惹いた。
それは「科学者という仕事」(酒井邦嘉著)という論説から取った長文読解問題で、次の文章から始まっていた。「多くの人は、科学は正しい事実だけを積み上げてできていると思うかもしれないが、それは事実ではない・・・」更に読み続けていくと、この問題文は実はとても難解なテーマを扱っているではないか!
この入試問題の解答そのものは、この「文章の文字面(もじづら)の意味」を理解すれば文脈で解ける問題だ。しかし、ここに書かれてある「テーマ」(科学者という仕事)を本当に理解することは、本来とても難解でかつ興味深く、またとても重要なことだ。例のマスコミの捏造問題を初め、「科学的論理的思考」がきちんと為されていない現実ゆえ。
私は以前、竹内薫氏(サイエンスライター、TVニュースゼロ科学解説者)から、ある科学哲学者の話しを聴いた事がある。彼の名は、ファイヤアーベント。カルフォルニア大バークレー校の教授であり、ロンドン大学・ベルリン大学などでも科学哲学について教鞭を執っていたそうだが、彼の生き方や思想は、型破りの反権威主義であり、知的反逆者であったらしい。竹内氏の講義では、ファイヤアーベントの自伝や代表的論文から、「世界を科学的に認識する方法」の歴史や飛躍を、ファイヤアーベントの視点から愉しく学ばせて頂いた。
今回の読解問題文の中に、カール・ポパーという人が“科学哲学の重鎮”(!)として紹介されている。実は、そのポパーはファイヤアーベントの指導教官であったらしい。そしてファイヤアーベントに言わせれば、ポパーは「優等生的で面白みに欠け、ラディカルさや先鋭さに欠けていた!」とのことである。本当はヴィトゲンシュタインを指導教官に選びたかったが亡くなってしまったので、仕方なくポパーを選ぶハメになってしまった、とのこと。この論説に隠された「豊穣さ」、実はこの豊穣さこそ、ファイヤアーベントを理解するキーポイントであるが・・
面白くもない入試問題の奥にも、興味深い事実がいっぱい隠されていた。たまたま今回は、それに関することを深く学んでいたから知っていたが・・日頃の何気ない事実の奥にも、本当は凄い事がたくさん隠されているのだろう。ただ人が気付かないだけで・・
アメリカ元副大統領アル・ゴア氏は、17年前、一生忘れられぬほどの衝撃的時期があったそうだ。愛する息子が交通事故であわや生命を落とすかと言うほどの大怪我をした。突然日常の時間が断ちきられ、そこで何もかもを考え直したそうだ。「自分にとって本当に大切なことは何なのか・・・」
そして2つのことを誓ったそうだ。その1つは、いつも自分の家族のことを第一に考えること。そしてもう1つが、仕事では「気候の危機」を重要な課題とすること。
それからのゴア氏の活動のひとつ、地球温暖化についてのスライドを見せながらの講演活動が、あの映画「不都合な真実」になり、その書籍版も最近出版された。地球温暖化問題の一番の核心を突いている事実が、この本の中にある次の問答によく現れているように思う。
最もよく聞かれる質問があるという。「たくさんの人たちが、まだこの危機は本物ではないと思っているのは、何故だろうか?」そしてゴア氏の答えがこれだ。「気候の危機に関する真実は、自分達の暮らし方を変えなくてはならない、という“不都合な真実”だから・・」
ゴア氏は、この地球の危機的な問題に、より多くの人たちの「意識」を向けるためのキャンペーンの一つとして、今年7月7日に地球の7大陸で24時間の地球規模のコンサートを行うことを公表している。その名も「Save Our Selves -- The Campain for a Climinate in Crisis」
コンサート開催地は、中国(上海)、南アフリカ(ヨハネスブルグ)、オーストラリア(シドニー)、イギリス(ロンドン)、日本(開催地未定)、ブラジル(開催地未定)、アメリカ(開催地未定)、南極である。
そして、100組以上の出演者と観客あわせて100万人、テレビ・ラジオ・インターネットなどで参加する人たち20億人を計画しているそうだ。
ゴア氏は声明の中で言っている。「地球温暖化の問題を解決するためには、数十億人の人と連携しなければならない。そして、前例のない息の長い地球規模の運動しかない・・」
参考:「不都合な真実」アル・ゴア著(ランダムハウス講談社)、北山耕平氏ブログNative Heart
我が家には現在10匹の猫がいる。昨春に姉妹母猫2匹からそれぞれ4匹の子猫が産まれて、計10匹という訳だ。まさに猫屋敷となっている。また我が家には4人の子ども達もいる。10匹の猫たちと4人の子ども達の微妙な関わり合いが日々生じる訳だが、その微笑ましい遣り取りには、こちらも思わず心温まることの多いこの頃である・・
ところで、猫に関する著書は多々あるが、先日偶然、面白い猫本を見つけた。猫の存在の何たるかを感ずる人には興味深い本だと思う。その本は・・・
「作家の猫」コロナ・ブックス編(平凡社)2006年6月初版
猫をこよなく愛した作家と、その猫たちの日常の機微を、美しい写真と共に味わい深く描いた本である。
そこに登場する作家であるが・・夏目漱石、南方熊楠、寺田寅彦、熊谷守一、竹久夢二、谷崎潤一郎、藤田嗣治、室生犀星、佐藤春夫、大佛次郎、アーネスト・ヘミングウェイ、幸田文、梅崎春生、椋鳩十、三島由紀夫、開高健、中島らも、等々・・・
開高健は書いている・・「猫は精妙きわめたエゴイストで、人の生活と感情の核心へ忍び込んでのうのうと昼寝するが、ときたまうっすらとあける眼には、絶対に妥協してないことを物語っている」「一切の行動の自由を持ちつつ排斥されることなく、孤高に終始しながらぬらりくらりと怠けて過ごすという、様々な矛盾を抱きつつ諸矛盾を精妙に融合させてかえってそれを魅力に転ずる・・・という具合については、ひたすらネコについて学ぶべきである」
熊谷守一は生涯を何にも縛られることなく、自由に生きることを愛した。だからこそ、人間に気をつかわない自由気ままに生きる猫を愛した・・
猫の自由孤高な生き様は、他者は勿論、自己にも執着してないかのようだ。少なくとも、過剰な自己意識はなく、淡々とそこに存在しているかのようだ。ところが人は、「私」I が「私」me を(特に人と比較して!)意識する。「私」I が「私」me を見つめている・・・それは「主観 I 」と「客観 me 」の分裂した世界である。そして、それらが解け合ったところに「涅槃」があると、古の賢人達は説いたのでは・・
その「涅槃」の境地が、自由孤高な猫の在り方にどことなく感じられるからこそ、「涅槃」に憧れた、かの孤高な文豪たちは、こよなく猫の存在を愛したのではないか・・
明けましておめでとうございます!
新しい年を迎えた今日、この素敵な「社会活動」をご紹介できることはとても嬉しい・・
映画ケビン・コスナー主演「守護神」のジャパンプレミア・チャリティー試写会(1月25日、お台場シネマメディアージュ)が開催される。そしてその売り上げの全額が、NPO法人自殺対策支援センターライフリンクの活動に寄付される、という。
その紹介広告が、元旦の朝日新聞(テレビ・ラジオ特集版)に載っているので、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれない。このチャリティー活動については、昨年12月29日の毎日新聞にも『自殺対策:映画で支援「守護神」試写会に募金箱』という記事でも紹介されている。
この社会活動の主催は、ウォルト・ディズニー・ジャパンの映画配給部門であるブエナビスタ・インターナショナル会社である。深刻化するいじめ自殺に対して何かできないか検討。来月2月10日から全国で公開する映画「守護神」が命をテーマにした映画で、自殺問題を考えるきっかけになる内容でもある。
そこでチャリティー試写会を開催し、その収益で自殺対策活動に取り組むNPO法人ライフリンクを支援しよう、となった。
こうして様々な立場の方々が、それぞれにできることで、自殺対策支援活動を始めている・・・
NPO法人ライフリンクにおいても「どんな小さなプロジェクトであっても、自ら主体的に企画を立ち上げて活動を重ねていきたい・・」(清水代表談)と、ひとりひとりのできる活動が望まれている。
私も今年、あるチャレンジを考えている・・・
参考:「守護神」オフィシャルサイト http://shugoshin.jp
映画 「守護神」・・名も知らぬ他人のいのちを救うために、我が身の危険を顧みないアメリカ沿岸警備隊を舞台にした米国映画・・
【千の風モノコト論】という記事が、「窓~論説委員室から~」(朝日新聞12/26)に載っている。
今年多くの方の心をとらえた、あの歌『千の風になって』(作詞者不詳、日本語詞と作曲・新井満)が、まず紹介されている。
〈私のお墓の前で泣かないでください そこには私はいませんから・・・千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています〉
死者は遺骨というモノに宿らず、生きたコトの記憶として人々の間に行き交う・・と解説され、そしてこの視点は、最近の科学の流れに通底する、と説明されている。
そして哲学者の廣松渉さんの著書「哲学入門一歩前 モノからコトへ」(講談社)も紹介されている。
まさにソウなんだ!・・・哲学ではないが、古典物理から最先端の物理まで、その概念の何たるかを学んだ私もそう思う。私の物理学の恩師、竹内薫氏(サイエンスライター、TVニュースZERO科学解説者)の最も言わんとしている事も、やはりこの「モノコト論」だと思う。では、この「モノコト論」とは・・・
竹内氏は講義の中で、また著書の中で、最前線の物理理論(量子重力理論など)から「モノコト論」を展開し、森羅万象の世界像を解き明かしている。世界の本質が、モノ(物質的なもの)ではなくコト(意味のネットワークの全体的なつながり by 竹内氏)・・・これはヒト自身も例外ではない。
この事実を理解すると、確かに自分の世界観が「モノからコトへ」と変わっていく・・・
誰でも直面する生死の問題・生命の何たるか、これらの問題の本質に深く切り込んでいける「科学哲学」が、この21世紀に誕生しつつある。ヒトの生死・生命に直結する「科学哲学」が・・
そのことは、古からの宗教・哲学の叡智が、この21世紀になって初めて、科学という形式の言語で表現されるようになってきた、とも言える。
複雑な本質的な問題(自殺問題、福祉・医療・司法問題、労働問題・・・)を抱えており、科学が価値観を持つ現代社会においては、そのことはとても大きな意義を持つのではないだろうか・・・
前回のブログでご紹介した山本譲司さん(元衆議院議員、秘書給与詐欺事件で懲役1年6か月の実刑判決で服役)が、浜井浩一さん(龍谷大学大学院法務研究科教授)と対談されている。
その記事が、今月発刊の「論座」~現代の貧困~2007.1月号に載っている。
対談:現代の貧困「福祉施設化する刑務所」
~社会のセーフティーネットからこぼれ落ちた高齢者や障害者が、ベルトコンベヤーで送り込まれてくる~
その対談の中で、日頃なかなか見えてこない日本社会の医療・福祉・司法警察の実態が、実に如実に語られている。例えば・・
刑務所の過剰収容の原因は、治安悪化でも凶悪化でもなく、社会から高齢者や障害者の受け皿が減って、セーフティーネットからこぼれ落ちた人達が刑務所に集まってきたことにあるのです・・(浜井)
本来なら、ちょっと派出所で絞られて、身元引受人として家族あるいは福祉関係者を呼べば、それで済むはずです。ところがその「受け皿」が見当たらないから、まるでベルトコンベヤーに乗せられたみたいに刑務所にたまっていくのです・・(山本)
この他にも、精神鑑定・責任能力の問題、犯罪不安の高まりと厳罰化傾向、更正は心の問題でなく社会環境の問題である、再犯防止矯正に対する刑務所の現状、等々・・・
すべて考えさせられることばかりである。そして、それが隠されており、日頃なかなか見えてこない・・「弱者を見えなくしてるのが、この社会の特徴(浜井)」なのであろう。
「刑務所に入ってみなければ、その国のことはわからない。社会の最上層部の人々ではなく、最底辺にいる人々をどのように扱うかによって、国家の価値は決まる」(ネルソン・マンデラ前南アフリカ共和国大統領)
DAYS JAPAN 特集:最底辺の子どもたち Vol.3 NO.12 2006 12月号より
『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』(佐藤幹夫著、洋泉社)・・
自閉症裁判の初のリーディングケースとして位置づけられる「浅草女子短大生殺人事件」について、4年におよぶ徹底取材から、司法・教育・福祉・司法精神医学における重要課題を明らかにしている。
障害に対する真の病態理解が如何に大切か・・そしてその理解がない場合に悲劇は起きる。公正であるべき司法の場においても・・
このような事実は・・事実までは、知っていた。しかし現実は、もっともっと重い事を最近知った。
山本譲司さん(元衆議院議員、秘書給与詐欺事件で懲役1年6か月の実刑判決で服役)の刑務所での実態報告は、衝撃だった。以下、その一部を・・
障害者の方は、“医療刑務所”に収容されている?そうではないらしい・・山本さんが入所した“一般”の刑務所にも、実に多くの障害者の方が収容されており、たいそうびっくりしたそうだ。認知症・自閉症・精神障害および肢体不自由者・視覚聴覚障害者、等々・・刑務所職員の話では、受刑者の6割近くが何らかの障害を持っている、とのこと。
そして、山本さんは言っている・・罪を犯した人達が、その前にどこかで福祉に関わっていたら、刑務所の中に入ってきていなかった。地域の中で福祉の力はまだまだ不足している・・
ある肢体不自由者の受刑者が、次のように語ったそうだ。
「・・刑務所は自由はないけれど、不自由もないよ」って。外の社会と比べて刑務所の方が、ずっと便利だったと。だからまた刑務所に戻ってもいいって平気で言ったと。
「・・今まで生きてきた人生の中で、一番過ごしやすかったのが刑務所だった」って・・・
山本さんは言う・・永田町で見てきた福祉がいかに上っ面だけだったか。そう思って自分が情けなくなったそうだ。議員として“福祉”をやっていた自分が・・
現在は、知的障害者更正施設の支援スタッフ、講演および執筆活動をなさっている。
参考:下村健一の「目のツケドコロ」放送(2004.6.26)
毎日新聞記事「障害を持つ受刑者 今は・・」(2006.12.18)
「いのちの日」12月1日に秋田で、地域の自殺対策に関わっている全国の行政・民間・研究関係者が集まり、あるフォーラムが開催されている。
このことは、毎日新聞にも紹介されたので、ご存知の方もいるかも・・
「いのちの日-自殺対策“新時代フォーラム”2006-秋田」
テーマ:地域の自殺総合対策をいかに進めるか
主催:秋田大学、秋田県、NPO法人ライフリンク、NPO法人蜘蛛の糸
後援:内閣府、自殺対策を考える地方議員有志の会、他
このフォーラムに参加した仲間からの話では、当日全国各地から行政担当者を中心に多くの人が参加されたそうだ。定員280人の会場は満席で、立ち見の方も多かったとか。
県庁、精神保健福祉センター、保健所の方々に混じって、熱心な学生さんも遠方より参加されたそうだ。
参加者の皆さんが初め持っていた「自殺対策をどう進めていけばいいのかわからない」という不安も、パネラーの方々の「熱意と粘り強い自殺対策活動」の実例報告が次々と紹介される中で、「自分も何としても何かやらなくては!」という自信とやる気に変わっていったそうだ。
そしてフォーラムが終わってからも、全国各地から集まった行政担当者同士が名刺交換・意見交換をして、「新しい繋がり」がたくさん生まれていた、とのこと。
確かに、個人ひとりひとりの力は小さい。ひとりひとりがばらばらのままでは、社会を変えていく事はなかなか難しい。しかし、こうして多くの人々が共感し繋がり行動すれば、社会が少しずつ動き変わっていく!
だが、最終的に行き着くところは、またそのひとりひとりの問題になってくる、とも感じる。何故なら・・・
「最後の最後に必要なのは、人と人のつながりだと感じています・・」(「自殺って言えなかった」自死遺族編集委員会・あしなが育英会 編)サンマーク出版より
参考HP http://www.lifelink.or.jp/hp/akita1201.html
第12回日本臨床死生学会(11月25日・26日、尚美学園大学大学院、埼玉県川越市)に参加した。
この学会の設立趣旨は、臨床の場における生死をめぐる全人的問題を、メンタルヘルスの観点から学際的かつ学術的に研究・実践・教育することで、医療の向上に寄与する・・
事務局は、東京医科大学メンタルヘルス科にある。
具体的テーマとしては、ターミナルケア(緩和ケア・告知の問題)、自殺の問題、脳死の問題、老化・死をめぐる問題、医療従事者における死生学教育、死に関する社会的問題などなど・・・考えるべきテーマは限りなくある。
今回の学会テーマは「自己決定権を考える」・・その中で幾つか演題をご紹介したい。
「自殺における死の自己決定-自殺対策のための戦略研究における考察」(国立精神・神経センター精神保健研究所)
・・「尊厳死」「積極的安楽死」との相異、刑法第202条、自殺時の精神疾患状態は真に自由な「死の自己決定」ができない・・
その他の演題として、「認知症患者の自己決定権の問題」「現代青年の死に対する意識調査」「SOCと死生観の関係」「音楽療法の生死への影響」「尾崎豊の死生観」「死の恐怖により誘発された短期精神病障害」「医学教育における死生学カリキュラム」「スピリチュアル・アセスメント」「終末期在宅医療の報告」・・・
この学会では、思い掛けない出逢いが幾つかあった。こうした共感する世界において、いろいろな不可思議な縁が起こり、そして人生が繋がり絡み合っていくのか・・静かな感動を覚えた学会であった。