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2012.03.11 21:56 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  心理  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 1

一年

 毎年、3月になると年が明けてからもう1/4が過ぎようとしているのかと、時の過ぎる早さにとまどう。しかし今年は例年と違った気分であった。それはあの大震災から1年が経っているのに、被災地の風景は全く変わっていないからである。
 確かにテレビを見ると瓦礫はかたづけられ、区画整理を終えて住宅ラッシュが起こる前のような状況に見える。しかし現実は全く逆である。被災者にとってはまだ死んだ街なのだ。海岸線に一列に高く積み上がられた瓦礫は、新しい防波堤だという冗談は笑えない状況である。
 瓦礫を運び出せず、最終処分もできない状態が続いている。東京都など一部の自治体が引き受けを表明したが、ほとんどが拒否している。これはどうしたことだろう。あれほど震災直後に日本全国で示した絆の精神が、自分に降りかかることになると急に途切れてしまう。
 「総論賛成、各論反対」という民主主義の悪癖がある。政治家の二枚舌は今も続いているが、それはその政治家を選ぶ私たちも二枚舌を持っているからではないか。被災者はかわいそうだから同情をするが、自分の身に降りかかるのは勘弁して欲しいという二枚舌である。
 大災害が起きたとき、災害ユートピアという現象が起こる。それは被災して裸で投げ出された人々は、社会的なものをすべて失ったが故に、助け合いの精神が生まれ、新しい社会規範が作られ、つらくて苦しいが同じつらさを分かち合うユートピアのようなコミュニティが形成される。
 大災害はその場所にとどまらない。周辺地域に波紋が拡がるように影響を及ぼしてゆく。その波紋をやりすごすために、「復興という名の統制」がユートピアを襲う。レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』にはアメリカの大災害後、楽園が地獄に変わる様を克明に記録している。
 災害ユートピアがなぜ地獄に変わるのか。それは周りの人々が被災者の気持ちに同苦できずに傍観者となってしまうためではないだろうか。傍観者の始まりは、その対象物に興味を失うことである。メディアが発達した現代では、いろんな角度からの映像が溢れ、情報が飛び交っている。
 情報洪水の中で、次第に感受性を失って、慣れてきてしまう。今youtubeで津波発生時の悲惨な映像を見ても、「そうそうこんなだった」とまるで解説者のような視線で見ている自分がいる。しかしそれがボランティアに行った、石巻市やいわき市の映像だと途端に現実味を増す。
 ボランティアで出会った人たちの顔を思い浮かべながら、自分がその場所に立っていることを想像すると、とても傍観者ではいられなくなる。自分が苦しいときに「東北を思い出せ」と心の声が聞こえると、今の悩みも小さいものに思えてくる。
 自分が二枚舌にならないためには、相手の境遇をどれだけイメージできるかにかかっている。患者さんも病気というその人にとっては一番大きな災害で悩んでいる。まずは患者さんに対して二枚舌になりそうな自分を戒めるための記念日としたい。

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2012.03.03 20:21 |  生活 / くらし  |  グルメ / お酒  |  その他(一般)  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 1

お味噌

 名古屋・岐阜の一番の名物は八丁味噌などの豆味噌ではないだろうか。八丁味噌で煮込んだうどんは讃岐うどんに匹敵するし、ヒレカツ定食はソースではなく八丁味噌で食べないと気が済まなくなってしまった。マスタードなしでも美味しいが、それと混ぜるとまだ一段と美味である。
 生まれ故郷の四国では米味噌なので、甘みとさっぱりとした感じがする。しかし豆味噌の赤褐色の辛口も捨てがたい。「かけてみそ」という味噌も売っていて、キュウリに付けて食べると引きしまった味がしてビールによく合う。
 先日、病棟の待合室で知人と話しをしていると、主任さんが味噌汁を振る舞ってくれた。お盆の上にちょっと大きめの湯飲みが見えたので、もちろんお茶と思っていたら、まさかのお味噌汁であった。その日は病棟医長の「お味噌汁回診」の日だったようだ。
 お鍋と一緒に回診し、患者さんに1杯振る舞って楽しく会話するというものである。こんな素晴らしいアイデアは日本全国探してもないだろう。友人は「病院でこんなに美味しいお味噌汁を、しかも突然食べれるなんて」と絶句していた。
 毎回次はどの味噌を使うかで悩んでいると聞き、五反田の「坂本商店」というお味噌を販売しているお店を思い出した。五反田にある研究所でリサーチを始めて8年になるが、巨大なビルの間に挟まれた小さな商店がなぜ倒産しないのか不思議でならなかった。
 のれんをくぐると、ただ単に味噌樽を並べているだけのぶっきらぼうのお店だった。しかし、これまで経験したことのない芳醇な味噌の匂いに包まれ、江戸時代にタイムスリップしたような感覚になった。袋に詰めると風味が落ちるので、樽で量り売りをしているとのことである。
 お店の奥様にお勧めの12種類を選んでもらい、病棟医長に渡した。さっそく家で試食をしているようであるが、毎朝「めっちゃおいしい」と長々とご報告をいただく。きっと来月からは「坂本商店お勧め味噌汁」シリーズが始まるのであろう。 
 海外旅行に行ったとき、病から回復したとき、こってりとしたものを食べすぎたとき、味噌汁を飲むと「のどの巣があく」思いがする。アメリカ留学中に生味噌タイプの「あさげ」が出たときには、大人買いをしてしまった。
 大味でボリュームだけのアメリカの食べ物の中で、味噌汁の微妙な合わせ技の妙味は、たとえインスタント食品でも際立つ。そのためか、海外のグルメを食べても、「のどの巣」が空くことがあまりない。一度お値段の素晴らしいフランス料理のコースを食べて吐いたことがあるくらいである。
 味噌汁を飲んでいると、母が作ってくれたジャガイモとキャベツの味噌汁を“食べながら”、古いブラウン管テレビに映る「太陽に吠えろ!」を見ている風景をふっと思い出す。お味噌の味は、家庭の団らんと直結しているために、他の食材とは別な感覚がするのであろう。

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2012.02.26 22:34 |  研究  |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 1

off-the-shelf technology

 ”off-the-shelf technology”という言葉がある。棚の上にすでに様々な技術が載っていて、必要な物を手にとって組合せ、自分の必要とする物を作るということである。『スペースシャトルの落日』(松浦晋也著)で紹介されていた。
 棚に載っている技術が多ければ多いほど、選択肢は拡がるし、組み合わせられる技術同士の偶然の出会いによる、思わぬ発見のチャンスも高くなる。この点で、いわゆる大企業のほうが技術開発の上で一定のアドバンテージを持っているのであろう。
 大企業の研究開発部門では異なる部門が大きなスペースで見渡せるように机を並べているのはそのような効果を狙った物かもしれない。GoogleやAppleでは回廊に机や椅子を並べて、研究員同士が自由にコミュニケーションをとれるような場所を提供しているとのことである。
 もちろん技術の棚は自社だけではなく、世界中の他社に求めることができる。自社の特許は権利を守るためだけではなく、他社の技術を使わせてもらう際の武器にもなっている。世界的な企業の戦略の中には、世界中の特許をサーチして、必要な物を安くそろえる努力をしているところも多い。
 最近では研究員そのものを広く全世界に求める企業も出てきている。ネットで技術開発の問題点を公開し、最良のアイデアに対して報奨金を出す条件を出したところ、家庭の主婦のアイデアが採用されたこともある。化学系の大学院を卒業して子育てでリタイアした主婦であった。
 研究開発に行き詰まったら、外に出てみるのが良いと思う。ターゲットとしている現場はアイデアの宝庫であり、異なる視点に立たせてくれる。なにより現場からの熱い要望は、研究のモチベーションを高めてくれる。問題はその研究の命運を決めるトップが現場を知らないことである。
 基礎研究では確かにじっくりとひとりで物事を考える事が大切であるが、テクノロジーの世界的大競争時代における製品の開発では、オープンソース的な割り切りが重要で、その割り切りのセンスが開発者の必要な能力の一つになってきているのではないか。
 しかし、上記の著書で結局宇宙開発で勝ったのは、地道に20年近くこつこつと技術の積み重ねを行ってきたロシアであって、ご都合主義で方針をころころ転換して、そのたびに技術者の気持ちと継承を断絶してきたアメリカは敗北した。
 かつて最大のライバルであったロシアのロケットに宇宙ステーションへの輸送ミッションのすべてを依頼せざるを得ない状況は、アメリカの危機感を煽った。オバマ大統領が発表した新宇宙開発計画案はもう一度しっかりと研究開発の足腰を鍛え直すという内容であり、期待できる。
 自宅の棚に他人様の食器があると、すごい違和感を感じる。そのためうまく使いこなせない。それに比べて、たとえ縁が欠けていても自分が長年使ってきた湯飲みは味わいがある。やはり研究者の醍醐味はこれだけは世界に負けないという自負である。それを早く持ちたいものだ。

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2012.02.21 21:14 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  心理  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 0

中二病

 iTunesUで東京大学の社会学の講義を聴いていたら、突然『中二病』というのが出てきてびっくりした。Wikipediaでは思春期の少年少女にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する一部の言動傾向のことであり、伊集院光がラジオ番組で使ったのが初めとされる。
 社会学の講義ではこの言葉を「自分の主張することのみが正しく、あとは馬鹿だ。自分の言っていることが簡単であり、これさえ知っておけば過去のことは知らなくて良い」というニュアンスの主張をする人のことを指すらしい。
 昨今の歯切ればかりがよい、有名人のツイッターや、新進気鋭の政治家にもこのような論調が目につく。人生そんなに簡単にわり切れないものねとすねていても、軽妙で断定的な口調についつい引き込まれて、最後には納得している自分がいる。
 科学の世界では荒唐無稽な中二病的発見が、大きなパラダイムシフトにつながることがある。ニュートンの万有引力の法則、アインシュタインの相対性理論、ハイゼンベルクの不確定性原理などは人類の物の見方に大きな影響を与えた発見である。
 なぜ物理学の天才達は中二病にならなかったのだろう。それは自分の意見を主張する前に、狂おしいほど考え、緻密な理論を構築する努力をしてきたからではないだろうか。発表されたときは中二病とあざけっていた人も、その理論を知ると沈黙せざるを得ない。
 しかし人間が関わる社会学においては若干事情が違うようである。○○は××だ!と断定されても、立場が違えば見え方も違うし、長期的に見れば、現在のトレンドは誤差範囲だったりする。新聞記事は、わずかな揺らぎを針小棒大に表現して危機感を煽るだけのことが多い。
 人間には心理という良くも悪くも、自分の身を飾る服をまとい、他人との交渉の際には武器としても使っている。中学生はその服をまとわず、自分の気持ちをストレートに表すことができる年代である。急に大人ぶったり、知ったかぶったり、自分は何でもできるとの万能感に溢れている。
 十二単ほど心理の服をまとった大人からすれば、裸の王様のようにも見えるが、身軽な時代を懐かしむようにも思える。「大阪維新の会」の人気は橋下氏のキャラクターも伴って、自分のやんちゃな時代を懐かしむ感情に根ざしているものではないか。
 政治の世界では「大阪維新の会」が中二病的で、既成政党が大人的に見えてしまう。しかし前者の方が圧倒的に支持率が高い。それは前者に若い息吹と行動力を感じるためだろう。大人が優柔不断に陥ったときは、子どもの純粋なエネルギーを糧に変わればいい。
 いつまでも夢を追いかけている自分は、他人から見れば中二病の最重症である。物理学の天才ではない自分の予後は果たしてどうなるのだろう。といってもあまり心配していないのが中二病のゆえんである。あまり書くと怒られそうなので、この辺で失礼。

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2012.02.19 11:13 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  心理  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 0

企業の衰退

 日本の家電企業が軒並み大きな赤字を計上した。円高や災害などの外部要因(いわゆる五重苦)がその原因とされているが、もっと根本的な原因があるのではないか。
 『ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階』を読んでその原因の一端が分かったような気がした。我が愛するエス社の現状も似ており、行く末が大変に気になる。感銘を覚えた文をピックアップして心に留めておきたい。
 『わたしは企業の衰退を、たとえば癌などの病気のようなものだと考えるようになった』表面的には健全そうに見える企業も内部では癌が進行しているかもしれない。定期的な企業の健康診断を怠らないことが必要である。
 『初期の段階には発見するのが難しいが、治療するのはやさしい。後期の段階には発見するのは簡単だが、治療は難しい』これは治療の原則であるが、同じアナロジーが企業にも当てはまる。巨大企業といえども人間が運営しているのである。
 『衰退の五段階。第一段階 成功から生まれる傲慢。第二段階 規律なき拡大路線。第三段階 リスクと問題の否認。第四段階 一発逆転策の追求。第五段階 屈服と凡庸な企業への転落か消滅』やっぱりすべての過ちは傲慢から始まることが分かる。
 『中核事業は、人間の基本的なニーズを満たすものであって、世界一になっているであれば、陳腐化することはめったにない。』中核事業がうまく行かなくなったときに、それを見捨てずに、ブラッシュアップしてゆくべきである。
 『偉大な企業は機会が少なすぎて飢える可能性よりも、機会が多すぎて消化不良に苦しむ可能性の方が高い(パッカードの法則)』イノベーションの熱狂へ注意が逸れてしまって、規律を守れない不適切な人材が増えて組織が官僚化する。
 『組織再編とリストラを行うと、何か生産的なことをしているとの錯覚が生まれかねない。深刻な心臓疾患や癌の診断を受けたときに、リビング・ルームの家具を並べ替えて対応するようなものである。』常に本質に立ち返ることが重要である。耳が痛い!
 『凡庸さを示すのは変化を望まないことではない。一貫性のない姿勢が慢性化していることである。「一夜にして成功を収めた」物語のほとんどは、二十年前後の努力の結晶である。』初心忘るべからずで継続することの大切さ!
 ジョブズ伝記によれば、ジョブズの最後の人生は、いかにアップルを末永く存続させる企業にできるかに心を砕いていた。それはアップルがこの世から消えることで、宇宙に衝撃を与えられないためである。それほどの情熱を事業に向けることができるか、企業愛が試されていると思う。

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2012.02.13 07:05 |  生活 / くらし  |  その他(一般)  |  心理  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 0

そもそも

 議案が細部を検討する段階になって、「そもそも○○は必要なのか?」と突然、ちゃぶ台をひっくり返すような議論を投げかける人がいる。なかなか口を開かないと思ったら、突然上記のような意見を言ってくる。
 その一言は地雷のような効果があり、それまでの繊細な議論は一度に吹っ飛ぶ。爆発を合図に、その議案を良く思わない人たちが同調してくるものだから、まずそのことを再度話し合わないといけない雰囲気になる。
 議論が振り出しに戻るくらいならまだいいが、心理的には否定の方向に大きく触れてしまう。そもそも論は1回の議論で結論が出るような物でないため、通常持ち越しになる。タイムリミットが迫っている案件についてはそれだけで、否定されるようなものだ。
 そもそも論は時には非常に有効な議論の展開を促す事もある。議論があまりに細部に落ち込んだとき、一度視点を鳥の視点に戻し、高所対局から見ると解決点が示されることもあるからである。
 「光の速度を超えて移動する物質は存在しない」という公理からアインシュタインは相対性理論を導き出した。その理論は観測結果とよく合致し、GPSの精度を上げることにも利用されるなど、私たちの身の回りの技術にも応用されている。
 そもそもその公理は正しいのか?と光の速度を超える物質を探している研究者がいる。まだ追試されている段階であるが、もしそれが正しければ、アインシュタインを超える理論の展開と、新しい世界観が確立されるのではないかと期待される。
 二つの物理量の組合せを同時に測定するとき、測定精度の壁があることを約80年前にハイゼンベルクが提唱し、不確定性原理と言われている。そもそもそれが正しいのかと、測定精度を上げた実験を行って驚くべき結果を発表した研究者がいる。
 過去の常識に束縛されないことは、基礎研究者にとって必要な資質である。そのようにして科学は自らのパラダイムを変換してきた。そこには人類の真理に対する純粋な欲求がある。
 しかし会議において出されるそもそも論は不純な動機に基づくことが多い。物事の本質を捉えられず、展望を持ちえない人は、自分の優位性を示すために「そもそも」と言い出す。そこに訳の分からない権威主義が入ってくると最悪である。
 時代はハードからソフトへ。そしてソフトからサービスへ移って来ている。サービスは受ける側に主導権がある。すなわち顧客である。「事件は会議室で起きているのではない」事件はそこかしこの企業の会議室で起きている。

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2012.02.11 10:55 |  生活 / くらし  |  健康のコツ  |  心理  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 1

オキシトシン的ほほえみ

 昨年の5月にいわき市に瓦礫撤去のボランティアに家族と一緒に参加した。青松できれいな海岸が文字通り根こそぎなぎ倒されていた。瓦礫の中に家族の写真やランドセルがあると、その持ち主の方の安否が気遣われて、片付ける手が何度も止まった。
 作業場所から道路を隔てたむかいに、傾いた家で雑貨商を開いているおばあちゃんがいた。「どーんと流されたが、松の木の間にフェンスに引っかかって助かった。」とまるで人ごとのように話しをされた。港のお店は跡形もなく消えていたので、ここで商売を始めたという。
 作業が終わりかけていた頃、おばあちゃんが「これ、みんなで飲んで下さい。片付けてくれてありがとう。」といって缶コーヒーをたくさんいただいた。固辞したが、おばあちゃんの温かい笑顔に感動していただいてしまった。缶の上にはわずかに砂がついていた。
 東北の人は強い。心に芯が一本入っている。そして笑顔がいい。あのような大災害の後でさえも、人を感動させるほどの笑顔を見せることができるのはどうしてだろうか?大災害についてのセミナーを依頼されてから、ずっと考えている。
 人はうれしいときには笑顔になるのは当たり前であるが、どうも優勝したとか、宝くじに当たったとか、合格した時に出てくる飛び跳ねるような笑顔と、おばあちゃんの笑顔は違う。
 前者は脳科学的にはドーパミンの作用とされている。報酬が得られたときに感じる快感をもたらす物質である。しかしこれは一過性で、常に次の新しい快感を求めて、あたらな競争とストレスをも同時に生み出してしまう。失敗した人から見れば、その笑顔を見ても笑えない。
 おばあちゃんの笑顔は持続性がある。ボランティア全員に等しく感動を与え、悲惨な光景を目の当たりにして落ち込んだ心を温めてくれた。これは脳科学的にはオキシトシンの作用とされている。母親が赤ちゃんにおっぱいをあげている時の微笑みはまさにオキシトシンである。
 『「親切」は驚くほど体にいい!』(デイビッド・ハミルトン著)によれば、人に親切にするときにもオキシトシンが出ているという。そしてそれは血圧を下げ、長寿になると解説している。長寿のことはともかく、「親切」にしてあげた後、ストレスが消えているのはよくあることである。
 過酷な介護の仕事を笑顔でされている多くの方々に接すると、ヘルパーズ・ハイもおそらくオキシトシンであろう。医療従事者ならどなたも、病気が治って退院されるときに患者さんからの感謝の言葉を聞くとそれまでの疲れが吹っ飛ぶ。他の職業ではなかなか得られない役得である。
 大震災後、ACのCMが耳にたこになった。しかし、『「思い」は見えない、しかし「思いやり」は見える』というCMで男子学生が最後に見せるはにかんだような笑顔を見て、こちらも笑顔になる。オキシトシンの伝染力は強いが、ドーパミンはそれほどでもない。

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2012.02.09 00:16 |  生活 / くらし  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 1

司会

 先日のセミナーでも、はつらつとした若い女性の司会者に助けられた。深刻な内容の体験談の後、ぱっと明るく場を切り替えてくれたので話しやすかった。セミナーの成功は演者ではなく、司会者が決めるのではないかと常々思っている。これは責任転嫁ではなく、真実である。
 司会者の第一声は、参加者全員を一つの方向に向かわしめる号砲である。号砲が軽やかに響き渡ると、参加者の期待感が高まる。逆にくすんだ第一声であれば、運動会のよーいドンでいきなり躓くようなものである。失敗した出足を途中で取り戻すのは難しい。
 会場で参加者の方に向いているのは演者と司会者のみである。演者は演じることに精一杯で、参加者の雰囲気や、突発的な出来事などに目を配ることはできない。司会者が大成功を祈る思いで、会場を見渡してもらっていると、安心感がある。
 もちろん司会原稿は必要であるが、棒読みでは参加者の気持ちに響かない。いかに参加者の気持ちを代弁するかが重要である。司会者は開催側と参加側の間を往復しながら、気の利いた短い言葉で総括しながら進めないといけない。腕の見せ所である。 

 大学生の頃、座談会で司会を頼まれた。なんてことないとなめていたが、長々と話す人、子どもの泣き叫ぶ声、ぎゅうぎゅう詰めの部屋をどう整理するかなど、パニック寸前まで行ってしまった。声がうわずって、何を言っているのか自分でも分からなかった。
 脳神経外科の学会で座長を頼まれたとき、なんてことないと思った。しかしフロアでけんかのような議論が始まってしまい、「早く何とかしろ」という最前列の先生方の鋭い視線にたじたじとなった。
 セミナーの最前列で、不審な動きをする男がいた。司会席からずーっとにらんでいたら、そのうちいなくなった。揺れ動く団扇の数で会場の不快感を判断して、会場係に暖房の調節を依頼した。会場係はボーとしていてたいていの場合役に立たない。
 友人が関西の健康番組に出演したことがあった。司会者は現在一時的に引退している?島田紳助であった。スタジオでスタンバイをしているときにしきりと話しかけてリラックスさせようとしてくれたため、良いトークが自然にできたと話していた。
 認知症のテストの点数が良くなかったタレントに、「お達者に」と行った言葉が、しばらくギャグとして使われたようである。島田紳助は私が知る限りにおいて天才的な司会者だと思う。しかしその裏には、本番前の努力があった。
 これを聞いて、セミナー前に積極的に司会者とコミュニケーションをとるように心がけている。司会者から元気に挨拶をしていただくと、よし頑張ろうという気持ちになる。登壇者と本番前にいかに良好なコミュニケーションをとっておくか。これが最も大事なコツである。

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2012.02.05 22:16 |  生活 / くらし  |  映画 / 音楽 / 読書  |  心理  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 2

セミナー

 大学生のサークルで、「だれもいないからおまえがやれ!」と脳をテーマとしたセミナーを引き受けたのがセミナー講師の始まりであった。一般人の聴衆の中に脳科学の専門家がいて、高度な質問にたじたじとした。それ以降、徹底的に調べ物をしてから望むようになった。
 交通事故による大渋滞に巻き込まれて会場に1時間遅刻したことがあった。主催者はビデオを4本も流して、参加者をつなぎ止めてくれていた。冷や汗をかきながら、何とか盛り上げようと必死のセミナーとなった。それ以降、最低1時間前に到着するように心がけた。
 セミナーの主催者側になったことがある。友人にセミナー講師になってもらった。開始5分前にようやく友人が現れたとき、喜びよりも怒りが先に立ってしまった。講師が来なければすべてがぶちこわしである。それ以降、幹事さんとはこまめに連絡を取りあうようにした。
 セミナー終了後、質問会を開催した。「この薬を飲むと調子が悪いのですが。。。」などのプライベートな質問が相次ぎ、場がしらけてしまった。そう言う人に限って何度も質問をしてくる。それ以降、質問会はすべてやめにした。演題を片付けている間に質問を個人的に対応するようにした。
 日曜日の午前と午後に同じ演題を違う場所でセミナーを行った。2回目のモチベーションが下がって、史上最低のセミナーとなった。緊張感がゆるんで、何度も言い間違えをした。それ以降、同じテーマでも必ず違った角度から話しをするようになった。
 呼び出しまで、会場の裾に待機していた。慌てて登壇しつまずいてしまった。その日のセミナーは失敗した。それ以降、20分前には会場に入り、参加者お一人お一人の顔を見るようにした。そうすると不思議と自分も参加者のような気分となり、落ち着いて話ができるようになった。
 セミナーが終了して、立ちションをしていたら、隣の人が私を講師だと分からずに、「今日のセミナーおもしろかったけど、一つも頭に残っていないなあ」と話しかけた。途中で止まったことは言うまでもない。それ以降、お帰りの際に講演のポイントを書いたプリントを渡すようにした。
 スライドを使って見た目にもわかりやすいセミナーを心がけている。しかし本当は次に何を話したらよいかのカンニングペーパーである。故筑紫哲也のセミナーを聞いた。何も持たずに、ただひたすら聴衆に目を向けて話しかけた感動的なセミナーであった。まだこの芸術的領域に達していない。
 高橋真梨子の「ワンダフルナイトcinema」に『ラストシーンの鉄則は「生きること」、ラストシーンの鉄則は「泣き笑い」』というフレーズがある。確かにチャップリンの映画のラストシーンはそうなっている。人の記憶に残るのは最後の5分のみであるとの心理学の教えもある。
 1時間も座っていると、途中でどうしても眠くなる。ラストの前にできるだけおもしろい話題を用意しておき、最後に主題に即した体験談やビデオなどを紹介して終わるようにしている。紅潮した顔でハンカチで目頭を押さえてくれるご婦人がひとりでもいれば、セミナーは大成功である。

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2012.02.03 19:38 |  生活 / くらし  |  災害  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 1

石巻市渡波地区

 2011年4月17日に居ても立ってもいられず、石巻市のボランティアに参加した。阪神淡路大震災の時、どうしても病院を抜けられずに、結局何もできなかった自分が悔しかった。今回は是非とも未曾有の大震災に苦しむ人たちのお役に立ちたかった。
 今日、「石巻赤十字病院の100日間」という本を読んだ。その中に「渡波」地区の被害の様子が描かれていた。渡波は医療ニーズを探るというボランティアで訪問させていただいたところであった。
 市役所前の広場で簡単な説明を受け、家内、山形大学の医学生、壮年のボランティアの方と私の4名で、車で移動した。ナビに写る地図は確かに家が描かれているが、その家がことごとく消失していた。石巻港には乗用車ではなくて大きな船が駐車場に停められている不思議な光景を目にした。
 私の担当したところは、学校が防波堤のような役割をして、被害が比較的少なかった地域であったようだが、庭に横倒しになっている車は流れ着いた車で、自分の車はどこに行ったのか分からない状況であった。
 泥まみれになった1階を懸命に掃除をしている人、何から手を付けて良いか分からず呆然としている人、家族の無事を心ゆくまで加味しているかのように一つの炬燵で暖をとっている人。それぞれの方が必死で生きていた。お見舞いを言う私の方が励まされた。
 薬だけでなく『お薬手帳』も流されてしまって、何の薬を飲んでいたか思い出せない人が多かった。専門家の私たちでも数種類の薬を飲んでいると、とっさに名前が出てこないことがある。ましてや一般の被災者の方には思い出してもらうのも酷であった。
 抗痙攣剤の手持ちが少なくて、いつ痙攣が起きるか心配だと控えめに話される奥様がいた。その頃は抗痙攣剤が不足していた時期でもあり、そもそも病院までのアクセスが途絶してた。終了後、「緊急性有り」とのレポートを市役所に提出した。
 悲惨な光景を目にすると、「お大事に。がんばって下さい。」などの言葉は空しい感じがした。家を辞するときにただ頭を下げることしかできなかった。町は土と油の混ざったような独特のにおいがしていた。夏は言語に絶するような悪臭だったのではないだろうか。
 記録的な寒波で東北地方も大雪に見舞われている。傾いてすきま風が入る家で、布団にくるまって震えているのではないか。暖房の効いた部屋で思いを巡らせている。石巻赤十字病院の院長はその時の苦闘を忘れないため、今でも水のシャワーを浴びていると書いてあった。
 あと1ヶ月少しであれから1年になる。被災者の身の上に起きたことと比べれば、自分の身の上に起きたことなど、取るに足らなく思えてくる。人生を教えてくれた被災者の方すべてに感謝し、これからも心を留め続けたいと思う。

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