”off-the-shelf technology”という言葉がある。棚の上にすでに様々な技術が載っていて、必要な物を手にとって組合せ、自分の必要とする物を作るということである。『スペースシャトルの落日』(松浦晋也著)で紹介されていた。
棚に載っている技術が多ければ多いほど、選択肢は拡がるし、組み合わせられる技術同士の偶然の出会いによる、思わぬ発見のチャンスも高くなる。この点で、いわゆる大企業のほうが技術開発の上で一定のアドバンテージを持っているのであろう。
大企業の研究開発部門では異なる部門が大きなスペースで見渡せるように机を並べているのはそのような効果を狙った物かもしれない。GoogleやAppleでは回廊に机や椅子を並べて、研究員同士が自由にコミュニケーションをとれるような場所を提供しているとのことである。
もちろん技術の棚は自社だけではなく、世界中の他社に求めることができる。自社の特許は権利を守るためだけではなく、他社の技術を使わせてもらう際の武器にもなっている。世界的な企業の戦略の中には、世界中の特許をサーチして、必要な物を安くそろえる努力をしているところも多い。
最近では研究員そのものを広く全世界に求める企業も出てきている。ネットで技術開発の問題点を公開し、最良のアイデアに対して報奨金を出す条件を出したところ、家庭の主婦のアイデアが採用されたこともある。化学系の大学院を卒業して子育てでリタイアした主婦であった。
研究開発に行き詰まったら、外に出てみるのが良いと思う。ターゲットとしている現場はアイデアの宝庫であり、異なる視点に立たせてくれる。なにより現場からの熱い要望は、研究のモチベーションを高めてくれる。問題はその研究の命運を決めるトップが現場を知らないことである。
基礎研究では確かにじっくりとひとりで物事を考える事が大切であるが、テクノロジーの世界的大競争時代における製品の開発では、オープンソース的な割り切りが重要で、その割り切りのセンスが開発者の必要な能力の一つになってきているのではないか。
しかし、上記の著書で結局宇宙開発で勝ったのは、地道に20年近くこつこつと技術の積み重ねを行ってきたロシアであって、ご都合主義で方針をころころ転換して、そのたびに技術者の気持ちと継承を断絶してきたアメリカは敗北した。
かつて最大のライバルであったロシアのロケットに宇宙ステーションへの輸送ミッションのすべてを依頼せざるを得ない状況は、アメリカの危機感を煽った。オバマ大統領が発表した新宇宙開発計画案はもう一度しっかりと研究開発の足腰を鍛え直すという内容であり、期待できる。
自宅の棚に他人様の食器があると、すごい違和感を感じる。そのためうまく使いこなせない。それに比べて、たとえ縁が欠けていても自分が長年使ってきた湯飲みは味わいがある。やはり研究者の醍醐味はこれだけは世界に負けないという自負である。それを早く持ちたいものだ。
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2012年1月5日Cell電子版で、遺伝的に異なる2種類以上の細胞がモザイク状に入りまじった「キメラ」のアカゲザルを作ることに米オレゴン健康科学大学が世界で初めて成功したと報告された。すごい成果であるが、早速動物愛護団体が動き出しているとの報告もある。
キメラ自体は悪いことではない。輸血や骨髄移植などは他人の細胞を自分の中に受け入れて微小キメラ(microchimerism)を作って、治療しようとするものである。幹細胞による治療が行われる時代になれば、血液系細胞以外の微小キメラ状態が作られるであろう。今回の論文は、微小ではなくキメラの割合が非常に高い、いわばmacrochimerismの状態を霊長類で作ることが出来たのが衝撃的である。
1996年に男児出産27年後の母親の血液から男児の progenitor cellが生存している事が報告されている(PNAS vol.93, p705)。その後Lancetなどで、甲状腺や肝臓などで、Y染色体を持った細胞が男児を産んだ母親から見出されている。なぜY染色体を持った細胞が見出されるのか。有力な仮説として出産時に胎盤がはがれるときに胎児の血液が母親の胎内に入ってしまうことが想定されており、これをFeto-Maternal Cell Traffickingと言う。もちろん女児の細胞も同様であるが、染色体染色では区別がつかない。
出産していない母親からも男性の細胞が見出される場合もあるらしい。この場合は、精液の中に含まれている男性の白血球が進入するのではないかと言われている。
母親は出産という命をかけた大仕事の報酬として、胎児の幹細胞をもらって、若返るということがあるかもしれないが、あくまで異物である。自己免疫疾患が起きても不思議ではない。橋本病やリウマチなどでその関与が疑われているとのことである。
考えてみれば、分化の方向性が全く違う60兆個もの細胞が一つの個体を作っていることは、機能レベルで見れば、立派なキメラである。そしてそれらはお互いが激しく新陳代謝を行いながら、動的平衡を保っている。ここでも多様性と調和という原理が働いている。同じ遺伝的背景を持つ細胞社会でも大変だと思うのに、キメラ猿の細胞はどのようにして遺伝的背景が異なる細胞とつきあっているのだろう。そしてその関係性は年齢を経る毎に、どのように変化してゆくのだろう。
命を宿した母親は異なった細胞社会とのつきあいを身をもって体験している。それゆえにビクトル・ユゴーは「A lady is weak, however, a mother is strong」と語ったのであろうか。キメラ猿の将来に注目したい。
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