議案が細部を検討する段階になって、「そもそも○○は必要なのか?」と突然、ちゃぶ台をひっくり返すような議論を投げかける人がいる。なかなか口を開かないと思ったら、突然上記のような意見を言ってくる。
その一言は地雷のような効果があり、それまでの繊細な議論は一度に吹っ飛ぶ。爆発を合図に、その議案を良く思わない人たちが同調してくるものだから、まずそのことを再度話し合わないといけない雰囲気になる。
議論が振り出しに戻るくらいならまだいいが、心理的には否定の方向に大きく触れてしまう。そもそも論は1回の議論で結論が出るような物でないため、通常持ち越しになる。タイムリミットが迫っている案件についてはそれだけで、否定されるようなものだ。
そもそも論は時には非常に有効な議論の展開を促す事もある。議論があまりに細部に落ち込んだとき、一度視点を鳥の視点に戻し、高所対局から見ると解決点が示されることもあるからである。
「光の速度を超えて移動する物質は存在しない」という公理からアインシュタインは相対性理論を導き出した。その理論は観測結果とよく合致し、GPSの精度を上げることにも利用されるなど、私たちの身の回りの技術にも応用されている。
そもそもその公理は正しいのか?と光の速度を超える物質を探している研究者がいる。まだ追試されている段階であるが、もしそれが正しければ、アインシュタインを超える理論の展開と、新しい世界観が確立されるのではないかと期待される。
二つの物理量の組合せを同時に測定するとき、測定精度の壁があることを約80年前にハイゼンベルクが提唱し、不確定性原理と言われている。そもそもそれが正しいのかと、測定精度を上げた実験を行って驚くべき結果を発表した研究者がいる。
過去の常識に束縛されないことは、基礎研究者にとって必要な資質である。そのようにして科学は自らのパラダイムを変換してきた。そこには人類の真理に対する純粋な欲求がある。
しかし会議において出されるそもそも論は不純な動機に基づくことが多い。物事の本質を捉えられず、展望を持ちえない人は、自分の優位性を示すために「そもそも」と言い出す。そこに訳の分からない権威主義が入ってくると最悪である。
時代はハードからソフトへ。そしてソフトからサービスへ移って来ている。サービスは受ける側に主導権がある。すなわち顧客である。「事件は会議室で起きているのではない」事件はそこかしこの企業の会議室で起きている。
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