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2012.02.03 19:38 |  生活 / くらし  |  災害  |  yuka_tetsuya  | 推薦数 : 1

石巻市渡波地区

 2011年4月17日に居ても立ってもいられず、石巻市のボランティアに参加した。阪神淡路大震災の時、どうしても病院を抜けられずに、結局何もできなかった自分が悔しかった。今回は是非とも未曾有の大震災に苦しむ人たちのお役に立ちたかった。
 今日、「石巻赤十字病院の100日間」という本を読んだ。その中に「渡波」地区の被害の様子が描かれていた。渡波は医療ニーズを探るというボランティアで訪問させていただいたところであった。
 市役所前の広場で簡単な説明を受け、家内、山形大学の医学生、壮年のボランティアの方と私の4名で、車で移動した。ナビに写る地図は確かに家が描かれているが、その家がことごとく消失していた。石巻港には乗用車ではなくて大きな船が駐車場に停められている不思議な光景を目にした。
 私の担当したところは、学校が防波堤のような役割をして、被害が比較的少なかった地域であったようだが、庭に横倒しになっている車は流れ着いた車で、自分の車はどこに行ったのか分からない状況であった。
 泥まみれになった1階を懸命に掃除をしている人、何から手を付けて良いか分からず呆然としている人、家族の無事を心ゆくまで加味しているかのように一つの炬燵で暖をとっている人。それぞれの方が必死で生きていた。お見舞いを言う私の方が励まされた。
 薬だけでなく『お薬手帳』も流されてしまって、何の薬を飲んでいたか思い出せない人が多かった。専門家の私たちでも数種類の薬を飲んでいると、とっさに名前が出てこないことがある。ましてや一般の被災者の方には思い出してもらうのも酷であった。
 抗痙攣剤の手持ちが少なくて、いつ痙攣が起きるか心配だと控えめに話される奥様がいた。その頃は抗痙攣剤が不足していた時期でもあり、そもそも病院までのアクセスが途絶してた。終了後、「緊急性有り」とのレポートを市役所に提出した。
 悲惨な光景を目にすると、「お大事に。がんばって下さい。」などの言葉は空しい感じがした。家を辞するときにただ頭を下げることしかできなかった。町は土と油の混ざったような独特のにおいがしていた。夏は言語に絶するような悪臭だったのではないだろうか。
 記録的な寒波で東北地方も大雪に見舞われている。傾いてすきま風が入る家で、布団にくるまって震えているのではないか。暖房の効いた部屋で思いを巡らせている。石巻赤十字病院の院長はその時の苦闘を忘れないため、今でも水のシャワーを浴びていると書いてあった。
 あと1ヶ月少しであれから1年になる。被災者の身の上に起きたことと比べれば、自分の身の上に起きたことなど、取るに足らなく思えてくる。人生を教えてくれた被災者の方すべてに感謝し、これからも心を留め続けたいと思う。

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