昨年の漢字は「絆」であった。大震災の後で、同じ国土に住む日本人としての絆を自覚して、多くの人たちが義援金を送り、ボランティアに参加し、安寧と復興を祈った。今年になっても新党名にも取り上げられたなじみの漢字となった。
しかし河合隼雄氏の『「老いる」とはどういうことか』の中に、絆のもう一つの読み方に関するエッセーがあり、なるほどと思った。それは「ほだし」である。
「絆」は平安時代の物語などでは「ほだし」と読まれ、馬の足にからませて歩けないようにする綱を意味した。出家して仏門に帰依したときに、親子の情などの「ほだし」が邪魔になるという意味に使われている。
親子の情は、自分がつらいときには「きずな」と温かく受け入れるが、巣立ちをするときは「ほだし」と感じて、抗いたくなる。
まことに日本語は奥が深い。一つの漢字に両方の読み方を与えて、その人が置かれている状況でどちらのニュアンスも代弁している。まことにエコな言語である。
心理学者のボルビーは心の独立には、安全基地が必要であると主張している。豊かな「きずな」を自覚した者は、新しい世界に安心して旅立てる。それはもし傷ついたときに帰れる場所を自覚できるからである。
子どもの時には親(保護者)の存在が大きな安全基地になっている。その安全基地の重力が重いほど、飛びだつときにエネルギーが必要となる。それを親は本能的に知っているからこそ、まず自らが「子離れ」をしようとする。
しかし本当はかなり難しい。「親離れ」により新しい世界を得る世代と、「子離れ」によって失われる物が追加される世代とでは、おかれている環境が違っている。
親も子も「きずな」と「ほだし」の微妙なバランスを保ちながら、折り合ってゆく必要があるのだろう。そこにこそ豊かな感性がはぐくまれるのではないか。
娘が愛する人と新しい生活へと旅立つときに、かんじがらめの綱が足にからまって、動けなくなって泣いている自分が、今晩の夢に出てきそうである。
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