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はっはっは。実は稼動してるんです、このブログ。
・・・おひさしぶりです。はじめまして!←
相変わらずですが日々成長はしていると思います。多分。
で、先日講演会きいてきたんですが、いやよくききにはいくんですが、日々の生活で感じているようなことをいってたので、なんだかうんうんうなずきつつもの思ったよっていう話を。
人類はどこにたどりつくのかとか、どこにいきたいのかとか、中にはそんなようなことをマジガチで考えてる人も…特に偉い人や真面目な人なんかは考えているかもしれないけども、日々過ごす私たちが肩の力を抜いて生きるには不要な考えなのかもしれない。
なら何に怯えて生きるのかとか、漠然とした不安は知識というカタチに変えなくてもいいのかとかいうと、そこは人それぞれのみえかた感じ方からかなり違うものなんだと思う。
それはきっと病気に関して、あるいはその予防、病気に対する姿勢に関しても同じことで。
病気になりたい人なんていないけれども、自分は病気になるわけないと皆漠然と思っている。そこに根拠はない。
講演は基礎の先生のお話もあったのですが、私たち生物の体は、まあ当たり前なんだけど、遺伝子がその情報をもっていて、今ある姿と体の機能も長い歴史の中で環境に適応してきたつくりになっているわけで、
それは現代人に合わせているわけでは決してないんだよっていうことでした。そりゃそーだ。
飢餓に対する血糖維持や怪我に対する止血や、陸の生活での塩分補給対策。
長い歴史を生き抜く中で、そういう風に体はつくられている。
それが裏目に出ているのが現代病、と、その先生のお話の導入はそんな感じでした。(以後基礎系の楽しい話がいっぱいきけたわけですが、省略)
糖尿病、凝固異常、高血圧など、すべからく現代の生活はうるおい過ぎていて人体を傷つけているというもの。
人生で本当の飢えを感じたことのある人は少ないと思うし、特に日本では塩がかつて陸の貴重品だった(サラリー=給料の語源)なんて考えつく人はいないくらいに実生活と人体に対して無知だ。
でも人体は私たちの知らないところで、そういうことに対しての防衛反応をするようにできている。
血圧(塩)、血糖値、コレステロール、喫煙などすべからく生活習慣。血管を傷つけて今度は凝固・止血機構の出番がやってくる。私たちは好きなものを好きなだけ、現代に合っていない体に与える。過剰に体に入れれば入れた分だけ病気に近づき、いざ病気になった時の治療手段が(体がボロボロな分だけ)減るのは確実になる。
長い時間でみれば現代に合わせる必要もない体のしくみなのだけど、今後をみたら遠い遠い遠~い未来に今とはまったく違う体に変化しているかもしれないし、逆に器械だらけの体で生にしがみついて生き延びているかもしれない。
・・・けれど、そんな途方もない想像は今の私たちにとって、何の影響ももたないっていうことだ。人類がどこにたどりつこうが今私たちの生活へ影響しない。
だから、本当に健康でいたいならば生活習慣で予防・回避できる病気がとても多いことを知っていなければいけないし、薬で治すようなものではないことを(医療者も含め)知っていなくてはいけない。
風邪程度なら薬という対症療法で治った気になれる(実際に治してるのは発熱したりする自分の体力)けれど、生活習慣病(実際に治せるのは自分の生活習慣)は薬でのごまかしなどすぐに効かなくなる。
私たちは何に怯えて生きるのかとか、漠然とした不安は知識に変えなくていいかとか、それは人それぞれなのだろうけれども。
想像しやすいだけなのだろうけど、癌だけが怖いと思っている人が多い印象で、時々切なくなることがある(もちろん生活習慣で回避できる癌もあるけど)。
たたかう相手が飢餓なのか節制なのか、他人からの妨害なのか自分自身とのたたかいなのか、発展途上か先進か、精神的余裕か肉体的余裕か、そのへんがかわっているだけなのだろうし、
世界的にみれば飢餓とたたかっている体なんてすぐにみつかるわけで、発展とともに急激に食生活とライフスタイルが変わった日本人は、アジアをリードする自覚と共に、そういうことに敏感であってもいいかなとは思う。
新型インフルを燃料に、いろんなところで炎上しているようです。
病院によっても対策に関してはいろいろ考えているようですが、
どこの病院も医師だけじゃなくいろいろな職業の人がいるわけで、 感染症どころか臨床が専門外の人もたくさんかかわります。それが専門外で抜け落ちたまま関わることがあります。
まぁうちの病院でも対策や実地なんかの話でひと悶着あったようです。
「…、…責任などとれないくせに命令はするんだろう。そんな奴の言葉に従うつもりはない。」 ←これは私の創作ストーリー中のセリフですが; 唐突に思い出した。
(歯切れが悪いのは彼が身動き取れないせいみたい。)
ある意味ほんとに強いウィルスが出現したら、国のレベルでみた今の状態はこりゃちょっと、と、正直感じたりしました。
切ないなぁ。正直感想はこれだけです。
餅は餅屋。
各々餅屋が言っても意味のない言葉かもしれませんが・・・仕事に誇りを持つ意味で。
だって日記な気分だからさ。
今、医局にいます。もー帰ります。
人生長いです。明日も人として適度に頑張ればなんかがプラスされるかも。あー眠い。
今日は帰りに手術した患者さんとその家族とお話しました。
私は内科医ですから担当じゃありませんが、まぁ、手術前は担当でした。
医者がどんだけ治療に貢献したかとか、そういうことじゃなく、患者さんは頼るものが必要だと思いました。
もちろん患者さんだけでなく、頼れる場所を自分で知っている人は強いと思います。
ひとに頼る人はひとりで強がってる人よりずっと強いです。
・・・やっぱり目的がないと日記もかけん・・・。
退院できるそうでなによりです。
今度はあなたが誰かを助ける番ですよ。
もうすぐ夜な時間帯
血ガスとろうと思って病棟(救命センター)に行ったらば
大口開けて歯を磨いていた・・・。
・・じゃぁな、また来るぜ。。(諦めた)
というかルームで100%でしたが何かね
血圧とかおちないでね? (笑)
結局↓
(豪快に尿量稼いでたのでK値みたかっただけとか)
正常範囲内でした。
軽くお話モードに入ってみようと思います。
死亡確認。って、
医者なら誰もが行うことで。
患者さんの御家族と患者さんの間に真の意味で入りこむことは、正直かなり無理なことだと思います。いろいろな御家族がいらっしゃいますが、家族関係なんであって、家族というものには他人は結婚でもしない限りふみこめないと思います。
なら個人的につきあう(むきあう)っていう話にもなり得ます。
ご家族へのお話は大事かもしれないし、ともすると残された現実問題としてはご家族へのお話こそが大事なのかもしれませんが、それとは別に、
患者さん御本人と個人的にむきあったという意味での、ええと、私の戯言です。
例えば患者さんが気管内挿管して人工呼吸器をつけたまま亡くなられた時、
死亡確認のその後、点滴(CVも)やバルーンなど含め管類を抜いてお体を綺麗にしますよね。
これはもはや私の癖なのですが、一番最初に挿管チューブを抜きます。ご家族の到着が間に合わなくてしかも遅い時など、ホントに早く来てくれないか(挿管チューブを抜きたい)と思うことがあります。
ご家族に愛されていない患者さんがたまにいらっしゃいますが、そういう方のチューブ、ホントに亡くなった後すぐに抜きたくなることがあります。
えーっと、何をいいたいかというと、顔にね、挿管されていたあとが残るのが凄く気になるんですよね。
例えば自分が死んだとき挿管チューブを早く抜いて欲しいかといったら、死後の自分の顔なんてどっちでもいいような気がしてしまうんですが、
患者さんを目の前にすると、顔にあとが残るのは異様に嫌だなぁとか思ってしまうんです。
そんなわけで、まあそれだけなんですけど、
それだけです。
挿管チューブを真っ先に抜いてしまう話でした。