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        (10)黒いベントレー   

 「うん、外面はいいんだけど、中は、悪徳院長の、世古山の一派とポルックスの三輪内の手下共が食い物にしているようだね。院内の医師は、院長派の医局と反院長派の医局に分かれていがみあっているらしいね」

「そうです、おいらたちが配属された第一医局は、反院長派らしいです」

「PFI事業で、民間企業が中に入っているとはいえ、元は市立病院と都立病院が合併して出来た病院だからねえ、あまり、業者との癒着はすすめられないんだが、世古山はどこ吹く風のようだね」

「毎月、ポルックスの子会社に莫大な額の維持管理費を払って、病院はいつも赤字のようです。で、赤字は医者の責任らしいです」

「帳簿はおれもみたよ。医業収入は七億円の黒字なのに、ポルックスに支払われる維持管理費のおかげで、今年度の病院の経常収支は三億円の赤字って言うじゃない。維持管理費の一部は、院長一派にキャッシュバックされているという噂もあるし、叩けばいくらでも埃は出そうだね」

「まあ、田熊さんには命を救われたこともありますから、出来る範囲のことはやりますけど、犯罪とかはいやですよ」

「わかってる。まあ、よろしくたのむよ。おっともう十時か。これから、ちょっと寄るところがあるんだよな」

「あ、じゃあおいらも、あした八時からカンファレンスがあるので、これで失礼します」

「じゃあ、車で送るよ、地下駐車場にいこう」

「ええー、だめですよ。先生、酔っ払い運転じゃあないですか」

「大丈夫、大丈夫。運転手がいるんだよ」

「……はあ」

 おいらたちは、地下の駐車場に降りてゆきました。

「ほら、あそこ」

 田熊さんの指差した先に亜樹子先生のBMWが停まっていました。

 おいらは後部座席、田熊さんは助手席に乗り込みました。 

「運転手というのは亜樹子先生だったんですか」

「まあね、あかがま、大変そうだね。美多摩医療センター」

「はい、田熊さんにもスパイ役を頼まれてもう大変ですよ」

「あかがま君、今夜なぜ君をここに呼び出したかわかるかい」

「いえ、なぜですか」

「うん、少し待っているとわかるよ」

 車内で待つこと約十分。

 駐車場の中に車が入ってきました。

 おや、黒のベントレーです。

「きたきた、きたよ」

 田熊さんはニヤニヤしています。

 停車したベントレーの運転席からは、世古山院長が降りてきました。

 田熊さんが言ったとおり、左手に包帯を巻いています。

「実は、このホテルを、世古山は密会用に使っているのさ。駐車場も必ずこのフロアに停めるので、見張ってたわけ」

 そして、助手席のドアが開かれました。

 降りてきた女性は、何と、渚さんです。

「あっ、女の人は、美多摩医療センターの看護師さんですよ」

 院長の肩に抱かれて、ホテルの客室に上がるエレベーターの中に消えていきました。

「今夜の玩具は、身内相手に手軽にすまそうということか。院長が看護師に手をつける程度では、インパクト不足は否めないね。亜樹子、車を出してくれ」

 帰りの車の中でおいらは、さっきのことを、色々考えていました。

 屋上庭園で、好きだった梶田先生に聞こえるようにと、オカリナを吹いていた、渚さんと、院長に肩を抱かれてホテルに消えていった渚さん。

 どう考えても結びつきません。

「おーい、あかがま。町屋についたよ」

 亜樹子先生に、いわれるまで、頭からそのことがはなれなかったようです。

 いつの間にか、町屋のヨタカヤストアの前に車は来ていました。

 

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   (9)院長の秘密


 ……表向きは、ということは、田熊さんは何か、考えがあって美多摩医療センターを探っているということになります。

「ときに、あかがま君。君に頼みたいことがあるんだ。協力してくれるかなあ」

 キました。

 おそらく、おいらをスパイにして何かを探るつもりのようです。

 田熊さんには、命を救われたりもしているので、不義理はできません。

 おいらは、黙って静かに頷きました。

「じゃあ、今夜、新宿パークハイアットホテルのバー、午後九時に待ってるよ」

 午後は、心エコー検査をするために循環器病外来にいきました。

 外来では、和光先生がもうおいらを待っていました。

「もう患者さんが何人か待ってますよ。あかがま先生、早速検査をはじめましょう」

 おいらたちは、明かりを暗くした検査室にこもって、心エコー検査を開始しました。

 難しい患者さんは、和光先生に、代わってやってもらい、心臓のエコーはさくさく進みました。

 六人ほどの予約が入っていましたが、無難に検査は終了していきました。

 最後の患者さんの、エコー検査が終わって検査室をでて、内科の処置室で、二人でとったエコーの所見を検討していたら、渚さんが、カートに薬を乗せて運んできました。

 でも、渚さんの様子が少し変です。

 とっても青白い顔をしています。

 骨髄穿刺の検査の時とは別人のようです。

 和光先生も彼女の表情の変化に気がついたようですが、ちらりと見ただけで、だまっておいらの記入したエコー検査の所見用紙をチェックしていきます。

 渚さんは、黙って、カートの上に乗せた、薬品の入った箱を処置室の戸棚に運びいれていきますが、その時にひとつ箱が落ちました。

 それは、おいらの足元に転がってきました。

 止血用のトロンビン末の入った箱です。

 おいらが、箱を拾って渚さんに渡すと、彼女は申し訳なさそうに箱を受け取って、棚卸しの作業を再び続けだしました。

 その夜、田熊さんとの待ち合わせの約束をしていた、ホテルのバーにおいらは立ち寄りました。

 カウンターで田熊さんはもう飲み始めていました。

 田熊さんは、おいらをみると、ロイヤルサルートの入ったロックグラスを掲げて合図をしました。

「何にする」

「ジムビームのロック、ダブルでお願いします」

「おれのおごりだから、高い酒でもいいぞ」

「あ、いえ、これでも十分高いです。でもよっぱらっちゃわないうちに、協力させたいことの内容を聞いちゃいますが……」

「うん、まあ、だいたいわかってるんじゃないの、あかがま君のことだから」

「要するに、美多摩医療センターの、内情を探れってことでしょ」

「まあ、そういうことだ、するどいね。特にお願いしたいのは、院長の世古山だな」

「今日は会ってきたんでしょう、世古山院長と」

「会ってきたよ、インタビューは、絶対にいるからな。左手に包帯を巻いてたよ。犬にかまれたといってたが、ありゃ、頭の黒い二本足の雌犬にかまれたみたいだな」

「そんなに女好きなんですか。院長は」

「院長室のゴミバコに、使用済みの避妊具が、何個もあった。空き箱もな」

「えー、院長室でやっちゃってるんですかあ。なかなかのもんですねえ」

「まあ、古来英雄色を好むとはいうが、なかなかのもんだわ」

「でも、田熊さんも、これまで、美多摩医療センターのことは調べたんでしょ?」

 

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    悲しき医畜!戦慄の奴隷医療センター(8)限りなき闇 

  渚さんが、背後に人の気配を感じた瞬間のことでした。

 渚さんは突然、強い力で、後ろから口を封じられ、もう片方の手で、羽交い絞めにされました。

 曲者は耳元でいやらしく囁きました。

「おい、梶田は死んだぞ。いいざまだよな」

 しかし、渚さんは、黙ってませんでした。

 口を押さえていた手に思い切り噛み付きました。

「うぎゃっ」

 思わずひるんだ曲者。

 渚さんは、必死に階段を駆け下り、曲者を振り切りました。


 さて、おいらは、点滴を終えると、他に病棟での仕事はなかったので、医局に戻ることにしました。

 医局では、先生達が、今朝の朝刊を広げて、わいわいと騒いでいます。

 皆、昨日逮捕された、清藤先生の記事を見ていました。

 憤然とした面持ちで、記事をみつめています。

 去年以降、警察のえじきになるお医者さんが後を絶たないため、ほとんど、お医者さんが逮捕されたといっても、医療ミスの疑いならベタ記事程度の扱いにしかなりません。

 ただ、先生方は新聞に載った、院長談話に、怒っているようでした。

 院長は、「今回の医療ミスに関しては、手術担当医に落ち度があったことを認め、亡くなった患者様と御遺族の方には深く陳謝するとともにご冥福を、お祈りします……」という談話を寄せていました。

「おいおい、あの手術は誰がやったって難しいもんだぜ。これじゃあ、清藤先生が医療ミスで殺したっていっているようなもんじゃあないか」

 清藤先生と同じ脳神経外科の先生が、怒ったように叫びます。

「結局、清藤先生は、刺されたんだよ、院長一派にな」

「おい、滅多なことをいうんじゃない。次はおまえかも知れないぞ」

「こら、声が高い。院長の奴、医局に盗聴器を仕掛けているかもしれないぞ」

「ほ、ほんとうかよ。危ない、危ない」

 どうやら、医局の空気は最悪のようです。

 これでは、とても、中でゆっくり出来る雰囲気ではありません。

 この場は、そそくさと失礼することにします。

 こういうときは喫茶室でサボるに限ります。

 おいらは早速、医局の暗い階段を下りました。

 医局の階段をおりて、病院の裏を回ると喫茶室への近道になるよと、智佳子先生から聞いていたので、その通り病院の裏廊下を歩いていました。

 ここの廊下は、患者さんが入ってくることがないので、やはり、薄暗く、湿っぽい空気がくぐもっていました。

 予備薬品庫、備品庫、資料室といった普段は、あまり使われない部屋が並んでいます。
 
 予備薬品庫の前を通りかかったとき、中で人の声がしているのに、おいらは気がつきました。

 とぎれ、とぎれに、聞こえる声は二人とも女性のようです。

 「…死ぬ」、「…注射」

 かろうじて、そういう単語が聞こえたような気がしましたが、おいらの頭の中は「コーヒー」飲みたい病におかされてしまっていたので、何も気に留めずに、部屋の前を通り過ぎました。

 そして、喫茶室でぼーっと、コーヒーを飲んでいたときのことです。

「あかがま君、午前の仕事はもう終わりかい。ずいぶんのんびりだね」

 おや、おいらに、声をかけてきたのは、醫亊臨牀社の田熊亮一さんです。

 国際治療センターの人体実験事件のときにお世話になった人です。

 そうそう、熱帯熱マラリアを使った生物テロ事件では、田熊さんの秘密兵器のおかげで命拾いをしたこともありました。

 田熊さんはおいらの向かいに座って、ウイスキーソーダを注文しました。
 
「田熊さんじゃないですか。お昼からアルコールですかぁ。それにしても、今日は何でまた美多摩医療センターなんかに」

「うちで出す予定の、病院情報誌の取材だよ。表向きはね」

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    (7)  あやしい影


 結局、世古山院長の訓示は、四十分ぐらい続き、おいらたちが、医療センターを出たのは七時をすぎていました。

 明日からまた、ハードな業務が始まります。

 クソ電子カルテを使わないといけないのがつらいところです。

 おいらたちは、帰りの電車の中で、今日の出来事を思い出していました。

 どうも、先生がぼろぼろの医局でなくなったり、いきなり、警察に逮捕されたりと、ちょっと見の綺麗な外観とは裏腹のちょっと困った病院のようです。

「しんちゃん、医療センターどう思う?」

 智佳子先生も明日から、あの病院で働くのがとても不安のようです。

 おいらも同感です。

「そうだなあ、うー先生がきれたっていうのも、わかる気がする。しかし、あの病院の先生が警察に手錠をかけられるほどの悪いことをしたとはといていおもえないんだけどね」

「うん、私の父も嘆いていたわ。ドクターがどんどん警察に連れて行かれるようになって、いったいこの国の医療はどうなるんだろうって」

 まじめに仕事をやっていても、患者さんが死んでしまえば逮捕もありとは、本当に恐ろしい時代になったものです。

 次の日から、おいらたちは、本格的に電子カルテを使っての、病院での業務が始まりました。

 警察の家宅捜索は昨日のうちに終わったようです。

 病院に着くと様子はいつもどおりのようです。

 ただ玄関に、お詫びの貼紙が貼り出されていました。

「この度は、当院医師が逮捕される事態となり、患者様にご迷惑をおかけすることになり誠に申し訳ございませんでした。今後このような不祥事を起こさぬよう、職員一同反省し、再発防止に努めたいと思います。 院長」

 患者さんは、玄関の貼紙をみても別段気にする風もなく受け付けを通っていきました。
 
 さて、今回の修行は、一ヶ月のお約束です。

 来月になると、次の先生が派遣されるので、あまり、入院が長期に渡りそうな患者は主治医として担当はしないよーと、和光先生は、話をしていました。

 外来診察と、検査、点滴をするように頼まれました。

 今日のおいらの病棟初仕事は、貧血の患者さんの骨髄穿刺です。

 そのあと、智佳子先生の点滴の手伝い、午後から、和光先生と心エコーの検査をする予定になっています。

 内科の処置室は十階にあります。

 今回は仕事目的なので、おおいばりでエレベーターを使えます。

 エレベーターで十階に上がり、内科処置室にいくと、検査介助の看護師さんが患者さんを連れてきていました。

「おはようございます。先生、昨日お会いしましたね、今日はよろしくお願いします」

 あっと、介助の担当は、渚さんです。

 昨日、屋上庭園でオカリナを吹いていた、ひとでした。

「あ、昨日のオカリナの……。おいら、赤河しんたです。あかがまとよんでください」

「はい、がんばりましょうね」

 渚さんは手馴れた手つきで、サポートしてくれます。

 骨髄穿刺はちゃちゃっとおわりました。

「それじゃ、私は検体を検査部に提出しにいきます」

「今日はどうもありがとう、じゃあ、おいらはこれから点滴に回るから」

 渚さんは、検体を持って中央検査部の方に歩いていきました。

 渚さんは、こういうときはいつもエレベーターは使わず病棟脇の連絡階段を使います。

 エレベーターを待つより早いからです。

 階段は防火扉を隔てた向こう側にあるので、病棟からは直接見えません。

 階段は一種の密室状態になっていました。

 階段を降りかけた渚さん。

 その背後に、あやしい影がしのびよりました。 

 

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   (6)院長倒れる!


「病理担当医の、和光史恵です。何か困ったことがあったら、主人を遠慮なくつかって頂戴」

「今、警察が来て医局は大変のようですが、先生は、大丈夫なんですか」

「ええ、病理部のほうの家宅捜索は、もう終わったから大丈夫なのよ」

「何か、大変な病院のようですね。ここは」

 智佳子先生がナプキンで口を拭いながら、史恵先生に尋ねました。

「そうねえ、皆、先生も看護師さんもがんばっているんだけどねえ」

 この話になると、史恵先生も顔が曇ってきます。

「患者さんのためといいながら、自分達が儲けるために必死な人たちが、ここの病院にはたくさんいるからねえ」

 おいらと、智佳子先生は、顔を見合わせました。

「ただ、現実問題として、病院の経営もちゃんとしていかなくちゃあいけないから、経営本部の考えもわかるんだけど、現場にしわ寄せが来るのはちょっとねえ」

 史恵先生も今の病院の状況を憂えているようです。

 その他、病理学の話をしていたらいつの間にか、外来開始時間の午後二時近くになってしまいました。

 おいらたちは、内科外来に向かいます。

 智佳子先生は、第一診察室、おいらはとなりの第二診察室で診察します。

 外来では、患者さんを診察を呼ぶときは、「○○様~」と、必ず敬語で呼ぶようにとのことです。

 舌をかみそうですが仕方ありません。

 診察室のドアを開けて、医者が、うやうやしく頭をさげて、患者「様」をお迎えするようにとのことです。


 セレブな病院はいまやみんなそうらしいです。

 荒川医大病院だと、患者「様」などというような医者は、逆に気色悪いヤツだなと、敬遠されそうであります。

 診察自体は、荒川医大のときと変わりませんが、患者さんは、かなり、気合の入った服装でやってこられます。

 荒川医大だと、普段着感覚の患者さんが多いのですが、やはり新しくて、おしゃれなホテルのような病院の雰囲気がそうさせるようです。

 外来診療はとくに何もなくおわりましたが、終業時間前に、世古山院長が全医師に対する訓示をするなどという連絡が、内科外来に届きました。

 講堂に医師が全員集合です、その数は、二百四十名あまり、かなりの大所帯です。

 講堂の壇上に、世古山院長が登壇して、マイクを片手に、一席ぶち上げます。

 脳神経外科の清藤先生が逮捕された経緯の報告と、おまえたちの医療ミスは許さないというような、ゲキをとばしているようです。

 まあ、ようするに、患者がなくなったら、それは全部現場医師の責任ということをいいたいのではないかと思います。

 ですが、おいらは、ここは、どうせ、一ヶ月の居候ですし、院長には、さっき轢き殺されそうになったし、こんな奴の話なんかどうでもいいやと、話をずーっと聞き流していました。

 しゃべりだして十分もたったころ、院長に異変が起こりました。

 院長は急に胸を押さえてうずくまりました。

 ざわざわとする、二百四十人の医師たち。

 院長は、ポケットからニトログリセリンの舌下錠を取り出し、一錠を口のなかにいれました。

 いつも、彼は、ニトロを肌身離さず持ち歩いているようです。

 数分後、ふーっと一息ついた院長は、胸の苦しさから解放されたのか、また一席ぶち始めました。

「院長先生、狭心症かしら」

「何かそうみたいだね」

 おいらたちは、他の先生達に聞こえないようにひそひそ話しをしました。

 

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  (5) 

「和光先生、ご迷惑をおかけします」

 和光先生が、残念そうに言いました。

「あとのことは心配いらないから、私達は清藤先生を待っているからね」

 どうやら、男の人は刑事のようです。

 先生を何かの容疑で逮捕するようです。

 警察の人らしき男性と、先生は医局から出て行きましたが、医局にはまだ何人かの、スーツ姿の男性がうろうろしています。

 すでにダンボールもいくつか持ち込まれています。

 これから、いわゆるガサ入れを行うつもりのようです。

「赤河先生、津村先生。申し訳ない。今から警察が医局内を家宅捜索するそうです。証拠保全のため、電子カルテが一時的に使えなくなるので、午後の先生達の外来診療は一旦、紙カルテで行い、夜にこちらでバックアップします。申し訳ないのですがよろしくお願いします」

 和光先生は、悔しさで紅潮した表情になりました。

「あの、警察の捜索というのは?」

「以前、脳動脈瘤の手術で、残念ながら、患者さんを救命できなかったことがありました。非常に難易度の高い手術でしたが、警察は手術ミスだと考えているようです。逮捕された清藤先生は、以前から、事情聴取を受けていたので、もしやとは思っていたのですが」

「そうですか」

 とんでもない出来事のおかげで、おいらと、智佳子先生は、今日の午後の診察は、クソ電子カルテを使わなくてもすみそうです。

 いつの間にか、時計の針は十二時を回っていました。

 午後診察は、二時からです。

 どこかで、お腹にものをいれなければなりません。

「しんちゃん、お昼休みどうする?一階のレストランに行ってみない」

 智佳子先生は、患者様用のレストランが気になるようです。

 
普段のおいらなら、百円ショップのおにぎりひとつと、水道の水で済ますところなのですが、まあそれなら、ということで、おいらもレストランに付き合うことにしました。

 一階のレストランは二軒、フレンチ&イタリアンの、「ジェーンアリス」と、和食系の「芳兆」。そして、喫茶室。

 どちらも、情報誌では、必ずふれられている、名店です。

 おいらたちは、店先のメニュー書きをみました。

 まず、ジェーンアリスです。

 ランチコースAで二千八十円、Bで三千八十円。

 カレーライス千五百円。

 なめてやがります。

 荒川医大はカレーライス四百円です。

 日替わりランチも五百円です。

 芳兆は、和食御膳二千円です。

 お昼の和食会席にいたっては六千円です。

 荒川医大は、焼き魚定食、味噌汁付き五百円です。

 何が悲しゅうて、病院の昼飯に六千円を払わないといけないのでしょうか。

 六千円といえば、ほとんど、おいらの三週間分の食費ではないですか!

 そういうわけで、おいらがもじもじしていると、智佳子先生が状況を察してくれました。

「しんちゃん、お小遣いがもうないんだったら、今日は智佳子がおごってあげるわ。ジェーンアリスでたべましょう」

 さすが、津村総合病院の一人娘は太っ腹であります。

 二人で、カレーを食べていると、綺麗な女医さんが、にこにこしながら、声をかけてきました。

「あなたたち、荒川医大の先生たちね。さっきは主人がご迷惑をおかけしたんじゃない」

「こ、こんにちは。先生は、和光先生の奥様ですか」

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   (4)オカリナのひと

 おいらは、外の空気が吸いたくなったので、二人と別れて外に出ることにしました。

「じゃあ、屋上の空中庭園に行くといいですよ。眺望はいいです。今日のお天気なら、富士山が見えるはずです」

「教えていただいてありがとうございます。じゃあ、いってきます」

「ああ、ごめんなさい。教えるのを忘れていたんだけど、医師は、業務時以外のエレベーター使用は禁止されているから、階段を使わないとだめだよ」

「ええっ、厳しいんですね」

 何か、ここの病院は、医師はかなり冷遇されているようです。

 仕方がないので、階段をのぼって、十八階の上の空中庭園にあがりました。

 もう、足はがくがくです。

「はあーっ」っと、大きく息をはいて、背伸びをしました。

 屋上からの眺めは最高でした。

 東に新宿の副都心。

 西に富士山。

 まだ、この街には、この病院以外に高層ビルがありません。

 美多摩市を一望できます。

 おや、どこからともなく、オカリナの音が聞こえてきます。

 とても、悲しげな曲を奏でていました。

 テレビから流れてきたのを聞いたことのある曲でした。

「誰が、オカリナを吹いているんだろう」

 おいらは、オカリナの音の聞こえるほうに向かって、歩いていきました。

 オカリナを吹いていたのは、ベンチに座っているきれいな女性でした。

 髪が長く、くりくりとした瞳の、二十二、三歳ぐらいのひとです。

 女性はおいらの顔をみると、オカリナを吹く手を止めました。

「あ、ごめんなさい、じゃまをしちゃって」

 おいらは、驚かせてしまったのかと、あわてて頭をさげました。

 彼女は、笑って答えました。

「いえ、いいんです。今度、こられた先生ですね。私、仁科渚です。内科病棟の看護師です」

 オカリナを吹いていた女性は、この医療センターの看護師さんでした。

「悲しい曲だね。いつも、ここで、オカリナを吹いているの」

 おいらの、問いかけに渚さんは頷きました。

「宗次郎さんの『悲しみの果て』です。大事な人に聞いてもらっているんです」

「大事な……ひと?」

「……今は、空にいます」

 おいらは、すぐに医局の机の花を思い出しました。

「あの、ひょっとして大事なひとって、ここの病院の先生?」

「はい、彼はとても一途でまじめな人でした。いつも、私の吹くオカリナを聞いてくれました」

「……だから、今日も彼に聞いてもらっているの?」

「今日は、深夜勤務の明けなんです。この街で、この場所が一番天国に近いので、彼の耳にも届くような気がします」

 話していると、渚さんはとても悲しそうな表情になりました。


 そろそろ、休憩時間が終わりそうなのでおいらは、また、医局への階段を下っていきました。

 医局に戻ると、智佳子先生と和光先生も戻っていました。

 でも、医局全体の雰囲気が少し変です。

 お医者さんたちが、がやがやしています。

 見慣れない人も何人かいるようです。

 背広を着た男の人が何人か医局にいます。

 一人の背広服の男の人が、一人の先生に近づいて、なにやら話しかけています。

 その先生は、頷いて両手を差し出しました。

 男の人が、いきなり光るものを胸から取り出しました。

 手錠です!!

 がちゃりと冷たい手錠が、先生の両腕にはめられました!

 先生は、半泣きの表情になりながらも、和光先生に頭を下げました。

 

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  (3)クソ電子カルテ


 和光先生の口ぶりでは、あまり、いい感情を持っていないみたいです。

 しかし、医局も薄暗いのですが、それにしても、気になったのは、天井の蛍光灯です。

 すでに二本ほどが、もう寿命のようです。

 ちかちかと点滅しています。

「あの、天井の蛍光灯がもう寿命のようなんですけど、ここでは代えないのですか?」

「ああ、あれね。完全に明かりがつかなくなるまで、総務課から、使うようにっていわれててね」

 和光先生が悲しそうに教えてくれました。

「ええっ、目が悪くなりませんか?」

「うん、でも、慣れれば何とか大丈夫だよ」

「なんか、総務課もけちくさいですね」

「なんでも、ここの病院は患者さん中心というのが売りでね、医局のほうにはほとんど、備品の予算がつかないんだよ」

 それにしても、このお部屋の雰囲気の暗さは一体何なのでしょう。

 先生方の顔色もよくないですし、朝から大あくびをして、机に突っ伏して寝ている先生もいます。

「そこ、二つ机が空いていますからどうぞ使ってください」

 おいらと、智佳子先生は、机に、当座の参考書を置こうとしましたが、おいらの机の上には、花をいけた花瓶が置かれていました。

「あのう、和光先生。このお花……」

「ああ、そこの机の先生、梶田先生というのですが、この間なくなられたんでね。その机にすわったまま死んでたんですよ。ちょうど四十九日がすんだところ」

「いいっ?急病だったんですか」

「うん、心臓麻痺でね、先生たちも気をつけてね。身体だけは大事にしてよ」

 なくなられた先生はそうとう身体を大事にしてなかったのでしょうか。

 おいらはちょっと、ここで仕事をするのが不安になってきました。

「じゃあ、電子カルテの使い方を説明するよ。午後からは二人とも内科外来の診察を受け持ってもらいますのでしっかりいまのうちに覚えてください」

 おいらと智佳子先生は、クライアントコンピューターの前に座って、和光先生の説明を受けました。

 しかし、この電子カルテ、最高に使い勝手がよくありません。

 何か。わざと、使いにくくしてるみたいです。

 荒川医大の、電子カルテとは、雲泥の差のようです。

 さすがに、智佳子ちゃんが不満の声を漏らしました。

「和光先生、この電子カルテ、使いにくくありませんか」

 和光先生の目をじーっとみて不満をもらします。

「ごめんね。実は、僕達もそうは思っているんだけど、どの、メーカーの商品を使うかっていうのは経営会議できまるんだ。経営会議のメンバーには、現場の医師はだれもはいっていないからねえ。この電子カルテをつくったのは院長の知り合いの会社らしいよ」

 ふうむ、どうも、PFIというのはずいぶん胡散臭い代物のようです。

 二時間ほど、コンピューターの前に座っていると、肩がこってしようがありません。

「じゃあ、一服入れましょうか」

 和光先生もお疲れのようです。

 おいらたちは、一旦休憩をとることにしました。

 智佳子先生と和光先生は、喫茶室に行くそうです。

 おいらは、外の空気が吸いたくなったので、二人と別れて外に出ることにしました。

「じゃあ、屋上の空中庭園に行くといいですよ。眺望はいいです。今日のお天気なら、富士山が見えるはずです」

「教えていただいてありがとうございます。じゃあ、いってきます」

 

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    (2)奴隷共の墓場医局


 智佳子ちゃんの、叫び声がなければ、ぼーっと、よそみをして歩いていたおいらは、轢き殺されているところです。

「ばっきゃろうう!どこをみて歩いてやがるんだよおお!」

 ベントレーのドライバーが、窓から顔を出しておいらを怒鳴りつけました。

 それだけでは、気がすまないのか、火のついた葉巻タバコをおいらたちに向かってなげつけます。

 レイバンのサングラスをかけた五十歳ぐらいの男の人です。

 わき見をしてた、おいらも不注意ですが、ベントレーで、駅前のロータリーをぶっちぎる人も相当なもんです。
 
 捨て台詞を残すと、ベントレーの男の人はまた、車を急発進させて、医療センターの敷地の中に消えていきました。

「ああ、怖かったあ」

「あんまり、周囲の景色に見とれるからよ。さあ、私達も医療センターに急ぎましょう」

 おいらは、智佳子先生に背中を押されるように、医療センターの建物に向かいました。

 エントランスから病院の中に入ってみると、中は、とてもきれいです。

 医局の場所がよくわからないので、受付のところにいきました。

 コンシェルジュと、英語で書かれたデスクに、三十歳ぐらいの、イケメンの男の人が座っています。

 おいらたちが、すみませーん、というと、愛想よく応対をしてくれました。

「いらしゃいませ、患者様。今日はどちらを御受診ですか?」

「いえ、荒川医大の内科のものなんですけど、診療支援に来たんですが」

 おやおや、智佳子先生がそう答えるや、コンシェルジュの男の人の表情が、あぁんという表情に変わりました。

 ごみをあさる、野良犬のような汚いものをみるような目つきに変わりました。

「ああ、医者は裏、荒川医大は三階の第一医局」

 あごをしゃくって、さししめしたのは奥のドア。

「す、すみませーん」

 お礼を言って、奥のドアに向かうおいらたちの背後で舌打ちをするような音が、聞こえました。

 何かあまりいい感じはしませんでしたが、おいらたちはだまって、奥のドアから中に入っていきました。

 ドアを開けると、受付のスペースとは、全く趣の異なった薄暗い階段がありました。

 コンクリートむき出しの階段です。

 電球ひとつついてないので非常に暗く感じます。

 階段の手すりには、矢印を引いて、マジックで「第一医局」と書いた。プラスチック板が貼り付いています。

 このかび臭い階段を三階まで上がると医局につくのでしょうか。

 すると、「第一医局」と書いたプレートが貼られた鉄のドアが見えてきました。

 智佳子先生がノックをすると、ぎぎーっと、音がして、ドアが開かれました。

 薄暗い医局の中から、四十歳くらいの、青白い顔をした、先生がぬーっと顔をだしました。 

「あの、荒川医大の内科から、来たんですけど……」

「ああ、聞いてますよ。私、診療部長の和光貢です。循環器科を担当しています。津村智佳子先生と、赤河しんた先生ですね。ようこそ、美多摩医療センターへ」

 おいらたちは、薄暗い部屋を見回しました。

 医局の壁に、男の人の写真が、かけられてられているのがみえました。

「あーっ、さっきの!」

 写真に写っているのは、さっきおいらを轢き殺しかけた、ベントレーのドライバーです。

 胸に勲章をぶら下げて、竹馬厚生労働大臣と握手しています。

「世古山淳一院長ですよ、美多摩医療センターのカリスマと呼ばれています。面識あるんですか」

「いや、面識というか、殺されかけたというか……、ははは」

「現場医師の我々からすれば、天上人ですよ、彼は」

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   (1)奴隷の叫び


 今朝、勤勉で優秀な我々の仲間が息をひきとった。

 白衣のまま、医局の机の上で息絶えていたのだ。

 このことを、彼の父と母にどう伝えればいいのか。

 戦友の死に、我らは言葉もない。

 次の殉教者は、誰だ?


 ~美多摩医療センター診療部長、和光 貢の日記より~

  

 

 東京都美多摩(みたま)区。

 平成の大合併で生まれた、二十四番目の特別区です。

 新宿、渋谷から、私鉄、新東京高速電気鉄道(通称、新京美多摩線)の快速で、いずれも十五分という交通のな場所に位置しています。

 美多摩区は、セレブの住むおしゃれタウンとして、有名になりました。

 ここに住む女性は、美多摩ネーゼもしくは、美多摩ジェンヌというそうです。

 よく、土日のしょうもないテレビの情報番組でよく、この街のお店が紹介されています。

 純血種の犬をつれて、美多摩記念公園でお散歩をして、そのあとおしゃれなお店で、英国式のお茶をいただくのが、正しい美多摩ネーゼのライフスタイルだそうです。

 そして、その美多摩センター駅の、駅前ロータリーを隔てた、すぐ正面に、巨大な総合病院があります。

 美多摩医療センター。

 ベッド数、千百。

 三次救急を標榜する、大型救急総合病院です。

 旧美多摩市民病院と、旧都立美多摩病院が統合してできた、PFI事業が運営する病院です。
 
 PFI事業(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)とは、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う新しい手法です。

 と、いえば、聞こえはいいのですが、人によっては、究極の官製談合という人もいます。

 実は、参入業者の選定に対して、非常に不透明な部分があるらしいです。
   
 ちなみにこの、美多摩医療センターを運営しているのは、「現代の政商」といわれている、三輪内利彦が総帥をつとめる、ポルックスネオホールディングスが、大株主をつとめる美多摩PFI社です。

 おいらと、智佳子先生は、しばらく、荒川医大を離れて、ここで修行をすることになりました。

 まあ、修行といいますか、奴隷もとい、研修医不足で、人手が足らないということで、荒川医大から派遣されたのです。

 先月は、たくちゃんとうー先生が派遣され、「キレまくった、うー先生のフォローで大変だったよ」と、たくちゃんは、ぼやいてました。

 かなり、ヘビーな修行らしく、智佳子先生もおいらも、かなりビビッています。

 電車を降りて、ホームを抜けると、とても綺麗な駅前のロータリーに出ます。

 日暮里駅前のロータリーのように、ソープランドの送迎車を待つ、不気味な男の人の集団は、当然ながら見られません。

 ロータリーには綺麗な、花壇があり、季節の花が、沢山咲いていました。

 ロータリーから抜ける横道には、おしゃれなブティックや、ケーキ屋さんが軒を並べていて、コーヒーの香りが漂っています。

 田園調布や自由が丘の駅前にも負けないぐらいおしゃれな雰囲気であります。

 おいらは、おのぼりさんのように、「へー、へー」と、お店をみながら歩いていました。

 すると、けたたましいクラクションを鳴らして、真っ黒いベントレーがおいらの脇をすり抜けました。

「しんちゃん!あぶない!!」

「ひえええっ」

 

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