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執筆再開しました。1-8は既出です。
(1)
凍えるような冬の日の朝だった。
くずれそうなアパートの四畳半で、りきまるは、せんべいぶとんを、頭からすっぽりかぶって、眠っていた。
突然、どんどんどんと、アパートの玄関のドアを乱暴にたたく音が聞こえてきて、りきまるは目覚めた。
まだまだ、眠りたかったし、どうせ、一週間前に姿をくらませたおやじに金を貸した闇金業者が、怒って取立てに来たのだろうと、しばらく無視していたんだけど。
そのうち、乱暴な訪問者は、声を出し始めた。
「あおいさーん、青井夢の介(ゆめのすけ)さーん、警察でーす。あけてくださーい」
「けいさつ?」
たしかに、おやじは、借金をあちこちで踏み倒してはいるけれど、警察のお世話になったことは一度もない。
というか、法律を犯すような度胸なんてこれっぽっちもない。
りきまるは、警察の言葉が気になって、玄関に向かい、訪問者に声をかけた。
「ゆめのすけは、一週間も、ここをあけていて、帰ってきていません。だいたい、警察の人が何のようですか?」
「あんた、夢の介さんちのおうちのひと?」
「はい、息子ですけど」
「ああ、よかった。じつはね、きみのおとうさんらしい人が、なくなっているって、警察に連絡があったのでねえ、よかったら一緒に確認にきてくれないかなあ」
「なくなった……」
ひとは、笑顔に祝福されながら生まれ、涙で悼まれながら死んでゆくものだというけれど、すくなくとも、りきまるのおやじは、そういう安らかな最期ではなかったようだ。
警察の車で、りきまるは、おやじが運ばれたという、医務院に連れて行かれた。
そこの死体置き場で対面した、おやじの親父の胸には、蹴りをいれられたのか、墜落でもして強打したのか、アバラ骨が何本かへし折れたのか、見事にくぼみができていたのである。
肺と心臓が破裂して、おそらくは即死だったろうということだ。
なんでも、隅田川に、浮かんでいたところを、釣り船がみつけたらしい。
刑事さんが話しかけてきた。
「えーと、青い…」
「りきまるです」
「ああ、そうそう、りきまる君、このひと、おとうさんに、まちがいないかい?」
「はぁ、まちがいありませんが、ぼくはいったいこれからどうしたらいいのでしょう?」
不思議に、おやじがかわいそうとか、悲しい気持ちとかにはならなかった。
おやじに関しては、まともな最期をむかえるなんてことはありえないよって、ずっと思ってたから。
でも、十四歳にして、天涯孤独の身になると思うと、さすがにりきまるも心細かった。
「りきまる君、おかあさんとか親戚はいないの?」
「親戚はいないって、おやじは言ってました。母の顔も一度も、みたことありません。こどものときから親父とふたりでしたから、」
りきまるは、そう答えたけれど、その答えは、厳密にいえばただしくない。
実際は、ほとんどひとりぐらしだったから。
小学校のころから、部屋に千円札をおいて、おやじはりきまるをひとり、アパートに残して、一週間か二週間、ふらりとどこかにでかけていなくなる生活をずーっと、つづけていた。
いつのまにか、その千円札は、五百円玉になり、最近になってついに、闇金業者からの借用書になった。
刑事さんは妙に、同情するような顔つきになり、こういった。
「じゃあ、養護施設にいくしかないねえ」
(2)
墨田区の養護施設「京島天使園」、そこが、りきまるの新しい居場所だった。
そこの、職員の人がりきまるに、いろいろこれからのことを教えてくれたり、おやじの死亡の手続きをしてくれた。
おやじの借金は、命を代償に払ったということになるのだろうか、その後、孤児となった十四歳の少年には追い込みがかかることはなかった。
その施設は、墨田区、曳船の戦災を逃れた、住宅街の中にあり、当初は、戦災孤児がたくさん生活をしていたそうだ。
十年ほど前に、建て直しがされたので、さすがに当時の面影はのこしていない。
その庭には、犬小屋が一つ。
小屋のそばには、柴犬がいて日向ぼっこをしていた。
柴犬は、りきまるをちらっとみると、尻尾を二度ふっただけで、興味なさそうに、ふああとあくびをしながら、そっぽをむいた。
「リクだよ。きみ、あいつに気に入られたみたいだね」
「ええ?でも、あっち向いちゃいましたよ」
「リクは、気に入った子がくると、尻尾を二回、ぱたぱたってするのさ。さあ、君の部屋に案内しよう」
りきまるの部屋は、二階の六畳間。二人部屋だった。
伊原健太という、同い年の少年とくらすことになった。
十四歳にしては、百五十センチに足らない小柄なりきまるにくらべて、健太は大柄で、身の丈はもう百七十センチをこしている。
健太は、ひとなつっこい笑顔で新参の同室者を明るく迎えてくれた。
初めての夜、二人は、これまでの生い立ちを、誰からということもなく、語り合った。
健太は、北陸の海辺の村で育った。
さっき、庭でみかけた柴犬リクは、彼の家で飼っている犬だった。
「リクは、俺の命を救ってくれたんだ」健太はそういって、愛想のない柴犬をほめちぎっていた。
それは、昨年の夏のある日曜日、リクと健太は、空き家になっている漁師小屋に入って遊んでいたときのことだ。
突然、大きな地震が北陸地方を襲った。
粗末な、漁師小屋はあっけなく崩れ落ち、健太は天井の梁の下敷きになった。
本当に粗末なつくりであったので、健太は命を失わずにんだが、下半身が梁の間に挟まれ、動きがとれなくなってしまった。
「リク!リク!大丈夫か!返事をしておくれ!リク」
健太は、自分の身体よりも、リクがつぶれてしまやしてないかと心配になり、大声で叫んだ。
ほどなく、リクの鳴き声が聞こえてきた。
リクはおびえた様子だったが、怪我をしている様子もなく健太のところにそろそろと近づいていった。
リクが、健太の顔を覗き込んだ。
体の小さいリクは、崩れ落ちた小屋の隙間にいて、難を逃れていたのだ。
「ああ、リク、お前は無事だったんだね、よかった…」
しかし、健太は動くことが出来ない。
そのうちに日が暮れていった。
誰も助けは来ない。
はさまれた脚の痛みもさることながら、健太はのどが、からからに渇いてきた。
だんだんと気が遠くなっていきそうになる健太。
リクは、常に健太の横にいた。
健太の顔を舐めたり、頬ずりをしたりして、健太の周りから離れないようにした。
夏とはいえ、北陸地方の夜は寒い。
日暮れとともに、ぐんぐん気温は下がっていく。
しかし、リクは、夜の間中、健太が凍えを感じないように、懐の中に入ってきて暖めてくれた。
口が渇いてきたら、唇を舐めて、潤してくれた。
そして、次の日。
健太は、救援隊の声がするのを聞いた。
「おーい、誰かいないかー?」
しかし、もう健太には、答える気力がもはや残っていなかった。
そのかわりに、リクが猛然と、小屋の瓦礫の中から飛び出して、救援隊にほえかかった。
レスキュー隊員たちが、リクに誘われるように、小屋のほうに駆け寄ってくる。
「おい、男の子だ、生きてるぞー、みんな、手を貸してくれえ」
隊員が、梁の隙間に挟まれている健太をみつけてくれた。
梁や、小屋の屋根の一部を、レスキュー隊員が総出ではがすと、健太には、朝の光が眼に飛び込んできた。
健太は、こんなに陽の光が眩しいものだとは、これまで一度も思ったことはなかった、と同時に、ああ、これで僕は助かったんだと安堵した。
(3)
そして、救急車に乗せられて、健太は病院に運ばれた。
病院は、けが人でごった返していた。
たくさんの人が死んだり傷ついたということだ。
健太も右脚の骨にひびがはいっているとかで、ギプスをはめられた。
「お父さん、お母さん、瞳は大丈夫だったかなあ」
健太は、地震に襲われてから、両親と妹の安否がわからないということがとても不安だった。
ベッドに寝かされて天井をずっと眺めていても、頭に浮かぶのは、そのことばかり。
そんな時、懐かしい声が聞こえた。
「伊原健太くーん、どこだー」
それは、中学校の担任の三宅先生の声だった。
病室は、もともと四人部屋だったのが、無理やり応急こしらえのベッドを、三つもいれてしまったので、ほとんど歩くゆとりもない。
だから、この部屋に、健太が入院してるということがわかっても、どのベッドに寝ているのかは、廊下からはよくわからない。
三宅先生はとりあえず、大声をはりあげて、健太を探したのである。
「三宅先生、健太はここでーす」
健太は、手を上げて、三宅先生を呼んだ。
健太をみつけた三宅先生は、うれしそうに健太のベッドのほうに近寄ってきた。
「健太、大丈夫だったか。先生うれしいよ」
そういう三宅先生は頭を包帯でぐるぐる巻きにさせられていた。
「先生も大怪我をしたんですね」
「大丈夫だ、頭を十二針縫ってもらったけれど、たいしたことはない」
「先生、俺の、とうちゃん、かあちゃん、それに妹の瞳は元気ですか」
健太はさっそく、家族のことを聞いてみた。
さっと、三宅先生の顔が曇った。
「健太、落ち着いて俺の話を聞いてくれ。今度の地震ではな、たくさんの人が死んだり、俺たちのように大怪我をした」
「はい」
「そして、なくなった人は、今、学校の体育館に安置されている。残念だけど、おまえのご両親、妹さんもそこにいるんだよ」
「うそ、でしょ?先生。かあちゃん、夜はカレーにするから早く帰って来いって……」
そこまで、言いかけたが、健太はもう涙があふれてきて言葉にならなかった。
つぶれた、伊原家の下敷きになり、圧死の状態で三人とも見つかったということだった。
三宅先生は、健太の肩を抱いて言った。
「いいか、健太。おまえは、しっかり生きろ。な、みんなの分まで、がんばって生きるんだ」
次の日、健太は、松葉杖をつきながら、学校の体育館にむかった。
三宅先生の話は本当なのか、確かめに。
一晩泣きはらして、涙はもう枯れたと思っていたのに、涙のやつは、次から次へとあふれ出てくる。
「ちきしょう、ちきしょう」
つぶやきながら、健太は涙をふいて、体育館の中を歩き回った。
体育館の中では、あちこちで泣き叫ぶ声がこだましていた。
健太は、妹、瞳の変わり果てた姿と対面した。
瞳の口の周りについた血を、健太はやさしくぬぐいながら、語りかけた。
「瞳、ごめんな。あんとき、俺がおまえを連れて出かけてたら、こんなことにならなかったのに」
健太自身が助かったのも、奇跡的なことなのに、そう思わざるをえなかったのだ。
健太は、棺の中の両親にも話しかけた。
「とうちゃん、かあちゃん。今日まで育ててくれてありがとう。親孝行できなくて、本当にごめんよ。俺、とうちゃんとかあちゃんが天国から見てて恥ずかしくないような大人になるから、ずっと見守っててくれよな」
やがて、傷の癒えた健太は引き取る親戚もいなかったので、リクと一緒に、京島天使園へと引き取られていったのだった。
(4)
夢の介の死体が隅田川で見つかってから、三日が経過した。
本所警察署の刑事、根津重雄は、机に向かって事件書類を繰っていた。
一見、不慮の事故死とも思われた、夢の介の死亡原因が、検屍の所見から、他殺による死亡の疑いが濃厚となったためだ。
まず、夢の介の両手首に縛られた場所があったこと。
そして、致命傷となった胸の傷の陥没した部分が、野球のバットを振り下ろして強打したときにできるものと見事なまでに一致することがわかったからだ。
「謎に満ちた男の死、ってわけかね」
夢の介が、息子と暮らすアパートを出て、死に至るまで、その足取りはまだつかめていない。
また、夢の介には闇金業者からの負債があったということは、小耳にはさんではいるが、彼らとのトラブルがあったという話はまだ根津の耳には、入っていない。
根津は、昆布茶を、ひとくち、口に含んだまま、じっと考えた。
すでに、定年を間近に控えている根津は、もともと、荒っぽい、捜査をする刑事ではなかった。
状況・物証を一つ一つ、丁寧にあたって、いつかしら事件の核心に近づいていく。
そういう粘っこい捜査が持ち味だった。
「殺し方に品がなささぎるよな。ま、そういうやつの仕業なんだろうけど」
言葉が、ひとりでに湧いて出た。
隣の机で、夢の介の死体写真を覗いていた、同僚の刑事、本町裕也が根津のほうを向いた。
本町は、まだ、二十九歳、肥満体で童顔の彼は、五十半ばの根津と並ぶと、親子にみえる。
事件捜査の時に、コンビを組む二人のことを、他の刑事は「親子刑事」とよんでいた。
一方の根津は、あいもかわらず、昆布茶を片手に、書類をじっと眺めていた。
「借金のトラブルですかねぇ。やっぱり」
本町がぽろりといった。
「借金を踏み倒されて、頭に血がのぼった闇金の若い衆に、バットで殴り殺されたって考えるのが自然なんだろうけどな」
答える根津。
「でも、何かひっかかるんだわ」
「それは、生前の、夢の介の行動ですね。重さんが気になっているのは」
「そう、借金して、息子をほったらかして毎日、やっこさん、どこで何をしてたのか、知りたいものだねえ」
青井夢の介の過去を調べると、かつて浅草の病院で、内科の医者をやっていたことがわかった。
ただし、それは十五年以上前のことである。
また、夢の介の妻、紀子は十二年前に失踪していた。
失踪届けが、夢の介から出されていて、それっきりになっている。
紀子は、調布にある薬大で、研究者をしていたが、海外留学に出かけたまま、行方をたったということである。
りきまるが、二歳の時のことだった。
夢の介は、失踪届けを出すとともに、浅草の病院をやめて、パートタイムで医者の仕事をつづける傍ら、仕事のない日は息子の面倒をみるわけでもなく、あちこちをほっつき歩いていたそうだ。
「何か、この夫婦のかげからね、何かが、ぷんぷんにおってきてるんだよ、この五十二歳のボロ刑事の鼻っ面にさあ」
「単なる借金トラブルだけではない?」
「うん、まあな。なんともいえん」
「とりあえず、京島にいきますか。息から話を聞きに」
「そうだな。なんにしろ、あの息子がたった一人の身内だからな」
(5)
りきまるを尋ねて二人の刑事がやってきた。
父、夢の介の生前の行動について尋ねたいとのことであった。
りきまるは部屋に刑事を通した。
同室の健太は、柔道をやっていて練習からまだ帰っていなかった。
「おやじ、ですか」
りきまるの、脳裏に浮かぶ、夢の介のすがたといえば、寡黙で朝からそそくさとアパートを出る後姿くらいのものだった。
ただひとつ、夢の介が、百円ライターを、家の中ではいつも、もてあそんでいたのを、りきまるは思い出した。
「その、ライターは、ぼくの机の中にあります」
たとえ、百円ライターでも、夢の介の数少ない遺品であった。
りきまるは、机の引き出しの中から、そのライターを引っ張り出した。
根津は、ライターをりきまるから受け取った。
ライターには飲食店の名前が刻まれていた。
「バー、ロボスかい。電話番号は、こりゃあ、亀戸あたりかな」
「これぐらいしか、お手伝いできなくてごめんなさい。今のところ覚えているのはそれぐらいです」
申し訳なさそうな、りきまるに、根津は答えた。
「おやじさんは、ずいぶん君をほったらかしにしてたもんだねえ」
「あまり、あまり家にいなかったのは、事実ですけど、何かぼくにもいえない事情があったのかもしれません」
「りきまる君、君はなかなかおとなだねえ」
「五歳ぐらいのときに一度、僕のお母さんはどこにいるの?って聞いたことがあります。そのときは、おやじは黙っていやあな顔をしました。子供心に、まずいことを聞いちゃったのかな?と思い、それからは聞いてません」
「そうか、君のところはお母さんもどこにいるかないままだったんだよね。僕らはきみのお父さんはきっと誰かに殺されたんじゃないかと思ってる。犯人はかならずつかまえてあげる。お母さんの行方も出来るだけ調べたい。だから、これから、君も思い出したことがあったら、教えてほしい」
京島天使園をあとにした根津たちは、亀戸のバー・ロボスに向かった。
亀戸天神近く、小さな飲食店が密集する一角に店はあったらしい。
が、すでに一月ほど前に、店をたたんだということだった。
「いやあ、それにしても、なんか変わった店だったよ。この変じゃ見慣れない外国人の客がいつも、英語かフランス語かなんやらでこそこそ話してやがんの」
当時のロボスを知る近所の飲食店の主人たちは、口をそろえて、うさんくさい店だといっていた。
「じゃあ、地元の人間の出入りはあまりなかったのかね」
「そりゃさ、何かの間違いで一見で入ったり奴もいるけどさあ、居心地悪いから、ビール一本のんだら、失礼しやした~って、もんだよね、うん」
「店主の顔は覚えてる?」
去年、営業の届けを出した男はすでに行方不明になっていた。
「うんにゃ、接客してたのはいつも、若い女の子ばっかりだったな。カウンターに座ってたのは。カクテルも女の子がつくってたし。マスターが顔だしてるとこなんて見た奴はいないんじゃないのかな」
「他には何か気がついたことはない?」
「そうだな、店の中だけどさ、やたら、キリスト教っていうの?そういうような宗教の集まりの貼り紙が壁にぺたぺた貼られてた。『聖天のしもべ』って書いてたな」
「亀戸の繁華街の宗教がかった得体の知れない、バーですか」
帰り道、本町がつぶやいた。
(6)
数日後、夢の介の私物が見つかった。
地下鉄霞ヶ関駅のコインロッカーに、保管期限がきれたのちも、所有者があらわれずロッカーの中に放置されていた鞄。
その中に青井夢の介名義の神宮医科大学付属図書館の利用許可証が入っていた。
神宮医大は、青井夢の介の母校である。
結局、ロッカーの鍵は、夢の介が暴行を受けたか、死体が遺棄された際に何処へか失われたものと思われた。
その他に入っていたものは、着替えの下着類、膨大な量の英字論文の写し、さらには、りきまるが持っていたのと同じライターが三個、これはすべてオイルがきれているのか日の行かない代物であった。
根津と、本町は、鞄の中のものを、一つ一つ、注意深く確認した。
それにしても、厄介なのは、英字論文の束である。
事件と関係あるのか、二人には、皆目見当もつかない。
「根津さん、この論文の山どうします?医大の先生に読んでもらいますか?」
「あたりまえだ、俺たちがみても何もわからん。ただ、単に学術的な興味から集めてみたものとは思えんがな。一度、夢の介が所属してた研究室を訪ねてみよう」
青井夢の介は、母校の神経内科学教室に七年間、所属し、学位の授与もうけている。
根津と本町は、神経内科学教室の医局を尋ねることにした。
応対したのは、医局長を勤める講師の館山良一だった。
夢の介と同期入局ということであった。
館山は、彼が気の毒だと、ひとこと、夢の介にたいしての悔やみを言ってから、当時のことを語った。
「青井君は、研究も、臨床も大変熱心な男でした、ただ奥さんが失踪してからは、やはり表情に陰りがみえていましたが」
「青井さんは、こちらの図書館に最近まで出入りしていたようなんですが」
「うちの大学の図書館は卒業生に開放しています。開業をするものが多いので、最先端の医療の論文を勉強するのに助かっているようようです」
「そういうことで、ちょっと申し訳ないのですが、先生に見ていただきたいものがあるんですが」
根津は、論文の山を、館山の前に広げた。
「これらは、死の直前まで、青井さんが眼を通していた論文です。どんな内容のものか、教えていただければありがたいのですが」
「ほほう、たくさんありますね」
何通かを手に取り、館山は興味深そうに、ぱらぱらとめくってみたり、論文の表題に眼をおとしてた。
十数分後、館山は、論文から、視線を根津たちに移した。
「これらは、神経系を麻痺させて効果を発揮する鎮痛剤の、製造と生理作用に関する論文のようです」
「鎮痛剤ですか」
「はい、青井君は、セロトニンという脳内神経伝達物質の研究で学位を得ています。ですから、まあ完全に畑違いとはいえません、が、特別な興味がなければ、彼はこれほど論文を集めたりはしないでしょうね」
(7)
「特殊な鎮痛剤、ですか」
根津は聞き返した。
「そうです。はっきりいうと、合成麻薬の一種と思われます。確か、この研究は、彼の奥さんの美由紀さんが研究されていたはずです」
館山は、青井の妻の研究内容を青井から聞き知っていた。
それに関する論文が、根津の持参したものにいくつか含まれていたのである。
「そうですか、奥さんの研究テーマについてのものですか……」
「そうです、奥さんの書いた論文も混じっています」
それは、何と、五年前の論文であった。
確かに、Miyuki Aoi の文字が、論文の拍子にプリントされていたのである。
失踪後も、青井の妻、美由紀は研究を続け、そのうえ、成果を、論文に発表していたのである。
根津はそれで納得できた。
おそらく、これを見て、夢の介は、美由紀が生きていることを確信したのではないか。
論文発表時の美由紀の所属は、アメリカの研究所であった。
おそらくして、渡米して行方を捜したが、再開できなかったに違いない。
息子は東京に残しているので、ずっとアメリカにいるわけにもいかない。
おそらくは、後ろ髪を引かれる思いで、帰国し、その後も、美由紀の行方を捜す手がかかりがないかと、論文を必死に探していたのだろう。
妻は、失踪以前から、合成麻薬の範疇にもふくまれる鎮痛剤の研究を続けていた。
その経過中に何者かの陥穽に落ちたと夢の介は考えた。
そして、最近ついに、その糸口をつかんだに違いない。
そうでなくては、彼が惨殺されたりはしない。
根津には、夢の介と美由紀を、屠った闇の入り口がぼんやりと見えてきたような気がした。
根津は、館山に、論文の内容の詳しい調査を依頼した。
「わかりました。神経薬理学を専攻している大学院生に調べさせますから」
館山は快諾して、根津の持参した、論文のコピーを預かった。
根津と本町は、署に戻った。
ある程度捜査の、方向に目星がついたような気がする。
事件の根は、夢の介の妻、美由紀の鎮痛剤の研究、それに引き続いての失踪に端を発していた。
それから、十五年。
五年前に、美由紀の名前の論文が発表されているが、それ以外に、美由紀の消息に関する情報は、ほとんど夢の介は得ていなかったに違いない。
夢の介が、つかんだ、美由紀の行方の糸口。
根津は、鞄に入っていた、百円ライターに眼を向けた。
鞄に入っていたのはいずれもすでに使えない代物であった。
どうして、夢の介は、火のつかないライターを三個もかかえていたのか。
そういえば、息子のりきまるも、一個持っていたな、と根津は思い出した。
そう思ううちに、あることに気がついた。
鞄には、煙草は一箱も、一本も残されていなかったのだ。
根津は、本町に尋ねた。
「おい、夢の介は、煙草吸ってたか?」
「はあ?」
「ほら、司法解剖の結果だよ。あいつの肺は、煙草の煤で、真っ黒じゃなかったか」
「えーと、いえ。肺の組織は、とっても綺麗です。喫煙者じゃないようです」
「そうか。本町、おかしいとは思わないか?煙草を吸わねえやつが、ライターを何個ももつ必要ってあるか?」
「あぁ、たしかにそうですね」
「ちょっと見てみろ。このライターは、金具以外は真っ黒なプラスティックで出来ていて、中の状態は確認できない。だから、オイル以外のものがライターの中に入っていても、外からはわからないってことなんだ」
根津はライターを改めて、見直してみた。
りきまるから預かったものだ。
よくみると、プラスティックのボディーの底が、外れるようになっているた。
小さなドライバーを使って、底のふたを注意深く外してみた。
ここから、オイルを注入するようになっているはずだが、根津はその中から、別のものが出てくることを期待していた。
パラフィン紙を机の上に置き、底の外したライターをとんとんと叩いてみた。
すると、白い粉がわずかであるが、パラフィン紙の上に落ちてきた。
おもわず根津の顔がほころんだ。
根津は、白い粉を丁寧に集めた。
「本町、この白い粉を、成分分析してもらおう。だいたい結果の想像はつくがな」
残り三個からも同様な白い微量の粉が、ライターの中に付着しているのが確認された。
全て、まとめて科学警察研究所で、分析されることになった。
(8)
六時過ぎ、健太が柔道の練習を終えて帰ってきた。
りきまるのところに刑事が来たと聞くと、急に健太の眼の色が変わった。
「へえ、刑事が来たのかい」
「うん、親父のことをいろいろ聞きに来たんだ」
「どう、かっこよかった?」
「普通のおじさんだったよ」
「そうかー、俺もあいたかったな。大人になったら、おれ、警官とか消防士とかそういう、人の役に立つ仕事をしたいと思ってんだ」
「今度、おやじのことで、また何かあったらこっちに来るとは言ってたから、またあえると思うよ」
「そうか。どんなひとだろうな」
健太はどうやら根津たちに興味をもったようだった。
二人が話をしていると、突然乱暴に部屋のドアが開いた。
田野誠という中学三年生の園生だった。
誠の目的はりきまるのようだった。
誠は健太とは眼をあわそうとせず、いきなり、りきまるの腕をひっぱってにらみつけた。
「おい、新入り、寮長がおよびだぜ。おまえ、あいさつまだしてないんだろ?」
意地悪そうに小柄なりきまるを見下ろした。
りきまるは、突然のことに言葉もでない。
「あいさつって……」
口ごもるりきまる。
その時、健太が助けにはいった。
「先輩、俺も、まだ、寮長先輩にはあいさつしてないんですけどね、一緒に行っていいですか?」
「えっ」
誠の手が一瞬とまった。
「だから、さあ、先輩たち、ほんとうは退屈しのぎに、りきまるをなんかしようかと思ってるんでしょ。プロレスの練習台にしたりとか」
「な、なんだと?」
誠の顔に紅がさした。
「職員の先生方の目を盗んで、先輩たちが、小さな子供をちょくちょくいじめてるらしいってのは、しばらくここにいるとわかりますよ。俺は柔道と空手を昔からやってたから、あいさつに呼ばれなかったんでしょ」
「う、うう」
誠は黙ってしまった。
「用がなけりゃ、りきまるのその手を離してくれませんか?もし、寮長がこいつに用事があるんなら、俺も一緒に聞きます。俺とりきまるは、兄弟みたいなんだから」
「わ、わかったよ。今回は勘弁してやらあ」
捨て台詞を残して、誠は部屋を立ち去っていった。
「ふん、甲斐性なしめ!」
健太は怒っているようだった。
「健太、ありがとう。助けてくれて」
「いいんだよ。ここに長くいると、むしゃくしゃすることがあるんだろ。だからといって、自分より目下のものをいじめるのはよくないよな。そうだな、りきまる、おまえも柔道やってみるか?いじめられなくなるぜ」
「…ああ、考えとく」
小さいときからあまり、スポーツが得意ではないりきまるだった。
健太はそれを察して、りきまるに言った。
「りきまる、俺が柔道の練習している間は、図書館にでもこもっておくといいぞ。部屋に帰ってたりして、あいつらに捕まったりしてもおもしろくないだろう」
「ありがとう、健太。なるべくそうさせてもらうよ」
子供がひとりで生きていくのもつらいなあと、りきまるは実感した。
結局、健太の庇護がなくては、外敵から身を隠せない自己の弱さを情けなく感じた。
「みんな、ぼくをおいていっちゃったからなあ、健太は強くてうらやましいなぁ」
りきまるの心が泣いた。
(9)
警視庁の根津の元に、館山から電話連絡がはいった。
「刑事さん、この電話番号知りませんか?03-814-XXXXですけれど」
「あ、いや、記憶にはありませんが、その番号が何か?」
「刑事さんからいただいた論文のコピーの中に、赤いマジックで、その電話番号が書かれていたんですけど」
「そ、そうですか。いや、ありがとう。こっちで調べてみます、何かの手がかりかもしれない」
根津は、本町のほうを向いた。
「この電話番号の主をちょっくらあたってみてくれ、事件解決の手がかりかもしれん。しかし、うかつだったな。コピーの中に夢のすけのやつが手がかりをのこしていたとはな」
コピーに書かれていた電話番号は、南千住の元石鹸工場のものだった。
「工場自体はもうだいぶ前から操業を控えています。ただ、この工場、まだ、電気代は払っているようですね。しかも、結構な額ですよ」
「ううむ、思いっきりにおうね。よし、工場に行ってみよう」
車を走らせて、二人は、南千住の石鹸工場にむかった。
北芯化学という、小さなメーカーの工場だったが、そのメーカーは今、石鹸をほとんど作っていないらしい。
「何を作っているか、気になりますね」
「ああ、だいたい見当はつくがね」
南千住のその石鹸工場は、とても小規模なもので、敷地も百坪ほどのものだった。
二人は、工場の事務所に向かい、中に入れてもらった。
工場長、巣坂陽一と書かれた名刺を、根津にわたした男は、明らかに迷惑そうな表情だった。
ヘビースモーカーらしく、火のついたタバコをひと時もはなさない。
「この男性、ご存知ありませんか?」
夢の介の写真を見せられても、眉ひとつ動かさず、不機嫌そうに須坂は答えた。
「知りませんよ、こんな男。うちの電話番号が、書かれていたって、なんかのまちがいじゃないんですか」
「いやあ、すいませんな。なんせ、物証に乏しい事件でしてね、いま、こちらの工場では石鹸を今でも作っているのですか」
「いや、警察の旦那にかくしてても仕方がないからいうけどね、今さあ、中国から、原料を輸入して、医薬品を作ってんだよね。知ってる?ジェネリックってやつ。中身は、大手の薬とかわんないんだよね、これ」
根津の目が光った。
「鎮痛剤とか、麻薬とかも扱っているんですか」
「やれやれ、警察の旦那にはかなわないなあ。うちの品目リストもって来ますから、気の済むまで調べてくださいよ」
巣坂は、タバコの吸殻を灰皿に置くと、立ち上がって本棚から資料をとるために、向こうをむいた。
巣坂が、背中を向けた瞬間、根津は本町に目配せをした。
本町はうなづいて、灰皿から巣坂のタバコの吸殻を一本失敬して、背広のポケットに入れた。
「はい、これ。もうお話しすることはないよね、さあさあ、こっちも忙しいんだ。早く帰って!」
「いや、お邪魔したねえ」
帰りの車の中で、根津はほくそ笑んだ。
「うれしそうですね、根津さん」
「まあな、まず、そのタバコからDNAをいただいて、夢の介の遺留品のライターとも照合しよう。ライターの着火スイッチには皮膚組織が付着してる可能性が高い。うまくいくと、突破口になるかもな」
「それに、北芯化学が、医薬品に手をだしていたというのもくさいですね」
「ああ、そうだな」
署に帰った二人に、白い粉の鑑定結果が知らされた。
その正体はメチレンジオキシメタンフェタミン、合成麻薬MDMA。
アメリカで密造され、日本の繁華街で使われ始めた薬剤だった。
青井美由紀の論文でも、事細やかに、触れられていた薬剤だった。
「これは、面白いことになりそうだ」
根津は、昆布茶をうまそうにすすった。
(10)
日曜日、りきまるは、健太に散歩に誘われた。
「リクをつれて、外にいかないか?」
「うん、いいけど、どうして?」
「おまえの父さんが、殺されて捨てられたのは、隅田川のあたりだろ?」
「刑事さんはそう思っているみたいだね」
「だからさ、隅田川の土手沿いを歩いてみようと思うんだ。リクはとてもカンがいいんだ。ひょっとすると、おまえの父さんを殺した犯人の手がかりがつかめるかも知れないしさ」
「わかった。僕も付き合うよ」
外に出ると、リクがうれしそうにとびついてきた。
「よし、リク。頼んだぞ」
健太は、りきまるから、夢の介が使っていたタオルを借りて、リクに匂いをかがせた。
二人とリクは、柔らかな陽射しの下を、夢の介の手がかりを求めて、歩いていった。
土手沿いをゆっくりと、歩いていった。
二十分も歩くと、白鬚橋を越して、荒川区にはいる。
すると、突然、リクが、ほえ始めた。
土手の道には、黒い染みが転々と落ちていた。
「血なのかな?」
リクの表情は尋常じゃなかった。
「ひょっとすると、このあたりで、お父さんは襲われたのかな?」
きょろきょろとあたりを見回す、りきまるたち。
りきまるは、堤防に視線を移した。
土手の堤防には、張り紙があった。
「聖天のしもべ」という団体のものらしい、キリストを描いた宗教イベントの勧誘ポスターだ。
そのポスターをみて、りきまるは、夢の介が同じようなチラシをもっているのを思い出した。
「おい、りきまる?何か手がかりでもあったのかい」
「うん、これ…」
りきまるがふりかえって、健太にそのことを言おうとした瞬間だった。
大きな腕が、りきまるを背後から押さえつけてきた。
「きゃっ」
「な、なにをする!」
健太にも、何者かが襲い掛かった。
柔道で鍛えている健太も突然後ろから襲い掛かられてはなすすべもない。
たちまちのうちに、襲撃者に体の自由を奪われてしまった。
二人の前に、走ってきた大きなワゴン車が止まり、襲撃者は、りきまると、健太をおしこめると、ワゴン車を急発進させた。
りきまると健太は、ガムテープで口をふさがれ、両手をぐるぐるまきにされて、ワゴン車の後部座席に転がされた。
リクが、必死に追うが車に追いつくことはできなかった。
助手席の男がこちらを向いてにやりと笑った。
りきまると健太を襲った二人組は、二メートル近い大男だった。
これでは、健太といえどもかなわない。
「おまえ、青井夢の介の息子だな?親父に瓜二つだもんな。へっへっへ、お前も親父のところに行きたいかい?よかったら送ってやるよ」
助手席の男があざ笑った。
「ち、ちきしょう。こいつらが、お父さんを……」
りきまるは、心の中でののしった。
ついに、父、夢の介に手を下した男があらわれたのだ。
ひとりでに涙があふれてきた。
「なあ、殺されるのはな、何もおまえが悪いわけじゃないんだよ。おまえのかあちゃんが、作った鎮痛薬のせいなんだよ。いい機会だ、どうしておまえがこんな目にあうのか、教えてやるよ」
助手席の男が勝ち誇ったように、しゃべり続けた。
「その薬ってーのは、麻薬といって抜群に利きがよくって、抜群にキレがいい代物だったらしい。彼女の勤めていたアメリカの研究所のボスが悪党じゃなかったら、今頃は世界中の病院で、患者を痛みから救っていただろう」
「……」
「だが、ボスはもっといい金儲けを考えた。世界中のギャング組織に卸して、これで商売させれば、まともに医療用に商売するより、何万倍ももうかるからなあ」
「(くそっ、麻薬の秘密を守るために、父さんと母さんをこいつらは……)」
怒りにふるえるりきまる。
助手席の男は、話を続けた。
「俺たちは、マフィアの日本支部のものでな、宗教団体「聖天のしもべ」も、麻薬密売コネクションのひとつさ。キリストさんの名前をかりて、ちょいと商売をさせていただいてるわけだよ」
「(やはり、マフィアか!すると、母さんもマフィアの手に……、ちきしょう、ちきしょう)」
「まあ、そういうわけで、夢の介のやつが、亀戸の聖天のしもべにやってきてな、女房を返せって、まくし立ててきやがったのよ。そこで、お前らがみつけたあの場所まで、夢の介を誘いだして、あの世に行ってもらったのさ」
「おい、ついたぞ」
ワゴン車は、南千住の小さな工場に入っていった。
その名は、北芯化学工業。
そう、根津刑事たちが、聞き込みにきたあの、工場。
そして、りきまると健太は、工場の中の小さな部屋に、ガムテープで縛られたまま、放り込まれてしまった。
「いずれは、この世とおさらばだろうが、ボスの命令がないと、俺たちだけではお前らを始末できねえんでな。すこし、おとなしくしてろよな!」
外から、鍵をかける音がした。
(11)
「ええっ?りきまるたちが行方不明?」
根津は、りきまると健太が、京島天使園から姿をけしたという話を聞いて、驚いた。
「まさか、あの子達まで、犯人のやつらは、手にかけるつもりなのか?」
そう考えていると、根津は、いてもたってもいられれなくなった。
すると、緊張した面持ちで本町が、飛び込んできた。
「根津さん!ライターから、巣坂のDNAが出ました。これで、礼状がとれます!」
「急げ!やつらは夢の介の子供までさらった。北芯工業へ急ごう、子供たちが気がかりだ」
「はい!」
さて、北芯工業の事務所では、工場長の巣坂があわただしく指示をだしていた。
「いいか、残念だが、ここの工場拠点は、警察に知られてしまった。いまから、銚子の秘密アジトに移動する。証拠になりそうなものはすべて持ち出して、残りは火をつけて燃やしてしまえ!」
「ボス、あの餓鬼二人はどうしましょう?」
「ええい、残り物と一緒に燃やしてしまえ」
「了解です」
そのとき、事務所の玄関をだんだん!とぶったたく音が響いてきた。
「警視庁だ、このドアを開けなさい!捜査令状がでている、もしあけなければこっちからいくぞ」
「な、なにい?警視庁だと?」
外では、目を血走らせた、根津刑事と、本町刑事。
機動隊員たちが外を固めていた。
ふっと、流れる緊張の一瞬。
「ボス……」
「くそお、警察のやつらめ」
巣坂たちは、突然の襲撃に、ぴくりとも、動くことができなかった
「よし、いこう!」
機動隊隊長の声が響いた。
一気に、黒い、風が北芯工業の事務所のなかになだれ込んだ。
「おっと、抵抗はむだだよ、これだけの数を相手にいくら、マフィア日本支部といえども立ち向かえまい」
根津は巣坂の肩に手をおいて、意地悪く笑った。
「礼状がおりたのでね、ここを捜索させてもらうよ」
本町の言葉に、がっくりと肩をおとす、巣坂たち。
ワゴン車の中から早速、血に染まったバットと、健太の生徒手帳が、見つかった。
「おやおや、珍しいものがみつかったねえ」
バットを、巣坂の手下につきつけて、根津は、にやりとした。
「もう、いいだろうよ。子供たちをどこに隠した」
健太の生徒手帳を見せられて、巣坂たちは観念したようだった。
根津は、工場の隅の、小部屋の鍵を開けた。
中の少年たちを助けて、縛めを解いた。
「よくがんばったな。でも、刑事ごっこはこれからはするなよ」
本町の声に、りきまると健太は頷いた。
その後、本格的に、北芯工業の内部の、家宅捜索が、行われた。
ワゴン車から見つかった、バットの血痕は、夢の介の血液と一致した。
車内からも夢の介の体液が検出され、巣坂たちによる犯行と思われた。
「夢の介殺しは、俺たち二人が、巣坂工場長の命令でやりました」
追求を受け、観念した、ワゴン車の大男二人組が白状した。
また、工場には、なぞの小部屋がいくつかあり、
若い男女が監禁されていたのが見つかった、その数、十数名。
いずれも麻薬中毒者だった。
かれらは、聖天のしもべなどを通じて、麻薬を買っていたのだが、
やがて、お金がなくなり、工場で麻薬を作る傍ら、工場に住みつくようになった連中だった。
これら、工場の住人のなかには、中毒で使い物にならなくなり、厄介払いのために、巣坂たちに殺されて、遺体を川に捨てられたものもいたらしい。
なお、りきまるの母、青井美由紀は、体をこわした後、アメリカの慈善病院で、静かにくらしているらしい。
アメリカのボスもそこまで非情ではなかったようだ。
十数日後、りきまるは、シカゴに降り立った。
シカゴ・セントトマス慈善病院、りきまるはここに入院しているという母を見舞いにやってきたのだ。
根津刑事が、四方八方手を尽くして、母の消息をあたってくれたのだ。
聞いた話によると、もう、母は、人の顔の区別もつかないらしい。
りきまるは、病室にはいった。
規則正しい、人工呼吸器のリズム音が聞こえてくる。
物心ついてから、はじめてみる、母の素顔。
すでに頬はこけ、両目にはテープが貼られている。
そのままだと、眼球が突出してしまうらしい。
枯れ枝のように細い腕を、りきまるはとった。
彼女の悲しい人生が、手をつたわってくるように感じた。
やがて、夜の帳が下りて、
病室が暗やみにおおわれるまで、
りきまるは、もの言わぬ母の手を握り続けた。
最初で最後の親孝行だった。
(了)
半年ぐらい、ほおって置いたんですが、覚えていてくださいましたでしょうか。
今日思い立って、完結させました。
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りきまるのお母さんの名前が、紀子から美由紀に、変わっているように思えます。私の間違いならお許しください。先生の小説はじめて、読ませていただきました。先生、文才がおありですね。そのうち渡辺淳一みたいに、有名な小説家になれそうですね!今の政治家のやり方では、開業している弟も、日本では医師も他の仕事を見つけないといけなかも知れませんね。失礼しました。ではまた。
ご教示ありがとうございます。
半年放置してましたもので…。
チェックします。
これからもよろしくお願い申し上げます。
まだまだ、練りこみもたりません。
なにとぞよろしくお願いします。
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