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    <title>意味不明な人々－発達障害（ADHD、アスペルガー）と人格障害に取り組む</title>
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    <description>　私自身ADHDとして、ADHDやAS（アスペルガー症候群）、人格障害の人たちとお付き合いして分かったことを書いていってみようと思います。本音で書きますので、発達障害にあまりに理解の無い無責任なコメントには返答はしませんので、ご理解ください。</description>
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    <title>意味不明な人々－発達障害（ADHD、アスペルガー）と人格障害に取り組む</title>
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  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100203/1">
    <title>行き違い共依存</title>
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    <description>　ジャイアン型ADHDの場合、子供などの「経過を知っておきたい」ことから来る「管理型共依存」が見られることは以前に述べた。実はこの他にちょくちょく見られるADHDの関与する共依存があり、なかなかパッとした表現が見つからないが、「行き違い共依存」として説明してみよう。　合理的なADHD、またはジャイアンでも合理的に行動する場合に、「状況に対して合理的に行動していたことが結局共依存の車の後押しだった」...</description>
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      <![CDATA[<p>　ジャイアン型ADHDの場合、子供などの「経過を知っておきたい」ことから来る「管理型共依存」が見られることは以前に述べた。実はこの他にちょくちょく見られるADHDの関与する共依存があり、なかなかパッとした表現が見つからないが、「行き違い共依存」として説明してみよう。</p><p>　合理的なADHD、またはジャイアンでも合理的に行動する場合に、「状況に対して合理的に行動していたことが結局共依存の車の後押しだった」という現象が実に頻繁に見られる。</p><p>　非常に不条理な家族や関係者が居る場合、「その他の家族のために安全を守る」などの「合理的必要」があって、または「全体の利益のためには自分がするしかない」という合理的な判断によって、言わば「行き違い」で結果的に共依存状態が出来上がってしまうということだ。</p><p>　通常「共依存」は依存させる側、世話をする側も「相手にとっての必要」という立場に依存することで、自分自身の不安が消失するなどの心理的なメリットを得る形になっている。<br />　ジャイアン的な「管理型共依存」には「自分の予想しなかった結果になることが無い安心」が得られるので共依存的な形ではある。</p><p>　ところがこの行き違い共依存は自覚症状上は依存はまったく存在しないのだが、結果の形は明らかにイネイブラーになっているところが皮肉といえば皮肉だ。</p><p>　「DVのパートナーが子供たちに怪我をさせないために子供たちを守ろうとしてずっとフォローしてきた」行動は合理的には非難の余地は無く、これを共依存だったと指摘するのは非常に辛いのであるが、結果はこのパートナーを尻拭いする結果になり、パートナーおよび子供たちが依存型ジャイアンになって行くプロセスの後押しになっていた。</p><p>　「相手がジャイアンの依存性を持っている場合には」という条件をつけて考える問題かも知れないが、実際こういう行き違い共依存の現象はしばしば見られる。</p><p>　先の例で言えば、「DVのパートナーが不条理な暴力でしつけるという方針を改めない段階で子供を連れて別れる」という選択を、（子供がジャイアンである場合には）、する必要があったということだ。</p>]]>
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    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2010-02-03T22:12:00+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100126/ADHD_">
    <title>ADHDは楽をしてはいけない</title>
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    <description>　ADHDは本来「アウトロー」である。自分が納得するしか無く、納得できなければ法律だろうが多数派の常識だろうが平気で無視する。　「何でもあり」という表現も出来る。露骨になりふり構わず、自分の衝動や欲望に向かってどんなことでもする。　「現金」という言い方も出来る。ある意味徹底的に現実的実際的で、「お金をいっぱいもらえば割り切って何でも出来る」ようなところがあり、他方こだわりで偏屈な部分と非常に対照的...</description>
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      <![CDATA[<p>　ADHDは本来「アウトロー」である。自分が納得するしか無く、納得できなければ法律だろうが多数派の常識だろうが平気で無視する。</p><p>　「何でもあり」という表現も出来る。露骨になりふり構わず、自分の衝動や欲望に向かってどんなことでもする。</p><p>　「現金」という言い方も出来る。ある意味徹底的に現実的実際的で、「お金をいっぱいもらえば割り切って何でも出来る」ようなところがあり、他方こだわりで偏屈な部分と非常に対照的な面を見せることが多い。</p><p>　中でもジャイアン型ADHDは「丸投げ」が大好きである。やってくれる親切な人がいれば「ラッキー」と丸投げしてしまう。自分ですると責任を取らねばならないから、ジャイアンにとって丸投げは「責任を回避するため」という意味がある。</p><p>　一方で馬鹿正直でこだわりには忠実で融通が利かない部分と、この「何でもあり」の極端なルーズさが同じ人にも並立していて、見る人に理解が困難となることがある。</p><p>　だからADHDは楽をしてはいけない。「楽になろう」という思考には限度が無い。リミッターが無いのでどこまでもダラダラとルーズになってしまう。</p><p>　特にジャイアンには逆境が一番だ。家族の問題や経済的な現実の苦労の中で「大変だ大変だ」とぼやきながらも非常にある意味生き生きしているジャイアンを見ることは多いだろう。</p><p>　この意味は、「現実的な逆境は自分のせいではない」上に、「頑張れば評価される」、「攻撃性を出してもさもありなんと理解される可能性がある」と、好都合極まりないのだ。　&nbsp;</p><p>　私自身も少々きつくても自分に動くことを命じ、ストップしないことを自分に言い聞かせている。「適度に手を抜いて休む」なんてことは高度すぎてADHDにはあまりにも複雑な業だからだ。</p>]]>
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    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2010-01-26T22:08:00+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100118/1">
    <title>中心志向の過集中</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100118/1</link>
    <description>　ジャイアン型ADHDにしばしば見られる現象は、激しい怒りとともに相手を攻撃したり、または異常に強迫的に完璧を求めて集中する状態だ。いずれも集中は強く激しいため、「人間離れした」成果や相手へのダメージを帰結する。　ジャイアンは過集中の時には関連付け思考が非常に強くなり、被害妄想的になるが、特に「叩き潰してやる」と怒りの過集中になっているときは合理的な自己突っ込みが停止するので、非常に危険な状態とな...</description>
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      <![CDATA[<p>　ジャイアン型ADHDにしばしば見られる現象は、激しい怒りとともに相手を攻撃したり、または異常に強迫的に完璧を求めて集中する状態だ。いずれも集中は強く激しいため、「人間離れした」成果や相手へのダメージを帰結する。</p><p>　ジャイアンは過集中の時には関連付け思考が非常に強くなり、被害妄想的になるが、特に「叩き潰してやる」と怒りの過集中になっているときは合理的な自己突っ込みが停止するので、非常に危険な状態となる。</p><p>　この怒りの過集中と「やるからにはパーフェクトに」という強迫的な完璧主義の過集中はいずれもジャイアン特有の（自分の当たり前の基準が異常に高いという）「中心志向」からくる過集中状態だ。</p><p>　私も昨年の今頃訓練校問題でこの過集中のパワーを使ったが、その間は普段はとても出来ないような動きでその目的のために全エネルギーを動員するので、後でしばらく動けなくなることが多い。また周囲との間でトラブルになることも多い。</p><p>　行き詰っているジャイアン諸氏の中には、この中心志向の過集中状態を「頼んでいる」人が多い。実際学校などではこの過集中で成績を上げることが出来た人の場合など、強迫的な（過集中の）エネルギーだけで生きてきて息切れになったケースだ。</p><p>　そういうジャイアン氏にとっては、この「中心志向の過集中」は、行動を起こす上での原動力の中心となり、言わば「メインエンジン」としての意味がある。</p><p>　実は私はこういうケースには、「メインエンジンを停止する」ことを勧めている。中心志向の強迫性だけをエネルギーとして動くと、一時的には人間離れした集中力を発揮して成果は上がるが、一つは「長続きしない」こと、またこれも大きいが周囲とのトラブルが必至であること、よほど大きな成果や代償が得られないと重症の虚脱状態になってしまうことの問題が大きいからだ。</p><p>　「メインエンジン」を停止して、「好きなこと、楽しいからという単発の対象ごとの興味に基づく過集中をつなぐ」という「サブエンジン」だけで走り続けるほうが、結果的な失敗が少なく、何よりも長続きする。</p><p>　ADHDの最も苦労するモチベーションの問題だ。</p>]]>
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    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2010-01-18T22:19:00+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100112/1">
    <title>「過集中頼み」症候群</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100112/1</link>
    <description>　言語性IQの高い（言語性IQ優位の）ADHDの場合に、過集中の時を「本来」とみなして、地道な努力をする気になれなくなることがある。　過集中という現象はADHDには非常に快適だ。好きなことの場合、努力を省いても記憶出来、またしばしば多数派よりも高いパフォーマンスが可能となる。例えばある思春期ケースの場合には、難解な演劇の台詞を一度読むだけでほぼ完全に記銘し、家で練習しなくてもそらで言えたりする。　...</description>
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      <![CDATA[<p>　言語性IQの高い（言語性IQ優位の）ADHDの場合に、過集中の時を「本来」とみなして、地道な努力をする気になれなくなることがある。</p><p>　過集中という現象はADHDには非常に快適だ。好きなことの場合、努力を省いても記憶出来、またしばしば多数派よりも高いパフォーマンスが可能となる。例えばある思春期ケースの場合には、難解な演劇の台詞を一度読むだけでほぼ完全に記銘し、家で練習しなくてもそらで言えたりする。</p><p>　このケースが受験勉強に関して「集中できないで困る」と訴えることをよくよく聞いてみると、結局演劇の場合のように短時間で記銘できる集中が受験勉強では困難であるという意味であった。</p><p>　私は主治医として「受験勉強は時間が長すぎるので過集中は使えない」と告げた。<br />　<br />　過集中が使えるのは高々テストの一夜漬け程度で、受験勉強は長丁場なので効果から言っても継続時間から言っても過集中が使えない場合であるのだ。</p><p>　躁うつ病の人は躁状態の時が絶好調であったと思い込み、「全く悩みが無かったあの状態に戻してくれ」と希望することがある。躁のときを「本来の状態」と思い込み、落ち着いた状態を｢うつ状態｣だと思い込んだりする。</p><p>　これと同じことがADHDの過集中の場合に起こるのだ。</p><p>　確かにADHDにとって過集中は快感であり、しかも能率も高く、これがずっと続くことがもしもあればありがたいことだろう。</p><p>　しかし残念ながら過集中は長く続くことは無い。3日過集中が続けば少なくとも同じくらいの時間は虚脱状態となるだろう。</p><p>　加えて過集中のときは「周囲の人との温度差でぶち切れてしまう」という問題の現象も起こり、チームプレイの中でも過集中は使えないと言って良い。ほとんどと言って良いほどチームの協調を破壊する。</p><p>　だから「過集中のときが本来出来るはずの当たり前の姿」と思い込むことはとんでもない非現実的な幻想であるのだ。</p><p>　ついでに書いておけば、最後の頼みの綱である「合理的な自己突っ込み」が停止した状態となる。ジャイアンの場合は人を攻撃したり、大体後で落ち着いてから後悔する行動となる。</p><p>　当たり前のことだが受験勉強などの長丁場を乗り切る自分なりのスタイルを確立する必要がある。</p>]]>
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    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2010-01-12T00:13:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100108/1">
    <title>社会参加への不安と依存</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100108/1</link>
    <description>　発達障害の当事者のニーズは現実的な問題解決である。世間の多数派のように、「大変ですね」と話を聞くだけでは満足しない。　特にジャイアン型ADHDの場合は「金銭的な得があるかどうか」に関わる相談が多い。　だから私の外来での相談内容は実はケースワークの部分が大きく、PSWと共同作業で現実的な解決を目指すことになる。　本人のニーズが現実的実際的であるだけでなく、ジャイアンのケアは「現実的な表面的な実績か...</description>
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      <![CDATA[<p>　発達障害の当事者のニーズは現実的な問題解決である。世間の多数派のように、「大変ですね」と話を聞くだけでは満足しない。</p><p>　特にジャイアン型ADHDの場合は「金銭的な得があるかどうか」に関わる相談が多い。</p><p>　だから私の外来での相談内容は実はケースワークの部分が大きく、PSWと共同作業で現実的な解決を目指すことになる。</p><p>　本人のニーズが現実的実際的であるだけでなく、ジャイアンのケアは「現実的な表面的な実績から自己評価を改善して中心志向からの自己突っ込みを軽減する」しか治療の決め手が無いことがほとんどであり、主治医として私自身も遮二無二本人の社会参加を目指すことになる。</p><p>　具体的には精神障害者の「就労移行支援」等のサービス、職業訓練校や障害者職業センター、ハローワークの障害者窓口、精神障害者地域生活支援センター、発達障害者支援センター等との連携をフルに活用して環境調整を行う。</p><p>　実際私の外来では多くのジャイアン氏やAS氏が職業訓練校や就労移行支援から就労継続支援などのサービスを活用して社会参加をどんどん進めている。</p><p>　訓練校で資格を取ったり、実際に就労継続支援（旧福祉工場）で収入を得たりする中で、自己評価を改善し自信を回復することがジャイアンとしての真の回復である。</p><p>　というようにうまく行く人も多いが、反対にいろいろつべこべ言って実際の社会参加へのプロセスを自分で進めようとしないジャイアン当事者も多い。</p><p>　病気そのものを言い訳にしたり、同居の親族が居る場合にはその親族のケアが言い訳になることが多い。</p><p>　家族のケアが言い訳になるケースは、よく見れば「共依存」となっていることが多く、「この家族のせいで自分はストレスを受けて大変である」と言い続ける割にはその家族をいざ自立させようとすると何だかんだ抵抗するので本人の依存性がはっきりする。</p><p>　「本人を困らせる家族がそのたびに変わる」、「本人のカルテを作ることを提案すると急に家族の問題が解決したりする」等の現金なケースもある。「代理型ミュンヒハウゼン症候群」という例だ。</p><p>　「いろいろ言っているけれども、結局は自分から動くことへの不安、責任を取りたくないだけのこと」ということがジャイアンの場合は非常に多いのだ。</p><p>　この正反対の状況が「現実的な逆境」である。「自分のせいで無い状況のせいで不幸となり、立ち向かって攻撃性を出してもかえって本人は支持され同情される」という状況は実はジャイアンにとって垂涎の的なのだ。（そのために病的な思い込みや妄想などでこの被迫害状況を作り上げることも実際多く見られる）。</p><p>　この「自ら前に進もうとしない」一群について、最近私は「主治医としての私の存在自体が依存を招いている」可能性を考え、強引に治療関係を一時断ち切ることも必要なのではないかと考えている。</p><p>　あるいは始めから「3年で治療の一区切り」等と決めておいて、ある程度の治療への緊張感を維持することが必要ではないだろうか？</p><p>　実際あまりに依存がひどくなったので「2年間別の主治医でやってみなさい」ということを試みたケースもあるが、このケースは最近戻ってきて、治療関係をうまくリセットすることに成功した。</p><p>　特に「ケースワークで本人の個人的な難問に答えを出す」形で関わってきたケースには、結局私の存在は「答えを出す人」で、こともあろうに丸投げする対象になっている可能性が非常に大きい。</p><p>　本人が自分で考えきれるようになることを目標として「実習」として手本を見せてきたつもりであったのだが、気がついてみると本人は自分で考えようと全然していなかった。</p><p>　（これは私自身ジャイアン的に仕切っていい気になっていたことの結果ではあるのだが）。</p><p>　外来カウンセリングの枠組み自体に「自己責任」を持ち込むという発想である。　　　</p>]]>
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    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2010-01-08T21:21:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100104/1">
    <title>子供に厳しくするということ</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100104/1</link>
    <description>　「子供に厳しくする」ことは親だったら当たり前で、祖父母が孫に対してするようなべたべたに甘やかす態度は親の責任を自覚した場合はとれないのが当たり前だ。　それは親には「子ども自身のこの先の長い人生への親としての責任」があるからで、それを明確に意識するためには、親として自分の子にどう生きてほしいか？を考えるとか、「親として子供にどんな大人になってほしいか？」、もっと単純に「子供がこのまま育って行って社...</description>
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      <![CDATA[<p>　「子供に厳しくする」ことは親だったら当たり前で、祖父母が孫に対してするようなべたべたに甘やかす態度は親の責任を自覚した場合はとれないのが当たり前だ。</p><p>　それは親には「子ども自身のこの先の長い人生への親としての責任」があるからで、それを明確に意識するためには、親として自分の子にどう生きてほしいか？を考えるとか、「親として子供にどんな大人になってほしいか？」、もっと単純に「子供がこのまま育って行って社会的に困ることにならないか？について真剣に心配する」といった合理的な思考が必須となる。</p><p>　逆にこうならないケースは、おそらく私の想像では「その場その場だけ表面上無難に治まれば良い」という依存型ジャイアン特有の思考か、「子供のことを責任を持って考えるのは自分で無くてパートナーや親がする」という形に丸投げが当たり前になっている場合であろう。<br />　<br />　「厳しくする」ことは「押し付け」であり、逆にそうされるほうからすれば好ましいことではない。しかしそれは「思春期以降の自分で自分をある程度コントロールできて自己責任で行動できる場合のみ」であり、少なくとも学童期（小学校4年生くらい）までは子供本人の責任にはならず、親が責任を負うべき時期がある。</p><p>　学童期までの親には、（当たり前だが）「子供本人が嫌がるから」という逃げ口上は使えない。これははっきり親としての責任放棄であり、仮に「子共自身の好むようにさせる」という選択をする場合でも、そういう選択をした親としての責任ははっきり存在し、その結果については当然親としての責任を負う必要がある。</p><p>　もっとも逆に「親は全面的に押し付けて良い」という発想も単純に推奨は出来ない。思春期以降は大人と同様に自己責任で扱うとして、それまでは親として「どこまで押し付けるか、どこまで子供本人の意向を通すか」について具体的な場面で悩み続けながら、「徐々に子供本人の意向を尊重して本人に責任を取らせる部分を拡大して行く」ことを考え続けるのが（これも当たり前であるが）親の責任であろう。</p><p>　親が依存型ジャイアンであったり、またパートナーや祖父母への依存があったりすると、子供が幼児期から子供の異常行動として問題が表面化する。問題は子供のほうにあるのではなくて、（ジャイアン型ADHDの子供が多いのだがそれとは別に）厳しく出来ず責任を負いきれない親（ジャイアン）の依存性にあるのだ。</p>]]>
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    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2010-01-04T20:10:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100101/_2010">
    <title>年頭所感2010</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20100101/_2010</link>
    <description>　年頭に当たり、一番大事なことを確認しておく必要があると考え、記載しておきます。　私は世間の多数派の人々のように「直感的に場の状況を察知して、その中で安心感を得る」ことが出来ないという障害（ジャイアン型ADHD）を抱えて生きている少数派である。ここが全ての考えの出発点であり、この原点を忘れることが無いようにすることが最も重要なことだ。　ジャイアン型ADHDには、この根本的な不安定性から、（多数派か...</description>
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      <![CDATA[<p>　年頭に当たり、一番大事なことを確認しておく必要があると考え、記載しておきます。</p><p>　私は世間の多数派の人々のように「直感的に場の状況を察知して、その中で安心感を得る」ことが出来ないという障害（ジャイアン型ADHD）を抱えて生きている少数派である。ここが全ての考えの出発点であり、この原点を忘れることが無いようにすることが最も重要なことだ。</p><p>　ジャイアン型ADHDには、この根本的な不安定性から、（多数派から見れば）「過度な合理性を自分にも周囲にも要求する」、「普通では不足であり、特に注目や賞賛されるべき特別な立場を自分自身に要求する（中心志向）」、「周囲の全ての人からの注目を要求する」と言った社会的に見ればあまりに自己中心的な認知と行動上の特徴がある。</p><p>　ジャイアン型ADHDには「自己突っ込み」という非常に手厳しい自分自身への批判と自責が見られ、中心志向と私が呼ぶ認知からは「特別な地位でないことで自分を責める」、合理的な認知からは「口にする理屈どおりに実際に合理的に生きられていない自責」という二つの強烈な自己突っ込みに24時間さらされて生きている。</p><p>　この「一番の地位」や「周囲の全員からの注目」などには、ジャイアン型ADHDの中ではこれらの自己突っ込みへの「反論」または「言い訳」としての意味があり、結果、「回遊魚」のように停止できない前進を死ぬまで続けるしかないことになる。</p><p>　当たり前であるが、ジャイアン型ADHDの行動のほとんどは上記の自分の中の勝手な都合によって決定されるため、周囲の人を巻き込んで大いに迷惑をかけることは必定である。</p><p>　ジャイアン型ADHDはこの厳然たる事実を常に頭において生きる必要がある。脳が自己中に出来ていて、特有の表面的な認知と強烈な攻撃性を内包する認知と行動のパターンからは逃れられない。</p><p>　だから我々ジャイアン型ADHDが合理的に考えるべきことは、「この脳の特徴でいかに周囲に迷惑をかけることを最低限とするか？」、「この脳の特徴でも結果世間に対してプラスになる可能性が少しでも存在しうるのか？」ということだ。</p><p>　今年も多くの当事者の問題を解決することをともに考えつつ、私はこの根本的な問題を考え続ける。<br />　これを続けることで直ちに「この醜く救いがたい自分を抹殺しろ」という自己突っ込みへの言い訳を続け、時間を稼ぐという「潔さ」から程遠い行動を続ける。</p><p>　これまでに私がジャイアン特有の怒りで当り散らしたり、自覚しないで失礼な態度を取り傷つけ続けてきた来た全ての人に対し謝罪し、この醜い形のまま存在を続けて結果的に今後とも迷惑をおかけするに違いない多くの人々に対し（おかしな話だが）先に申し訳ありませんと謝っておこう。（私の中の自己突っ込みには何の言い訳にもならないのであるが）。</p>]]>
    </content:encoded>
    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2010-01-01T21:14:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091231/2009_">
    <title>2009年回顧</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091231/2009_</link>
    <description>　2009年の初めは沖縄県の職業訓練校の問題でエキサイトしていた。2月頭に人権派の弁護士や家族会、当事者などと県庁に出向き、結局テレビ局の取材攻勢で県は方針を転換した。　私が外来で相談に乗っている精神の手帳を持つ当事者が2名、立派にここまで訓練手当てを受けながら通学し、資格も取得して社会参加へ向けて自信を再び獲得するのに成功した。　3月は沖縄県発達障害者支援センターを受託する予定である法人と一緒に...</description>
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      <![CDATA[<p>　2009年の初めは沖縄県の職業訓練校の問題でエキサイトしていた。2月頭に人権派の弁護士や家族会、当事者などと県庁に出向き、結局テレビ局の取材攻勢で県は方針を転換した。<br />　私が外来で相談に乗っている精神の手帳を持つ当事者が2名、立派にここまで訓練手当てを受けながら通学し、資格も取得して社会参加へ向けて自信を再び獲得するのに成功した。</p><p>　3月は沖縄県発達障害者支援センターを受託する予定である法人と一緒に動き、県にプレゼンテーションなどで成人発達障害のケアの重要性を訴え続けたが結局受託は出来ず。</p><p>　5月から7月は勤務するクリニックの移転でバタバタし、同時に新しい支援センターの法人にお願いして成人発達障害ケアのためにセンター嘱託医として関わるチャンスを頂くことが出来た。</p><p>　11月からは沖縄少年鑑別所に発達障害の診断のために出向くことになり、いろいろな事件に関わる思春期のケースの診断を始めた。</p><p>　成人へのコンサータ処方問題では適正流通管理委員会に10月にレポートを提出し、最近は22年1月から保険適用しないという方針を突出して打ち出した沖縄県の国保に対していろいろな働きかけを考えつつある。</p><p>　こうしながらも、いろいろな当事者の相談に乗りつつ、今年は「依存型ジャイアン」の概念とケアのシステムを工夫することが続き、積極奇異型ASとジャイアンの違いについては私の中ではほぼ明確になりつつある。</p><p>　まだ「表面的に酷似する受動型ASと依存型ジャイアンの区別の方法」、「ADHDは全てジャイアンであるのか？」という大きな問題が残ってはいるが、私の中では発達障害の大きな分類のイメージは完成しつつある。（「中間報告」を参照）。</p><p>　実は年頭には「学会発表や論文」という目標を掲げていたが、結局実現できなかった。自分の中では発達障害の分類についてのイメージははっきりしてきたので、「これを多くの先生方に伝え、ご支持を頂く」という次の大変な作業に取り掛かる段階に入った。これは引き続き来年の課題としたい。</p><p>　沖縄県北部に住みながら南部のクリニックに勤務し、単身赴任となって3年目に入る。今年は自分のアパートの部屋の片付けも少しずつ出来て、インフルエンザ疑いで3日間休んだほかはほぼ仕事を続けることが出来た。</p><p>　「自己中な脳を持つジャイアン」として、自己突っ込みとどう付き合っていくか、悩み続けてきた。今のところの結論は「自己突っ込みから逃れる方法はない」というところだが、この問題はずっとこのブログで考え続けていくことになるだろう。</p><p>　このブログに参加していただいた皆様、ご覧になっていただいた方々、本年もお世話になりました。ありがとうございました。</p>]]>
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    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2009-12-31T21:45:00+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091228/AS_">
    <title>ASサポートの基本方針</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091228/AS_</link>
    <description>　私はASの人をサポートする方針が正直なところ分からなくなっていた。何故なら「愛着」が出てくるや否や合理的な解決は不可能となり、「叩き切る」という選択肢が存在しないために（ADHD的な）現実的には解決方法が見つからないことが多いからだ。　別の言い方をすると、「本人の中の問題は解決不能」ということになる。どんなに辛くて身体症状が出ていても「こだわりと愛着の矛盾」には答えは無く、「大変ですね」と言うし...</description>
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      <![CDATA[<p>　私はASの人をサポートする方針が正直なところ分からなくなっていた。何故なら「愛着」が出てくるや否や合理的な解決は不可能となり、「叩き切る」という選択肢が存在しないために（ADHD的な）現実的には解決方法が見つからないことが多いからだ。</p><p>　別の言い方をすると、「本人の中の問題は解決不能」ということになる。どんなに辛くて身体症状が出ていても「こだわりと愛着の矛盾」には答えは無く、「大変ですね」と言うしかない。</p><p>　いろいろ考えあぐねた結果、結局私はASサポートは「現実世界との調整」しかないと言う結果としては当たり前の結論に到達した。<br />　<br />　最近書いた「許可制カミングアウト」もそうだが、ASの世界認知は人と世界が近すぎるために、「結果的に周囲の他者や世界を思い通りにするしかない」という自己中心性があり、それをストレートに指摘して現実世界との共存を可能にする環境調整は必要ではある。</p><p>　「本人の中の問題はどうにもならないので、外の世間との共存の部分でサポートする」ことを考えるのが、あくまでも結果を重視するADHDの治療者としての可能なスタンスとなる。</p><p>　特に積極奇異型ASの場合には、「世間からメジャーな待遇を受けるために多数派に大いに妥協するか、自分のスタイルを変えないで行ける狭い世界を探すか？」という究極の選択を本人に突きつけることが環境調整の出発点となる。</p>]]>
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    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2009-12-28T12:35:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091216/1">
    <title>許可制カミングアウト</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091216/1</link>
    <description>　ASは「理解」を例外なく当たり前に求めることが多い。　隠すことはむしろ少なく、自分から診断名や自分の大事なことをオープンにして、関わる全ての相手に理解を求める。　あるASの当事者が障害者施設の中でカミングアウトを希望し、私が相談に乗った。本人の中にもカミングアウトへの不安と理解を求める思いが交錯し、迷っていた。　理解を求める思いは非常に強く、実際より小さい施設で実験的にカミングアウトを試みたとき...</description>
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      <![CDATA[<p>　ASは「理解」を例外なく当たり前に求めることが多い。<br />　隠すことはむしろ少なく、自分から診断名や自分の大事なことをオープンにして、関わる全ての相手に理解を求める。</p><p>　あるASの当事者が障害者施設の中でカミングアウトを希望し、私が相談に乗った。本人の中にもカミングアウトへの不安と理解を求める思いが交錯し、迷っていた。</p><p>　理解を求める思いは非常に強く、実際より小さい施設で実験的にカミングアウトを試みたときには本人に精神的な成長が見られた。</p><p>　しかし今度は規模も大きく、いろいろな人が出入りする環境で、より世間に近い。実際にカミングアウトしたとして、それが原因で周囲の職員や当事者が疎遠な態度を取るようなことがあれば、理解を求める分だけダメージは大きくなる。</p><p>　ASの世界理解には、「相手の都合を考慮しない」という特徴があるように思う。自分のほうから見た世界だけで方針は決定され、「相手がどう受け止めるか」についての選択の余地が無い思考になっている。</p><p>　このことは近い立場の助言者がきちんと本人に説明する必要がある。<br />　そこで私が考えた方法は、「許可制カミングアウト」という方法だった。</p><p>　まず障害者施設なので職員は無条件に理解をお願いする。<br />　次に周囲の当事者については、職員から個別に本人の障害の理解に協力する用意があるかどうかをあらかじめ確認してもらい、「理解への協力の余裕や用意がある」とOKを取れた相手にだけカミングアウトするという方法だ。</p><p>　他の障害の当事者も、それぞれの事情があり、他の障害者のケアに協力する余裕が無い人も当然居るだろう。そういう相手にも一律にカミングアウトして、「理解を強要する」ことは出来ないということは、本人も納得することに成功した。</p><p>　「理解」についても、当然相手の事情や都合を考慮するべきであるという、発達障害当事者のほうから理解、譲歩するべき問題である。</p>]]>
    </content:encoded>
    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2009-12-16T23:02:00+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091208/1">
    <title>家族の都合②</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091208/1</link>
    <description>　まだ二十代の女性で、思春期から混乱状態になり、以前は統合失調症の診断をつけられていたが、最近ジャイアン型ADHDのACに診断を変更したケース。　私が以前に主治医を務めていたが、あまりに依存が強くなりすぎたので一時リセットを目的にA病院に転医して最近私がフォローすることを再開した。　久しぶりに話を聞いてみると、A病院に転医してから、「イライラして家族に当たったり物を投げたりはしなくなった」という。...</description>
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      <![CDATA[<p>　まだ二十代の女性で、思春期から混乱状態になり、以前は統合失調症の診断をつけられていたが、最近ジャイアン型ADHDのACに診断を変更したケース。</p><p>　私が以前に主治医を務めていたが、あまりに依存が強くなりすぎたので一時リセットを目的にA病院に転医して最近私がフォローすることを再開した。</p><p>　久しぶりに話を聞いてみると、A病院に転医してから、「イライラして家族に当たったり物を投げたりはしなくなった」という。それで母親始め家族は「落ち着いて良くなった」と今は言っていると言う。</p><p>　問題は私が担当していない間社会参加を目指した就労へのリハビリがほぼ停止していたことだ。</p><p>　以前は職業訓練校の委託研修などにも参加して、また就労へ向けた沖縄県の「通所リハビリ」も意欲的に参加していたのに。見る影も無く、表情も活気を失い、意欲が落ちている。</p><p>　本人も「以前の私と違う人になっている」と自覚している。</p><p>　薬剤は以前よりもむしろ軽くなった程度で、薬剤性の鎮静のかけ過ぎではないだろう。</p><p>　如何にも「慢性の統合失調症の患者になりました」然とした変化ではあるが、若い当事者のこの変わり様には驚いた。</p><p>　ジャイアンは誉められると木にでも上る。意欲を失い表面上落ち着いた状態になると家族は家族の都合で「良くなった」と誉める。また表面上の家族との交流はうまく行き、家族への依存はしやすい。</p><p>　「大人しく落ち着いた患者」で居れば家族とはうまく行き、逆に本人が就労などの社会参加への意欲を出すと前主治医も家族も「出来るわけ無い」と頭からつぶしてきたのだろう。</p><p>　この環境で、本人の意欲は残っているのだが、「自分でもよく分からないが違う人間になっている」という風な変化が起こった。マインドコントロールに近いことだろうか？</p><p>　私のフォローに戻ってから、ちょうどパソコンの委託研修があったので、「願書は出さなくてもハローワークで説明だけは聞くよう」と勧めたら、意外なことに本人はきっぱり「行きたい」と言う意志表示をした。</p><p>　本人にははっきりと社会参加への意志は残っており、ちゃんと話を聞けば、意欲は活性化することが可能だ。</p><p>　ただ勉強したり、委託訓練に通えばストレスがあり、家で不安定となって家族には不都合は多くなるだろう。遅かれ早かれ以前も相談していた実家からの自立も必要になってくるに違いない。</p><p>　何が本人のためにベストか？　少なくとも若いうちは社会参加の可能性を考えるべきであると私は思う。</p>]]>
    </content:encoded>
    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2009-12-08T19:08:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091205/1">
    <title>成人へのコンサータ処方が沖縄県の国保で認められない</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091205/1</link>
    <description>　平成21年11月30日付けで、沖縄県国民健康保険診療報酬審査委員会より私の勤務するクリニック宛に「連絡事項について」という文書が届き、下記の記載がありました。 　これは沖縄県の国保だけの問題で、他県でも同じような事態になっているのでしょうか? 情報をお願いいたします。 「コンサータの成人ADHDへの投与について 「コンサータ流通管理委員会」で検討中との事ですが、成人ADHDへの投与は主治医の責任...</description>
    <content:encoded>
      <![CDATA[　平成21年11月30日付けで、沖縄県国民健康保険診療報酬審査委員会より私の勤務するクリニック宛に「連絡事項について」という文書が届き、下記の記載がありました。 <br />　これは沖縄県の国保だけの問題で、他県でも同じような事態になっているのでしょうか? 情報をお願いいたします。 <br /><br />「コンサータの成人ADHDへの投与について <br />「コンサータ流通管理委員会」で検討中との事ですが、成人ADHDへの投与は主治医の責任で自由に投与されることはあり得ますが、あくまで保険診療としては、何らかの通達 があった場合や正式に「薬効・薬価リスト」に収載された場合のみしか認められませんのでご検討ください。」 <br /><br />　沖縄県でも複数の医師が成人へ処方していることは私も知っていますが、これらが全部保険がきかないことになるという文面であると思います。 <br /><br />　全国にも多く成人へ処方されている先生方が居られると思いますので、情報をお願いいたします。 　　　　　　　　]]>
    </content:encoded>
    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2009-12-05T17:35:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091127/1">
    <title>家族の都合①</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091127/1</link>
    <description>（心に残ったあるジャイアン女性のケース）　ジャイアンの回復の途中には、「突如攻撃性が表面化する」というプロセスが必ずある。多くの場合このプロセスは家族にとっては都合が悪い。このことをずっと考え続けているあるケースがある。　ある女性A氏はうつ状態で診療内科通院中だった。家事もほとんど出来ない難治性のうつ状態だった。私の勤務するクリニックに転医してからADHD、ジャイアンの診断と告知、カウンセリングで...</description>
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      <![CDATA[<p>（心に残ったあるジャイアン女性のケース）<br />　ジャイアンの回復の途中には、「突如攻撃性が表面化する」というプロセスが必ずある。多くの場合このプロセスは家族にとっては都合が悪い。このことをずっと考え続けているあるケースがある。<br />　ある女性A氏はうつ状態で診療内科通院中だった。家事もほとんど出来ない難治性のうつ状態だった。私の勤務するクリニックに転医してからADHD、ジャイアンの診断と告知、カウンセリングでかなり回復し、さて問題の段階に差し掛かった。具体的には書けないが、「公衆の面前で見知らぬ人の不条理をはっきり注意する」という行動が出てきて、私は「良くなった」と大喜びして、社会参加へ向かって本人の興味のある分野の学校への入校を勧めた。</p><p>　ところがその後は私の予想外の展開となった。同居のフィアンセが入校に反対してその話は流れ、程なく私の勤務するクリニックから転医となったのだ。<br />（間接的な情報で、その後はフィアンセと一緒で無いと外出できないようなうつ状態が続いているらしい）</p><p>　このケースについての真相は話が聞けないので分からない。以下は私の勝手な想像である。</p><p>　ジャイアンA女性が動けなかったのは、優しいフィアンセへの「丸投げ依存」だったと想像する。病気で居れば優しくしてもらえる。</p><p>　何でもフィアンセが決めてくれて、自分で責任を負わないから自己突っ込みが生じない。現実社会にも出て行かないから不安も回避できる。</p><p>　結果として「自分の人生丸ごと丸投げ先延ばし」のような状態であったという想像だ。</p><p>　おそらくこのジャイアンA女性の依存と、優しいフィアンセの献身的な世話は「共依存」であったのだろう。</p><p>　私の治療は「自立」を志向する。依存を脱してジャイアンとしての自立と尊厳を取り戻し、その結果として本来のジャイアン的な活力を蘇らせることを目標とする。</p><p>　その途上には攻撃性がはっきり表面化する時期がある。自己突っ込みが非常に激しくなり、その結果他者への突っ込みも厳しくなる。</p><p>　自分にも人にも異常に厳しい「超合理的強迫的ジャイアン」への復活だ。</p><p>　おそらくこの（私から見れば）回復が、家族、優しいフィアンセ氏から見て「都合が悪かった」のだろう。A氏本人の自立は安定した共依存関係を破壊することを意味するからだ。</p><p>　これはあくまでも私の想像に過ぎないが、「転医」となった経過もこう考えると説明できる。</p><p>　このケース自体については、実はこの転医先の先生はジャイアン当事者と喧嘩することが多いという前例も分かっているので「主治医と喧嘩して戻って来ました」という風になるのをずっと私は待っている。</p><p>　戻れば私は大歓迎であるが、ご家族は反対するかもしれない。</p>]]>
    </content:encoded>
    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-27T12:38:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091124/1">
    <title>サポートの逆説</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091124/1</link>
    <description>　私は自分のHPの「発達障害の適応の基本方針」に、「学童期は周囲の理解とサポート、思春期以降は告知と本人の理解、自覚と調整」と説明している。　しかし最近ジャイアンのとあるケースで、「学童期のサポートで依存型ジャイアンにしてしまった」と分かって愕然とした。　本人への告知と理解は本人の言語性IQによるが、通常は小学校5年生程度、思春期の始まりあたりを目安にする。　逆に言えばその前は「本人が自分の障害を...</description>
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      <![CDATA[<p>　私は自分のHPの「発達障害の適応の基本方針」に、「学童期は周囲の理解とサポート、思春期以降は告知と本人の理解、自覚と調整」と説明している。</p><p>　しかし最近ジャイアンのとあるケースで、「学童期のサポートで依存型ジャイアンにしてしまった」と分かって愕然とした。</p><p>　本人への告知と理解は本人の言語性IQによるが、通常は小学校5年生程度、思春期の始まりあたりを目安にする。</p><p>　逆に言えばその前は「本人が自分の障害を理解して自分で修正する」ことは要求しない。「周囲が理解して不適応を防止して二次障害を防ぐ」という当たり前のサポートの原則を実行することになる。</p><p>　特に自己管理能力の低いタイプの場合、周囲はうるさく言って、結局結果のフォローもする羽目になる。この状況はまさに依存型ジャイアンを作り出す非常にまずい環境になるのだ。</p><p>　現実のケースでは、私がはっとして「5年生だから説明しよう」と思春期のケア方針へと切り替えを慌てて始めたが、本人は都合の悪い話は「分からん」「忘れた」というばかりで、この先のケアの大変さを痛感した。</p><p>　IQの非常に高いケースはある意味言語的な説明だけで行けるので楽だ。合理的思考についてももともと出来る子も多いからだ。</p><p>　他方で学習障害合併例や言語性IQの高くないケースでは、合理的思考のトレーニング自体が学童期に必要であると今更ながらに痛感した。</p><p>　私はこれまで「ジャイアンには現実的な苦労が必要だ」と繰り返し述べてきた。</p><p>　「現実的な苦労」には自己責任の原則がどうしても必要で、この「現実的な苦労」の状況を、「理解とサポート」のケアとどう組み合わせるか、実際のケアのあり方のデザインとしては非常に難しいことになる。</p><p>　私のジャイアン末娘は裸足で走り回る野生的な保育園の環境で上級生と混じっている中で鍛えられて、屁理屈も言えるようになっている。竹馬なども泣きながら練習して出来るようになる体験に恵まれた。</p><p>　管理が優先する学校の環境では衝動性の高いジャイアン児童に「自己責任」の状況を作るのは非常に困難であろうと想像は出来る。このあたりが、学校の先生の「プロ」の領域でもあるのだろう。</p>]]>
    </content:encoded>
    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-24T19:38:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091118/1">
    <title>高速エンジン</title>
    <link>http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20091118/1</link>
    <description>　（これまでに記載したかも知れないが、分かりやすい発達障害の例えの説明がある。どこかの資料からの借用で、私のオリジナルではない）。　「時速300キロ出るF1のエンジンを積んだ普通の車」というのがそのたとえだ。　F1のエンジンは時速300キロまで出せるので、アクセルを踏むと急にスピードが出て、普通の道では非常に危険だ。日本の曲がりくねった道や信号の多い道では必ずと言って良いほどトラブルを起こす。　逆...</description>
    <content:encoded>
      <![CDATA[<p>　（これまでに記載したかも知れないが、分かりやすい発達障害の例えの説明がある。どこかの資料からの借用で、私のオリジナルではない）。</p><p>　「時速300キロ出るF1のエンジンを積んだ普通の車」というのがそのたとえだ。</p><p>　F1のエンジンは時速300キロまで出せるので、アクセルを踏むと急にスピードが出て、普通の道では非常に危険だ。日本の曲がりくねった道や信号の多い道では必ずと言って良いほどトラブルを起こす。</p><p>　逆に、ドイツのAutobahnの一部のように速度無制限のとにかくまっすぐな道に行けばこっちのものだ。高速エンジンの強みを発揮できる。</p><p>　&nbsp;発達障害の「過集中」は、単独行動かつ短時間限定であるが、多数派のバランスの取れた集中力をはるかに上回るパフォーマンスを発揮できる。ある意味では「リミッターが機能しない脳」という考え方も出来る。これがF1のエンジンだ。</p><p>　発達障害の不適応は、このエンジンの微妙なコントロールが困難なところで説明できる。ハンドルが追いつかないので事故になる。普通の車では、車自体が壊れてしまうこともある。</p><p>　重要なことは、「非常に高度な運転技術を要する」ということだ。運転の仕方に発明工夫を凝らす必要があり、また繰り返しの練習も必要だ。</p><p>　私の場合は、ホームセンターや百円ショップを歩き回って新しいモノを発見するとテンションが上がる。また入浴するとテンションが上がる。緑茶のカフェインは効き過ぎて夜飲むと不眠になる。白衣を着ることである程度テンションは上がる。</p><p>　こういう自分の脳をコントロールするための自分なりの工夫を積み重ねて行くことが高度な運転技術を身につけることだ。</p><p>　外の環境に一旦働きかけて、その環境からの逆作用を利用して自分の脳を間接的にコントロールする。発達障害にはこういう苦労があるのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>　&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>]]>
    </content:encoded>
    <dc:creator>YANBARU</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-18T20:19:00+09:00</dc:date>
  </item>
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