これまで説明したように、ADHDもともとかなり「分からない」障害であるが、自分のことをある程度合理的に見ることは出来るため、自分の努力で一部は障害の部分を補うことが出来る。
その中でも大事なことは、「多数派を観察する」作業だ。私もADHDであり、直感的に状況察知は出来ない。カミさんに教えてもらったり、自分自身と多数派を観察し推論した結果をここに書いている。
具体的には、「周囲の人はなぜこういう行動をするのだろうか? 」ということを考え続け、とりあえずその人の行動を説明する仮説を自分なりに想像する。説明の仮説が当たっているかどうかは、現実に現れた行動を「予測できるかどうか」で決める。
当たる確率の高い仮説であれば、「次はこうなるはず」という予測が可能で、とりあえず毎回予測をしておいて、実際に当たったかどうかを確かめる作業を全ての場合に続ける。
そういうわけで、「すぐに反応しないほうが良い」と私は思う。特にすぐに感情的に反応すると、見当違いになる確率が高く、相互理解につながらないことが多い。感情的にならないためにも、「観察と予測」は大事なことだ。
多数派の場合には、本人に「どうしてこういう行動をするか」を直接聞いても答えられないことも多い。その理由は、私の推測では、「思わず、当たり前として直感的に行動しているから、何故と聞かれても答えられない」のだと思う。
多数派を観察し、一つ一つの多数派の行動に対して説明と予測を繰り返して、多数派の行動を説明する「仮説のストック」を作り上げれば、それを直感の代わりに使用することは可能だ。
私が青年期以来25年くらい積み重ねてきた仮設をまとめることが出来れば役に立つかもしれない。今進めている作業がその「基礎編」にあたるのかもしれない。
前回はADHDから見て、ADHDとしての人間を大事にする「相手の生きていく自発性、可能性の尊重」という原則から、ASの支配がどう見えるかをかなりずばり書いてみた。少なくともADHDに対しては支配は人間としての価値の否定になる。
ここで理解してほしいことは、「苦しんでいるのはASだけでなく、相手も同じである」と言うことだ。
さて今回はASの側の視点に戻り、「生きた人間としてのADHDとの共存のためのASとしての最低原則」を探ってみよう。
1.まず「ADHDにとって自由や自発性、未来は何も決まっておらず、自分で自分の行動を決定できる権利はかけがいの無い重要性を持っている」ことを頭で理解する。
2.次に「ADHDの行動については基本的に全面的な自由を認める」 決意をする。ただしこれは自由を認めた後の「期待」「相談」や「交渉」の可能性を否定しない。例えばADHDとはいえ何でもして良いということではない。ASの側の人格を否定するような言動については「理解を目標に相談する」ことは出来る。ただし結果としての「完全な理解」は要求しない。
3.「ADHDの心の中のこと、意図や真意などについては完全に理解することを断念する」または「理解は本来不可能であることを認める」努力をする。相手のことを完全に分かっていると感じるとすれば、それはこじつけの断定でしかなく、ADHDの人格の否定にしかならない。
4.上記と同様に「相手が自分のことを完全に理解することは不可能である」ことを認める。それを要求しないように努力する。
5.ADHDと共存する場合、共にする生活については、「未来は完全に不確定で何も決まっていない」ことを認める努力をする。自分で「予想」や「期待」はしても良いが、これはあくまでも自分だけの中の予想であり、相手には「単なる一方からの希望」として表明する。
6.上記の「努力する」と書いた部分については、これは「努力目標」と理解し、結果として完全に実行できる意味での「義務」ではない。人間は不完全であるから、努力していれば相手はその努力の事実のみをもって「目標に近づいている」と理解する。ただし、相手から「努力の不足」を指摘された場合は、謙虚に受け止め、その反論については(反論自体を封殺するような形では)言葉によってもその他の態度によっても不満を表明することはしない。(上記と同様に理解を目標に相談することは出来る)。
表現が分かりにくいかもしれないが、これを最初の「叩き台」として、いろいろな意見を「期待」します。
私は「福祉サービス苦情解決事業」の運営適正化委員もしている。そこで困った「クレイマー」として検討された一例が、おそらくAS(アスペルガー症候群)であろうと思う人だった。
行政担当者からは「金目当てで難癖をつけている」ように見られており、私は初めからそんな見方をすること自体が問題だと説明した。
委員会に参加して、結局私はASの人であるとするとどうしてこういう点にクレームをつけるかについて具体的に解説する立場となった。こと細かく記憶して、小さな表現上の矛盾にもこだわり、特に金銭関係の問題には過剰に反応する。
これはASとしてみればほとんど当たり前、不可避のことであるが、不幸なことに多数派から見るときわめて悪意に満ちているという風に受け取られることになってしまう。
沖縄県の同委員の先生方は寛大で、私の説明に理解をしていただき、このクレイマーと言われた人にはきちんとした説明がなされることとなった。
ASもADHDも、言葉にはこだわり、一見屁理屈と見られるくらいに厳密な考え方をする。おそらくクレイマーといわれる人の中には発達障害が多く含まれるだろう。不幸な行き違いのケースだ。
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