ジャイアンの中心志向から来る自己突っ込みは、非常に高い「当たり前」の基準と自分を比べる形になる。このことの一番大きな問題は、「小さい改善の努力が無意味になってしまう」ということだ。
現状と高い基準の間の開きが大きくて、現状を改善する為の地道な努力をしたとしても、「その後にも同じ自己突っ込みが来る」ことまで見えてしまうので、「進む気にならない」ということになる。
「先延ばし」という観点から見てこのことは非常に重大である。先延ばしを解決する現実的な努力が否定されてしまうからだ。
「自分に低い自己評価を言い聞かせる」ということが有効なのは、この「高すぎる基準」を修正して、その結果中心志向の自己突っ込みをかわすことにより現実的合理的な基準に修正するということになるからだろう。
「目の前のこんな小さいことも出来ない状況で、この非常に高い基準と比較するなどあまりに非現実的で不合理」と考えて、合理的な部分の力で基準を修正することができれば、この穴から脱出できる。
ジャイアンの中心志向から来る自己突っ込みのために先延ばしが重症化し、その結果治り難い「うつ病」になっている人はかなり多いように思う。
いわゆる「うつ病の認知療法」と全く違う解決方法になるところが面白い。
ジャイアン(自己正当化型ADHD)は万事大げさであるが、特に痛みには弱いように思う。
小さいころから、ちょっとした火傷や切り傷などでも、手当てをしてくれとしつこい。年をとっても血圧にこだわったりする。
ただ予防接種の注射だけは、おそらく(目の前で他の子が泣かなかったら褒められるのを見るからであると私は思うが)我慢するジャイアンは多い。
ジャイアンはもともと不安が強く、また表面的な現象だけが認知され、その「意味」までは考えが及ばない。
だから「痛みはあるがなぜ痛いか分からない状態」ということになり、不安が強くなるのだろう。
また、「親を独り占めしたいということで手当ての形でかまってもらう口実になるから」というのもあるだろう。
思春期のケースでリストカットなどの自傷行為や刺青にこだわるケースは、一種の「解離」下にしているケースもある。基本的には「痛いことが嫌い」なのがジャイアンである。
他の不安が強く、また医療サービスに文句をつけることも多いので、歯科に行けない人や先延ばしで痛くても放置するケースも別の意味では多いのだが。
痛みをまったく感じないかのように見えることの多いASとの大きな違いのひとつである。
昔は「寅さん」だったが、最近は「がばい婆ちゃん」が年末の定番になった?
寅さんもがばい婆ちゃんもどちらもジャイアンだろうか? ミツオとアキヒロは間違いなくノビ太だろう。
「チリトテチン」は非常に面白い。若いジャイアンACが落語家という環境で成長していくドラマだ。適度に注目もされるが、権威があるわわけでもないので、害にもならない落語家という環境はジャイアンには結構適していると思う。
どうやら私のライフワークは世間にたくさんいるジャイアンの面倒を見ることなのかなと考えつつある。(ASはあくまでも客観的に道を示すという形で関わるので)。
本年も発達障害の可能性を少しずつ皆さん一緒に考えていきましょう。
2007年 元旦
(前のスレッドへの質問に応えて)
自分自身を醜いと考えることは誰でも苦しいだろう。しかしここに書き込んでおられる多くの人も同じだと思うが、「正直率直に見れば醜いと言うしかない」自分の面があるのは紛れも無い「事実」で、実際そうであるのだから仕方が無い(少なくとも私にとっては)「本当のこと」だ。
本当のことから目をつぶって逃げても、自分はその「逃げている」ことも分かっているので、それも(逃げているという)「自分が醜い」ことのひとつの証拠を付け加えるだけのことだ。
ADHDは自分にも他人にも一番きつい突込みを入れる。(ここがASとの一番の違いだろう)。それから逃れるためには薬物依存やアルコール依存、解離性障害にでもなるしかないだろう。少なくとも私には自分を騙して逃れる方法はないのでここに留まっている。
別の言い方をすれば、直視し続けないほうが私はもっと苦しいのだ。「本当のことも見切れない下らない奴」になってしまう。
私には「自己中でエゴイスト、周囲に迷惑をかける」と言われるよりも「本当のことから自分は逃げている」と自分を責めなければならないのはもっと苦しいことだ。
私の言いたいことは、問題の根本が「脳から来ている」ということ。もともと脳が自己中に出来ていることがことがらの始まりであるということだ。
「それが分からないよりは分かったほうが少し楽だ」「周囲の人から理解するのに役に立つだろう」と私は思う。そう考えて自分が「本当」だと思うことを書き続けているが、見たくない(見る時期に無い)人は見ないほうが良いのかもしれない。
支配的でごり押しするイメージのジャイアンが同時に依存的であるということは理解が難しい。一つ典型的なパターンがあるので、この例でジャイアンの依存性と支配の関係を考えてみる。
あるジャイアンの母親は自分が責められて正当化できなくなると、「どうせ私だけが悪い」と逆切れして、不安いっぱいの動作でこれ見よがしに苦しそうな態度をとる。時には血圧が上がったり実際に身体症状が出たりする。
その結果周囲の人は「このお母さんは強く言うと不安定になるから言えない」ということになり、実際は言うなりになるしかなくなって支配される。
ことがらの真相はこうだ。
まずジャイアンは実際に非を認めきれず、結果として依存できないと、実際に不安になる。身体症状も出る。これは別に意図的に見せつけるわけではないのだが、もともとジャイアンは万事大げさなので、これ見よがしにやっている様に周囲には感じられる。
周囲の人はジャイアンの態度の大げささや、反応の激しさに、「従わないと大変なことになる」という脅しのメッセージを付け加えて読み取る。多数派流に読めばこういう意味になるだろう。
その結果ジャイアンに逆らえないという結果になる。ジャイアンにはもともと支配の意図はなかった。だから、後に、「あんたが自分で選んだのに」という無責任発言が飛び出すことになる。
このあたりがジャイアンの依存性と支配の関係である。
ジャイアン同士のカップルもAS-ADHDカップルと比べると少ないが、時々見かける。
ジャイアン特有の「面倒を見たい」「仕切りたい」という愛着にちょっと似た情緒的傾向と、依存型のジャイアンがうまく嵌るとカップルが成立する。
このパターンでは依存しているほうが非常に子供っぽい行動をとることが多い。面倒を見るほうのジャイアンは、呆れながら「可愛いところもある」と面倒を見てしまう。
問題が表面化するのは、依存しているほうのジャイアンの非を面倒を見ているジャイアンが追求したときだ。依存してはいるもののジャイアンは非を認めることは出来ず、逆切れしたり、しばらく閉じこもったり、口をきかなかったり、とにかく子供っぽいひねくれた反抗のような態度に出る。
私は面倒を見ているほうのジャイアンに、「相手はあなたが居ないと生きていけない」と説明し、ジャイアンの弱さ、もろさを説明して、表面上非を認めさせなくても、別の形でサービスをさせるなどで非を認めていると「解釈」してあげるように薦める。
可愛げもあるという形で結びついているジャイアンカップルの場合には、上記の「解釈」は可能性があると思う。表面上立てておいて、二重構造で関われば問題は表面化しない。
(実はジャイアンは相手が多数派でも同じように多数派の側からは簡単にコントロール可能である。表面上誉めれば調子に乗って何でもサービスするからだ)。
私が直接間接的に接する人に、ジャイアンで出産後子供の衛生面、栄養面などに極端に強迫的になるジャイアン(自己正当化型ADHD)母が複数居る。
ジャイアンはもともと「自分が誰だか分からなくなる」ような根源的な不安とともに、その不安を穴埋めし続けるために強迫的な傾向を持ち、時間を守ったり片付けは出来たりするので見かけ上はADHDに見えないことも多い。私は人に対する執着が乏しい(直系親族への不思議なこだわりは別として)ことと、状況理解の不十分さ、あれはあれ、これはこれ、昨日は昨日、今日は今日などのばらばらの思考がASと違うことからADHDと考えている。
さてもともとこだわりもあったジャイアン女性が結婚すると、結婚すること自体で、特に仕事をやめたりした場合「夫に頼る部分と自分で仕切る部分の役割分担がうまく出来ない」感じで強迫症状が激しくなるパターンがある。
出産すると、今度は別の人格である子供(および夫)との関係性を取りきれずに、子供に食べさせる食事や着せる衣服、衛生面などに極端にこだわり、文字通り強迫的となることがよく見られる。
仕事をしていて辞めたたジャイアン女性の場合、「自分で稼いだお金がなくなる」というポイントも大きいだろう。ADHDとしては、外に出る刺激が少なくなり、子供に過集中するという要因も大きいと思う。
だからケアは子供だけに集中している関心を分散させることが一番だろう。子供が少し大きくなって、保育園に入れて本人が仕事をして外に出る刺激を確保すれば、ADHDらしく回復へ向かうと私は予想する。
続けて子供を3人くらい産んだりすると、うつ状態になったり、不倫や浮気の方向に関心が向いたりすることもある。
「外」で自閉性を出さないで周囲に合わせることはASにとっては大きなストレスとなり、病的な二次障害をきたしうることは間違いないと考えている。
しかし一方、今「親」として関わっている成人ASの人々に子供のころを聞いてみると、意外に「普通でした」ということが多い。この人たちは、(結局成人に至る間にうつなどで心療内科受診となっていたのだが) 診断されることもなく引きこもることもなくよく結婚して子供を生むところまで生きてこられたと思う。
このことの説明として、私なりの仮説は以下のようだ。「積極奇異の人は現実の世界でとにかく頑張って、超人的に努力して、それなりの評価をゲットして積極奇異的な評価の代償でストレスを相殺してきた」 と私は想像している。
その頑張りが成就しなくなった段階で病的な状態となり心療内科に受診する。家事も全くできなくなり、ずっと起きられないようなうつ状態となったり、動悸やふらつきなどでほとんど動けなくなるような身体症状に悩まされる。
子供のケアを通じて大人になってやっと診断をつけ、私は「あなたはASだからASらしく生きるしかない」と告げる。その後は立派なAS氏となっていく。(例えばクレーマーになったり)
そこまで考えて遡ってみると、やはり「思春期前にASと診断して、自閉的な適度に部分を出しながら周囲に受け入れられる」体験をすることが一番精神的に健康に生きられる経過であると思う。
目立つこと、頑張って評価されることで適応のストレスを代償することは可能だ。しかしそれをずっと続けることは実際上困難であり、必ずどこかの段階で頑張りきれなくなって病気になる。
何とか違う形で、大人になる途中でも適度にサポートしてくれる環境の中で自閉性を出して受け入れられるか、違う形の何らかの安定した評価(ADHDの配偶者には可能?)によって気分的に安定できればいいのだが。
一見被害的(見方によっては誇大的)な認知には、A「統合失調症の被害妄想」、B「躁うつ病の誇大妄想」、C「ASの関連付け発想」、D「ジャイアンの自意識過剰」、E「ACのお節介」などがあり、似ているが少しずつ違う。
まずA統合失調症の被害妄想は、私の印象では「自我の境界が不鮮明となって、自分の中に他人の考えが入ってきたり、自分の考えが他人に伝わったりするように感じる」というイメージだ。
この意味では、Dジャイアンの自意識過剰は少し近いと思う。言ってみれば「自我の肥大」とでも言うべきことで、「世の中のことは全部自分に関連する」(自分に関連しない他者は何も見えていない)という意味で自意識過剰となる。他にも私はジャイアンと統合失調症はある意味で近く、共通点が多いように思う。
B躁うつ病の誇大妄想は、自分と他者は見えてはいるが、立場、位置関係が自分のほうが上に立つという形で、ジャイアンよりは病的でないように思う。
CのASの関連付けは、AS流に自分と他者は認識されているが、「自分と他者が非常に近く認識される」、「偶然が認識できない」というAS独特の認知の特徴から来るもので、被害妄想とは全く違うが、実際の臨床の場では専門家もあまり区別し切れていないのではないかと思う。
ACも見方によっては自意識過剰で誇大的である。「私が支えてあげないと」と自他の問題の区別ができない。これは自己評価の低さと見捨てられ不安から、周囲の人の行動を「自分への評価」という部分だけを異常に拡大して認知するという認知の歪みにより、自分と他者の区別が冷静に見えなくなっている状態と言える。
私はA、D、C、B、Eの順に病的という印象を持っている。A、D、C、Bはいずれも炭酸リチウムが有効だ。
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