ジャイアンにとっては「依存」よりも「利用」のほうがはるかに健康的である。「利用」には、精神的なベタベタした関係は付随せず、ただ現実的な利用であり、利用の理由は「ただ便利だから」である。「便利」だから使えれば誰でも(人間でなくても)良い。
他方「依存」は何度も繰り返し説明してきたが、ジャイアンの最大の弱点であり、もっとも危険な罠とも言えるジャイアンにとっては破滅への道だ。
この「依存」の証拠ともなるキーワードが「必要」だと思う。特に受動型ASが喉から手が出るほどほしがる言葉が「必要」だ。受動型ASに対して「あなたが必要」と言ったら最後、その瞬間に大変な要求を突きつけられることになる。
「利用」の意味でも必要は必要ではあるが、受動型ASの人には、便利だからという「利用のための必要」では共依存できないので、この点をはっきりさせてしまえばその関係はかなり難しいと私は思う。
ここであらためて宣言しよう。ジャイアンは人を「必要」としない。
逆に言えば、誰かを「必要」と言った瞬間に病的なうつや身体症状が待っていると言っても良い。
ジャイアンは孤独だ。誰にも助けられることも出来ず、愚痴もこぼせない。人に好奇心を持ったり仕切りたくなったりもするが、その相手はジャイアン自身にとっては本来必要ではないものだ。
しかし私は孤独ではない。ここのブログの試みに参加しているジャイアンの面々や真摯に自分を変えようと努力しているASの方々とは、「ともに自分たちの脳の困難さについて考える」ことが出来ている。
一切の「必要」は無くとも、お互いを「理解する」、「ともに考える」という「同志」のような関係は成り立ちうる。少なくともジャイアン同士、積極奇異のASの人とは立場の違いを超えて「理解しあう」関係は可能だ。
だからジャイアン以外の人にお願いしたいのは、「必要」を諦めてほしい。「必要」を超えたところに、ジャイアンと理解し合い、相互に病気にしたり相手の行く手を妨げたり足を引っ張ったりするする恐れの無い健全で建設的な関係を築くことが可能となるのだ。
「私はあなたを必要とはしない」。「しかし理解したい」。「ともに考えて行きたい」
ADHDがASと日常的に接した結果、ADHD本来の場当たり的で大雑把なスタイルと違うASのような強迫的な行動パターンとなる現象を私はAS被影響症候群と呼ぶ。
少し前のスレッドの書き込みに少しヒントを頂き、この影響の中身について想像が進んだ。
ASの人は、(特に積極奇異型は)自分にも人にも非常に強迫的で厳しい「完全さ」を求める。発せられる言葉はほとんど「完全と比較して」ということになる。
ADHDは何でも言語的に断定口調で言われると「それもそう」と思ってしまう傾向があり、まずこの形での「影響」はあるだろう。
もうひとつ、ジャイアン型ADHDが積極奇異型ASから受ける場合に全く別の形で起こる「影響」は、「中心志向が強化される」ということだ。
積極奇異型ASと接して、中心志向を「当然」のように示されると、ジャイアンの中にある中心志向を合理的に「非現実的」と否定することが非常に難しくなり、中心志向の鬼のようになって、自分にも非常に厳しい自己突っ込みをして強迫的になり、例えば子供にも異常に厳しくなる。
「ASと接することで中心志向から来る自己突っ込みがひどくなる」ということが起こると私は思う。
助かる道はこの反対で、徹底して合理的なパートナーから、徹底して合理的に中心志向を否定してもらい、本人の中にある合理的な部分を強化してもらうことにあると思う。
ジャイアンの回復の根拠は、「片方の足は合理的なADHDの場所にある」ということだ。自分の合理的な部分をどう使って回復するか、もうしばらく考え続けよう。
私はかなり努力しているが、やはりジャイアンであり、ジャイアンならではの弱さもみっともなさも当たり前に持っている。
某大手の掲示板での私に関連した(私は何も知らない)トラブルも、親切に教えていただいているのに、見るとカッとして感情のコントロールが困難になる可能性を想定して実は自分では見られないでいる。(表面上は「ばかばかしい」などと見栄っ張りな嘘を言っているが)
例えば免許の切り替えで「違反者講習」が来ても、落ち込む気持ちがどうしても生じてしまう。
要はジャイアンは醜い存在なのだ。そしてそれを合理的な部分は許せないのだ。
こういう「否定的評価」に対して、ジャイアンは「うつになる」ことがある。私も一時「体が重いとはこんなことか」という感じがして、危ない危ないと思い直した。
「思い直す」方向は、実にうつ病の認知療法の正反対な方向だ。
「そもそも自分を高い所に前提しているから落ち込むことになる」
「そもそも自分はそんな大したものだったか?」
「厳しかった当時のどうしようもなかった自分のことを忘れるな」
「あの当時のことを考えれば普通に働けているだけでも社会や家族に感謝しなければならない」というような自問自答を繰り返す。
逆説的であるがジャイアンはこれを言い聞かせることによって「うつ」から逃れられる。
問題は「前提」の部分で自己評価が高すぎる状態になっていることにある。何も考えずボーっとしているとこの高い自己評価のところに「落っこちる」のだ。
一生懸命に意識して上記の自分の本来の評価を自分に言い聞かせ続けると、やっと頭が働きだして「うつ」になりそうな底なし沼から足を引っ張り出せる。
とは言っても、やはり件の掲示板を直視する気持ちにはなれないのであるが。(こういうのを「先延ばし」という)。
「言ってやってもらっても駄目、意味が無い」という感じ方はAC特有の発想であると言われているが、表面的にはACでないジャイアンにも受動型ASにも同じような発想と行動パターンがある。
①ACの場合
「自分がそんなことを口で言おうものならとんでもないわがままと思われて嫌われる、見捨てられるから言えない」。幼少期の家庭環境の中で「本当のことを言ったら見捨てられる」という不安が強かったことから来る認知と行動のパターンである。
②ジャイアンの場合
「人にお願いすると後で自己突っ込みがきついのでお願いはできない」「自分で責任を取りたくないのでつらくてもお願いはしない」。独立独歩の中心志向と責任を取りたくない志向が両方とも非常に強いので、自分からお願いするのは都合が悪い。
③受動型ASの場合
「そもそも自分から動く必要自体ありえない」「当然相手から動くべきだ」。依存させることを約束したわけだからその相手に対して自分から動く必要は感じない。結果自分のほうからは絶対に電話しなかったり、言葉では何も言わないで、聞きもしないで相手のことを断定することが多い。
「言ってやってもらっても駄目なのよね」「そうそう私もそう思う」と言っていてもお互いに全く違う意味で言っていることが頻繁にありそうに私は思う。。
ASとACの関係は複雑で微妙だ。積極奇異型も受動型もどちらも「表面的には」AC的で、「ASのAC」というと、このもともとAC的なところと、二次障害として変わってACになったところとの区別が非常に難しくてかえって話が分かりにくくなるので、私は最近はあえてこの言葉を使わなかった。
それが、ASの「型」について考える際に、よく「途中である型から別の型へ変わった」と言われる人が多いところで、やはりASのACを考えるべきだと思えてきた。
私の相談に乗っているASの人の多くは、積極奇異型は積極奇異型、受動型は受動型で、私が見る限り「はじめから脳が違う」ように思える。とても相互に移行するようには見えない。
ただし、いくつか状況による行動の変化はある。例えば、「積極奇異型ASが、愛着の相手には尽くす形で非常に受動的になる」ということや、「受動型ASは受動型なので、もともと相手や環境によりいくつかの顔を使い分けている」「特に受動型ASは依存できそうな愛着の相手にはかなり絶対的な要求を突きつけ、出来ないと追窮する」(世間に対してと愛着の対象に対しての態度が積極奇異型と受動型で対照的)など。
だから「場面によって違う」「(親に対して等)相手によって違う」ことは普通にあるとして、本当にこれらを超えた「型」自体の移行があるのかどうかが根本的な問題だ。例えば中心志向の有無などははっきり違うように思える。
この問題を考える時、「積極奇異型ASがACになっていたのが、ACの部分が回復した」という風にACを考慮して考えたほうが説明として分かりやすいのではないかと思う。
上記の、「親に対して」とか、「愛着の対象に対して」という状況による態度の変化を除外して、それでも残る「型の移行」に見える現象は、結局「環境のために後天的にACになっていたのが回復した」と説明できるのかどうかを考えている。
例えば積極奇異型ASの人がボーダー(境界例)的になった場合、「行きずりの関係で不安を解消する」というもともとの積極奇異型にはあり得ない様な(受動型なら当たり前の)行動が、ASのACとして説明出来るように思う。
ASの方、ASの関係者の方の意見を聞きたいので、よろしくお願いします。
ジャイアンの子供は「親から(表面的に)一番大事にされる」「親から一番ほめられる」時には「親よりも優位に立つ」立場を求める。そのために使えるものは何でも使うように成長する。
もともとジャイアンには「自分の有利不利に関係することだけ状況が分かる」という能力がある。だから、(屁)理屈を言って言葉で負けないことと同時に、情緒的なやり取りの中で相手の弱みをついたりして優位に立つということもできる。
この二つの能力が、生育する環境によってどう成長していくかが分かれると私は想像している。
親がASで、しかも子供本人に愛着を持っている場合には、この親は言葉でどんなに厳しいことを言っても、愛着の部分は子供に逆らえない。
ジャイアンの子供は親からのこの両方の相反するメッセージを受け取り、不安になる。「どっちだ?」という不安の表れが、試し行動であり、あえて親を振り回すような行動を取って、その反応を見なければ本心が分からなくなる。
こうして親の愛着の部分を突いて非言語的に親をコントロールする技術だけを発達させていくとボーダー的に成長する。
親がジャイアンの場合も同じようなことが起こる。親ジャイアンの中には何人もいるので、その中の不安が強く責任を回避したくて依存したいと思っている弱みを子供ジャイアンは目ざとく発見し、そこを突いてコントロールして優位に立つ方法を親ジャイアンとのバトルの中で発達させていく。
単に合理的なADHDが親であるのがベストであるのはこういう事情だ。親の態度に子供ジャイアンから見てつけ入る隙が無いということが意味がある。子供ジャイアンは合理的に認められるしかないのだ。
子供が積極奇異型ASの場合には、ASは親も子供も「言葉と非言語的なやりとりのチャンネルが二つあって二つを別々に使える」というような面があるので、「どっちだ?」という形にならない。だから(受動型を除き)子供がASの場合には同じようなプロセスにはならないのが不思議ではある。(ちなみに受動型ASはもともと最初からボーダーに似ている)。
ジャイアンACも受動型ASも時に積極奇異型ASもノビ太(合理的ADHDのAC)も引きこもりになりうるが、それぞれプロセスが異なる。
受動型ASは積極的に社会に出る必要は無く、親をコントロールできれば、社会的に依存対象が無ければ引きこもることになる。
ジャイアンACは多くは強迫症状やSAD様の社会恐怖、身体症状などを訴えて病的に引きこもる。実際は自分自身に社会的に評価されることが見当たらないので外に出ること自体「どの面(ツラ)下げて」という自己突っ込みが発生する。結果(意識的にも無意識にも)社会的に他者の目にさらされることを先延ばしして引きこもる。
積極奇異型ASもジャイアンと同じように社会的に自分が納得できない状態では自己突っ込みが生じて引きこもることになる。しかし積極奇異型の場合特有の中心志向があるので、引きこもっていること自体がストレスになり、視線恐怖や聴覚過敏、強迫症状の悪化などが激しくなる。その結果「むしろきついながら社会に参加することで症状が総合的には軽くなる」ということが見られる。
合理的ADHDのAC(ノビ太)の場合には、自己評価の低下で人に迷惑をかけるという自己突っ込みが激しく、先延ばしも加わって、「嫌われるのが怖い」という引きこもりになる。
それぞれ引きこもりに至るプロセスは全く違うが、発達障害はもともと対人関係の状況理解の困難がある上に、強すぎる中心志向や人が異常に近く感じる知覚の特徴や、異常に理解を求める志向など、結果として人にこだわることが多いため、極端な選択肢として引きこもりになりやすいだろう。
ジャイアンについての考察を進めてきて、たどり着いた結論は、ジャイアンは合理的なADHDとエゴイストという根本的な矛盾の上に立っているということだった。
だから他者を攻撃するときも、自己突っ込みも、ジャイアンの行動は分裂している。ジーキルとハイドが同時にしかも代わる代わるバラバラに出てきて行動するかのようだ。
私は一例ちょうどこの形で解離性障害になっているADHDのケースを知っている。かたや自己突っ込みで落ち込み続けるADHDのACで、かたや医師も馬鹿にする怖いジャイアンで、あたかもジーキルとハイドのようだ。
だから周囲の人も、もしかしたら本人自身も、「統合された一人の人格」という風に考えない方が良いのかもしれない。統合されているとすれば説明不可能な矛盾した行動ばかりだからだ。
いわゆる解離性同一性障害(多重人格)との違いは、「ジーキルとハイドが並存する」ということで、記憶が途切れて交代する形ではなく、瞬時に入れ替わったり同時に両方出たりする。
この点がジャイアンに関わるAS諸氏にもっとも理解しがたいと予想するが、ジャイアンは「自己矛盾」以外の何者でもない。その度に違うだけでなく、論理的にとても両立しないことを平気で言ったりするのだ。
頭を働かせて自分をしっかり見つめる習慣を身に着けたジャイアンは「合理的なADHDの部分とエゴイストの部分の両方がお互いに常時自己突っ込みを続ける」ということになり、死ぬまでこの状況から逃れるのは難しいだろう。
甘やかされないで育ち、厳しい現実の中で「依存による責任転嫁」の道にも逃げることなく、自己突っ込みに耐え続ける場合にのみ、他の人と理解しあう可能性が開かれる。
ジャイアンの出発点は、脳がジーキルとハイドに分裂していること。そこから根本的な不安定性が生じ、この緊張状態から逃れるために、依存や自己正当化、宗教への傾倒などの無理で強引な思考が生じる。
しかし現実の環境との関係の中で、最後はこの分裂がどうしようもなく表面化し、自分で自分を責め続ける場所にたどり着いてようやく合理的な自己突っ込みはやや緩和されることはありうる。
理解しがたいとは思うが、「ジーキルとハイドの統合されえない混合状態」がジャイアンの真相だと思う。この現実を見据えて、周囲の現実に表面的に適応していく道を探すしかない。
世間の普通の分類では私が「ジャイアン」(自己正当化型ADHD)と呼んでいるタイプの人は「ADHDと反抗挑戦性障害の合併」と呼ばれているかもしれない。典型的には思春期頃になっていちいち大人に反抗して問題行動を起こす状況になるとこう呼びうるだろう。
イメージとしては、一般的には先天的な脳の障害の一部としてよりは、虐待なども含む環境への不適応からくる二次障害の結果と考えられているようだ。
しかし私のケアしているいくつかの家族では、同じ兄弟の中に明らかに異なる二つのタイプのADHDのグループが見られる。
一方のグループは2歳前から人に執着が無く、どこまでも興味に任せて親を顧みないで行ってしまう。情緒的な反応は乏しく、一つのものは人数分で分ける合理的な考え方をする。これを私は合理的な(単純な)ADHDと考えている。
もう一方のグループは2歳未満では人見知りがあり、自分に有利かどうかに関わる状況認知能力を持ち、3歳には屁理屈を言って大人を悩ませたりする。一つのものはもちろん独り占めしたがる。負けず嫌いでじゃんけんで負けて泣いたりする。このグループを私は「ジャイアン」と呼ぶ。
この2者は環境の影響以前に、「始めから脳が違う」ように私には見える。合理的なADHDをいくら虐待しても、ノビ太のようにACになることはあっても、「反抗挑戦性障害」にはなりにくいのではないか?
対してジャイアンはある意味「初めから反抗挑戦性障害」である。環境によって変化するのは、どこまで露骨な手段をとるかということであり、例えば私は上の立場から何か注意されると、「自分が悪いと分かっていながら逆切れする」ことが(表面的な行動に出さず、ファンタジーの中まで含めれば)当たり前だ。
だから世間で言われる「反抗挑戦性障害」はDVの家庭で力ずくで抑えるやり方をインストールしてしまったケースが、思春期以降になって親よりも強くなってやりたい放題しているというようなケースだろうと思う。
私の考えでは、別の物が後からADHDに付け加わったのではなく、もともとADHDに反抗挑戦性障害になりうる脳の働きの一群が居るということだ。
治療はボーダー型のジャイアンと同じく、実は「再インストール」という劇的な治療が可能である。
今回もASについて言及しますが、(これも当たり前ですが)特定の誰かを批判する目的はなく、十人十色のASの一部にこういう人も居るという意味で述べていると理解してください。
テレビの佐々木夫妻はADHDっぽい妻に子供が出来て夫(ASっぽいキャラクター)の行動が変化したという図になっている。ちなみに夫の母は典型的なジャイアンだ。
発達障害のカップルは依存や愛着で結びつくことが多いので、子供が出来る(生まれる)と複雑な事態が生じる。
積極奇異型ASは極端な愛着を持ち、例えば「妻だけに愛着があり子供はどうでもいい」というパターンから、「特定の子供だけ極端に可愛がり露骨に差別する」というパターンまでいろいろな可能性が考えられる。どの相手に極端な愛着が形成されるかは本人にもコントロール不能の面がある。
だから、積極奇異型ASに依存していた依存型ジャイアンや受動型ASのパートナーは相手の愛着が子供に移行するのを感じると、「自分の地位が脅かされる」ということになる。
心療内科で相談を聞いていると、「子供が生まれてから」という症状を良く見かけるが、その多くが「依存していた相手の関心が子供に移行して」ということで説明できるように私は思う。
例えばうつ症状や強迫症状、動悸やふらつきなどの身体症状などは、「私を一番に見て」というメッセージと理解できることが多い。
逆に愛着の一番の対象でなくなってしまうと、依存型ジャイアンや受動型AS(やAC)の場合、極端な話「パートナーとしての意味が無くなる」「要らなくなる」ということになり、覚めてみると愛着の持つ自己中心性などもはっきり見えてきて、結果破局へ向かうことも少なくない。
ケアは、ASで愛着が完全に子供に行ってしまった場合はパートナーに「自立」をすすめるということになるし、愛着が残る場合には、「(相手に対する指導助言として)かまってあげなさい」ということになる。
ただし、ここの段階で表面上うまく行っても、子供が思春期となり、子供の自立とともにいろいろな問題が生じてきて、「親としての責任」を突きつけられる状況になると、この問題はもう一度表面化することになるのだが。
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