ある受動型ASの経過で、非常に厳しい環境で1年過ごした後で、WAISⅢの不得意項目が明らかに上がっていたケースがあり、考えさせられた。
受動型ASは本人からの動きが少ない。「好きなこと、自分のこだわりのことだけはちゃっかりゲットするが、興味の無いこと、どうでも良いことは世話を焼いてくれる愛着の対象に丸投げして全然考えない」様に周囲からは見える。
例えば高校受験やいじめによる不登校などの場合でも、「本人のペースで」というケアをすると全く勉強もしない、登校さえしない、どんどん引きこもりのほうに向かっていく。
このケースは遠いこだわりの目標実現のために非常に厳しい道を選び、途中こだわり上は絶対やりたくない勉強を状況から強制的にさせられるという立場にあり、その結果、IQの形が変わった。
IQの変化は、確かに「厳しい状況でトレーニングした分だけ上がった」と理解できるものであった。
発達障害は興味の無いことは「出来ない」。実際多数派の人の数倍の抵抗があり、相当の意識的努力をしないと遂行できない。私は「脳が向かない」という風に説明することにしている。ADHDの場合は、コンサータやストラテラの力を借り、ASの場合は何とか頭の中で最終目標と関連付けてモチベーションを工夫する。
当然の帰結として、「嫌いなことは伸びない」という事実はあるだろう。私が今回目にしたのは、「嫌いなことでもそれを押し切って努力した場合は伸びることがある」ということである。
また受動型の特徴は、「友達関係などの周囲の雰囲気では動けることも多い」ということで、現実的には例えば受験ならば塾に入れたりといった方法は有効である。
ではケアはどうすべきなのだろうか? 親の立場に立てば、本人のために強制してでも実力は伸ばす努力をさせたい。
他方で「発達障害への理解」の観点からは興味の無いことを強いると二次障害が悪化して二次的な精神疾患などになる可能性が想定できる。
私がHPに掲げている「発達障害ケアの基本原則」では、「思春期以降に本人に選ばせる」ということにしているが、受動型の場合、「本人が自己責任で選ぶ」形を作りにくいことがさらに困難となる。
例えば積極奇異型の場合は本人から強い社会参加の希望が出てくることが多いので、「それと引き換えに妥協」という形で考えることが出来る。
受動型の人は希望を聞かれれば比較的明確に答えるが、「それを叶えるために自分がどう動くか」を考えることはしないことが多い。通常周囲に丸投げになる。
だから上記の「自己選択」を迫ることも困難となり、ケアする立場は悩むことになる。
私は今のところ、「パッケージになった環境を丸ごと選ばせる」という方法しかないかと考えている。個々に選べるオプションがあれば、興味のあることしか選ばないに決まっている。それでは結果として引きこもりになるしかなくなってしまうだろう。
受験の際の「塾」もそうだが、自分の興味で選ぶのはある「場」であり、その「場」で要求されることはするしかない。この形であれば雰囲気で動く受動型の人も受け入れやすいだろう。
謹賀新年
2012年の年頭所感
面接に長時間を要する診療スタイルがいよいよ限界に来て、一年の間に3度も異動することになった。
3月まではノーブルメディカルセンターで医師数が少ないための外来や当直、指定医不足などの過重負担で自分から契約を切り上げた。
4月から勤務するはずだったまるクリニックが一年目の集団的個別指導で致命的な指摘を受けたことで急遽閉院になり、新規開院まではモモクリニックで3ヶ月勤務、7月にまえはら心療内科で外来を再スタートした。モモクリニックもまえはら心療内科もモモクリニック院長と「会長」なる人が仕切っていて人事などは院長もコントロール不能の状態であった。
精神科訪問看護で無料の弁当をサービスで持参したり、訪問看護で看護師がプラセンタの注射を無料で打ったりするという「会長」様の「経営」方針に従わなかったために、早くも8月に契約時からクリニックの上に借りていた部屋に関係する強引な「追い出し」が始まり、部屋の件の話が突然モモクリニック院長から「経営をどうするか」という質問が来て、結果として帳尻を合わせる計画を提示、それが達成できなければ私が退任するという約束をする羽目になった。
その段階では3月までは勤務するつもりで居たが、もっと早く異動するようにという「圧力」もあり、私自身もこの「会長」さんとやって行く自信がなくなったので求職活動をしていると、以前勤務していたうるま記念病院で精神科医が急死されたという話で急遽1月より異動、正月休みも引越しでつぶれる結果になった。
結局「偏屈に生きているので居場所が無くなる」という発達障害の必然的な経過を自らなぞることになっている。
「医師不足につけ込んで自分の好き勝手をやり続けているので、良質な環境に巡り会える訳が無い」という目新しくも無い事実を繰り返しているだけである。
まあ最初から保険診療で成り立たないことを確信犯でやっていることなので仕方が無い。
年末は29日に自殺企図を繰り返している発達障害の中学生がやっと母への依存が限界となって「児童相談所に行ってみる」と言い出したので県の児童相談所と交渉、警察に本人を保護してもらい児童相談所に通告する方法で何とか深夜23時を過ぎて一時保護になった。
警察でも一時保護所についてからも何度も自傷や自殺企図が続き、結局処方を持参した30日も昼から夕方まで一時保護所で過ごし、出勤した児童相談所の所長と処遇を協議した。自殺企図があるために精神科病院に移すことを検討したが、一時保護は切れてしまい、中学生では親権が強いために虐待している(と本人が言う)親が同意しないと入院も治療も出来ない。
結局児童相談所の所長の涙が出るほどありがたい配慮で引き続き児童相談所で看ることになり、それで私はいつでも一時保護所に向かえる体制で正月休みを過ごすことになった。
年末30日と31日がこのケースの関係でほとんどつぶれたために単身赴任の居室と診察室の機材の引越しが間に合わず、正月は開けたが3日まで休みなしになりそうな状況。
今年は休みを減らすことにした。
こんな立場で「自分の時間」を要求するのは明らかに分不相応で、仕事が続けられるだけでありがたい立場なので、二つの大きな知的障害の嘱託医の業務と、那覇少年鑑別所の診察は休みだった月曜に回した。
もうローンが終わるまでのあと数年は、休みは身体的な最低限の休養と、家族のために過ごすだけにして、その残りは「全部働き続ける」モードで行こうと今は考えている。
うるま記念病院(火水木金)は午前が病棟と入院時診察、認知症の外来など。午後が発達障害などの外来。土曜は那覇市のクリニックでどうしてもうるま市まで来られない生活保護世帯の7、8名を「一日2人は外来を診させていただく、残りは関連施設の認知症のケアをする」条件で非常勤勤務。
うるま記念病院も6月までの契約(更新は出来るというが)、那覇市のクリニックも1月は「試用」の状態で、まだまだ安心はとても出来ない。
と言うわけで、土曜に来院されていた学生さんなどには大変申し訳ない。平日は午前の診察も出来ません。新患は那覇市は枠が決まっているのでうるま記念病院のみ。これまでと同じく私にメールで相談の概要を伝えてもらい私自身が「振り分け」を行います。
メールの方法は、下記の私のHPの「メール相談」をクリックするとメールソフトが開きます。ここに書き込んでも、誰か分からないので、診察希望の方は必ずメールで名前を書いて下さい。
また携帯から書く人は、「パソコンからの返事が届かない」ことが良くありますので、必ず「返事が届く」設定にして下さい。(返事が届かない人は設定のせいのことがあります)。
まあこんな風に私は生きています。これから先も綱渡りで行けるところまで行きます。
本年もよろしく。
ASは非言語的な表現を重視し、以心伝心を好む。
AS流の独特の深読みをして、言葉ではっきり言うことを嫌う人が多い。
多数派(ADHDとはもっと)とは言葉の使い方も異なり、多数派のほうから見れば「空気が読めない」となっているにもかかわらず、言葉で伝えようとしないから余計にコミュニケーションはうまく行かなくなる。
AS本人は多くは自分は空気が読めていると思い込んでおり、「多数派とは根本的に読み方がずれている」ことには気付いていない。
逆に相手もASであったりすると、本当に何も言わないくても表情や目くばせだけで、あるいは最低限の象徴的な言葉だけボソッと言うだけなのに多くの情報を伝えられたりもする。
このことは、実は思春期の親子関係には深刻な意味を持つ結果になる。
AS親は、顔を合わせるだけでAS子に親自身の価値観を「押し付けている」ことになってしまうのだ。これは上記の「表現方法の特徴」から直結して出てくる結果である。
AS子のほうから見れば、明らかに理不尽な強制であり、思春期から青年期になれば、やはりAS的に反抗してやり返す経過になることも多いだろう。
実際に行動で一番AS親の嫌うことをこれでもかとやって見せる等。このあたりの行動はASの場合は「境界性人格障害」という人たちとほとんど区別がつけられないような行動になる。
この反抗はAS親を激しい不安に陥れる。
「AS親への意図的な嫌がらせ」なのか?
理解できないことへの大きなストレスがかかり、うつ状態となったり身体症状も出てくる。
AS子が異性でAS親の愛着の対象であった場合で、AS子に彼女や彼氏が居る場合は、その彼女や彼氏への異常な攻撃になることもちょくちょく見られる。
愛着の対象のAS子は、AS親から見て「悪者に出来ない」。
だから妄想的にまでなって「あの人にたぶらかされてこうなった」と思い込む結果になる。
解決方法は、「実際に同居を解消して自立させる」しかないと私は考える。同じ空間に居る限り、態度や表情を通して、「支配」になってしまうのだ。
親がジャイアンの場合と子がジャイアンの場合は、少し違う事情でかなり違う経過になるので、別に考察することとする。
発達障害は多数派と違い「空気」によるビルトインの衝動統制システムが働かないため、自前で「いびつ」な衝動統制システムを身につけ発展させつつ成長する。
例えば中心志向型ジャイアンと私が呼んでいるグループの人は「ほめられるから我慢する」というシステムで生きるため、一番になること、表面的なステータスを追い求めて死ぬまで走り続けなければならない。
成人発達障害の諸問題はこれらの二次的に身につけた衝動統制のシステムが二次的に現実と不適応を起こしているということが多い。
多数派の人から見れば、そもそもこれらのいびつな衝動統制のシステム自体が異常であり、それが不適応を起こすのは当たり前であるということになるだろう。
これらの中で最も現実的で二次的なマイナスが少ないと思われるのが「合理的根拠による衝動統制」即ち「根拠があるから我慢する」という衝動統制システムだ。
しかしこれも当然であるが、自分がこのシステムで衝動統制をすると、必然的に他人にも「合理的な我慢をする」ことを要求することになる。
これが発達障害の人が異常に理屈っぽいという印象を持たれることの理由だろう。
しかしながら、実際の現実世界は合理的に動いているわけではなく、逆に不合理や不条理があまりに多い。
したがって合理的な衝動統制を身につけてもこの「世間の不条理をどう考えるか?」という大問題に直面することになる。
主に思春期以降、頭が働いて自分をごまかしきれないある年齢からは、大人がどんな風に説明しても納得できないことになる。
私は最近この大問題をずっと考え続けている。世間自体が不合理で不条理であることをどう考えるか?
一つの切り口は、「生身の人間である自分自身もそれほど合理的でもない」というもので、例えばジャイアンの「ひがみ」など、「自分自身の中にも不条理極まりない醜い感情が存在する」ことを自分に言い聞かせる。
他には、「判断するだけの情報が不足している」という風な考え方もある。「情報は所詮自分のほうから見た一面でしかないから、えらそうに判断するまで行かない」という考え方だ。
ただこういう「合理的なマイナス反論」ばかりだと、「生きているのが苦しくなる」という結果になってしまう。
私自身は最終的には「意志による選択、決断」しかないと考えている。
「世間には不条理はある。それを承知の上で自分は別の何かを得るために、楽しいこともあるからこの世間で生き続けることを選択する」。
合理的な世界観を「選択と決断」で補えば、とりあえず生きていくことは可能だ。
自立支援の指定医療機関への手続きがやっと認められることになり、平成23年7月1日より下記の「まえはら心療内科」が本格的にスタート、私も勤務することがやっと決定しました。
まえはら心療内科
宜野湾市真栄原3-17-2 友愛ビル2F
098-943-3516
現在モモクリニックに通院中の皆様、自立支援法の医療機関変更の手続きをお願いいたします。
沖縄県庁障害保健福祉課のHPに指定医療機関のリストが掲載された時点で各市町村で手続きが出来ます。
http://www3.pref.okinawa.jp/site/view/cateview.jsp?cateid=89
新しいクリニックでは、私は思春期の心の問題全般と発達障害ケアに重点を置き、その延長上で不登校や引きこもりなどの相談にも力を入れていく方針です。
午前中は原則予約なしで受診希望者に短時間の面接、午後は予約の外来とします。
尚はじめて来院(後藤の外来を希望)される場合は原則としてメール等でご相談の大まかな内容を先に後藤までお知らせください。(後藤が予約をメールのお返事で指示します)。
はじめての受診当日は臨床心理士が予診でお話を聞きますので、予約時関よりも一時間程度お早めに御来院をお願いいたします。
不登校や引きこもり、その他思春期のご相談全般では本人の受診前に「御家族の相談」も随時受け付けております。相談員かPSWが対応いたします。
以前のクリニックでは全部予約にしておりましたが、今度は午前中はフリーとしてみました。時間は取れませんが、簡単な薬剤調整のご相談などは対応できますので、お気軽に御来院ください。
なお精神科デイケアは7月より開始、精神科訪問看護も近く開始する方針でおります。
今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
私へのメール相談の中にも非常に多く、実際に受診された人からも聞きましたが、専門でない精神科医から「発達障害でない」と診断されて非常に苦しい思いをしたという話を多く耳にします。
下記HPでも説明していますが、DSMⅣなどの診断基準には
C.「これらの症状による障害が複数の状況下(例えば学校と家庭)において見られる」
D.「社会、学業、職業等の機能において臨床的に著しい障害が存在するという明確な証拠が存在する」
という生活障害の条件がついており、例えば「仕事をしているから生活障害は著しいと言えない」という根拠で「診断しない」ということは文字通りには正しいので、そのとおり丁寧に説明していただければ当事者も仕方が無いと納得する可能性はあります。
私はそのために下記に「自己診断」のHPを作り、「診断されない人用の自己責任の自己診断」を提案しました。
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/selfDiag1.htm
しかしこれとは違う理由で、ちゃんと診断しない理由を説明もしないで「発達障害でない」という医師が非常に多いことは残念ながら事実であり、私も最近つくづく「そのことさえ医師の間で理解されるのがこんなに難しいのか」と実感しています。
私の考えは単純で、「私は専門でないから発達障害であるかどうかは分からない」と言っていただければ良いだけなのに。先生方にはなぜそれだけのことが出来ないのだろう?
発達障害を理解することは非常に難しいです。これは当たり前のことで、私は「理解していない立場から、何でそれほど強く診断すべきでないと自信を持って言えるのか?」が素朴に疑問である。
(最近のメール相談へのお返事。docomo携帯からのメールで、返信しましたが届きませんでした。せっかく書いたのでここにお返事だけ貼り付けます)。
前略メールを拝見しました。お返事遅くなりごめんなさい。
まずメールだけから診断や責任ある助言は困難であることをご理解ください。
以下は私のメールからの単なる「印象」「想像」です。
あなたは「治療」に何を求めていますか?
「効果を感じられず」に中止するということは、「医師や病院が全部治してくれる」と思っているのではないですか?
医療に出来ることは、「自分で回復しようと努力し続ける本人にやり方を助言する」程度のことで、医療が治すのではありません。
親に当り散らすということは、「親のせいにしている」ということではないですか?
「自分に合った治療」とは何ですか? それは結局「良くならないのは治療が悪い」というための言い訳を最初から考えているのとは違いますか?
拒食症は、「都合の悪いことは全部見た目のせいだ」と考える病気です。「見た目」にこだわることを自分で止めるしか回復の方法はありません。
あなたが治ろうとしていないだけではないですか?
このメールだけからの印象です。
本当のことを言ってくれる人はそう多くないだろうと考えて書きました。
あなたはまだ私が相談に乗る段階ではないと思います。
もっとどうしようもない状況になって「自分を変える努力をして回復したい」と考えるようになったら相談して下さい。
とりあえずお返事まで
6月19日 YANBARU
前略メールを拝見しています。少し混乱していますね。
あなたの「知人」はとんでもない差別主義者で、発達障害の
理解とは程遠い「無理解の代表」のような人ですね。どうして
そんな一面的で専門家でもない人の言うことを鵜呑みにするのですか?
例えばその「知人」に同伴してもらって、センターの専門医に再度受診し、その「知人」から専門医に説明してもらって、
それで専門医が何と言うか試してみてください。
私の想像では、その「知人」はあなたと一緒に専門医のところには行かないと思います。(逃げると思います)。
人を診断して告知するということは重いことで、診断が間違っている可能性は無いか? 相手がその診断を受け止められるか?
診断したことで本人にどんなプラスがあるか?
また生じるマイナスが無いかどうか、診断をつける医師として、大変悩んで決断します。
簡単に診断をつけて本人に伝えることは出来ません。
専門家の私たち医師でもそれくらい慎重に考えていることを、専門家でもない立場で聞いたあなたが混乱するかもしれないことを全く考えもしないで軽はずみに勝手な考えを伝える。私はその「知人」を許せません。
私の助言はその人とは違います。「普通になる」のではなく、「自分の障害を理解する」ことが重要で、それで実際にもOKです。
無理をして普通になろうとすると、うつ状態や身体症状など、病気になる人が多いです。
(その知人はあなたが病気になっても責任を取ってくれますか?)
例えば発達障害でなくても、性格にはいろいろなタイプがあり、いろいろな意味での「少数派」が実際に居ます。
その「知人」はそういう少数派は全部普通の仕事には就けないと考えているようですが、ではどこからが「普通」かその「知人」は客観的に説明できるんでしょうか?
ただ単にその「知人」の「個人的な価値観で普通だと思い込んでいることをあなたに言っている」のとは違うと言い切れますか?
アインシュタインやエジソンをその「知人」の考えのように普通に「矯正」したら世界は進歩しなかったでしょう。
あなたが発達障害であっても無くても、「あなたらしい」ことをプラスに生かす環境を考えれば、世間の中で居場所は必ず見つけられます。
必要なことは自分の脳の働きについて正確に理解することです。
WAISⅢの知能検査は受けてみましたか?
もしも受けていたら、「プロフィール」をコピーしてもらって心理士か医師から説明してもらいましょう。
そちらの医師や心理士で出来なければ、私のところにメールや写メでも送ってもOKです。
少なくとも専門家でもない人の言うことに振り回されるのはあなたにプラスになりません。
あなたが発達障害であれば「白黒つけたい」はずなので、「専門医のところに一緒に行ってあなたから説明してほしい」と知人に頼んでみることをお勧めします。
(私はその「知人」は逃げると想像します)。
もし行っても専門医は私と同じことをその知人に言うと思います。それでも一つの解決ではないですか?
あなたはあなたと違うものにはなれません。なる必要もありません。
発達障害であっても無くても、「最低限の適応」で十分です。
「普通」というものがあるわけでもなく、相対的な「多数派」が居るだけです。
私は一回の面接でも診断を希望されればはっきりつけます。(ただWAISⅢの結果は先に準備してあるとありがたいですが)。
とりあえずお返事まで
6月5日 YANBARU
ある高機能のASの人とのカウンセリングの中で、本人から「庇護を求めていた」という言葉が出てきて、さまざまなASのタイプを統一するイメージが浮かんだ。
もとは「庇護」なんだ。だから「100パーセントが当たり前」で、「対等の関係にはならず」、「相手の人格を想定しないで良い」のだ。
「庇護」という言葉は無条件の理解と保護を意味する。だいたい胎児から乳児に対する親の行うことが「庇護」で、親は当たり前に100パーセントの責任を負い、乳児本人からの要請や
親子の相談は必要なく「以心伝心」で親は乳児の求めていることを理解し、提供する。
反対にケア(世話)する立場になった場合はASの人はケアされる側のニーズを聞くことをせず、結局第三者から見ると「支配的な押し付け」になるが、これも「庇護」モデルの反対側を演じているのだと考えると説明がつく。
ASの人の理想とするコミュニケーションのあり方にも非常に似ている。「言わないで分かってほしい」。これを求めていると想定すると、ASの人の行動が理解可能となる。
乳児期までは当たり前に「庇護」を求めることが出来る。
しかし3歳くらいになり、「自分の気持ちを言語的に説明しないと伝えられない」段階になり、多数派の場合は、「親対子の二者の庇護関係」から、「その場の全体の空気の中での親と子の関係」に移行する。
その中で庇護の持つ100パーセント無条件の特質は不可能であることを子供も少しずつ受け入れて行くと想像も出来る。
対してASはおそらくこの二者関係の「庇護」のイメージでずっと成長して行くのだろう。その結果が受動型ASの特定の愛着対象への100パーセント要求と考えると理解可能だ。
積極奇異型ASの「仕切りたがる」「全体からの注目」欲求ももしかするとこの「庇護」の変形したものと考えると直感的に理解が出来る。
思い切って図式的に整理すると、受動型ASは「相手を限定する方向で適応する」、積極奇異型ASは「ちょっと形式を変形して自分が注目される形になることで満足する方向で適応する」という風に想像できる。
このケースの場合は、母親がジャイアン型ADHDで、こっちは対人個体認識の障害(顔や名前を覚えられない等)のため、実は乳児期に「庇護を断念せざるを得なかった」ような形となり、一種の情緒障害となったことが思春期以降の激しいいろいろな症状の基本になっている可能性があるという話になったのだが、庇護を求めるASの子と、与えられない「平等な」ADHDの親という相性は必然的にこういう結果をもたらすことが想像できる。
私はASの人の対人行動の特徴を「愛着」という言葉で表現していたのだが、基本に「庇護を求める」心性があるとイメージすると理解しやすいので、もっと良い表現を考えているところだ。
DSM‐Ⅳによる回避性人格障害(Avoidant Personality Disorder)の診断基準
A.社会的制止や不適切感、自己に対する否定的評価に対して過敏性の広範な様式であり、成人期早期に始まり種々の状況で明らかになる。以下の7つの基準のうち、4つ以上があてはまる。
1. 人からの批判、否認もしくは拒絶に対する恐怖のために、重要な対人接触のある職業的活動を避ける。
2. 相手に好かれていることを確信できなければ、他人と関係を持ちたいと思わない。
3. 恥をかかされることや馬鹿にされることを極端に恐れて、親密な関係の中でも相手に遠慮してしまう。
4. 人が集まる社会的な状況で、人に批判されることや拒絶されることに心が捕らわれている。
5. 『自分は人と上手く付き合えない』という不適切感によって、新しい対人関係がつくれない。
6. 自分は社会的に不適切である、自分には長所がない、または他の人よりも自分が劣っていると思っている。
7. 恥をかくかもしれないという理由で、個人的な危険を冒すことや何か新しい活動を始めることに対して、異常なほど引っ込み思案である。
私はこれを見て3種類の人を連想する。
①ADHDのAC (ジャイアンACは大げさで、ノビ太のACは引きこもり傾向になる)。
②愛着の対象との関係で不幸な経過をたどった受動型AS。
③ひどい虐待を受けて育ったりトラウマを抱えた情緒障害型依存型ジャイアン。
いずれもいじめや対人関係がうまく行かなかったたくさんの体験の「二次障害」としてこの傾向が生じる。
①ADHDのACは「自分が間違いと思い込む」という形。
②受動型ASはもともと子供の時から「外」では緘黙傾向であり、特に2.と7.は受動型ASに特徴的な認知と行動のパターンである。ただ5.になることは少なく、よほどひどい目に遭った場合にこれに当てはまる状態となるだろう。
③情緒障害型依存型ジャイアンは、非言語的な人格否定の中で成長するので、「周囲の人はいつ攻撃してくるか分からない」という異常に悲観的な対人認識となることがあり、3.や7.となる。この場合もよほどひどい目に遭わない限り5.を自覚することはむしろ少なく、通常は意外に対人関係に楽観的だったりする。
http://www.geocities.jp/yanbaru5555/jaianess.htm
ADHDでも受動型ASでも、まず発達障害の診断をつけることで「説明」出来れば半分は解決する。残りは「トレーニング」で改善可能である。
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