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2011.12.04 21:24 |  診療  |  研究  |  その他(一般)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 1

あるメール相談へのお返事111204

前略メールを拝見しています。お返事遅くなりごめんなさい。

まず最初にメールだけで診断や責任ある助言は困難であることをご理解ください。
以下は私のメールだけの少ない情報からの「印象」と「想像」です。

発達障害と躁うつ病は全く違うものですが、合併することもあります。

躁うつ病だけなのか、背景にADHDがあるのかは、かなり情報が無いと判断出来ません。

躁うつ病の一番の治しにくいところは、「躁状態を病的と考えない」ことです。
本人は躁状態に戻してくれと治療を要求し、医師ともうまく行かないことが多いです。

その否認にADHDが「都合の良い口実」になある場合には、仮に合併であっても躁うつ病の否認の状態でADHDの診断はマイナスにしかなりません。
診断は現実逃避の口実にするためにあるのではなく、自分を変える参考とするためにありますので、ADHDの当事者として腹立たしいですね。

診断には、その診断を本人がどう受け止めてどう自分の人生に生かすか?
、医療の側からすると、「診断が本人の回復にプラスになるのか否か」を医師の責任で考える必要があります。

「治療のゴールをどこに選ぶか」の問題にも直結します。

例えば、「家族との関わりも断って山小屋に住み、最低限の年金などで一切社会と関わらないで生きる」という生き方を本人が選ぶとすれば、治療の必要は無いとも考えられます。その場合は、躁うつ病の診断も本人が困らなければ不要でしょう。

逆に、少しでも家族や社会と関わって生きるつもりであれば、周囲に迷惑をかけない最低限のコントロールは必要なので、(このケースでは過去に入院までされたことがあるということなので)躁うつ病として服薬することは必要でしょう。

私が主治医なら本人に上記の現実を突きつけます。

あなたは「服薬の治療を続けない限り今後は家族として関われない」と本人に突きつける準備をされたらよかろうかと思います。離婚していれば、無理やり関わろうとすれば警察対応でストーカーとして処罰してもらう体制を作ります。

関係しうる親族全員で相談されて、合意を作っておきましょう。
治療を拒否すれば、実際に今後一切関わらないことになります。
(断固として突きつける姿勢が必要で、この際一切の温情は逆効果になります)。

その現実を突きつけられて、服薬して家族とともに過ごすのを選ぶか、拒否して社会的に完全に孤立することを選ぶかは本人の選択です。

都会のホームレスなどは、後者の人も多いのではないかと私は想像しています。
「一つの生き方」として無いわけではありません。

とりあえずお返事まで

12月4日 YANBARU

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2011.05.30 01:44 |  診療  |  研究  |  その他(一般)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 5

自己正当化型撤退

 ジャイアンACの人の非常に特徴的な認知と行動のパターンのひとつに、「全面撤収」「全面撤退」とも呼べるような極端な譲歩のパターンがよく見られる。
 「自分が悪いから」と自己主張を100パーセント引っ込めてしまう形になることが多い。
 言っている内容自体は一見自己評価が下がっている内容であるのに、何か逆に誇大的な印象を持たれる方も多いだろう。

 自分の主張が否定されたりした場合に、ちょっとでもうまく行かないと、「これ以上痛い目に遭いたくない」「はじめから自己主張なんかするからいけなかった」「もう何にも言わなければ良いんでしょ」というような半分逃げの入っている一方的「全面撤収」で、「もうそのことは考えない」と思考自体を放棄して忘れようとする面がある。

 いかにも反省して方針転換しているように見えながら、本当の意味での反省ではないところがいかにもジャイアン的である。
 譲歩、全面撤退しながら同時に「自分は間違っていなかった」と逃げ道を探しているようなところがあり、「自己正当化型撤退」である。子供が「ごめんなさいと言えばいいんでしょ」と居直って言うのに似ている。

 自己主張したことが間違いではない。その内容に相手に受け入れられなかった何かの問題があり、本当は「何が問題だったのだろう」と話を深めて考えるべきであるが、それを確かめる作業がジャイアンには情緒的に辛すぎるのだ、いつも偉そうに上から目線で他人には厳しく高圧的なくせに自分が言われたときだけは弱っちく逃げを打つのは非常に(自分もそうながら)情けない姿であるが、この打たれ弱い小心者の姿が他ならぬジャイアンの本当の姿である。

 さて表面上は全面撤退したのだが、実は否定された内容自体には納得は全く出来ていないことが重要だ。「口に出したことが悪かった」とか「どうせ理解なんかしてもらえっこ無い」など
と自分に言い聞かせて否定されたこと自体を記憶から追い出そうとしているだけで、「しっかり考えて納得する」こととは程遠い。(私はこのやり方を「狐とブドウ的な否認」と呼ぶ)。 
  
 飛びつけなかった自分の問題であるのを、「どうせあのブドウは酸っぱいはず」と自分に言い聞かせて「自分が悪くない」とみっともない負け惜しみ的な言い訳をするというパターンがジャイアンには非常に多いのだ。

 しかし実は話はこれだけで終わらない。この納得していなかった感情は、「一方的な譲歩感」として残ることが多い。その結果は、次に同じようなことがあった場合に「ほれこの間言っただろう」という激しい復讐的な攻撃性として出てくるか、またはさらに抑圧されて自覚されないところで身体症状(自己免疫疾患の悪化を含む)として出てくることが多いと私は思う。

 このことの根本的な解決は、「納得」の方向にある。最悪カウンセリングの場に持ち込んででも、本人が納得できる結論を出せればOKである。
 
 だからジャイアンの子供を持ったら何とか思春期までに合理的な思考を身につけさせたい。
 合理的、理論的に考える作業によって「相手から言われたことが正しい」「合理的な理由があるから撤退するのだ」と自分自身を納得させられれば、生きていくのはずっと楽であるからだ。

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 発達障害はASやADHDという質的な違いの他に、特に非言語的な状況察知能力が高いかどうかで現実への適応の度合いが大きく異なってくる。

 おもしろいのは、意外なことなのだが、「空気が読めない(KYの)不器用な発達障害のほうが結果的には不適応が少ない」という現象である。

 実際ノビ太と呼ばれるKYのADHDと、「オレ流」のKYなASはある意味非常に似ている。現実の対人関係などへの不適応は「空気が読めない」ことが中心となり、その意味では多数派からの理解も比較的容易で、特化した職人芸、研究職や「オタク」と呼ばれるスタイルで生きて行けるので、環境によっては発達障害の診断の必要性すらないことも多いだろう。
 特に高機能の場合には、環境に恵まれれば「天才」と呼ばれる経過をたどる人も居る。

 では逆に状況察知能力のある発達障害はどうなるか? ADHDの場合には「ジャイアン型」、ASの場合には受動型または積極奇異型と呼ばれる。

 ①ジャイアン型の場合、生後2、3ヶ月頃から、「周囲の人からの自分への注目」を感じ、乳幼児期からみんなの注目を要求もする。
 その後じゃんけんで負けて大泣きしたり、小さい頃に年上の兄姉に「上から目線」で接し、大人になっても非を認めることが出来なかったりする。
 人を恐れないがお化けや鬼、暗がりを怖がり、不安が強く眠りも浅い。
 
 こういう子供が、親との関係を初めとする環境によって、「親の顔色を伺う依存型」への道や、「見た目」にこだわり思春期以降に摂食障害になったりする。

 要は「一番になるかみんなの注目を集め続けなければならない」ということになり、その能力を発達させていく。
 それが過剰であるために、結局出来上がった形は、「自己愛性人格障害」や「演技性人格障害」などに近いものになる。他方で二次障害の中で、反抗挑戦性障害、行為障害を経て「反社会性人格障害」になるケースも居るだろう。

 他方KYのADHDは周囲からの注目もそれほど感じることなく、2歳近くまではほとんど寝ていて、一度眠ったら深く眠って起きない。初めから自立していて、何でも自分でやろうとする。
 「人からどう見られるか?」は思春期まではほとんど自覚せず、自分の好きなものに「博士」然と集中する。
 
 分からないから、言語的に考え、説明される良い環境の中では必然的に合理的思考が育つ。
 合理的だから他者とのコミュニケーションも言語的に努力すればかなり出来るようになる。
 合理的に自分を認識していれば、必要に応じて部分的な修正も可能となる。
 「基本原理」「哲学」さえきちんと持ち得れば、「オタク」としての本人の人生としてはそれほど不幸でもない。

 「分からないから、感じないから注目や一番を取りに行かなくてよい」ということであるのだ。

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2009.02.03 23:46 |  診療  |  研究  |  その他(一般)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 4

ジャイアンの使い方

 沖縄県中のハローワークで、精神障害者保健福祉手帳を持った人に、2月2日から募集が始まった職業訓練校の願書を渡さない(県の職業訓練校からの精神障害者保健福祉手帳を持つことを根拠とした精神障害者締め出し)という人権問題があり、最近これにかかりっきりになっている。

 県庁雇用労政課に福祉や障害・人権について知識とセンスの乏しい人が居て、その人の暴走を誰もチェックしきれず、その結果窓口での出願制限という大変な人権問題が起こっているということだと私は理解している。

 私は自分の外来の当事者から聞いてこのことを前から知っていた。自分で雇用労政課やハローワークに聞いてみたら、どうやら大変なことが起こりそうだということが分かり、募集当日の2日に、急ぎ人権派の弁護士さんと県の家族会、支援センターなどと一緒に県庁に赴き、県雇用労政課からの説明の中で「非開示で一般クラスに応募することはOK」という発言を取り付けた。

 これで一安心と思いきや、この担当者の説明が沖縄労働局にきちんと伝わっていないために、沖縄労働局は窓口での願書差し止め指示を解除せず、出願2日目の本日も精神の手帳保持者はハローワークで願書を受け取ることも出来ないままだ。

 これまで地元紙一紙と全国紙一紙に情報提供してきたが、昨日から地元テレビ局が興味を示してくれて、明日は当事者の取材がある。

 私は過集中状態になっていることは分かっているが、いつも相談する相手には何度も助言を仰いでいる。

 県庁雇用労政課は1月になってから突然精神障害者締め出しの方針を打ち出し、ハローワークや労働局も対応できないほど急な話だった。私は可能な限りの知恵とネットワークで可能な限り迅速に動き、今回の募集が終わらないうちに方針を覆そうと動いている。

 これはジャイアンの過集中を使わないと間に合わない事態だろう。ここまで突っ込んで動くのも発達障害しか居ないかもしれない。

 こういう場合にはジャイアンは必要で、逆にこういう場面こそジャイアン過集中を使う場面だと思う。

 実はあと二つ、「とんでもないひどい小学校の校長」と、「とんでもない精神障害者いじめをする福祉事務所」という話もあるのだが、これもボチボチ弁護士さんとマスコミに持ち込もうかと考えている。

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2008.01.14 11:54 |  診療  |  研究  |  その他(一般)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  その他  |  YANBARU  | 推薦数 : 8

ジャイアンは痛みに弱い

 ジャイアン(自己正当化型ADHD)は万事大げさであるが、特に痛みには弱いように思う。

 小さいころから、ちょっとした火傷や切り傷などでも、手当てをしてくれとしつこい。年をとっても血圧にこだわったりする。

 ただ予防接種の注射だけは、おそらく(目の前で他の子が泣かなかったら褒められるのを見るからであると私は思うが)我慢するジャイアンは多い。

 ジャイアンはもともと不安が強く、また表面的な現象だけが認知され、その「意味」までは考えが及ばない。

 だから「痛みはあるがなぜ痛いか分からない状態」ということになり、不安が強くなるのだろう。

 また、「親を独り占めしたいということで手当ての形でかまってもらう口実になるから」というのもあるだろう。

 思春期のケースでリストカットなどの自傷行為や刺青にこだわるケースは、一種の「解離」下にしているケースもある。基本的には「痛いことが嫌い」なのがジャイアンである。

 他の不安が強く、また医療サービスに文句をつけることも多いので、歯科に行けない人や先延ばしで痛くても放置するケースも別の意味では多いのだが。

 痛みをまったく感じないかのように見えることの多いASとの大きな違いのひとつである。

 

 

 

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2007.08.24 18:45 |  診療  |  研究  |  その他(一般)  |  ADHD関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 6

ジャイアンは感謝を要求する

 ジャイアン(自己正当化)型ADHDは「感謝」を要求する。その意味では私の前々回のブログは説明不足だった。

 ジャイアン型ADHDの特徴は、注意欠陥や多動、「これはこれ」の場当たり的発想に加えて、「直系親族へのこだわりがあるが基本的には人間にはドライ」、「どの場でも自分が中心であることを求める」という行動特徴があり、よく「モラルハラスメント」の加害者になる。

 「自分に有利か不利か」だけには幼少期から鋭敏な状況認知が出来、自分への低い評価には過剰に反応して攻撃的となる。逆に人に対する気配りは(ADHDの部分で)全く出来ず、残忍で攻撃的な発言も多い。

 物事の捉え方が非常に浅薄、表面的で、理由や経過を問わず結果としての言葉だけにこだわったりする。

 周囲から見ると、「自分に不利なことを言われたことはいつまでも執念深く覚えていて、また察知も出来るのに逆に相手を攻撃したことはすぐに忘れ、相手が傷つくことも全く分からない」という非常に自己中心的な見かけとなる。

 そういうわけでジャイアンが何かを相手にしたとき、それが迷惑であろうがなかろうが、「私がこんなにしてやったのに御礼も言わないか」と感謝を要求する。逆に露骨に感謝を要求したら自分が図々しくあつかましく思われるという状況認知は出来ない。

 ついでにジャイアンは自分の非を認めることが出来ず、非を認めざるを得ない現実を突きつけられると、ファンタジーの世界に逃げ込んだり、都合の悪いことを頭から消したり、(解離性健忘とも言う)、混迷様に混乱して病気(急性ストレス障害)になったりする。

 自分のことながらこの現実に暗い気持ちになる。

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 これまで説明したように、ADHDもともとかなり「分からない」障害であるが、自分のことをある程度合理的に見ることは出来るため、自分の努力で一部は障害の部分を補うことが出来る。

 その中でも大事なことは、「多数派を観察する」作業だ。私もADHDであり、直感的に状況察知は出来ない。カミさんに教えてもらったり、自分自身と多数派を観察し推論した結果をここに書いている。

 具体的には、「周囲の人はなぜこういう行動をするのだろうか? 」ということを考え続け、とりあえずその人の行動を説明する仮説を自分なりに想像する。説明の仮説が当たっているかどうかは、現実に現れた行動を「予測できるかどうか」で決める。

 当たる確率の高い仮説であれば、「次はこうなるはず」という予測が可能で、とりあえず毎回予測をしておいて、実際に当たったかどうかを確かめる作業を全ての場合に続ける。

 そういうわけで、「すぐに反応しないほうが良い」と私は思う。特にすぐに感情的に反応すると、見当違いになる確率が高く、相互理解につながらないことが多い。感情的にならないためにも、「観察と予測」は大事なことだ。

 多数派の場合には、本人に「どうしてこういう行動をするか」を直接聞いても答えられないことも多い。その理由は、私の推測では、「思わず、当たり前として直感的に行動しているから、何故と聞かれても答えられない」のだと思う。

 多数派を観察し、一つ一つの多数派の行動に対して説明と予測を繰り返して、多数派の行動を説明する「仮説のストック」を作り上げれば、それを直感の代わりに使用することは可能だ。

 私が青年期以来25年くらい積み重ねてきた仮設をまとめることが出来れば役に立つかもしれない。今進めている作業がその「基礎編」にあたるのかもしれない。  

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 前回はADHDから見て、ADHDとしての人間を大事にする「相手の生きていく自発性、可能性の尊重」という原則から、ASの支配がどう見えるかをかなりずばり書いてみた。少なくともADHDに対しては支配は人間としての価値の否定になる。

 ここで理解してほしいことは、「苦しんでいるのはASだけでなく、相手も同じである」と言うことだ。 

 さて今回はASの側の視点に戻り、「生きた人間としてのADHDとの共存のためのASとしての最低原則」を探ってみよう。

1.まず「ADHDにとって自由や自発性、未来は何も決まっておらず、自分で自分の行動を決定できる権利はかけがいの無い重要性を持っている」ことを頭で理解する。

2.次に「ADHDの行動については基本的に全面的な自由を認める」 決意をする。ただしこれは自由を認めた後の「期待」「相談」や「交渉」の可能性を否定しない。例えばADHDとはいえ何でもして良いということではない。ASの側の人格を否定するような言動については「理解を目標に相談する」ことは出来る。ただし結果としての「完全な理解」は要求しない。

3.「ADHDの心の中のこと、意図や真意などについては完全に理解することを断念する」または「理解は本来不可能であることを認める」努力をする。相手のことを完全に分かっていると感じるとすれば、それはこじつけの断定でしかなく、ADHDの人格の否定にしかならない。

4.上記と同様に「相手が自分のことを完全に理解することは不可能である」ことを認める。それを要求しないように努力する。

5.ADHDと共存する場合、共にする生活については、「未来は完全に不確定で何も決まっていない」ことを認める努力をする。自分で「予想」や「期待」はしても良いが、これはあくまでも自分だけの中の予想であり、相手には「単なる一方からの希望」として表明する。

6.上記の「努力する」と書いた部分については、これは「努力目標」と理解し、結果として完全に実行できる意味での「義務」ではない。人間は不完全であるから、努力していれば相手はその努力の事実のみをもって「目標に近づいている」と理解する。ただし、相手から「努力の不足」を指摘された場合は、謙虚に受け止め、その反論については(反論自体を封殺するような形では)言葉によってもその他の態度によっても不満を表明することはしない。(上記と同様に理解を目標に相談することは出来る)。

 表現が分かりにくいかもしれないが、これを最初の「叩き台」として、いろいろな意見を「期待」します。

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2007.01.01 14:05 |  診療  |  その他(一般)  |  その他(医療関連)  |  その他  |  YANBARU  | 推薦数 : 2

年賀状に代えて

謹賀新年 本年もよろしくお願いします。
一つ一つできることを見つけて
つぶれない程度に
ベストを尽くしていきましょう。
20071月1日沖縄より YANBARU

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 アスペルガー症候群の人と話していて驚くことは、「後悔しない」ということである。逆に言えば、「後悔するくらいならはじめからするな」「後で絶対後悔できないので事前に悩む」という思考と行動をとる人たちである。

 驚くべき記憶力で、小さい頃のことまで克明に記憶し、また他人にも厳密な首尾一貫性を要求するので、多数派からすると「随分前のことを取り出して難癖をつける」ような形になってしまう。これは思考法の直接の帰結なのだが。

 これと「人への愛着」が合わさって、多数派から見ると支配的でストーカー的な行動が帰結する。

 また他者も自分と同じく首尾一貫性を重んじ、軽はずみには行動しないと仮定すると、必然的に「何らかの意図があって」ということになり、表面的には被害妄想的な発想ともなる。

 成人アスペルガーの人々と時間をかけて対話して理解を試みてきた結果分かったことだ。下記に詳論

http://www.geocities.jp/yanbaru5555/ASspirit.htm

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