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2011.07.29 21:10 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AC、人格障害関連  |  その他  |  YANBARU  | 推薦数 : 3

すべての山に

 日曜に何気なく衛星放送を見ていたらサウンド・オブ・ミュージックの映画を放送していて、毎度のことだが見入ってしまった。

 主人公の修道女マリアはどう見ても私にはADHDに見える。
 そのマリアが修道院に逃げ帰ってきたときに院長が助言したのがこの歌だ。

Climb ev'ry mountain     
すべての山に登り
Search high and low     
高き低きをたずね
Follow ev'ry by-way      
あなたが知っているすべての脇道と
Every path you know     
すべての小道を辿りなさい

Climb ev'ry mountain     
すべての山に登り
Ford ev'ry stream       
すべての川を渡り
Follow ev'ry rainbow     
すべての虹を追いなさい
'Till you find your dream    
あなたの夢を見つけるまで

 歌詞を読めば読むほど、「ADHDに最適の助言である」と私は思う。誰が何を言おうと、結局自分が納得するしかない。
 「すべての山に登ってみる」しかないのだ。
 
 すべての脇道や小道まで全部行けと言うあたりが、「中途半端に逃げるのは許さない」というこれまたジャイアン向けの助言になっている。

 何度見てもADHDとして感動する映画だ。

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コメント

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なんでしょう、この記事を読んでものすごい爽快感がありました。
私はYANBARU先生やADHDの当事者の方に「決してあきらめない」
ということを学ばせていただいている気がしています。

対峙するということは、なかなか孤独な作業でもあって時々投げ出
したくなることがあります。「一生かかっても」という言葉が虚し
く感じてしまうことも。それは自分と向き合うときも、他人と向き
あうときも同じなんだと思います。

ただの偶然ですが、秋のサウンド・オブ・ミュージックのチケット
を購入したところでした。面白いタイミングでした。
written by はすのはな / 2011.07.30 17:31
なんか・・
「もぐらうざっ!!!ごちゃごちゃいうな、穴に引っ込んでろっ!!!」と、ハンマー落とされた気分です。当たらないんですけど・・。

ADHDのアドバイスは「すべての山に登れ」でも
ASは「あ~。ご愁傷様です・・」ってなるのでしょうか(>_<)

最近がんばって穴からでて「B5」3枚のメモ持って精神科クリニックにいってみました。穴からでる勇気がでたのは、やんばる先生のこのブログおかげなのです。元気になったから外にでることができた。ありがとうございました。

予約して約一ヶ月後の初診は、先生のお昼休み潰して1時間。再診も30分でした。また来ていもいいよと言われたのですが、大丈夫ですと断り、私の冒険は終了しました。

なんて表現していいのかわからないのですが、
初診の時の先生の「質問」そして私の「答え」が、
痛くないナイフのように、心に入っていました。
受診後、数日してから、3日も高熱をだし、「電波」としか表現できない音が頭に流れ続けたり、自分の行動の記憶がとんだりして・・・。また、診察室でのやりとりの私の支離滅裂さに気づいたりして・・。

『先生。治さないでください。病気になるから・・』
っていうのが、受診した結果の率直な感想です(>_<)

2回目の時は
「まあ健康。今度、日常生活に困ったらまた来てね」という内容の話に・・、
ここに来るだけで大変でしょ?→「YES!(なんでわかったんだっ!)」
薬欲しい?→「いらない」
次回予約する?→「しない」と
次の予約の患者待たせて・・最後はこんな会話になってしまいました。

適応障害としか言われなかったのですが、なんか・・怖いくらいキレ味のある先生でした。(ASの特徴はあります・・ともいわれましたが・・)

やんばる先生のブログやHPで、他者との違いに気付き、自分の限界に気付き、環境調整の重要性に気づきました。環境調整したのに、こころが穴のそとを見るのにさらに1年かかりました。
結局、偏屈者宣言に始まり、それに終わるんですが、とにかくまた一歩進む事ができました。
written by ちひろ / 2011.07.31 23:05
はじめまして。私個人の意見ですが、韓国映画の『猟奇的な彼女』の主人公(女の子)はADHDかと思われます。
劇中で、ボーイフレンドが、主人公のお見合い相手の男性に「彼女には、こうしてあげてください。」と付き合い方をアドバイスします。それが『ADHDとの付き合い方』として、的をえていると思うのです。
日本でも同名でドラマ化されましたが、それとはまた別ですね。
『カノン』を、主人公が演奏するシーンがあるのですが、『カノン』の意味は『繰り返し』なんだそうです。『カノン』は『繰り返し』部分が多い曲なんだそうです。←これは、ピアノの先生に聞いた話です。
悲しい過去が忘れられず失敗を繰り返してしまう主人公がADHD的で、せつないのです。
written by もな / 2011.08.04 12:23
 私はおそらく、「サウンド・オブ・ミュージック」を学齢期にテレビかなにかで見た気がしますが、全く記憶しておりません。ですが、このように先生が発言したことで、「サウンド・オブ・ミュージック」を見てみたい気がしてきました。

 
 私はまず、このエントリーを読んで泣きました。そのとおりに生きようとし、その途中に生きていることを自覚するゆえに、感情を揺さぶられました。ほっと温かな気持ちになりました。

 私はこの前に、「スピリチュアルペイン」という言葉を書きました。この「スピリチュアルペイン」は、生きる目的や意味を喪失する時においての苦しみです。
 
 私がなぜ「スピリチュアルペイン」という言葉を発したか、おそらく先生は深いところで受け止めてくださったのではないかと思います。
自身が「発達障害である」と受容するとき、「ADHD」とも「多数派」とも、その概念を知らずに生きていた頃の生き方を「喪失」することになります。精神のありようだけでなく、実際生活にも影響を与え、変革を余儀なくされます。これは、がん患者が闘病生活に直面するとともに「死と生」への直面化、休職、退職、再就職の困難と直面し、金銭的な問題と家族の中での役割交代と関係の変化に直面し、さまざまな苦悩を抱えることになることと似たような状態に陥ることです。
ただ、大きな違いがあるのは身体的な「死」の距離で、ADHDと自覚することには身体的に死に直面してはいない、むしろ、それ以降の「生」が長いことでしょう。つまり、「どう生きるか」が重要であるということです。
がんで「スピリチュアルペイン」に直面し受容・悟りを開きながらも、日々のさまざまな苦痛に打ちのめされてしまうことだってあります。これは「仏でも神でもない人間」だから当然です。
このようなときに、「ユーモア」が必要なのです。「ユーモア」とは、お笑いをさすのではありません。「サウンド・オブ・ミュージック」の「逃げ帰ってきた」修道女マリアへの助言の歌をのせた先生、私はさすがだと思いました。「視点を変える」あるいは「見方の転換」を提供する「ユーモア」を、私は身に付けたいと思います。
written by み / 2011.08.04 23:28
サウンド・オブ・ミュージックは、中学校時代に2~3回も見ましたよ。感動します。音楽の授業でも学びました。
エンゼールワースの曲が大好きです。また、見たいです。
多くの人に見てほしい作品です。
written by sky / 2011.08.06 22:14
小学生の時はお上品で裕福な人々で閉鎖的な社会に適応できずにいつも切なかった。

中学生の時は初めて論理的に考える事を憶え、また成績も伸び楽しかったが、初めて信頼した人々に裏切られるという事を感じ辛かった。

高校生の時、ストレスで太り、自分が居たことのない環境でまた一から全てをやり直しで本当に身を削る思いだった。

大学生の時、伺うような人々の目が辛かった。


そして、現在就職を前にして愛する人を失い、また一からの選択を迫られている。


「全ての山に登りなさい」

ADHDにとってはこの上なく残酷で美しい言葉だ、定型発達者からみて奇異であったり滑稽であるのに、それでも頂点をめざして一生続くかもしれない歩みを止める事はできないのだ。


まるで、アルプスの様な山景に煌めく白日を目指して。


written by にこ / 2011.08.07 00:21
人には登るべき山がそれぞれ与えられているように感じます。

例えば自分がものすごく裾野の広い山にいて、まだまだその
中腹にも到達していないように感じられる時、隣の山では誰
かが頂上を目指して歩いている。もちろん与えられた山の大
きさは大小さまざまなので比較の対象にはならないとわかっ
ていても、つい焦ってしまう。

最近「自立」というテーマを考え続けています。

ここには苦しんている人々が多くいます。先生の呼びかけに
対してコメントというカタチで分かち合い、考え合い、時に
は意見を言い合い、ある人はある人の優位性を感じたり、そ
れでもおさまるところにおさまったり。

苦しみを抱えこむのではなく、共にわかちあうことによって
そこにある垣根が外れ、安心感もうまれたりするのではない
かと私は考えます。自立というのはその前提で現れてくるも
のかもしれないと。

隣で同じ様に山に登っている姿が観える。(ああ、おなじだ)
と少し感じて、再び自分の足下を観る。険しく、どこまでも
続くようなうんざりする道かもしれません。それでも歩み続
けなければならない。

決して同じ山に登ることはできなくても、そこに同じ様に登
っている存在を感じるだけで(頑張ろう)と思えるような姿
を、ここに来ると見いだせる気がしています。

私も、ひたすら歩み続けようと思います。
written by はすのはな / 2011.10.12 12:32

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