各論4.依存型ジャイアン(ボーダー型)
ジャイアン本人を溺愛する代わりに、言語的な説明を省いて主に非言語的なかかわりの中で全部親の思い通りになるように支配して育てた場合、ジャイアン本人は「その親をどうコントロールするか?」だけをテーマとし、その方向の能力だけを発達させて成長する。
この場合、「衝動は親にコントロールしてもらう」「この親から溺愛されるために親の気に入るようにする」というスタイルとなり、非言語的な状況察知能力の有無により異なるが、表情や言い方などの非言語的な表現の使い方に巧みとなり、非言語的に周囲をコントロールする技術を身につける。
例えばAS父親に溺愛されたジャイアン女子は、同じタイプ(ASが多い)の男性をコントロールすることで自分は努力しなくても衝動を達成できる。
これは「依存」のスタイルであるが、非言語的に対人関係を「操作」する意味では境界性人格障害(ボーダー)に酷似する結果となる。
衝動を実現するための強欲ぶりはジャイアン独特のものであるが、これは見ようによって「愛されるために死に物狂いとなる」という風にも見えるだろう。このタイプの若い女性は摂食障害を伴うことも多い。
各論5.依存型ジャイアン(情緒障害型)
非言語的に支配し、「目で躾ける」といったネガティブな養育環境で育ち、言語的な説明が欠如していた場合、上記と同様に「人に衝動をコントロールしてもらう」というパターンになる。
ボーダー型と異なり親は支配と引き換えに溺愛もしない。親からの非言語的なメッセージは主に否定的で、「叱られないために」ということだけを考えて成長する。
このタイプは多くは情緒障害(離人症様)として成長し、「異常にドライ」で、結果的には「冷たい自分の利益だけしか考えない人」というスタイルとなる。
表面的な気配りは、生き抜く知恵として体得しているため、表面上の愛想は良いことも多いが、継続的に近くで接すると、(依存型に共通する特徴であるが)極端に場当たり的でその場の対応だけに終始する行動に家族などは疲弊することになる。
この冷たさ、人を利用対象としてしか見ない部分を見ると「精神病質」または「シゾイド人格障害」という診断にもなりうる。
この型の特徴として、「情緒的に責められると思考がフリーズして無反応状態になる」ということが良く見られる。
各論6.ジャイアンAC(ACはアダルトチルドレン)
言語的に親から否定され続け、自己評価が異常に低下したジャイアンは、(非言語的状況察知能力が不足しているKYなタイプが多いが)「自分はとにかく駄目なんだから、普通の人たちに合わせて生きるしかない」と強迫的に思い込み、多数派を表面だけ真似てジャイアンなりに「普通」と考えたスタイルで強迫的に行動し続ける。
「自分は駄目な人間で普通でないから我慢する」という衝動統制だ。
本人は「気を使っている」つもりであるが、周囲から見ると空気は読めておらず、見当はずれのことが多い。
このタイプが心療内科を受診すると、「対人関係が苦手」「私は変わらなければ」と焦って強弁する割には対人緊張も希薄で、「考えすぎ」等と対応されて逆切れすることも多い。
本人が「自分は境界例」と言って心療内科や相談機関に訴えることもあるが、周囲を非言語的に操作する本物のボーダーとは客観的には似ても似つかない。
とにかく「奇妙な人」の外観を呈する。本人が体験する自己評価は低下しており、主観的にはACに非常に似ている。
「AC的」を通り越して、被害妄想に近い病的ケースも実は多い。統合失調症と誤診されているケースは実際多いだろうと想像している。
各論1. 依存型ジャイアン(暴君型)
ジャイアンのもともとの障害は、「衝動コントロールが出来ない」ことである。大人になってもそのまま「我慢しない」。衝動のままに生きるのがこのタイプである。想定される養育環境は、「甘やかされる」環境で、「激しく泣いたり大きな声で反発すると周囲の大人が折れて自分の要求が通る」ことを学習してから、大人になっても強引にゴネたり暴力や金銭など社会的な力で強制して周りを全て思い通りにしようとする。
「依存型」となっているのは、一時的にゴネるだけで、自分の力で努力して達成することは無く、結局周囲の有力者の力を頼む形になるからである。
「状況を察知してその場で相手を威圧して言うとおりにさせる」ことだけに集中し、極端に場当たり的な思考、継続的合理的な思考が出来ないという特徴がある。
「モラハラ」やDVの加害者になることが多い。周囲の他者は「自分の要求を満たすための対象」でしかなく、この対人的な自己中心性は「自己愛性人格障害」や「精神病質」に該当しうる。
各論2. 中心志向型ジャイアン
養育環境が「競争で一番になる」「みんなから注目される」などの表面的な成果を重視する環境で、言葉などを覚えるのが早いことなどを言語的にほめることが多い環境では、「ほめられるから我慢する」という衝動コントロールのスタイルを身に着ける。ジャイアン特有の「ほめられて調子に乗る」というパターンを大人になるまで生きる原動力とするスタイルだ。
幼少期から(本当はほめられるから)勉強が好きで、実際勉強熱心で強迫的に努力する。その結果実際に社会的にも高い地位につくことも多く、重要な功績を挙げることも少なくない。
ただ自分自身に異常に高い基準を求め、その基準に達しないと自分を責め続ける人生となる。「停止したら死ぬ」回遊魚のように絶えず前進を続け、表面的な「一番」や「社会的ステータス」を追い求めるが、獲得した瞬間にそれは当たり前となり、さらに高い目標に向けて強迫的な努力を開始しなければならない。
現実に実績を挙げられない場合は自分を責め続け、その厳しい「自己突っ込み」から逃れるために薬物への依存となるケースもある。
小さい頃から「見た目が可愛い」で自分の衝動をコントロールしてきたタイプの女の子が思春期にそれだけでは通じなくなって「見た目に極端に走る」形で摂食障害に移行するケースも多いと私は考える。
各論3.合理的強迫的ジャイアン
2歳から3歳にかけて、親が毅然としてわがままな要求を通さず、是々非々で例外を設けない徹底的に言語的な「原理」を根拠に対応した場合、異常に合理的に生育する。
「理由があるから我慢する」というパターンだ。
結果は「理屈っぽく、自分にも人にも異常に厳しい」というスタイルになる。合理的な理由があるから我慢する。これは他者も同様のはずで、自分が我慢しているのに他者が我慢しないことは許しがたい。
私はジャイアンの衝動統制の障害を持って生まれてきて、最もマイナスが少ないスタイルはこの合理的強迫的ジャイアンであると考える。世間の不合理に戦いを挑み続けるが、言語的理論的な相互理解や話し合いは可能で、周囲の他者に対する社会的な害は最も少ない。
本人は人間として合理的になりきれない自分自身の部分をも死ぬまで自己突っ込みで責め続ける人生を送る。(つづく)
3.対人関係において「状況理解の非対称性」を特徴とする
ジャイアンの中には「空気を読む」能力、周囲の人の表情や口ぶりなどの非言語的な情報から感情などを読み取る状況察知能力の非常に高いグループも居る。しかしこのグループでさえ、不思議なことだが「自分の有利不利は直感的に非常に敏感に察知できても、逆に自分の行動が他者に与える影響についてはほとんど読めない」という状況理解能力の非対称性が見られることだ。
だからジャイアンには、「自分の有利不利だけは非常に鋭く察知できるのに自分の行動の結果については空気が読めないで失敗する」グループと、「自分に向けられた遠回しな表現などの状況理解も出来ず、同様に自分の行動の結果も読めない」グループの2種類が居る。
この状況察知能力については、大雑把に言えば、「動作性IQ」に相関するだろうと想像している。WAISなどの下位項目では、「配列」と「理解」だけが高いジャイアンは実に多い。
この点もASとの大きな違いである。ASは「自分なりの理解で多数派とはズレるが、自分に向けられた状況も自分の行動の結果の状況も同様に読めはする」という意味で、(両方空気が読めないグループは結果的に非常に似ているが)、空気が読めるジャイアンとは本質的に大きく異なる。
特筆するべきは、この非対称性、周囲から見れば不器用さが、「本当に悪者と見られない」という結果的な本人には有利な作用となることが多いことだ。
4.認知が基本的に表面的である。
ジャイアンの思考は大人も子供も非常に表面的という特徴を持つ。見えない「意味」よりも目先の「利益」が重要で、その結果異常に表面的な価値観が形成される。
世代により多様であるが、「公務員志向」「テレビはNHKのみ」「お笑いは馬鹿馬鹿しい」「極端な学歴志向」などが実に特徴的である。その結果おだてられると簡単にだまされ、いい気になって大金を騙し取られたりする。「見えない背後の意図」はジャイアンにはよほどコントロールしない限り読むことは難しいと私は思う。
長男の(その人の人格)ではなく、「直系の長男を偏重する」という不思議な特徴もあるが、これも表面的な認知の結果であろうと私は想像している。
5.養育環境によってさまざまなスタイルへと特化する。「どう衝動をコントロールするか?」「どう我慢するか?」。
ジャイアンは別図のように、養育環境によって一見同じグループにはとても見えない多様な成長発達の経過をたどる。ある者はいじめっ子暴君の文字通りの「ジャイアン」であり、強迫的にトップを目指して走り続ける努力家、合理的思考を放棄して周囲の状況を読みながら場当たり的に生き抜くギャンブラー、AC的になると表面上はノビ太様にもなり、また周囲の人を操作する「境界性人格障害」の様相、人を人とも思わない「精神病質」「自己愛性人格障害」のような経過も見られる。
二次的なアルコールや薬物依存、女性では過食や拒食の摂食障害、買い物依存症などになるケースも多い。
これらの結果としてのスタイルは実に様々であるが、私の考えでは「異常な衝動コントロールのパターンを身に着けた」という説明で共通する。下記に各論的に説明する。
6.注意欠陥と多動、自閉性は多様である。
特にASとの鑑別に重要であるが、感覚過敏、こだわりなどの自閉的な症状はジャイアンにも見られる。特に強迫的なジャイアンの場合、片付けもむしろ極端にきれいに出来、また並外れた集中力を発揮して高度な管理能力を持つ人も居る。
その意味では通常のADHDの定義にも当てはめにくいが、よく見ればASの強迫的な特徴が「皮膚感覚の延長上」であるのに対し、ジャイアンは「抽象的」という違いが存在する。例えば強迫症状の場合でも、ASでは「自分の体に何かの汚れや穢れが付着しているので洗い落とす」というタイプが多く、ジャイアンは「車で何かを轢いた気がして引き返す、ガスを消したかの確認」など、感覚の延長上というよりも「観念」上の強迫性が特徴的である。
もしも自閉性を基準にジャイアンをASに含めるとすると、ASの中に他者への無関心さを特徴とするグループを含めることになり、臨床的には私は非常に分類上不適当であると考える。(成人例ではASの不適応は対人関係の近さ、愛着から生じていることが非常に多いため)。
はじめに 司馬先生が平成9年に「のび太・ジャイアン症候群」としてADHDを日本に紹介してから、最近では学校現場だけでなく成人にも徐々にADHDの理解が広まってきた。
私は心療内科の臨床でACや人格障害と呼ばれる人のカウンセリングに取り組む中で、成人ADHDに接する機会を得、また自分自身もADHDであることから、のび太とジャイアンは「いったいどこが違うのか?」、「ADHDとアスペルガー症候群の根本的な鑑別点は何なのか?」について考え続けてきた。最近やっと私なりの結論に到達したので、まとめてみようと思う。
1.ジャイアン型ADHDの特徴は「衝動コントロールの障害」である。
ジャイアンの障害の本質は「我慢」が出来ないことである。2歳から3歳にかけて多くはマスターする「衝動コントロール」の部分が失調しており、制限されなければ「全く我慢しない」状態が自然となる。
本来は「自分の衝動が100パーセント実現するのが当然のあり方」であり、極めて自己中心的かつ誇大的な認知と思考を特徴とする。
(実際はそのまま衝動のままに成長することは不可能であるので、環境に応じて後述のようにさまざまなスタイルへ特化して行くため、成人時点での現れ方は表面上は一つのグループに括ることが困難な程に多様となる)。
2.ASとの根本的な違いは、基本的な「他者への無関心さ」である。
ジャイアンを一括りに一覧表的な症状で表すのは上記の多様性のために難しいが、ASと区別される根本的な共通点は、「他者への無関心」であると私は考える。
ASは根本的に「他者を無視できない」「他者との近さ」を特徴としており、他者との関わりが根本的に重要であるが、ADHDは基本的に単独で孤立した自己認識を特徴とし、基本的には「他人はどうでも良い」という認知と思考である。
ジャイアンの場合は他者は本質的には「自分の利益のための利用対象」でしかなく、二次的に獲得したスタイルの結果として、「言語的に理解してくれる相手」「競争して勝つための相手」「競争相手から遠ざけて自分が独占できる相手」「(利用に限りなく近い)依存対象」「(AC的に自己評価が下がると強迫的に合わせるべき多数派の見本」などの形で結果として「他人の目を気にする」ことになる場合でも、ASの身体感覚的な対人被影響性および距離を置けない関係のあり方とは根本的に異なる。
一言で言えば「自分の都合のための他者」でしかない。例えば子供の場合、「競争相手が居れば母親を独占したがるが、自分だけのときはそれほど母親に執着しない」など。
関心が無いという一方で、「言語的に表面的にほめられる」ことには極端に反応し、露骨なお世辞でも見抜けず、成人でもおだてられて簡単にだまされることも多い。子供では「列の前の数名を見て泣かないとほめられるから予防接種でも泣かない」という行動が良く見られる。
ASは逆に「人を利用するのは悪いこと」であり、他者との関係には対面した身体的な情報を伴う情緒的な交流を必ず求める点で、ジャイアンとは対照的であると私は考える。
ある学童期のケースは、同じ小学校に在籍する兄が激しい行動障害があり、その影響でAC的に極端に「普通」を志向して何とか自分の衝動をコントロールしていた。
当然の結果として小学校低学年から「楽しいことは一つも無い」「いつもイライラする」と訴えていた。
ところがある時友達関係のちょっとした破綻から「ACがぶち切れてしまい」大人も呼び捨てにする「俺様」状態になった。
その「俺様」だったケースが、新学期で担任が換わると、嘘のように落ち着き、素直になり、冷静に話も出来るようになった。
私とチームを共にするその担任の話を聞いて私はさすがと感心した。
担任は、本人が立ち歩けば教室の別の側に身を置いて本人に注目が集まらないように配慮し、クラスの他の児童に一般論として障害の理解を呼びかけ、結果として本人が「浮かない」ことをケアの目標としている。
直接本人に「障害としてみんなと違う」ことを直面化させることは回避して、徹底して周囲の理解を高めるという方針だ。
私はこの担任の話を聞いて、何よりもその担任の先生の「心意気」が重要なのだと感じた。
「この子は異常ではないんだ」「このままでOKなんだ」という担任自身の信念が、行動を通して他の児童に伝わり、本人が過ごしやすいクラスの雰囲気を形成しているのだろう。
外来の面接で私は「これは思春期前の学童期に限って使える方針だ」ということだけを確認した。
思春期以降は周りも許してくれなくなり、また本人自身も自分を誤魔化し切れなくなる。その段階では本人にきちんと告知(実は低学年から告知は済んでいる)して、本人に「発達障害の脳の働きが多数派と違う」という事実に直面化させる必要がある。
この前提の上で学童期の間(おおむね小学校4年まで)は上記の「徹底した周囲からの理解」の方針でOKなのだ。
チームの役割分担は、主治医である私は再びぶち切れた場面に備えて厳しく直面化する準備を続け、担任は徹底してサポートに回ってもらう。耳の痛いことは主治医が責任を負い、家族や教育関係者はサポートに回るのがベストの方法だ。
私の場合は、私自身の当事者としての立場を生かして私のHPの「偏屈者宣言」を読み上げるだけで良いので、ギリギリのところで告知と理解を成立させる可能性をイメージ出来ている。
ところで上記のケースは、思春期前だが偏屈者宣言を試みに読み上げてみたところ、「俺様」状態の最中にも「あの発達障害の医者のことか!」と言っており、「おお正しく理解している」と感心したものだった。
思春期の学習障害のケースに時々出会うが、一つ診断されにくいポイントに、「分かっている振り」がある。
言語性IQが60台で、これまで児童相談所などに関わっているのに、一度も検査や医師の診察を受けて いないのが不思議であるが、IQ検査後に診断面接でじっくり話を聞いてみると、質問の意味が分からない ことが多いことが分かる。
逆に、「分かった振りをすることがあるか?」という質問にイエスと答えた場合に、一番学習障害の 可能性を考えるべきであるように思う。
分かった振りをする理由は、本人に聞くと、「話を終わらせたいから」という理由が多い。 言われてみれば当然であるが、もともと質問の意味も良く分からず、分かった振りをしてその場を とにかくやり過ごそうとしているということだ。
逆に「質問の意味が分かりません」と正直に言えばさらに 話に突っ込まれて分からないところを引っ掻き回されて苦しいだけという体験をいやと言うほど 繰り返した二次障害の結果であろう。
しかし多くの場合、分かった振りをして返事をしたのに「行動として実行されない」 「同じことを聞きなおしたりする結果になる」などにより、今度は「分かっているのに無視した」とか 「公然と反抗している」といったとんでもない誤解をされる結果になる。
「ちゃらんぽらん」「不誠実」に見える発達障害の人がいたら決め付ける前に必ずWAISⅢなどの 知能検査を勧めてみよう。もしも言語性IQのほうが動作性IQよりも有意に低い所見があれば、 学習障害を疑ってみよう。
そして問診では「分かった振りをしてきたか?」という質問で、はっきりイエスと答えたら 私は学習障害の診断を強く考えることにしている。
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