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2010.04.18 01:26 |  診療  |  研究  |  その他(医療関連)  |  ADHD関連  |  AS(アスペルガー)関連  |  YANBARU  | 推薦数 : 3

感知と察知と反応

 発達障害がKYである(空気が読めない)ことの意味として、細かく分析すると以下の3つの要素に分割することが出来る。

 A「主に非言語的な周囲の人の表情や言い方などの雰囲気を感じて直感的に感知する」こと。「感知」と呼ぼう。

 B「感じ取った空気(上記の非言語的な雰囲気等の)の情報から、多数派流の状況理解を(自覚するか否かはともかく)察知する」こと。「察知」と呼ぼう。

 C「上記の察知に基づいた多数派流に状況を正確に弁えた行動を取れる」こと。「反応」と呼ぼう。

 「無視されても気付かない」情緒障害や動作性IQの特定のタイプのADHDは、「感知」自体が出来ない。「天然」と呼ばれるあっけらかんとした一群だ。

 「ACに似た自己評価の低下が重症になるADHD」は、「感知は出来るが察知に失敗する」タイプで、結果の反応が外れたことは感知できるので、特に思春期以降に自己評価が低下することになる。

 「ジャイアン」群は特殊な形になる。「自分の立場が有利になるか否か」に関してはしばしば多数派よりも鋭い感知と察知が出来る反面、自分の反応の周囲からの結果に対する「予知ないし想像」がまったく出来ない。これを私は「状況理解の非対称性」と呼んでいる。

 「AS」は大きく「オタク的マイペース群」と「過剰反応群の二つに分けられると私は考える。

 ASでも「感知」しない一群は見られるが、実はよくよく見れば、愛着の対象に関してだけ感知できたりすることも多い。愛着の対称でない相手への無関心の結果感知もしないように見えることを能力的な問題と考えるべきではない部分がある。

 ASの場合は、感知は出来ても、「察知」は99パーセント「AS流」なので、表面上は「普通に」振舞えても、実は多数派的な尺度で言えば「過剰反応」になっていると私は考える。

 AS流の「察知」に基づき、AS流の「反応」をし、またASの人はAS流が普通であると確信していることが多いので、結果的に「KYに見える」ことになる。「多数派に合わせる必要性を認識しないで合わせない」ことを「空気が読めない」と表現されていることも実際多いだろう。

 「オタク的マイペース群」のASの人は、人以外の分野(例えば音楽等の芸術や技能、フィギュアや昆虫、恐竜、車など)に興味が偏り、ごく少数の愛着の対象以外には人間にほとんど関心を示さないので、結果的にKYに見えるが、「感知」も出来ないのとは違う可能性を想定するべきである。

 「過剰反応群」は、表面上はAC(アダルトチルドレン)に酷似する周囲の人の非言語的な表情、動作や言い方などへの過剰な反応が特徴的である。これは「ASのAC」なのではなくて、実はASのままでAC的なのだろうと私は考える。
 「空気を読みすぎる」という結果となり、表面上は「境界性人格障害」と呼ばれる一群に酷似する。私は「受動型AS」と呼んでいる。

旧「あおぞらクリニック」に通院しておられた方々へ

 あおぞらクリニックは閉院になりました。当面4月、5月本部町の「ノーブルメディカルセンター」まで来られる方は、ノーブルの事務の方で予約を取り直しています。ノーブルの事務まで電話で予約してください。
 成人は木曜で15分枠、20歳未満または子育て中の発達障害の親の方は金曜で一時間枠です。いずれもネット相談を併用する方針ですので、ネット相談専用のパスワードつき掲示板かブログを各自準備をお願いいたします。

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コメント

コメント一覧

「オタク的マイペース群」に分類されると思います。他人のことはどうでも良いですが、存在が気になって仕方ありません。電車に乗るととても疲れますし、横断歩道で人が集まって信号が変わるのを待つのもうざくてしかたありません。
written by あまがえる / 2010.04.18 11:10
やっぱり「ジャイアン」ですねぇ。
Aはできると思うんですが、
たとえば・・・。
先生が「自由に何でもしていい。」と言った。
よーし、やってやれー!と、思いっきり走り回った。
気がついたら、先生が笑顔で私の顔を覗き込んでいた。
(夢中で走りすぎて、我を忘れて止まらなくなっていた。)
授業の中で、自分のロアーセルフを表現する場があった。
「先生に対するものでもいいですよ。」と説明があった。
それで、「どうして落としたんだ。また落とすんだろう!」と恨み言を泣きながら言ったら、警告書がきた。
(いいって言ったじゃないかぁ・・・涙)

これって「状況理解の非対象性」なのでしょうか?
ただ自分の都合のよいように誇張して受け取っただけ?


written by YK / 2010.04.18 12:48
ジャイアンの場合ABCは、
他のADHDよりも「オタク的マイペース群」よりなのではないかと感じました。
つまりジャイアンはAもBもできてるけど
自分にとって興味のあるもの(この場合「自分が利用でき人」)
以外には関心を示さないので「KY」に見える、といった具合。
ジャイアンにとっての他人はフィギュアや昆虫と変わらない「モノの一種」なので、
だからこそ「自分にとって心地よい=使い勝手がいい(利用できる人)」か
「使い勝手か悪い(どうでもいい人)」になるのではないでしょうか。
つまり繰り返しますがジャイアンは
「オタク的マイペース群」と似ていて「感知」「察知」はできてるけど、
「興味のあること・もの(この場合自分にとって都合がよい=利用できること・もの)」にしか「関心」をもたないので結果「反応」が多数派と異なるのではないかと。
written by 忘れました / 2010.04.21 11:10
以前、立ち読みしたことがある本に、ASが強く段取りに拘る特製のある、ある子は皿にフルーツを盛って出された時に、一目見て食べる順番がヴィジョンになって閃いた、だから大人が事前調整無く触ると怒ったという事例を見ました。
これを応用するとしたら一部のASが、フルーツ=人類、の要領で反応してしまう特性を持ってしまったと思ってもいいのでしょうか。それなら察知から間違うしかない面もあるのかもしれません。

この発達障碍の一面の認識が、医療的調査に基づいて出した結果であっても、耳を貸したら過剰な感情反応に付き合う責任が生じると分かったらゆくゆくは全員が逃げたくなるのが本音になっていくと思います。
当事者ですら当事者から逃げたくなるのが現実です。
話が逸れますがこのブログでも過去にそれを重視した空気になりました。執筆者のヤンバル先生が方針を決められることは当然としても、コメンター達がその空気すら過剰に読んで全てのコミュニケーションに過剰にドライに反応しなければ許されないかのような、強迫的な空気になった時は、正直些細な疑問を感じました。でもコメンターがこのように振り回されるのはこのブログだけではないのですよ。仕方ない特製でもあるのですが・・・。
だからヤンバル先生がご多忙にも関わらずこの反応力の問題を完結させること無く考え続けてくださり、答えを引き出してくださったことをありがたく思っています。

いずれ私達は自立を当てにされる一方で、全ての多数派の平穏な生活や職務に支障が出ない程度に『当事者達から自主的に心を閉じていてくれればいいのに。』と暗黙に望まれる時代が来るのかもしれません。
すみません、続きます。
written by ぴよよ / 2010.05.03 02:38
すみません。
過剰反応傾向がある者がトラブルを未然に防ぎ品格を保つ手段として、自制心は大切になっていくでしょう。
しかし自制心を保っても保っても、足元を見られる現実も起きてくるかもしれません。それでも自制心を捨てないかどうか、揺らいで弱ったとしても捨てないでいられるかどうかも、善悪だけでは片付かず、いずれ選択の一つになっていくのかもしれません。

私のような自覚済みの当事者も、自覚する所まで追いつめられない理由があって無自覚の当事者も、多数派に組み込まれている性格が偏った人も、純粋な多数派も、皆の存在がありそれは本来自然な現象なのに、問題はどこを切っても決して平和な状態で共存ができていないという実態。

発達障害者の適応を考える時、ここから私はいつも目を離せないのです。
自分の見ている現在、見てきた過去、インターネットと現実の空間で出会ってきた当事者の住む世界を見渡して、解決する足場や根源をどこに置いたらいいのか迷っていたら、足場が見えるどころか戦場が見えてきてしまった。
そこは、誰かか誰かを恨んでいる、又は常に誰かに恨まれている状態に気付けていないと“空気”に付いていけていないと見なされる状態でもありました。

『発達障碍は我が儘者だけでなく、感情的なだけて我が儘とは違う種類もいるのか?』仮にこういう質問が、将来一般庶民の間でされたとして。
答えとして『感情的なのもいるけど、淡白なのもいる。』これだけの説明では多くの関係者が混乱して分かりませんね。
どちらかがどちらになれる訳ではありません。
しかし、両者は一緒ではありません。

すみません、まだ続きます。
written by ぴよよ / 2010.05.03 02:56
いつもすみません。

飽くまで『感情的なのも、淡白なのも両方いる。』であり、『感情的なのは調子に乗っているだけだから命じれば淡白になる。淡白なのも努力させれば感情を表に出せる。』訳では決してありません。
根本は同じでも、両者には別物と言って良い程の違いがある支援や訓練が必要とされます。
どちらにも別の物が必要とされるのだと思います。
しかしこの国には両方用意するだけの財源は無い。
それでも両方の用意がされないと、現実に私達が救われる日は来ません。

最近は見飽きましたが、然るべきサイトを見てもどちらかの支援法が挙げられては、事情の違う者が自己都合で否定を入れてばかりです。
違います。発達障碍と言う枠に括られても、中身には別物の生き物が何種類も入っているのです。一種類の救い方だけで全部が救われるはずがない。
だから話を深めずに実質放置に入ったのが現在の政治ですが、本来は一種類一種類、研究されなければ私達は生きられないのです。
私達発達障碍集団は背中を押されて押されて、子どもから青年、青年から中年に強引に差し掛かります。感情的、淡白どっちもいつかはどこかで戦力として使えなくなっていきます。なんだか下手な預言みたいですが、集団で将来、私達は余されます。

だからヤンバル先生が苦境に立たされてることが間違っていると私は思うのです。ヤンバル先生はこの研究を国のオファーも無く無償でやってくださっています。
それでも依存を招いたと言われ、反省までなさってる。
ヤンバル先生の思い描いていることは正しいと思います。
過剰なまま、淡白なまま、どうするのが正しい自立への道なのか? 分析だけでなくこれを考えてらっしゃいます。

ごめんなさい。続きます。
written by ぴよよ / 2010.05.03 03:10
すみません・・・。

未来に、発達障害の就労ガイドライン? が整備されたとして。
ヤンバル先生も過去記事で考察してくださっていましたが。
不注意、動作性想像力の遅滞、実行機能能力の不足、等に並んで他者の感情的状況の感知、察知も、生産力を妨げるものとして特定されたとしたら。
私達の周囲の関係者が、ガイドラインが根付くまでは生産力の算出と情報の共有できない状態が続くと思います。

私達は、自分の無能さすら自分で証明できない事態になりますね。準備がされないと、今よりも恐ろしいことになるかもしれません。

両親の会話の速度が落ちるたび、遮ってもそれに気付かなくなるたび、私はそれがうわ言や遺言のように聞こえることがあります。嫌な言い方ですが、年配者という者はますます過去の夢で物を語る権利を行使できます。
私の両親はしつこくはないですが結婚なんて「誰でも出来る。昔の人はきちんとしたんだよ。」と未だに言います。

これに限らない、膨大な耳にカリカリカリカリ残る残響、それを言われた背景を分析して言った理由を理解して、再燃してももう一度言い聞かされてなだめられてゆっくりゆっくり神経のベクトルを他へ向けながら治めていく生活をさせてもらう権利はずっともらえないのでしょうかね。

過去にインターネットで出会ってきた積極的に結論を求めるASのように、波長が合わない者を加害者と結論付けして片っ端から縁を切り、誰も自分の耳に痛いことを言わない、引き籠った人間関係の中でだけ暮らし、自分の都合が必要とする時だけいきなり一方的に用事を命ずるような、そんな態度が果たして模範的なASの生き方なのでしょうか。

家庭に住む各々が、リビングの中心でこのまま自己都合を叫んでいれば新しい概念の理解なんてものから逃げられますし、当事者はインターネットの中心で自分の言い分を叫んでいれば、とりあえずは表面的な迷惑は人に掛けないでいられる訳ですけどね。
日本人は、果たして私を含めて、進化する気があるのでしょうか。
written by ぴよよ / 2010.05.03 03:32
ぴよよさんへ

>これに限らない、膨大な耳にカリカリカリカリ残る残響、それを言われた背景を分析して言った理由を理解して、再燃してももう一度言い聞かされてなだめられてゆっくりゆっくり神経のベクトルを他へ向けながら治めていく生活をさせてもらう権利はずっともらえないのでしょうかね。

そういう権利は多数派だってもらっていないと思います。
そもそも誰かからもらうものなんでしょうか?

話は変わりますが
ぴよよさんが書かれている「模範的なAS」は単にネットで悪目立ちしている一群に過ぎないと思います
(個人的には自称ASがかなり含まれているような気がする)。
インターネットの中心で何を叫んでもネットの中の出来事に過ぎません。
特に匿名が当たり前の日本のネット社会ではそれが顕著です。
それがぴよよさんの
>日本人は、果たして私を含めて、進化する気があるのでしょうか。
とう感覚に繋がるんでしょうね。
匿名の意見なんてしょせん愚痴と変わらないです。
少なくとも多くの日本人はネットを通して進化する気はないみたいですね。そんな大層なことができるツールとは思っていない。

かく言う自分も匿名に甘えているのでとやかく言う資格はないのですが。
でも口下手で引きこもりな私が一方的にせよ誰かの意見に返事ができる、というだけでも
ネットは素敵なツールだと思いますよ。
現実社会ではこんな会話はできないですからね。
(何ヘヴィな話題やってんの?って言われるのがオチですわ)。
written by 忘れました / 2010.05.12 11:25

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