インターネットで自宅にサーバを置きサーバを通してネットにつながるのをproxyという。(私は実はきちんと理解できていない)。
精神医学用語では、ミュンヒハウゼン症候群の一群が「by proxy」とついている。日本語では「代理ミュンヒハウゼン症候群」という様だ。
ジャイアンの母親の支配や依存によって子供に表面上の問題行動が出てきている場合に、頻繁に見られるのは、「子供への評価が母親自身の評価になる」という構造である。母親は子供に表面上の問題行動があると、「親の育て方の問題として母親自身に責任がかかる」という意味で子供の問題行動が母親にとって「不都合」になる。
そういう場合に、母親のカウンセリングなどで母親自身に問題があるような文脈で治療に導入すると、非常に都合良く「最近急速に良くなっています」ということが起こる。
私はこれを「proxy回復」と呼びたい。
何と言っても「タイミングが現金なまでに良すぎる」ことが多い。母親の問題を指摘した次の外来までに表面上はすっかり解決していたりする。
この経過を見ると、逆に「子供の問題行動自体が母親自身の不安に関係する医療ケア依存の将棋の駒のようなものだったのか?」という当然の疑問が生じてくる。
これを上記の「代理ミュンヒハウゼン症候群」という。子供は「proxy」としての意味しかないのだ。
私の想像では、実際には「表面上治らなかったら許さない」という異常な管理や支配、特に非言語的な強烈なメッセージを受け取って、状況察知能力のあるジャイアンの子供などは現金に「表面上良くなる」、「問題行動が消失する」、それも「子供のほうから自発的に問題が解消しました」ということになる。
私はこれを承知で「お子さんが良くなって良かったですね」と母親と一緒に喜ぶことにしている。
少なくとも「表面上」は世間に適応できることに近づいているわけであるし、身体症状(アトピー性皮膚炎の悪化、気管支喘息、嘔吐などの消化器症状、過換気症候群など)や、小児のうつ病などの形で本当の問題が表面化することは間違い無いと予想しているので、その段階で介入するイメージを準備しながら。
私はADHDを不朽の古典にならって「ノビ太型」と「ジャイアン型」に分けて考えているが、ジャイアンの典型例とも言えるのが最近引退したアスリートA氏(ついでに師匠もおそらくそうだろう)だ。
最終的に突きつけられるまで辞めることになることを想像できないKYぶりは非常に重症だ。
以前に嘘をついて故郷に帰ってサッカーをしていた時には非常に都合の良い「健忘」になったりもした。「都合の悪いことは忘れる」という疾患名だ。
これだけ「学習できない」のは明らかに「障害」であり、本当にKYで気付いていないところなどは「悪気でない」という印象を与えて本格的には嫌われない。
もしも確信犯で「全部分かってやっている」のなら、本当の悪人に見えるはずで、そこが発達障害との鑑別のポイントになる。
アスリートA氏をジャイアンと考えると、最近起こったことは「学級などでよく見られる発達障害叩き」と本質は同じように見える。
多数派は発達障害が上に立つと決まって叩き潰そうとする。「自分達は周囲に散々気を使って生きているのに、気を使う努力もしないで成果だけ上げるのは許さん」という心理だろうか?。
数年前に「○○えもん」氏がマスコミからこき下ろされた状態と私には重なって見える。
学級での「いじめ」と本質的に同じことが行われていると言えないだろうか?
私は昔マスコミにいたが、これがマスコミの一番醜いところだと思う。
ジャイアン型ADHDの場合、子供などの「経過を知っておきたい」ことから来る「管理型共依存」が見られることは以前に述べた。実はこの他にちょくちょく見られるADHDの関与する共依存があり、なかなかパッとした表現が見つからないが、「行き違い共依存」として説明してみよう。
合理的なADHD、またはジャイアンでも合理的に行動する場合に、「状況に対して合理的に行動していたことが結局共依存の車の後押しだった」という現象が実に頻繁に見られる。
非常に不条理な家族や関係者が居る場合、「その他の家族のために安全を守る」などの「合理的必要」があって、または「全体の利益のためには自分がするしかない」という合理的な判断によって、言わば「行き違い」で結果的に共依存状態が出来上がってしまうということだ。
通常「共依存」は依存させる側、世話をする側も「相手にとっての必要」という立場に依存することで、自分自身の不安が消失するなどの心理的なメリットを得る形になっている。
ジャイアン的な「管理型共依存」には「自分の予想しなかった結果になることが無い安心」が得られるので共依存的な形ではある。
ところがこの行き違い共依存は自覚症状上は依存はまったく存在しないのだが、結果の形は明らかにイネイブラーになっているところが皮肉といえば皮肉だ。
「DVのパートナーが子供たちに怪我をさせないために子供たちを守ろうとしてずっとフォローしてきた」行動は合理的には非難の余地は無く、これを共依存だったと指摘するのは非常に辛いのであるが、結果はこのパートナーを尻拭いする結果になり、パートナーおよび子供たちが依存型ジャイアンになって行くプロセスの後押しになっていた。
「相手がジャイアンの依存性を持っている場合には」という条件をつけて考える問題かも知れないが、実際こういう行き違い共依存の現象はしばしば見られる。
先の例で言えば、「DVのパートナーが不条理な暴力でしつけるという方針を改めない段階で子供を連れて別れる」という選択を、(子供がジャイアンである場合には)、する必要があったということだ。
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