ADHDは本来「アウトロー」である。自分が納得するしか無く、納得できなければ法律だろうが多数派の常識だろうが平気で無視する。
「何でもあり」という表現も出来る。露骨になりふり構わず、自分の衝動や欲望に向かってどんなことでもする。
「現金」という言い方も出来る。ある意味徹底的に現実的実際的で、「お金をいっぱいもらえば割り切って何でも出来る」ようなところがあり、他方こだわりで偏屈な部分と非常に対照的な面を見せることが多い。
中でもジャイアン型ADHDは「丸投げ」が大好きである。やってくれる親切な人がいれば「ラッキー」と丸投げしてしまう。自分ですると責任を取らねばならないから、ジャイアンにとって丸投げは「責任を回避するため」という意味がある。
一方で馬鹿正直でこだわりには忠実で融通が利かない部分と、この「何でもあり」の極端なルーズさが同じ人にも並立していて、見る人に理解が困難となることがある。
だからADHDは楽をしてはいけない。「楽になろう」という思考には限度が無い。リミッターが無いのでどこまでもダラダラとルーズになってしまう。
特にジャイアンには逆境が一番だ。家族の問題や経済的な現実の苦労の中で「大変だ大変だ」とぼやきながらも非常にある意味生き生きしているジャイアンを見ることは多いだろう。
この意味は、「現実的な逆境は自分のせいではない」上に、「頑張れば評価される」、「攻撃性を出してもさもありなんと理解される可能性がある」と、好都合極まりないのだ。
私自身も少々きつくても自分に動くことを命じ、ストップしないことを自分に言い聞かせている。「適度に手を抜いて休む」なんてことは高度すぎてADHDにはあまりにも複雑な業だからだ。
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仕事をしていた時も、不器用な私がすると、丸2日は家に持ち帰りしてもかかりきりになるような仕事を、人は2時間もあれば仕上げる現実を前に、
「何で私がしないといけないんだろう?あの人なら2時間でできるんだから、あの人がすればいいのに・・・。」と平気で考えていました。
もちろん私の仕事に関してです。
しかし、あんまり何もしないでごろごろしていたので身体を壊し死にかけました。
今は勉強とウォーキング、そして朝のミサに行くので超早起き(5時半起き!)になりました。
身の丈にあった充実した毎日です。
ブログに初めて訪れました。
まずはお礼を言いたいくらいここに居場所がありました。
きっと毎日のぞきに来ます(^^♪
昨日ある方のカウンセリングを受けました。
『片づけられない女たち』の本に出会ってから自分について家族について深く考えが進むようになり、今新たに改革に取り組んでいます。
夫がアスペルガーに違いないとわかったのはつい最近で、それに気づいたとき霧が晴れたおもいでした。
昨日のカウンセリングで私自身は・・・ADHDの要素が強いように言われ、へぇ~そうなのかな?と感じたのですが自分としてはすべてのことに満足感を得られない、整理ができないのはADDなのだろうと信じてきました。
だって多動ではなく座ってられるもの・・・と。
でも、じゃあADHDって・・・と今探してみてYANBARUさんのところにやってきました。
私もジャイアン型ADHD???
と暴れたいほどに感じるものがありました。
夫 アスペルガー
私 ジャイアン型ADHD
長女 夫に似た傾向
次女 私に似た傾向
こんな家族で、わたしひとりが現在もがき苦しんでいます。
これからもよろしくおねがいします。
今まで知らなかった『自己突っ込み』なるもの。
これが私を痛めつけてきたのか・・・と、またひとつ受け止めて共存すべき自分の特徴に気づかせていただき嬉しく思います。
年始のメモから抜粋ですが・・・。なので物凄く言葉足らずなのですが。
ASは規則性大好きです。しかし規則の中に感情も組み込むタイプ(主に受動型と積極奇異型)もいるので、感情的に想定内範囲に収まらない事柄に対しては、ウイルスソフトのようにはじくか、動作的な思考を駆使して許容量内に収めるか、の選択をしないとオーバーヒートする訳ですが、その選択作業を開始するためのIDパスワードとして愛着対象を必要とするとします。
規則性→過集中のヒート又は、外部に壊される→虚脱を防ぐ対処としての依存→クールダウンしてリセット→規則性→過集中の・・・繰り返し、とする。
これが、福祉就労、一般就労両方のASに共通する頭の構造にすることを前提にするなら。
福祉就労対象は問答無用(多少は検討議論がありますが。)で環境を整えるでしょう。
しかしそれが出来ない環境や能力水準なら?
恐らくこのブログを読まれるかたで当事者は、孤独な環境でインターネット操作をこなす力があるとして、こちらのケースが多いかと勝手に思っています。
規則に安住する自我。(自我と使っていいのでしょうか?)
「この自我は本当に正しいのか?」等と、自らの自我を疑う作業を、自分の生育過程も振り返りながらやり直せるか、どうか。
ASは自我が育ってくる過程から多くの認識を間違ってきます。だから愛着対象に頼ると、自分の価値観の歴史全部を否定されたような気分(本当にそう決めつけられたのではなくても、気分で切れる事例が多いはず。)になる。
これをとことんしていくと「この価値観は本当に正しいのか?」「今浸っている規則性はこのままでいいのか?」「今感じている気分は本当にそう感じるべき気分でいいのか?」とほぼ常に考える癖が出来てきました。
続きます。
過去に当事者との会話の中で(これに限らないのかもしれませんが。)これを考え続けていると、時に私の自問自答は軽蔑されることがありました。
相容れないもの。
正しいか正しくないかで言うと、正しくないものとして。
“気持ちは仲良しに受け止めてもらうもの。”という定説。
私は不器用に分類をし続けました。
「いい天気だね。」は気持ち。
「食事が飲み込めない。無理すると吐きそうになる。医者には大丈夫だと・・・」これは不安。
どちらかの会話に偏り過ぎないように、個々人が自分でも分類してセーブ出来るようにならないと、いずれどちらかを受け止めきれなくなるのではないか?
大人であり、それだけの能力が私達にはあるのではないか?
私の問いかけは、長い間無視になりました。
(しかし全無視ではないのです。ADHDは引きづらないものなのですね。助かりましたが事の全体像が解るのには時間がかかりました。)
出来ないなら仕方がない。
面倒でしないのなら、それは“楽”しているということなのではないでしょうか。
目まぐるしい仕事を残業してこなせたとしても、その後デートもして、自宅も美しく片づけられたとしても、起きている時間をフル活用したとしても、よくよく考えれば解る人の気持ちを素通りしたり、自分の過集中さを自分で見ないでデート相手に責任を取らせようとしたりしていれば、それは“楽”かもしれません。
その認識具合に気が付けなければ、ASに人と繋がれる将来は、無いと言えるのではないでしょうか。
はしょるという行為は、疲れますね!
最近このブログを偶然見つけて、大変興味深く拝見させていただいております。
わたしは、人格障害だということで十年精神科に通院してます。
わたしの主治医は、やんばる先生と似た所があって、決して甘やかしはしないんだけれど、逃げずに向き合ってくれてます。
どん底の状態からここまでこれたのは、相性のいい主治医に出会えたからだと思ってます。
ですが、このブログや先生の見解を知り、自分は発達障害ではないのか?という疑問がわいてきました。
そこで、現在通っているクリニックで検査をはじめました。
自分では常識だと思っていることが、多数派とは違うんだってことには、ほんとに気づかなくて・・・
そのせいで二次障害が起きて不適応をおこしてたんだなと今は思います。
自己診断では、ASもしくはADHDののび太型かなと思うんですが、よくわかりません・・・
愛着があるかないかという所がわからないんです・・・
その辺、もう少し自分なりに調べてこうかなと思ってます。
ぜひ、先生の自論が書籍化され多くの自己中仲間さんの役に立つことを願ってます。
わたしも、自分の研究を続けていきたいです。
追伸:最愛の祖母が亡くなったという逆境からわたしは劇的に変化しました。
先生が言うように、この障害を持つ人間は楽できない環境でこそ輝くのだと思います。
久しぶりに母(ジャイアンADHD)とバトルをしております。
母は王道のジャイアンです。
母は「家を持つ」目的1点に形振り構わず生きてきました。
自分で決めた家を買う資金を貯める為の貧乏が、母には我慢できず、子らに八つ当たり。
5歳の私の髪を掴んで振回し「お前達のせいで私は不幸になった」を毎日のように言い続けました。
家を買う為、その他の支払いを全て後回しにして生きてきた結果。
70歳を過ぎて、年金がありません。
依存の私は母を「お金」で幸せにしなければならないと自分に課して生きてきました。
母が「お前のせいで貧乏になった」と言う言葉を真に受けて
バカの一つ覚えのように、私がかけた迷惑を母に返さなければならないという思いがありました。
ここ数年は母へお金で面倒を見ることで、私は自己満足に浸っていました。
私はこのところ依存が回復傾向にあるように思えます。
私は母を私のお金に依存させてしまったツケを払うことになりました。
あまりにも目に余る行動も多いです。
鍋、やかん、靴、箒・・訳がわからないのもばかり50個も60個も買い集め
お金がいくらあっても足りません。
AS夫は静観していますが
歯止めがきかないジャイアン母と私・二人に対し、私とは違う感情の不満が出ていました。
とうとう、私が我慢も限界を超えてしまい
母へ「あまりの横暴なお金の使いすぎ」を注意したところ、
ひどいなじり合いになってしまったんです。
何を言っても母は
「私は大変じゃなかったっていうのか」そう発狂していました。
結局、私は母にお金を渡すことで母を管理しようとし、自分に都合の良い愛情を要求していたのでしょう。
私がいけませんでした。
おそらく先生なら、依存の私が母を管理する状態に怪訝を示すだろうと想像しつつ続けてしまいました。
問題が吹き出しています。
先生のブログを知ってから、早2年が過ぎようとしています。
以前のわたしは、楽をすることを求めて、つい恋人も作ってしまっていました。
ただ、その恋がわたしに与えてくれたものは「依存からくる人間関係のこじれ」だけだったように思えます。
今、自らをしっかりと見つめ、選んだ道は「海外」です。
青年海外協力隊に応募し、先日1ヶ月の短期ボランティアに行ってきました。
結果、海外の生活がこの上なく肌に合うことがわかりました。
もとから「ガイジン」なのですから、ADHDだと特別視されることもなく、自分らしさを発揮しながらボランティア活動ができました。
向こう見ずで怖いもの知らずの性格も、好きなことになら努力を惜しまない過集中も、すべてが活動の中で生かせて、結果としてたくさんの笑顔をもらい、わたしもずっと笑顔でいることができました。
依存の原因となる「恋愛」を我慢することで、こんなにたくさんの幸せが得られるのか、と思いました。
もちろん寂しくて仕方のない日もあります。
誰かに支えて欲しい時もあります。
それでも、「個」を生かして自分らしく生きることを優先することで、周りも自分も笑顔になれる。
わたしはこの運命を享受し、今後もADHDとして人に迷惑をかけず、幸せを振りまくピエロであり続けようと思います。
一時期「もうだめだ」と思っていた時、またASの相手に依存し、結婚しそうになった時(このブログでも一悶着起こしたASです)、このブログから得るものは大きかったです。
環境を変え続け、自分を変えないこと。
このスタイルで生きていこうと思えました。
ADHDの方には、海外おススメです。主体性はあるので、ボランティア活動をしても、定型の方よりも一歩進んだ活動ができることうけあいです。
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>だからADHDは楽をしてはいけない。「楽になろう」という思考には限度が無い。リミッターが無いのでどこまでもダラダラとルーズになってしまう。
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ええーー。。そういうことか。。。
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> 特にジャイアンには逆境が一番だ。家族の問題や経済的な現実の苦労の中で「大変だ大変だ」とぼやきながらも非常にある意味生き生きしているジャイアンを見ることは多いだろう。
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「大変だ大変だ」とぼやきながらも生きてる!って感じが確かにしていたと思います。それを真に受けて解決してくれた夫クン。。
受動的AS夫からしてみたら、どないせぇっちゅうねん!って感じですかね。
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