「子供に厳しくする」ことは親だったら当たり前で、祖父母が孫に対してするようなべたべたに甘やかす態度は親の責任を自覚した場合はとれないのが当たり前だ。

 それは親には「子ども自身のこの先の長い人生への親としての責任」があるからで、それを明確に意識するためには、親として自分の子にどう生きてほしいか?を考えるとか、「親として子供にどんな大人になってほしいか?」、もっと単純に「子供がこのまま育って行って社会的に困ることにならないか?について真剣に心配する」といった合理的な思考が必須となる。

 逆にこうならないケースは、おそらく私の想像では「その場その場だけ表面上無難に治まれば良い」という依存型ジャイアン特有の思考か、「子供のことを責任を持って考えるのは自分で無くてパートナーや親がする」という形に丸投げが当たり前になっている場合であろう。
 
 「厳しくする」ことは「押し付け」であり、逆にそうされるほうからすれば好ましいことではない。しかしそれは「思春期以降の自分で自分をある程度コントロールできて自己責任で行動できる場合のみ」であり、少なくとも学童期(小学校4年生くらい)までは子供本人の責任にはならず、親が責任を負うべき時期がある。

 学童期までの親には、(当たり前だが)「子供本人が嫌がるから」という逃げ口上は使えない。これははっきり親としての責任放棄であり、仮に「子共自身の好むようにさせる」という選択をする場合でも、そういう選択をした親としての責任ははっきり存在し、その結果については当然親としての責任を負う必要がある。

 もっとも逆に「親は全面的に押し付けて良い」という発想も単純に推奨は出来ない。思春期以降は大人と同様に自己責任で扱うとして、それまでは親として「どこまで押し付けるか、どこまで子供本人の意向を通すか」について具体的な場面で悩み続けながら、「徐々に子供本人の意向を尊重して本人に責任を取らせる部分を拡大して行く」ことを考え続けるのが(これも当たり前であるが)親の責任であろう。

 親が依存型ジャイアンであったり、またパートナーや祖父母への依存があったりすると、子供が幼児期から子供の異常行動として問題が表面化する。問題は子供のほうにあるのではなくて、(ジャイアン型ADHDの子供が多いのだがそれとは別に)厳しく出来ず責任を負いきれない親(ジャイアン)の依存性にあるのだ。

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